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運命を操るのは  作者: 安藤真司
本編 運命を操るのは
27/41

灰かぶり

 結局、何が起きて、どう収束したのか、ということについては主観以上に正確な知見を得ることができなかった。

 客観で語るには自体は複雑すぎる。

 複雑すぎて形容できない物事には主観が混じる。

 主観が混じった物事は、捻じ曲がり、曲解され、虚構に塗れる。

 真実がどこにあるのかなど、誰にもわからない。


 少なくとも、みもりの把握できた範囲としては、次のようになる。

 事の発端は、ただただ、普通の交通事故。悲しいことながら、国内外どこにでも溢れているもので、その発生件数は無視できない数字だ。

 その悲しい事故に巻き込まれたのが、森崎みもり。

 彼女はこれから、高校生活本番を迎え、やがては大学に行き、ともすれば海外に留学するかもしれないし、何かしらの才能を発揮して一躍有名人になるかもしれない。無限、とまでは言わないが、まだ自分で選択肢を広げられるくらいに可能性に満ちた人生に、早くも終わりを告げた。

 そしてそれを、良しとしない者がいた。

 彼女――織上詩織――は、いつも通り、いつも通りだなんて考えることもなくみもりとの日常を謳歌していた。

 当たり前に続くと思っていた日々は、詩織の幸せに満ちていた十六年間は、ほんの一瞬にして打ち砕かれ、地獄へと変貌を遂げた。

 こんな運命、認められるわけがない。

 こんな運命、変えなければならない。

 詩織はそう願った。

 そう願った結果、彼女は過去へと時間遡行することとなる。

 詩織の願いが通じたのか、詩織にそんな特殊な力が宿ったのか、それは定かではない。当の詩織でさえも、もしかすると過去に戻ることができたのは秋山千晶の『他人の願いをかなえる能力』のおかげかも、と言っていた。そのため、みもりと詩織はこれについて真実を知らない。

 だが、事実を追うならば、とにかく詩織は過去へと戻った。

 みもりの死を避けるのが、目的。

 それを達成する方法とは。

 詩織が、代わりに死ぬ、というもので。

 様々な葛藤も不安も押し切って、詩織は自らの死を選んだ。

 だが、彼女は制服で荷物も何もない状態で、そのまま一週間以上を過ごすわけにもいかず。詩織は過去の、その時間に生きる自分に助けを求めた。

 後になって詩織は、それが、自分に助けを求めたのが本当の間違いの始まりだったのかもしれないと、そう語るのだが。

 とにかく詩織と詩織はこれからすべきことを話し合い、それでやはり、自分の死で全てを終わらせることとした。

 未来の世界でみもりが助かるとして、この世界に織上詩織は二人いてはいけない。二人いるわけにはいかない。

 織上詩織が一人死ねば、それでいい。

 逆に言えば、一人が死ななければ、そのくらいのつもりでいなければ、みもりを助けることなどできやしないと、そう考えたそうだ。

 詩織は知っている。

 たった一人の運命を変えるのに、どれだけの人間の運命が変わってしまうのかを。

 そして、一度変わってしまった世界は、もうきっと、元には戻らないことも。


「私は、完全に消えてなくなるべきだと思う。じゃないと、みもりはまた、私のために世界を変えてしまう」


 二人のうち、どちらの詩織がそう言ったのか、それはわからないが、どちらかがそのように発言したらしい。

 そして決まったのは、一人の詩織はみもりを庇って死に、もう一人が、自らの存在を、消す、という役割分担。

 過去に遡ることが出来た、という点については確認できなかったのだが、詩織には、自分に関わる人の記憶などを操作できる、そんな力が宿ったのだという。みもりはそれについて詩織に詳しく聞かなかったので、それがどういった経緯で発現し、どういった経緯で詩織の知るところとなったのかまでは知らない。だが、それもまた、それ以上詳しいことを尋ねたところで語弊を生むだけで、話は先に進まないのだろう。

 当初死ぬ予定だったのは過去に遡行した方の詩織だったのだが、みもりの死を目の前で見た彼女の恐怖が表に出てきたのだろう、過去の詩織が代わりを務めると申し出た。

 その選択のどこにも正しさなどないが。

 それでもきっと、彼女は正しいと信じて。

 残された詩織にとっては間違いのままで。

 お互い交互に学校に通い、最後の時を、最期の時を。

 みもりと、弥々と、生徒会と、クラスと、家族と。

 詩織は過ごして、終わりにした。

 織上詩織という、一つの人生を。

 過去の詩織はみもりの代わりに死んだ。

 残された詩織は能力を発動する。

 自分という人間を、元からいなかったことに。

 だからその瞬間に、その通行人の目に映る死体は、織上詩織なんかではなかった。

 誰かもわからない誰かの死と、織上詩織でなくなった新しい自分の人生が、始まる予定だった。

 だが、世界はそれを許さなかった。

 残された詩織は、世界に干渉する力を失っていた。

 時間に取り残されてしまった。

 触れようとしても触れられない。

 話そうとしても話せない。

 思いは届かない。

 声は届かない。

 何も、出来ない。

 詩織は時間から隔絶された世界に一人、残された。

 さらに不幸なことに、みもりは織上詩織のことを忘れなかった。覚えていた。

 覚えていたが故に、深い傷を負ってしまった。

「どうして、どうして忘れてくれないの……みもり」

 その声も、届くことはない。

 みもりの死を見て。

 自分の死を見て。

 今度はまた、みもりが壊れていく様を見せつけられて。

 詩織もまた、壊れていく。

 ただ、ただ。

 織上詩織は、森崎みもりの幸せを願っただけなのに。

 なのに、どうしてこうなってしまったんだろう。

 これ以上何を失えば許されるのだろう。

 もしも、もしもこのままみもりが死んでしまったら、どうしたらいいのだろう。

「神様お願い、もしもいるのなら、みもりを助けて、お願い助けて、助けてよぉ……」

 その願いが叶ったのか、否か。

 みもりはある人物に救われる。

 転校生の秋山千晶。

 詩織は知っている。

 知っていた。

 出会った初日なんかは文句ばかり言って反発していたが、みもりが千晶に恋慕を寄せ始めているということを。

 みもりと過ごした最期の朝。彼女は言っていた。

「この土日はなんでか千晶に会いまして、知ってます? 千晶ってばよりによって私の行きつけのケーキ屋さんでアルバイト始めたんですの! それも普段にはないような笑顔で、優しい感じで! な、なんか理紗にすごく優しくて、ふ、普通でした」

 とか。

「昨日は図書館で会ったんですの。SFをよく読むんですって、お勧め紹介してもらいましたわ。それと……いえ、まぁ少しだけ、プライベートなことも、本当に、少しだけ。あ……そうだ詩織、今日か明日かお洋服見に行きません? きゅ、急でもないですけど、なんていうか、せっかくなので詩織に選んでもらいたい気分ですわ」

 とか。

 何年一緒にいると思っているんだ、と。

 ばればれだよみもり、と。

 詩織は笑ったはずだ。

 からかった詩織にむくれるように、みもりは数歩の先を行って。

 そして、死んでいった。

 だから詩織は知っている。

 みもりが、秋山千晶のことを、好きになったのだと。

 きっと、みもりに好かれた千晶だから、彼もまた、話で聞いた詩織のことを忘れなかったのだろう。そうでなければ、みもりが詩織のことを忘れなかったのも、千晶が詩織のことを忘れなかったのも、みもりが忘れたくない、と、そう願ったからなのかもしれない。

 千晶はみもりのために動いた。それが自発的なものにしろそうでないにしろ、結果、みもりは詩織に近づいた。

 そして、見つけた。

 見つけて、説得した。

 みもりの死を、自分の死を、その全ての罪を背負おうとした詩織を。

 自分は詩織の知っている森崎みもりではないのかもしれないし。詩織は自分の知っている織上詩織ではないのかもしれないけれど。

 それでも今の自分が一緒にいたいのは、今目の前にいるあなたなんだと、そう伝えた。

 死ぬことが怖いと吐露した詩織はやがて、みもりと共有している記憶があることから、自分が誰であれ、織上詩織であることに間違いないのかもしれない、と確信するようになって。

 詩織とみもりは共に元の世界へとこれまで通り帰ってきた。


 全てを覚えているのは詩織だけで。

 みもりが事故で死んだ世界のことを除けばみもりと千晶も記憶を残していて。

 その他、生徒会も、みもりの所属する一年一組も、誰も事件のことなど覚えていなかった。彼らにとって森崎みもりは勿論、織上詩織は当然ずっと一緒にいた存在となっていた。

 みもりが一年一組に全員を集めたのも、そのまま「みもりの大切な人が遠くへ行ってしまい、その文句を集めに来た」ということになっていた。

 ちなみに、千晶が言うには、みもりが詩織を助けるために詩織と同じ世界に行ってしまったときには、みもりのことすら忘れて、いや、みもりの存在も、千晶の記憶のみを残して全て一緒に消えてしまっていたらしい。そのため、一年一組に集まった理由は、「千晶の大切な人が遠くに行ってしまい、その文句を集めに来た」という無理矢理組み立てた論理のように、ちぐはぐな事態が生じていたようだ。

 そのため、弥々を初め事件についてある程度深く知っていたはずの生徒会の面々ですら、詩織が消えていた事実を認識することはなかった。

 認識することがなかったということは、その人物の中で、そのような事件など起きていない、起きるはずもない、起きることなど想定もしていないということである。

 そのうち話すこともあるかもしれないが、詩織が戻ってきて、それだけで自分の全てを使ってしまったみもりは、今日のところはこの事件のことを誰にも話すつもりはない。無論、秋山千晶、その人を除いて、だが。



 泣き疲れたみもりは自然と寝てしまっていた。

 寝てしまっていた、という事実にみもりが気付いたのは、今自分が起きたからだ。

 見覚えのある壁、天井、ベッド。

 恐らくここは保健室だろう。

 つい最近も目覚めた記憶がある。

 隣を見れば、詩織が寝ている。

 まずはそのことに安堵する。

 ちゃんと、詩織はここにいる。この世界にいる。

 自分と同じように、気力を使い切って寝てしまったのだろうか。すぅ、すぅ、と柔らかな寝息を立てて、穏やかな顔で横になっている。

 可愛らしい顔をみて、みもりは顔を綻ばせる。そうだ、自分はこの顔を見たくて、ここまでやってきたのだ、と今だけは胸を張れる、はずだ、と、言い聞かせる。

「お、起きたか」

 ずっと詩織の方を見ていたので気付かなかったのだが、ベッドの脇に椅子を置いて千晶が座っていた。詩織の方とは逆側にいたために、みもりは寝返りを打つか上半身を上げるかを思考して、結局上半身を起こすことにした。

 詩織を起こさないように、静かに応える。

「ええ、今」

「そうか」

 千晶も気を遣って静かに、落ち着いた声色だ。

 その顔を見ると、途端にみもりは熱いものを感じる。

 つい先ほど、不完全だった自分の感情に名前をつけてしまったばかりだ。

 つまり、その、なんというか。

 千晶の顔が、直視できない。

「どうした?」

「な、なにも?」

「なんか顔赤いぞ? 疲労で熱でも出てんじゃねぇか?」

「いえ、大丈夫です。大丈夫ですわ、私。大丈夫になりなさい私、よし」

「いや大丈夫なら、いいんだがよ」

 あたかも、みもりの不可思議な行動はいつも通りだろうと言わんばかりにスルーして千晶は笑う。

 千晶とて、相当に疲れているだろうが、彼はそれを表には出さない。それどころか、みもりを心配しているくらいである。

 その事実といい、自分の感情といい、考え出すと止まらない何かを振り切るようにして、みもりはまず、時間の確認をするところから始める。

「えと、私、いつくらいから、寝ちゃってました? それと、今、何時?」

「いつ寝たかも覚えてないのかよ……」

 苦言を呈しつつ、千晶はさらりと事実を伝える。みもりと詩織が一年一組の教室に戻ってきて、みもりは詩織のことを千晶に紹介した。その後千晶が自分の状況を話す、その途中で早くもみもりは力尽き、ほぼ同時に詩織も力尽きてぐったりしていたそうだ。

 どう見ても寝ているだけであろう二人は保健室へと運ばれて、今に至る。

 なお、現在時刻は二時すぎである。割と長いこと寝ていたらしい。昼を跨いでしまったようだ。

「そうでしたの。ちょっと恥ずかしいですわね……あ、運んでくれたのって、大石先生?」

「あ? さすがに人一人運ぶのに体育教師でもない先生にやらせるかよそこまで鬼じゃなえし」

「ま、まぁそうよね……んん?」

 今の千晶の発言に二点、引っかかる要素があったことをみもりは聞き逃さない。

 まず、人一人運ぶ、という行動を大石教諭にやらせるはずがないとは。それはつまり、自分と詩織と、華の女子高生が、重たい、と。そう言いたいのだろうか。

(ま、まぁ、実際問題、だらりとした人間って結構重いって聞きますからね。ダイエットうんぬんの問題では、ないはず、ええ、そう、そのはず)

 半ば無理矢理に納得をしたわけだが、さらにもう一つ。

 大石教諭ではないということは。

 それなら、自分をここまで運んできたのは、一体。

「……詩織のことは、誰が?」

 千晶は即答する。

「生徒会の、ほれ、櫛咲先輩」

 なるほど、弥々がすぐに指示を出しそうな選出ではある。

「えと、じゃあ、私のことは、誰が……?」

 千晶は即答する。

「森崎は俺だが」

「あぅ……」

 妙な声を漏らしてしまう。

「ん……なんだよ。つーか森崎やっぱ体調悪いんじゃねーか? 耳まで赤いぞ熱あんだろ」

「なっ、ないないないですわっ!?」

 指摘どおり顔から耳まで朱に染めたみもりは激しい心臓の鼓動に対して、止まれ止まれと内心叫び続ける。だが、慌てるみもりは意識すればするほど平静を欠いていく。

 さらにタイミング悪く、あるいは非常に良いタイミングで、千晶は少しだけみもりの方へ身を乗り出して、自分の額に右手を、みもりの額に左手を当てた。熱を確認するためなのだろうが、今のみもりにその行為は、残念ながら逆効果だ。

「熱っち! 森崎お前やっぱまだ寝てろ」

「ば、馬っ鹿じゃない、ですの……」

 大人しく上半身を倒す。

 布団を目元までかけて、千晶のことを睨む。

 当の千晶が何も意識していないらしいことも気に喰わない。

 一旦深呼吸をして、呼吸を落ち着かせてからみもりは、寝たまま布団をお腹くらいにまで戻す。

 しばらく天井を見つめて、一言。


「私の代わりに死のうとした、詩織の代わりに、詩織が、死んでた」


 辿り着いた答えを、吐き出す。

 辿り着いた真実は、残酷で、空しいものだったけれど。

 それでも、残された自分と、残された詩織が前に進むために、知るべきものだった。知らないまま、忘れたままにしてはいけないものだった。

 苦しみを、自分の罪を、千晶に話すことで楽にしたい、とか。そういったずるい考えが全くないわけではないのかもしれない。

 だが話さなければならないものだと思うし、千晶は知るべきだと思うし、知っていて欲しい。

「織上詩織は二人、いたんだな」

 千晶は拙い言葉で語られた真実を、そのまま言葉通りに受け入れた。受け止めた。理解した。

 二人いたうちの一人が、事実はどうあれ、死んだのだということも。

「私は、何も、できませんでした……ただ、事実を知って、詩織に救われたことを知って。それで、このまま消えようとしていた詩織のことを、取り戻しただけ」

「十分だろ。元々それが目的だ」

「私はあなたの知ってる織上詩織じゃないし、あなたは私が知ってる森崎みもりじゃないって、言われちゃいましたわ」

「そうか」

 それは事実だ。

 森崎みもりが、ここにいる森崎みもりがこの十六年間を共に過ごしてきた織上詩織は死んだ。今、隣で寝ている織上詩織とは、入れ替わっていたらしい先週を含めたって、過ごした時間はほんの一週間だ。

 それは自分とて同じで。このすぐ隣で寝ている詩織にとっての森崎みもりは既に事故で死んでおり、自分は彼女の知るみもりとは、別人だ。

 別人なのに顔が同じで、別人なのに仕草が同じで、別人なのに記憶を共有している。

 それはもはや同一人物ではないかと、そう思うが、しかし、違う。

 人がその人個人を特定する情報は、大体が顔、そして次に声、体格、仕草や癖だろう。だが、そんなものは結局個人を構成するものとしては弱い。

 顔なんて、普通は誰もが同じ顔のパーツだ。多少目や鼻や口が変わっていても、同じだ。

 声なんて、少し意識せず聞けば男か女かも分からない。多少周波数が変わっていても、同じだ。

 人間なんて、誰でも大体同じだ。

 同じだから、皆適当に誤魔化している。

 この人って合ってるかな、似ている人じゃないかな、とか。

 合っているかどうかの確証もなく、たぶんこの人間は知人なのだろうという確率に生きている。

 今のみもりと詩織は、その確率の穴を認められない。

「でも、一緒にいたいって、私は願った。知らないなら、これから知ればいい。私はそれでも詩織と一緒に生きていたかった」

「死んだら、なんもできないもんな」

 生きていたって何もできないかもしれないが。

 死んだら何もできないことだけは間違いない。

 天国とか生まれ変わりとか、それを信じていようといなかろうと、死んでしまえば少なくとも今の自分が何もできなくなることは確かだ。

「死ぬのは怖いって、言ってた」

「怖くない奴なんかいないだろ」

「そう……ですわね」

 千晶が即答する。当然の言葉に、みもりは頷いた。

 死ぬのが怖くない人間なんて、そりゃあいないだろう。

 だから、だからこそ忘れてはいけない。

「きっと、死んでいった詩織も、怖かったんですよね」

「怖かっただろ。それでも森崎の前では笑顔でいたかったんだろうな」

「それはきっと、とても、とても」

 辛いことだったろう。

 苦しいときに笑顔でいるのは、辛かっただろう。

 相談したくてもできなくて。

 自分自身で決めたことだから誰にも助けを求められなくて。

 自分のためだから自分にすら助けを求められない。

 自分で自分を追い詰めて。

 死までの時間を詩織はどう過ごしていたのだろう。

 どう折り合いをつけていたのだろう。

 どんな気持ちで自分と話していたのだろう。

 どんな気持ちで自分自身と話していたのだろう。


「とても、詩織らしいですわ」


 あぁ、だからこそ。

 そんな詩織だからこそ、自分はいつまでも一緒にいたいと願ったのだ。

 いや、大層なことを考えずとも、自分は死ぬまでずっと詩織と一緒にいるのだろうと思っていたし、死ぬまで一緒であることを信じて疑わなかった。

 親友だからとか、小さな頃から一緒にいたからとか、そんなことじゃない。

 幼稚園にいた頃は、その頃の。

 小学校にいた頃は、その頃の。

 中学にいた頃は、その頃の。

 高校にいる今は、今の。

 その時その瞬間の詩織のことを、いつだってみもりは好きだった。

 今の詩織を好きで、今の詩織とまだ一緒にいたいなと思っていて、そう思い続けて、途切れたことなんてない。

 一緒にいたいし、一緒にいたいと思って欲しかった。

 自分が尊敬する織上詩織は、誰よりも優しく、強く、綺麗で、美しい。

 みもりはいつも不安ばかりだ。

 自分は詩織と一緒にいたいと思っているけれど。

 詩織は自分と一緒にいたいと思ってくれているだろうか。

 惰性で付き合ってやしないだろうか。

 本当は自分なんか、森崎みもりなんかに縛られずに新しい関係を築きたいと思ってやしないだろうか。

 今は大丈夫でも、これから先、もっとずっと一緒にいるうちに、詩織だけが前に進んでいってしまわないだろうか。

 それが怖くて、みもりは自分を常に高めようと思って。

 殊更、真面目な自分を演じるようになった。

 いつしかそれは自分なのか自分ではないのか、わからないようになって。自分と他人の境界が薄まって、やがては全てが空虚に消えていく。

 あれ、私って、こんなんだったっけ?

 問い始めても、答えは出ない。

 答えは、ない。

「私、忘れない。絶対に忘れないですわ。詩織がいたことを、詩織が私を助けてくれたことを。一人の、かけがえのない親友の命を、ここに預かって生きているということを」

 みもりは胸に手を当てる。

 この心臓が動くのは、詩織のおかげだ。

 この体があるのは、詩織のおかげだ。

 この記憶は、この心は、全部全部、詩織のおかげで残っている。ここにある。

「そして忘れませんわ。ここにいる詩織は、私の詩織だって。やっぱり私の親友で、やっぱり、ただ一人なの」

「忘れんなよ。人の死は、親友の死は、意味があった。その意味を、森崎、お前自身が消すような真似してみろ。織上の前に俺がぶっとばす」

「わかってる。いえ、もしも本当にそんなことがあれば、私のこと、ぶん殴ってください」

「任せろ」

 忘れる気など、毛頭ない。

 ないが。

 そう言ってくれる人がいることは、とても。

 心強くて、温かい。

「……ねぇ、千晶」

「なんだ」

「泣いてもいい?」

「…………あぁ」

 既に涙は何度も見せている。

 千晶には、取り乱しているところも、何もかもを見せてしまっている。

 だがみもりはそう前置きをした。

 前置きをして、みもりは千晶に近寄って、千晶もまた、少しだけみもりを受け入れるような体勢になって。

 千晶の胸に、みもりは顔を埋めた。

 そうしないといけないような気がした。

 この胸の内にある感情は、もはや表現できない。

 ただ、わかるのは。

 たった一つ。

 この涙は、正しいものだ。

 流すべき涙だ。

 泣く、という行為以外に、今の感情を表現する術を知らない。

「……泣き、疲れましたわ」

 今なお泣きながら、みもりは呟く。

「いいんじゃねぇの。疲れるくらい泣けば、晴れるもんも、あるだろ」

 千晶はみもりを、否定しない。

「私、泣いてばっかで、本当は、前、進めてるのか、わからない」

「んなもん誰にもわかんねぇよ。いいだろ、前進んでるつもりで立ち止まってたって、前進んでるつもりで後退してたって」

 不安だ。

 これからの未来を願って。

 詩織とのこれからを願って。

 ここまで来たけれど。

 それは本当に正解なのだろうか。

 詩織の死を享受して、生きていていいのだろうか。

「私は、前に進みたい」

「無理すんなよ。お前らしく生きてみろ」

「私らしく、ですか。でも私、私を見失いつつあるんですけれど」

「俺が知ってんのは、ありがた迷惑なくらいに人を心配して自分を見失ってる森崎みもりだよ。口調くらい好きにしろ。どうせ少女漫画発だろ」

「別に口調の問題じゃ……むしろ私の口調を一番気にしてるの千晶あなたじゃないですの。どうせ少女漫画発ですけど」

「じゃあまずはそこから変えてみろよ。よく言うだろ、新しい私ってやつ」

「新しい私、か。新規性が一周して古臭い感じになったら千晶恨みますわよ」

「おー恨め恨めそしたら散々笑ってやる。いい感じのキャラになったら褒めてやる」

「なにそれ。上から目線じゃない」

「だからよ。灰を被ってても、見つけてやる」

「……千晶?」

「一時は森崎も消えてたんだぞ? 織上詩織だけじゃなくて、森崎みもりも、この世界から、その場の全員の記憶から、抜け落ちてた」

「え、えぇ」

 話が、口調が変わった。

 胸に押し当てていた顔はそのまま、目線を上げる。

 優しい顔をした千晶がみもりの頭に手を添える。突然のことにみもりは思わず目を瞑る。

 撫でるでもなくただ頭に置かれた手は、確かな熱を持っている。

「でも、森崎の声、ちゃんと聞こえた。世界と時間の果てから、ちゃんと届いた」

「……届いてるって、信じてました」

「見つけた。見つけられた。だけど正直な、自信、なかった」

「そう、なの?」

「でも見つけたんだ。お前の声を」

「……うん」

「だから、次も、その次も、いや、まぁもう今回で終わりにしてほしいとこだがよ。次回くらいは情けをかけてやる」

「次回、って」

「言ったろ。灰被ってても見つけてやるって。ガラスの靴持って、どこまでだって探しに行ってやる」

「……千晶が見つけた頃には、今度は、ガラスの靴、もう合わなくなってるかもしれませんわ」

「多少の体重変化体型変化くらいは柔軟に対応しよう」

「顔も、声も、心も、存在も、何もかも、私じゃなくなってるかも」

「あー、じゃあそんときのために合言葉でも決めとくか」

「何よ。全部変わったら私だって分からないの?」

「分かるか馬鹿。つーか森崎からも分かりやすいサインくらいあって然るべきだろ」

「ふふ、じゃあ合言葉でもサインでも考えておきますわ」

「……ちゃんと来いよ。待ってるぞ、シンデレラ」

「待ってるのは私ですわ。ちゃんと、来てくださいね、王子様」


 人と人との繋がりは不思議なもので。

 言葉にするのは難しい。

 けれどみもりと千晶にとっては、これで十分だった。

 予め、迎えに行くことを誓った王子と。

 予め、迎えに来るのを求めたシンデレラ。

 二人が出会うのはこれからだが。

 二人は、未来を掴む自分を。

 想像し。

 創造し。

 笑った。

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