優しいから
みもりが務める会計としての責務は、なんといっても予算の管理だ。
各クラス、部活、有志団体と各企画に割り当てることのできる金額設定と、その他パンフレット作成や地域宣伝用のポスター、保護者会からの融資など、全ての企画に平等な予算を設定し、企画の進行に合わせて不正などが起きていないかの確認のため収支がきっちりあっているかを計算する。
一円とてずれていることはよくないことだ。たかが一円、されど一円、という一円の価値の話をしているわけではなく、単純に一円違うと、申請した物とは違う物を購入している可能性がでてくる、ということだ。
つまりは、百円の物を購入します、という申請があったにも関わらず、百一円の別な何かを買った団体があるかもしれない、ということで。
そうした動きは、一度仕方ない、で片付けてしまえば、どんどんエスカレートしていってしまう。
一円誤魔化すことができるなら、今度は十円誤魔化してみよう。
十円誤魔化すことができるなら、今度は百円誤魔化してみよう。
百円誤魔化すことができるなら、今度は千円誤魔化してみよう。
そうしてはっきりと、違う物を買っている団体があることに気付いた頃には、既に幾つもの団体がそうした横領や虚偽申請をしていて、どの団体も口を揃えて「どこも同じようなことをやっているだろう」と言い出す。
それではいよいよ、予算の意味がない。
文化祭という行事が高校生にとってどれだけの一大イベントであるかなど、当の高校一年生であるみもりにだって嫌というほどわかっている。
だから、皆で作業していて足りないと感じるものはどんどん購入したい、という気持ちはよくわかる。
劇に似合う衣装がなければ購入したいだろう。縁日に丁度いい景品がなければ購入したいだろう。喫茶店に必要な茶器がなければ購入したいだろう。
それも、あと少し、こんな物が買えればグレードアップが出来るのに、となるのも、わかる。
誰だって、一生に一度、今しかない文化祭の出し物を最高の形で迎えたいものだ。
だが、だからといってそれらの要求全てを許してしまえば、およそ予算など足りるはずがない。
だからこその金額設定があるわけで。
どの団体も定められた金額の中で創意工夫するからこそ、文化祭らしいものができあがるのだ。
みもりは思うのだ。
文化祭のクオリティなんて、実は誰も望んでやいないのではないか、と。
文化祭とはそもそも、誰のために行っているのだろう。
ある者は言うだろう、生徒自身のためであると。
ある者は言うだろう、来てくれるお客様のためであると。
どちらも正しいのだろうが、しかしどちらのためであったとしても、その質を気にする必要がないことは明白である。
まず、生徒というものは文化祭がある、というだけで万々歳だったりする。幸魂高校では文化祭が開催される土日の前三日、つまり水木金と文化祭の準備日として授業の一切ない日が設けられている。さらに、文化祭後の月曜日も片付けとして授業はなく、土日の振替として、火水と休みが続く。
つまり、丸々一週間は学業のことを忘れて、遊びであったり趣味であったりに専念することができるのだ。
既にそのことだけで、生徒たちにしてみれば大義名分を受けて勉強しなくて良いので、文化祭開催の意義があるというものだ。
次いで、来てくれるお客様のために、という話だが、こちらは言わずもがな。
文化祭を訪れる層を考えればすぐにでもわかる。
文化祭に来るのは、壱に生徒の家族、弐に友人、参に受験を考えた小中学生とその保護者だ。
当然だが、生徒の家族が見たいのは、我が息子が、娘が、あるいは兄妹がクラスの一員として、もしくは何か企画の一員として頑張った証だ。
それが表に出るものでも、出ないものでも、どちらでもいいのだ。
普段は見ることのできない家族の学校生活を、どんな人たちに囲まれて過ごしているのか、そんなことが分かれば、それで十分。
生徒の学外の友人に至っては、手抜きの部分を指摘することに命を注いでいると言っても過言ではないだろう。いや、それは過言かもしれないが。出来上がったものの良し悪しなんてものはどうでも良くて、友人に会いに来ること、それを理由に友人同士が集まることが理由で文化祭に来ることだろう。
そして、受験を考えて見学に来た場合でも同じだ。そこにいるのは顔も名前も知らない、ただの『幸魂高校の生徒』なのだ。であれば見たいのは出来なんかではなく、生徒達の雰囲気だ。
学業に力を入れているという事実は知っている。進学実績は調べれば出てくる。だから、数字だけではわからない校風というものを肌で感じることが文化祭参加の理由になる。
以上の理由から、別に文化祭に参加する者は須らく質など、求めてはいない。
素晴らしい劇が見たければプロの演劇を観ればいい。
素晴らしいアトラクションを体験したければ、そうした施設に出向けばいい。
本格的な味が楽しみたければ、専門店に行けばいい。
だから、わざわざクオリティアップのため、なんて理由で予算をどうこうしようと思わなくてもいいのに、とやはりみもりは考えてしまう。
お金に物を言わせるのではなく、もっと自分たちらしい舞台を作った方が、絶対楽しいと思うのに、とも。
「だからさ。みもりは周りに対してのハードル、っていうのかな。期待値が大きすぎるんだよ」
帰り道、妙なことに悩むみもりに対して、詩織は簡単にその現状を言い表した。
今日も生徒会の仕事は多々あったわけだがなんとか今日中にやっておきたい仕事は片がついた。少しだけ片付けておきたい仕事があると言った詩織を待つためにみもりは一度クラスに戻り、簡素な通し稽古を役者同士で下校時間ぎりぎりまで行っていた。
その際、誰かが小道具について愚痴を漏らしたのだ。「もう少しお金使えたらこの辺も凝れるのにねー」とか、そんな風に。
詩織に話したほど遠回りで冗長な内容ではなく、より手短に、それもジョークを交えてみもりは、
「ごめんなさい。私のクラスの予算を後夜祭に回しちゃったわ」
と、おどけて見せた。
みもりが会計として先生とも相談しながら、採算に収まるようにどうにか設定した金額が現状の予算であること、そしてそれが自分たちの想像に及ばない程度には激務であろうということをよく知るクラスメイトは誰もみもりを責めるようなことは言わない。
不正をしようとも、もちろんしない。
「じゃー後夜祭の盛り上がりは間違いなしだ!」
「こらこら、うちのシンデレラだって十分人気投票一位狙っていけるんだから、後夜祭のことは祭りが終わってから考える!」
「はいはいわかってるってー」
と、いつも通りの会話に戻っていった。
その後詩織と合流した帰り道、みもりはほう、と溜息をつきながらくどくど文化祭の質について文句を言い、それに対する詩織の返答が、『みもりは周囲へのハードルが高すぎる』というものだ。
「みもりはさ。優しすぎるんだよ」
「知ってるくせに。私は別に、優しくなんか、ない」
詩織の言葉を、みもりは否定する。
誰よりも知っているはずだ。ともすれば、この自分自身よりも。
「優しいから、周りのハードルを上げちゃうんだよね。『もっと皆は、たくさんのことができるはずだ』とか。『自分よりも素晴らしい皆ならもっと凄いことができるはずだ』とか」
そうなのだろうか。そう思っているのだろうか。
けれど、詩織がそうだと言うのなら、そうなのだろうという気がする。
それを、優しさ、と呼べるのかどうかは、わからないが。
「にしても珍しいねー、みもりがこう、怒ってますって感じを引きずるなんてさ」
「そうですわね。私、疲れてるのかしら」
「疲れてはいるんじゃない? なにせ生徒会と演劇、両方とも頑張ってるんだから」
「それは、そう、だけど」
頑張っている、と詩織に言ってもらえるだけで胸に安心感を覚える。
大丈夫。自分はちゃんと頑張れているらしい。
「それに、ちょっと怒りっぽくなってるのは、秋山くんのせいなんじゃない?」
秋山、と聞いて途端にふくれるみもりに、詩織は苦笑する。
やはり、みもりはこのくらいわかりやすくないと、とは声には出さないもののはっきりとそう思いながら、口では別なことを言う。
「ほらあんまりみもりのこと悪く言う人とか、いないでしょ?」
みもりは男女問わず人気がある。優しくて可愛くてわかりやすい、そんな彼女が悪く言われるような場面など、そう多くはないだろう。
人気がある、ということはそれだけ、影で何を言われているかはわからない、ということでもあるのだが。
そんなものは言わせておけばいい。
人間誰しも影で誰かの悪口を言うことはある。
それが意識的であっても無意識的であっても、何かしら誰かしらへの不満を抱えて生きているのだから何も悪口を言わないほうがどうかと思うくらいだ。
だが、その悪口が快活さに繋がる場合と、陰険さに繋がる場合とがある。
前者はただ、自分の思いの吐露であり。
後者はただ、相手を見下して自分が上の立場にいるのだと誇示したいだけだ。
前者であれば笑って受け流してやればいいし、後者なら話を聞いてやる必要もない。
そんなわけで、どこかしらにはみもりの悪口を言う者だっているのかもしれないが、面と向かってそれを言われたことはない。
「でも秋山くんのことは、関係ありませんわ」
「んー、そうかな。話を聞いてる限りだと、結構気にしてるんじゃないの?」
「そりゃ世話係としてやると決めたら意地でもクラスに溶け込ませますわ」
「そうじゃなくって」
詩織はやや間を置いて、みもりを覗き込むようにして言った。
「何か、理由があるんじゃないかって思ってるんでしょ?」
「……エスパーですの?」
「そうそう、実は私一日に一度みもりの考えてることがわかるんだ」
おどける詩織にみもりは吹きだす。
詩織が明らかにふざけているのがわかったから、というのと、その内容が可笑しくて、笑ってしまう。
そんな無駄な能力、あっても仕方がないだろう。
「そう、なら詩織は私に安心して告白できますわね」
「へ?」
「私、実は詩織のことずっとお慕いしてましたの」
言って、みもりはそっと詩織の手を握る。それも、各指を絡ませる恋人繋ぎでだ。
「ぎゃーっ、ちょっ、冗談でもやめて! そんな展開は読めなかったってば!」
すぐに詩織は手を振り解こうとする。みもりも強く握っていたわけではないので、さらりと手を離してやる。
息を切らしながら詩織がほんのりと涙を浮かべながら抗議する。
「そういうのは、よくないと思うよ!」
「あら、私てっきり詩織が私の考え、詩織だーい好き、を知ってて下校してくれているものだと」
「初耳だよ!? 今朝なんて普通の話しただけで変とか言われたし!!」
「え……じゃあ私、振られ……」
「よーし付き合おう! 私もみもりだーい好きなのさっ!!」
今度は詩織の方から手を握り、勢い良くぶんぶんと振り回す。
数秒の後、みもりと詩織は顔を見合わせて、大声で笑いあった。お互い、適当な話をしすぎてしまった、と。
しばらく腹を抱えて笑っていた二人だったが、ようやく収まってきた頃合に、詩織が話を戻そうとする。
「でさ、あれ、何の話してたっけ?」
「ええと……なんでしたっけ?」
が、残念なことにどんな話をしていたのか、二人揃って忘れてしまっているのであった。
しばらくまた雑談を続けていた詩織とみもりだったが、そのうちに後ろから声をかけられた。
「おーい、詩織ー! みもりー!」
振り返ると、そこには一組のカップルがいた。
声をかけてきたのは、制服をやや着崩し、スカート丈も攻めた、地味めな生徒の多い幸魂高校では珍しい部類の女子生徒。
そしてそこに並ぶのは、やや細い体格で、不思議と柔らかい笑顔を浮かべた男子生徒。
とある事情から幸魂高校で知らぬ者はほとんどいない有名なカップル、綾文弥々と櫛咲櫛夜だ。
なお、とある事情というのは端的に表すと、『校内でとある女子生徒がとある男子生徒を連れまわす』という珍妙な事件のことを指す。
とある男女が誰のことを言うのかは伏せておこう。
「おー、弥々は、帰り? デート?」
「りょーほー」
「相変わらずですわね……って、一緒に生徒会の仕事を終えたんじゃないんですの?」
弥々はみもり、詩織と同じ一年生で、生徒会の副会長である。櫛夜は奏音たちと同じ二年生で生徒会では会長補佐をしている。二人は六月から付き合っているようだ。
みもりとは同じ一年生の生徒役員ということで、みもり、詩織の三人は非常に仲が良く、休みの日には一緒に買い物をしたり、家に上がったりしている。
そのためみもりは可愛くて仕方ない弥々のことをほとんど妹だとかなんだとか思っているのだが、そんな可愛い弥々がまたどうして櫛夜と付き合っているのだろうと疑問は禁じえない。
まぁ、弥々の話はほとんどが櫛夜のことなので、単に嫉妬しているとも言える。
「あ、私ほら、みもり待たせてるーって急いで出てきたから」
「あら、そうでしたの。あ、ありがとう」
「もうまた二人でいちゃいちゃしてるッ! 嫉妬、嫉妬ですッ! 最近みもりと詩織が私を置いてくんだよー」
弥々がぷんぷんと怒った素振りを見せる。
嫉妬してるのはこっちの方だってば、と言いたくもなるみもりと詩織は無言で頷きあうと、つい先ほどしていたように恋人繋ぎをして、肩をぴったりとくっ付けてみせた。
「実は……弥々には黙ってたんだけど……」
「私たち……付き合っていたんです」
「ぇ……?」
「いやいやどう見ても冗談だろーが。なにちょっと本気でショック受けてんだよ」
みもりと詩織の冗談に一瞬泣きそうな顔をした弥々の頭を、隣の櫛夜がぽんと軽く叩く。
「やだなーもう弥々は毎度純情すぎてお姉ちゃん心配だよー」
詩織は勢い良く、みもりと手を繋いだまま弥々に抱きついた。仲が良くなると何故かボディタッチが増えるのは女子の特徴なのだろうか、と櫛夜は一人、凝視するわけにもいかずに微妙に距離を空けた。
「だ、誰がお姉ちゃんなのさ詩織の馬鹿ッ。私のお姉ちゃんは綾お姉ちゃん一人だもん」
「あれ、でも俺の姉のこと”お義姉ちゃん”って呼んでなかったか弥々」
が、しかし、若干空いた距離からでも茶々を入れることは忘れない櫛夜であった。言われた弥々は顔を真っ赤にしながら振り向いて、
「…………それは、未来、ですッ」
と、恥ずかしそうに零した。
「むー、弥々の方が櫛咲先輩といちゃいちゃしていて私たち、嫉妬していますのよ?」
「そうそう。弥々が櫛咲先輩とそういうことするたびに私はみもりといちゃつくよ?」
「それは勘弁してくださいまし」
しかしながらこの短いやりとりでみもりと詩織は、実は跳ね上がるほど喜んでいる。
みもりと詩織が付き合ってるんだ、という冗談。
素直な弥々なら信じるんじゃないかな、という軽い気持ちでやったわけだが、その反応、というよりもプロの弥々鑑定士である櫛夜の言葉から察するに、ショックを受けていたようで。それも、二人が付き合っていたこと自体だとか、同性愛にショックを受けた、というよりは、二人が付き合ったら自分に構ってくれなくなってしまうことを寂しがったようだ。
全く、可愛いことで嫉妬してくれる。
たまに怖いことを平気で言ったり行動に移したりすることもある弥々だが、みもりにとっても詩織にとっても大事な友人で、生徒会の仲間だ。
そんな弥々が自分たちのことを大切に思ってくれているのだなぁと思うとそれだけで嬉しい気持ちになれる。
「なら俺今日は先に帰るぞ? 三人仲良くやってくれ」
「ん。なら明日は帰り、どっか寄ろうね! 櫛夜先輩ッ!」
「おぅ、自分で提案しといてなんだが思った以上にあっさりだな」
「埋め合わせはしますですッ」
「ま、駅まではどうせ一緒だろ?」
軽く話して、結局四人で帰路につく。
ところで、弥々と櫛夜は当然のようにデートすると話しているが、幸魂高校は下校途中の遊びを校則では禁止している。生徒の模範である生徒会役員が進んで遊んでいるとばれたら一大事になりそうだが、今の所は堂々と学校付近で遊んではいないためか、ばれてはいないらしい。生徒達には余裕でばれているが。
「そういえば、みもりのクラスに転入生が来たんだよね? どうだった? 話とかした?」
「あー駄目だよ弥々。今のみもりはちょっと転入生に関してはナーバスなのさ」
またしても話が転入生のことになり、みもりは正直辟易してしまう。一体どうして誰も彼も転入生のことを話したがるのだろう、と自分のことを棚に上げてみもりは嫌そうな顔で答える。
「別に神経質というわけじゃ……ただちょっと、秋山くんが、ですね」
さらっと今日起きたことを説明すると、詩織と同じように、弥々は大きく笑った。
「あははは! なんていうか、そのウジウジの仕方がみもりっぽいね!」
「わ、私っぽい、ですか?」
「うん、詩織の言うとおりだと思うよ? みもりは優しいからさ、その秋山くんの態度、実はそんなに怒ってないんでしょ」
詩織といい、弥々といい、軽々しく優しい、と言いすぎではないだろうか。
と思いつつ、さらに、詩織とはまた別な意見が出てきていることにみもりは首を傾げる。
怒っていない?
「秋山くんには、人と話したくない理由がなにかあると思ってる。でも、人と話したくなくなっちゃうような理由に心当たりがないから、それがわからない自分に怒ってるんだよね」
「う、うーん。あまり自分ではよく、わからないのですけれど……」
「優しくもない人は初対面の人に対して、本気で怒ったり本気で考え込んだりしないよ。ちょっと怒って、それで、見下しちゃう」
軽く笑顔で怖い話をする弥々だったが、みもりを見るその顔に曇りはない。なるほど、弥々の言葉には重みがある。
初対面で挨拶を無視されて、怒って。
きっと普通は「あの人は挨拶もできない可哀想な人なんだ」とか、「コミュニケーションに障害でもあるんじゃないか」とか相手が喋れない理由なんてどうでもよくって、自分の思い通りに会話をしてくれなかった相手に理由をつけて見下すのだろう。
程度の差はあるのかもしれないが、誰もが誰かを見下して、自分とか自己とか自我とか、そんな不確かなものを守っている。
「普通はそうやって、もしかしたら自分とわかりあえたのかもしれない人を、自分から遠ざけちゃうんだよね」
それはとても悲しいことなのだろう、と弥々は言う。
そう、なのだろうか。
みもりには、よくわからない。
誰だってやっていることなのなら、きっと自分もやっているのだろう。
自分は別に、優しくなんてないのだから。
それに、誰かを遠ざけた分、誰かと近づけるのではないだろうか。
それこそ例えば、今ここにいる詩織と、弥々と。
「わかりあえたかもしれない、なんて言い出したらきりがないと思うが」
弥々への返答にみもりが困っているうちに、櫛夜が言葉を挟んだ。
みもりは実のところ、この櫛夜のことをあまりよく知らない。
自分の一つ上の先輩で、生徒会では数少ない男子生徒。会長補佐として奏音と共に事務作業や生徒会の取り纏めをしている、弥々の恋人。
どこか人を嫌っていそうな雰囲気を出しているのに、話してみれば割とあっさりしていたりする。
「わかりあえたのかもしれない誰かを想うことは、大切だと思う。そんな誰かがいたことを忘れてのうのうと生きていくのは間違ってるとも思う。が、大事なのは目の前にいる、わかりあいたい誰かとわかりあおうとすることだろ」
「……櫛夜先輩は、私とわかりあいたい、ですか?」
「おぅ」
「ですよね。だから今があるですよね」
えへへ、と笑い、櫛夜の腕に弥々が思い切り飛びついた。櫛夜も一瞬その行為への反応が送れて体勢を崩しそうになるが、強く引っ張られはしなかったのかこけることもなく弥々を受け止めた。
ただの仲良しカップル、以上の繋がりを感じて、みもりは顔を、目線を、ほんの少しだけ下げた。
何かから隠れるように行ったそれは、しかしすぐ隣を歩く詩織に気付かれる。
「きっと、あれは櫛咲先輩だから言えるんだよね」
櫛夜と、それに弥々だから言えるのだろうというのは、みもりも同感だった。
「そう、ですわね。私は、私がどうしたいのかとか、何を思って、何に腹を立てているのかも、わからない」
「いいんじゃない? みもりはそれでさ」
「そうかしら」
「目の前だけがみもりの全部じゃないって、私は思うな」
そう話す詩織は。
どこか幸せそうで、どこか遠くを見ていて。
「みもりなら、秋山くんとだって仲良くなれると思うよ。みもりが望めばね」
いつも通り優しい詩織の言葉に、みもりはいつだって救われてきた。
だから。
「真面目すぎる詩織は、それはそれで気持ち悪いですわね」
「私の気遣いを返しなよっ!?」
せめて軽口で応えてやるのが、みもりなりの回答なのであった。