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運命を操るのは  作者: 安藤真司
本編 運命を操るのは
26/41

一緒に生きよう

 時が止まった。

 みもりはそう錯覚した。

 だが、錯覚しただけで時間は動き出した。

 ほっとして、すぐそこにいる千晶に声をかけようとすると、千晶の動きが止まった。千晶だけでなく、周りにいる誰もが静止している。

 やはり、時が止まっている、ような気がする。

「一体、何が?」

「時間から隔離されてるんだよ、ここは」

 返事があった。

 ステージに立つみもりとは正反対、教室の隅へ視線を向けると、そこに。


 詩織が、いた。


 当たり前のように、制服を着て。

 入り口のドアに寄りかかって、彼女は微笑んでいる。

 何度見ても、何度見ても、そこにいるのはみもりのよく知る、詩織だ。

「しお、り……?」

「本当に見つけたね。さすがみもり」

「詩織っ!!」

 みもりは教室を駆ける。

 真っ直ぐ、彼女のもとへ。

 勢いよく抱きついたみもりの体を、「おっとと」と軽く言いながらも詩織はしっかり受け止めた。

「本当に、本当に詩織?」

「あー、うん、まぁ、一応、たぶん?」

「本当に! 詩織ですのねっ!」

「もー泣かないでよみもり」

 詩織に触れた途端、詩織の温かさを感じた途端にみもりは泣き出していた。

 実際に会えなかった期間はたったの四日か五日くらいで、そう長いわけではない。

 だが、体感としてはもうずっと会っていなかった親友がすぐそこにいることに、みもりは安心からか感動からか涙が止まらない。

「だって、だって! 皆、皆忘れててっ!」

「うん」

「写真だって、なくなってて!」

「うん」

「もう、私、詩織が、詩織がいなくなっちゃって、私、もう、全然、全然駄目で!」

「うん」

「ずっと、ずっと寂しかった、辛かったんですのよ!」

「うん」

「どうして、急にいなくなっちゃったの……詩織」

「うん、ごめん、ごめんねみもり」

 みもりを抱く力が強まる。

 震えるみもりを支えるその力はしかし、そう安心するほどのものではなく、むしろみもりと同じくらい脆いものに感じられた。

 温かいのに、冷たい。

「何があったんですの。あのとき、バスに、その、撥ねられたあと、何が。それに、ついさっきまでここにいるだなんてわからなかったのにどうしてまた急に見えるように」

「ん、んー。うん、そうだね、そうだよね、話さなきゃ、駄目、だよね」

 詩織の言葉はまだ躊躇いを残している。

「話したく、ないこと、なんですの?」

「ううん、話すよ。ここまで来てくれたんだもん。話さないわけには、いかないよ」

 よいしょ、と言って詩織はみもりを優しく引き剥がす。

 そのまま少し歩いて、なにやら不思議そうな顔をしているみもりのクラスメイトに近づいた。

 詩織は悲しそうに笑いながら、その同級生に触れようとする。

 と、これまで普通に動いていたその同級生他、クラスの全員の動きがぴたりと止まる。

 みもりが千晶に声をかけようとした時と同じだ。

「さっきも言ったけど、ここは、時間から隔離された、なんかそんな場所、いや、場所なのかな」

「時間から、隔離って」

「世界はいつも通り正常に動いてる。でも、私がそれに触れようとすれば、干渉しようと思うと、世界の時間が止まっちゃう、そんな感じ」

「……」

 そのままの説明だったが、みもりにはすぐに納得できた。

 目の前でその現象を見てしまったために、不可思議な現象を信じるしかない。

 しかしながら、わからないのは、ここがどんな世界なのか、ではない。

 どうしてこんな世界に詩織がいるのか、ということだ。

「さて、でも私もこんな世界があるなんてこと知らなかったからねぇ。っていうか、来てみて、自分で色々試してみた結果しかわからないから、正確なところは何も」

「こんな世界があるなんて、知らなかった……本当に?」

「いや、あるだなんて思わないでしょこんなの。それに、ああほら、秋山くんが言ってたでしょ、タイムパラドックスがどうとか、あの説私、結構頷けたよ」

 ようやく会えた詩織だが、随分と空元気な様子だ。

 それくらいはみもりにも分かる。

 だが、詩織当人にも、この状況はかなり不明瞭な部分が多いらしい。だが確かにあまりにも非常識で非現実的すぎるこの状況が予期できるなどとは、思えない。


「タイムパラドックスねぇ……ま、少なくとも自分が二人(・・・・・)いる(・・)くらいじゃあ時間の方も怒りはしなかったってことなのかな」


 その衝撃的な発言に、みもりは瞠目する。

 自分と千晶の推測は、おおよそ当たっていたのだろうか。

「じゃあやっぱり、詩織あなたタイムスリップした自分と……」

「そうだね、みもりと秋山くんのあの推理、いやー素晴らしいものだったよ」

 詩織は否定しなかった。

 つまり。

「じゃあ、じゃあ! 詩織、は、私、私を、助けようと、して?」

「……ちょっとだけ、そうだな、廊下出ようか」

「……わかった」

 詩織の言うことを信じるならば、恐らく自分達の声は一年一組にいる誰にも聞こえないだろうし、その行動が見えることもないのだろうが、しかし教室の中にいるのはなんとなく息苦しい。

 大切な話をしている時は、多少はゆっくりしたい。詩織の方も、校庭や屋上に行くほどの労力をみもりには強いなかったので、みもりは逡巡したものの頷いた。

 廊下に出ても、既にそこは文化祭ムード。

 生徒が入り乱れて賑わっている。

「あはは、これじゃあんまり教室の中と変わんないかもね」

「そう、ですわね」

 詩織は廊下に出てそのまま外に繋がる窓に背をもたれかけた。

 みもりもそのすぐ隣に並ぶ。

 しばらくは、周囲の喧騒に耳を傾けていたが、みもりの方から再度、口火を切る。

「詩織は、その、タイムスリップ、したの?」

「……そう、だなぁ。うん、そうだね。みもりは全部、覚えてるんだよね、私がバスに轢かれたところから、全部」

 覚えている。

 忘れるはずがない。

 千晶が自分の救ってくれた今もなお、悪夢のようにみもりを蝕んでいる。

 繰り返し繰り返し、嫌な音と嫌な臭いと嫌な色がリフレインする。

「覚えて、ます」

「じゃあ、そうだね。あのバスの事故、あれね、本当は、みもりが、轢かれて、死んじゃう、ものだった」

「……そ、う」

 事故で君が死ぬ予定だった。

 その事実は意外とみもりの心に突き刺さる。

 胸が苦しい。

 あの悲惨な状態になるのは、本来自分のはずだった。

 それを受け入れることができるか、と言われても、そう簡単には無理だろう。

「ごめん。嫌な思いをさせて。私も、目の前でみもりが死んで、それで、それで、もう、全部を放り出したくなるくらい、辛かった、私もいっそ死んじゃおうかって思ったし、でもそれも怖くて」

「わか、る。二度と、あんな思い、したくない、ですわ」

「ごめん」

 謝るのは、しかし、どちらなのだろう。

 詩織もまた、目の前で親友を失ったわけだ。

 きっとそれをどうにかしようとした結果が今の状況なわけで、ならば、みもりが消えてしまった詩織を探したのと、全く一緒なのではないか。

「ありがとう、私を、助けてくれて」

 だからみもりはお礼を言う。

 自分を想って。

 自分のために。

 自分を救うために時間を跳び越えて、無理をしてまで助けてくれて。

 ありがとう、と。

 しかし、その言葉を聞いた詩織はこれまでの寂しそうな笑顔から一転、鋭い目つきでみもりを睨んだ。

ありがとう(・・・・・)? なに、それ」

「え……」

「お礼を言ったの? 何に? ねぇみもり、誰に? 誰にお礼を言ったのみもり?」

「それは、詩織、に」

 急に口調まで鋭くなった詩織に面食らいつつ、みもりは言葉を継ぐ。

 が、ついに詩織は声を明確に荒げた。


「じゃあ聞くけどっ!! 織上詩織はみもりを助けるためにタイムスリップした!! それで、みもりの身代わりになった!! じゃあここにいる私は!? どっちだと思う!? 元々この時間にいた織上詩織、それともみもりの事故を防ぐために未来から来た織上詩織!? どっちだと思うみもりっ!?」


「あ……!!」

 そして、ここでようやくみもりは気付く。

 消えてしまった詩織がいるかもしれない、そしてその詩織に会えた、その事実に浮き足立っていた自分がいたことに。

 よく考えればすぐに気付けたはずだ。

 仮に、仮に詩織が二人いて、そのうち一人が自分を助けたというのなら。

 当然、もう一人の詩織は生きていることになるのかもしれないが。

 その詩織にとって、この事件とは。


「私は!! 目の前で!! 自分が死ぬのを、認めたんだよっ!?」


 詩織の言葉が、みもりの心を突き刺す。

 自分が、死ぬことを、認めてしまった。

 それは一体どれほど罪の意識を感じるのだろう。

 わからない。

 が、ほんの先刻、嬉しさから泣いていたみもりは、今度は違う感情から涙を零す。

 涙の意味を考える余裕すら、みもりにはなくなってしまう。

「……詩織、は、ここにいる、詩織は、どっちなの?」

 聞いてからすぐに気付く。

 死の直前、詩織は言ったはずだ。

 私をよろしく、と。

 ならば。

 彼女がみもりに任せたかったのは、ここにいる詩織のことだろう。

 そして、今ここにいる詩織の怒り方。

 その言い方は、なんとなく。

 なんとなくだが。

「……死んだ、のは、元々、この時間にいた、方の、詩織、ですのね」

「そう。私は未来から来た私。と言っても、もうその未来も、とっくに過ぎてるけど」

 詩織が頷いて。

 みもりはうな垂れる。

 どうして気付かなかった、気付こうとしなかったのだろう。

 二人いたからといって、その二人は、全くの同一人物なんかじゃ、ない。

 みもりがその事実に辿り着いた、その様子を見てから、詩織は淡々と語り始めた。

 彼女が過ごした、その顛末を。


「まずは、さ、目の前で死んじゃったの。みもりがバスに轢かれて」

「あまりにも呆気なかった。人ってこんなに簡単に死んじゃうんだって思ったし、人ってああもぐちゃって、こう、液体で構成されているんだなって、そんな感想も抱いた」

「でも、そう思ったのはほんの一瞬だけで、あとはもう、訳わかんなくてさ」

「なんでちょうど道に出たときにバスが来たんだろうとか、どうしてバスは突っ込んできたんだろうとかそんなことはどうでもよくって、ただ、みもりが死んじゃった、それだけが私にとっての事実で」

「目を閉じて、嘘だ嘘だって何度も何度も唱えても、目を開けたらそれが真実で」

「それでさ、願ったの」

「こんなことなら、私がみもりの身代わりになるって」

「それで気付いたら、過去に戻ってて」

「もしかして優芽先輩の能力のおかげなのかも、とか、思ったんだけど、すぐに違うってわかった。だって、ここには、もう一人、過去の自分がいたから」

「それがなんで出来たのかはわからない。私の力なのかもしれないし、他の誰かの力なのかもしれない。ひょっとしたら、さっきのやりとりを見てると、私の願いを秋山くんが叶えてくれたのかもしれないね」

「で、私は、でも、他に行くあてもないし、仕方ないから、私に会って、全部話したの」

「秋山くんはなんか、タイムパラドックスがとか言ってたけど、それは、よくわかんないや。ひとまず、私が過去の私に会っただけじゃ何も起きなかった」

「お母さんにも内緒にして、ばれないようにして。日中はどっか遠くを出歩いて、お年玉とかだいぶ貯めてたから家が厳しいときはご飯とかお風呂とかは外で済ませて」

「それでさ、言ったの。私、みもりを助けるために死ぬって」

「私は元々この世界だと部外者でしょ。だから、私が死んでも困らないと思ったの。何も変わらない、みもりが死なないだけ」

「でも、それだと私の死体が残っちゃうし、私が死んだらみもりはきっと、同じようになんとかして私を助けようとするだろうって話になって」

「その時に私は自分の能力に目覚めたの。こっちは確認したからはっきり言えるんだけどさ、私は、自分って存在を消すことができるようになってた」

「正確には、消したり、戻したり、かな?」

「記憶だったり物だったりね。私の痕跡を消す力」

「この力を使えばさ、みもりを助けた後に死ぬのは名もない誰かで。私は誰かも忘れ去られてひっそりと生きていけるかなって」

「どっか、本当に遠くに行って、新しい人生を始めることも、私じゃない私として皆の前に立つこともできる」

「私が選んだのは、そういう選択」

「もうこれ以上、同じことを繰り返して欲しくなかった。みもりがまた私を助けるために辛い想いをするとか、そういうのは、嫌だったの」

「それでさ。もう一人の私はそう決まってから、たったの一週間しかない残りの時間を大切にしようって言ってくれて。それは私も向こうも同じなのにさ。まぁ私のことだからきっと私も同じことを考えてたのかもしれないけれど、とにかく、私は交互に学校に通って」

「みもりとの最後の時間を、大切に、大切に過ごしたの」

「でも、でもさ」

「過去の私が、言ったの。死ぬ役を、交代しようって」

「私じゃなくて、過去の私が、死ぬんだって」

「いや、だって、私はこの時間の流れとは、違う世界で生きててさ」

「つまりは、私は、この世界の住人じゃないってことで」

「当然、死ぬのは私であるべきなのにさ」

「言ったの。過去の私は」

「『あなたは、目の前でみもりが死ぬのを見て、辛い思いをしてきたじゃない』って」

「『もう、これ以上苦しまなくていいんだよ。私はそんな辛い思い、してないから。単純に、素直に、純粋に、みもりの為になら死ねるよ』って」

「でも、違うでしょ……間違ってるでしょ……絶対、そんなのおかしいよね!?」

「私が死ぬべきだよね、そんなことしたら、だって、もしこれから先、織上詩織のことを忘れたみもりに会うとしたって、その時会うべきなのは私じゃない、元からここにいた織上詩織であるべきでしょう!?」

「なのに、私は、私のことだから、知ってた、わかってた!! きっと本心から言ってるんだろうなって!!」

「私も反対したよ、そんなの絶対駄目だって言ったよ!! でも、でも!!」

「怖かった、の」

「怖かったよ!! そりゃ怖いよ!!」

「死ぬのは!! 怖いよ!!」

「私だって、みもりの為ならなんだって出来ると思ってたし、自分が犠牲になってみもりが助かるような、ありもしないそんな状況になったら迷わず死ねるって、そんな妄想してた!!」

「でも私は見ちゃったよ……みもりが死ぬのを見ちゃった」

「怖いよ、死んじゃうって怖いよ」

「だ、って」

「みもりの、目が、暗くなってて」

「普段、当たり前にしてる呼吸が、感じられなくて」

「手も足も変な方向に曲がってて」

「魂が、抜けちゃってるような、どこかに消えちゃったような」

「あんなの見た直後に、死ね、ないよ」

「怖いよ、死んじゃうってどういうことなのか、全然わかんなくて、怖いよ」

「怖くて、それで、結局、私は死ぬ役目をもう一人の私に代わってもらったの」

「私が弱くて、そのせいで」

「そのせいで、私は、私は、私は!!」

「私は!! 私を、殺したの!!」

「私は私を殺して、それで、のうのうと先の未来を生きようとした!!」

「だから、かな。だから私は、罰を受けたの」

「私はこの、隔絶された世界に一人取り残されちゃった」

「皆の動きは見えるし、みんなの声も聞こえる。なのに、私からは何もできない。何も、伝えられない」

「まぁいいよね、しょうがないよねって。元々皆からは離れて生きていくつもりだったし、ちょっと誰とも話せないくらい、同じだよねって」

「でもさ、みもりは、なんでか、私のこと覚えてた」

「覚えて、私がいないことを知ってさ」

「私とおんなじくらい悲しい思いになってて」

「私のことを探し始めて」

「でも、私はなんにもできなくて」

「何が正しかったんだろうって」

「これが本当に正しいのかなって」

「これで本当によかったのかなって」

「でも、どうすることもできなくて」

「私さ、私、やっぱり駄目だよ、弱いよ」

「みもりが私のこと探してくれて、さ」

「嬉しかったの。嬉しく、なっちゃったの」

「だって、私自身を殺しておいて、自分はみもりに見つけてもらいたがって、あわよくば元の生活に戻りたいだなんてさ、おかしいよね!?」

「私、本当に嫌な奴だよね!?」

「すぐに離れようって思ってたのに、全然みもりの側を離れられない!! みもりと秋山くんが私に近づくたびに嬉しくなって、それと同じくらい私に対して罪悪感が募って!!」

「でも、一緒にはいられないよ!! 自分を殺した私はみもりと一緒にいられない!!」

「私はみもりが探してた織上詩織じゃないよ!!」

「みもりが探してた、これまでずっと一緒に過ごしてきた織上詩織は、死んだの!! 私が殺したの!!」

「だから私はこのままずっと、誰とも喋れない、誰にも見てもらえない、そんな世界でゆっくり死んでいくの!!」

「死ななきゃいけないんだよ!!」

「だって、そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ、私が報われないじゃんか……もし、もし、みもりが見つけてくれるなら、私じゃなくて、彼女が残るべきだった、そうするべきだったんだよ……」


 詩織は、そこでようやく言葉を切った。

 詩織もまた、みもりと同じくらいに顔をぐちゃぐちゃにしている。

 自分で、自分を殺したという詩織。

 つまりは、詩織が語った事の一部始終とは。

 みもりの死に遭った詩織は、どういう原理でか過去に戻った。

 みもりの代わりに詩織は自分が死ぬことを選んだ。

 その、過去に戻った詩織の代わりに、今の時間の詩織が死んだ。

「しお、り……」

「ごめんみもり。でも、私は、このまま、ここにい続けなきゃ、じゃないと、駄目になっちゃう……」

 それは、みもりに対しても、死んでいった自分に対しても。

 日々増していく罪の意識からだろう。

 自分だけが幸せになってしまうような、そんな結末を自分は受け入れることができないと、詩織はそう言っている。

「わからない、わからないですわ、そんなこと言われても」

「私だってわからないよ、でも、私は、私は」

「私は、それでも!! 詩織と一緒にいたい!!」

「みもりが一緒にいたいのは私じゃないでしょ!?」

 あと、一歩。

 詩織を見つけることができたのに、あと一歩、彼女に踏み込むことができない。

 どうしたかったんだろう。

 森崎みもりは自問する。

 自分は、どうしたかったんだろう。

 詩織の言う通りなのだろうか。

 自分が求めているのは、自分と一緒に生きてきて、自分の隣を歩いてきた織上詩織なのだろうか。

 でも、目の前に、すぐ隣にいる彼女だって、織上詩織だ。

 なのに、違うのだろうか。

 自分が一緒にいたいのは、彼女ではないのだろうか。

 なら、一体彼女は誰なんだろう。

 ここにいる彼女は誰なんだろう。

 ここで苦しんでいる彼女が自分の探していた詩織じゃないというのなら、それでも、彼女の苦しみを和らげることは、できないのだろうか。

 そこまで考えてしまうのは、エゴだろうか。

「一緒に、いたいですわ」

「違う、私はみもりの知ってる私じゃない、あなたは、私の知ってるみもりじゃない。そんなのいつまでだって上手くいくわけない」

「それでも一緒にいたい、一緒にいて、喋りたい」

「なんで、そんなこと言うの、みもり」

「ここで一人ぼっちになんてさせられないわ。こんな、こんな悲しい世界に、なんて」

 ここには何もない。

 目の前で自分のいない世界が流れていくのに。

 自分だけが取り残されていく。

 こんな孤独に、人間が耐えられるわけがない。

「だから意味があるんじゃない。死んでいった私のほうがもっと、ずっと酷い目に遭ってるんだから、私だってこれくらい」

「詩織はそんなこと望んでないですわ!」

「そんなの、知らないよ、知るわけないでしょ」

 知らない、なんてことはない。

 詩織が言っていたではないか。

「よろしく、って。私を、よろしく、って、言ってた」

 それは。

 きっと、自分のことだから。

 誰よりもよく知る自分のことだから。

 自分が死んだ後に自分がどうするか、どうなるのか、想像できていたのではないか。

 自分の存在を消すことができたとしても。

 自分が、自分の死を責め続けてしまうだろう、と。

 それを理解していたからこそ、もう一人の自分を、みもりに頼んだのではないか。

「あなたが私の知ってる詩織じゃないなら、あなたのことを知りたい。私があなたの知ってる森崎みもりじゃないなら、私のことを知って欲しい」

「でも、それは」

「幸せになってよ。このまま詩織が帰ってきてくれなかったら、誰も幸せになれない。私も、死んでしまった詩織も、今ここにいる詩織も、誰も幸せになれない。そんなの、そんな終わり方、私、嫌、ですわ」

「……わ、私は」

「死ぬのが怖い……そんなこと知ってる。でも、誰からも忘れ去られた世界に一人きりでいるなんて、そんなの、死ぬより怖いって思うの」

「でっ、も」

「でもじゃないですわっ!!」

 今度はみもりが叫ぶ。

 聞き分けのない子に、言い聞かせるかのように。

「……知ってる? 詩織」

「……何を」

 みもりは窓側を向いて、空を仰ぐ。

 これまで一度として話したことのない、自分の秘密を、語る。

 羞恥からやや、口調が穏やかになる。

「私、詩織のことを、好きという以上に、尊敬してます」

「……へ?」

「一番最初の記憶は、小学校三年生のとき。私が友達の教科書を踏んづけて汚しちゃったとき。詩織は、犯人が私だってことも知らずに、でも、知らない誰かクラスメイトのために自分が犯人だって嘘をついた」

 助けてくれた、嬉しい、とか、そういう話ではない。いい嘘だとか悪い嘘だとか、そんなことでもない。

 当たり前のようにそれができてしまう、そんな詩織に感嘆したのだ。

 そんな詩織だからこそ、一緒にいたいと思ったし、そんな詩織だからこそ、二度と誰かのために自分を犠牲にするようなことをさせたくない、そう思った。

「……それが、なに」

「私、あの帰り道にね、決めたの。詩織に無理させないような自分になりたいって。だから言葉遣いも綺麗にして、なるべく日々を真面目に生きて、詩織みたいに、誰かを救える私でいたいって、そう、思ってきた」

「……」

 今、この言葉は、詩織に届いているだろうか。

 わからない。

 けれど、届けなくては。

 今しかない。

 今助けたいのは、その詩織なのだから。

「だから救いたいの。目の前のあなたを救いたい。そうとしか言えないけれど。それしか言えないけれど……知ってるでしょ。わかってるでしょ。私、不器用だから、こうやってしか、私の思いを伝えられない」

「知ってる、よ。みもりが、いっつも私のこと、考えてくれてたこと」

「ええ、私も知ってる。詩織がずっと、私のこと、考えてくれてたこと」

「私、でも、私は、人殺しなの。自分を殺したの」

「人はいつか死ぬわ。それが、だからと言って、自分から命を絶つことが、正しいとか正しくないとか、そんなことを言うつもりはないし、詩織に助けられた身でこんなことを言うのは変かもしれない。けど、死ぬまでは生きなきゃ、駄目」

「それが、誰にも咎められない罪を犯した人間でも?」

「わからない。私、詩織のことと、あとは精々が弥々のことくらいしか、よく知りませんから。でも、その二人についてならはっきり言えます。生きて、幸せになる権利を、いえ、そうなる義務があるような、素敵な人だって」

「……そうかな」

 みもりは知っている。罪の意識はそう簡単に消えやしない。

 だがそれでも、それでも、だ。

「私は詩織と、今ここにいる詩織と一緒にいたい。罪なら一緒に償いましょう? もっと昔の話をしたい。私の知ってる詩織の話を、詩織の知ってる私の話を、したい」

「してみて、やっぱり、私は、私を許せないと、思う」

「なら、私が許してあげます」

「……みもりが、許してくれるの?」

「ふふ、なんか、いつかも同じような会話、しましたね」

「し、た……うん、したね」

 共通の記憶を思い出す。

 そして、共通の記憶があることを再認識する。

 ここにいるのは、互いに知らない森崎みもりと織上詩織なのかもしれない。

 けれど。

 共有しているものは、確かに二人の記憶にある。

「ほらやっぱり、詩織は詩織じゃない」

「……そう、か、な。違うんじゃないかな、わかんない、わかんないよ」

「自分を責めることは、悪いことじゃ、ないと思う。私だって、詩織が、死んだって、ことは、それは、受け止めないと、いけないと、思ってます。でも、でも、ここに、こうしてここにいる詩織だって本物の詩織ですわ。だから、一緒にいましょう?」

 尊敬している織上詩織。

 誰よりも傍にいてくれた織上詩織。

 誰よりも自分を責めている織上詩織。

 助けたい。

 一緒にいたい。

 死んでいって、この詩織を託した織上詩織のためかもしれないし。

 罪の清算のためにずっとここにいると言い張る詩織のためなのかもしれない。

 けれど。

 なによりも。

 誰よりも。


「私のために、来て。一緒に生きよう、詩織?」


 みもりは、願った。

 一緒にいたい。

 ここにいるのは、本当の織上詩織だと思うし、彼女にとって自分は本当の森崎みもりだとも思う。

 でも、もしもそれが違うならば、それはそれでいいじゃないか。

 違うと感じたなら、そのときに、どこがどう違うのか話し合おう。

 これまでどんな自分で、これまでどんな相手だったのかを語り合おう。

 それで、もう一度、一から親友になろう。

 織上詩織が死んでしまったことをなかったことになんて、する必要はない。

 抱えた不安も罪も、二人で分け合おう。

 その代わりに、生きているからこそ感じれる幸せだって二人で分かち合おう。

 これからも沢山迷うだろうし、これからも沢山悩むだろう。

 でも、その度に不器用に想いを伝えよう。


「それに、詩織が……ここにいるあなたも、死んでいった詩織も、二人とも、私を助けるために変なこと言った」


 みもりは、だから、抱えた不安を口にする。

 詩織とは、全く無関係の、不安を。


「『好きな人ができた』って」


 詩織の様子が変だと思い尋ねたみもりに対する詩織の返答。

 好きな人ができた、と言うだけ言って、結局それが誰なのかはわからなかったわけだが。みもりはここに来て、ようやくその意味を、理解する。

 きっと、その理由もあって、詩織は自分を犠牲にしてまで、みもりを助けたのだろう。

 だから、もう隠さない。

 まずは自分から、相談する。

 これから始まる、二人のために。


「嘘でしょ、詩織。と、いいますか……ええ、まぁ、そう、ですわね。嘘じゃなくて、主語が(・・・)、違うんですのね」


 これからも、ずっと一緒にいたい。

 森崎みもりと織上詩織として。

 親友として。

 だから、親友にする相談は、一つ。

 ただの友人には、出来ないような、恥ずかしい相談。

 自分の胸の内を吐露するような、そんな相談。


()、好きな人ができたんですの」


 そう言ったみもりに、詩織は耐え切れなくなったかのように吹き出した。

 照れと、悲しみと、喜びと、複雑に蠢く感情を全て吐き出して、空っぽの心の中に現れたのは。

 恐らく、親友から相談されたことに対して。

 しょうがないなぁ、という。

 親心だろう。


「知ってる。知ってた。だから、みもりの未来をね、守りたいって思ったんだ」

「うん、ありがとう詩織。私、まだ、成熟しきってなくて、どう言ったらいいのか、全然分からなくて、でも、好きなんです。一緒にいると安心して、一緒にいるとどきどきして、それで、この人ならきっと自分を助けてくれるって、理解してくれるって理由もなく信じることできて。でも、そうやって頼ってばかりだとなんだか悔しくて、思わず格好いいとこを見せたくなったり、可愛いって思ってもらいたくなったりしちゃう、でもでもそれをどうやって伝えたらいいのか、よくわからない、そんな人が、できたんです」

「みもりの反応見てたら、そんなのすぐわかったよ。私にはさ」

「き、きっとすぐにわかるのは詩織だからですわ。本人には、ばれてない、と、思う、のですけど、え、そんなばればれ?」

「ばればれかも。『理紗には優しかったもん』とか言ってたし」

「そっ、それは!?」

「あとは、なんだっけ」

「もういいですわっ!?」

「冗談冗談。そうだなぁ、うん。みもりは、しょうがないなぁ」


 詩織はみもりの手を、とった。

 向かい合って、何かを確認するかのように、握る力を強めたり、弱めたりする。

 溢れる感情に押し潰されてしまいそうになるのを、どうにか留める。

 これでいいのか、なんて繰り返し自分に問う。

 答えはでない。

 これでいいのかもしれない。

 これじゃ駄目なのかもしれない。

 答えは、でない。

 でない、けれど。


 みもりの、言うことくらいなら。

 信じてみても、いいのかも、しれない。


「みもりがそんなに誰かのこと好きになるなんて、初めてだもんね。応援してあげる、それで、それらしいアドバイスはできないかもだけど、でも、悩みは、聞いて、あげる」

「……それだけで、十分、です、わ」


 それは、これから先を、生きていく、という意思表示。

 みもりと共に生きていくという、詩織の決意。

 自己嫌悪も自己否定も全てを乗り越えて、生きていかねばならない。


「みもり、聞かせて。みもりの好きな人、誰?」

「誰にも言わないでくださいね? 私、転校生の、秋山千晶くんのこと、お慕いしてます」

「そか。上手くいくといいね。応援する」

「ありがとう。また今度、ゆっくり、話しますわ」

「うん、何でも言って。全部、全部聞く。その代わりさ。私が何かを不安になったとき、それを聞いてくれる?」

「勿論。聞きますわ」

「私がまた、自分を責めたときは、慰めてくれる?」

「勿論。慰めますわ」

「私が、いっそ死んだほうがいいって、絶望したときは、守ってくれる?」

「勿論。守りますわ」

「私が助けてって合図を出したら、助けてくれる?」

「勿論。助けますわ」

「もう一人の、本当の私が、みもりのために、私のために死んでいったことを、忘れずにいてくれる?」

「勿論。忘れたりしませんわ」

「私が私を見失ったら、私を取り戻す手伝いをしてくれる?」

「勿論。手伝いますわ」

「私に好きな人ができたら、応援してくれる? 相談に乗ってくれる?」

「勿論。応援するし相談に乗りますわ」

「みもり……」

「なぁに?」

「私、私は、みもりと、一緒に、生きたい」

「うん、うん!」

「一人は嫌だよ。寂しいよ。一人ぼっちで、誰にも触れられないなんて嫌だよ」

「うん」

「誰からも忘れられたままなんて、嫌だよ」

「うん」

「みもりが覚えててくれて嬉しかった。みもりが見つけてくれて嬉しかった。嬉しかったんだよ」

「うん」

「う、ごめんね、ごめんね、みもり……ごめんね、私、私は、結局……」

「うん、一緒に背負おう」

「私、私を、見殺しにしちゃったよ……みもり……」

「うん、私も、同じ」

「でも、私は、みもりと一緒に、いたいの、一緒にいたいんだよぉ」

「うん、私も、同じ。詩織と一緒に、いたい、ですわ」

「みもり……」

「詩織……帰りましょう?」

「うん……帰りたい、皆のところに帰りたいよ、みもり」

「じゃあ、帰りましょう、いつまでも二人きりでいるわけにはいきませんわ」

「うん!」


 大きく頷いて、詩織は一歩前に出る。

 みもりも同じように頷いて、詩織の手を取り、ゆっくりと教室へと戻る。

 教室では普通に時間が流れている。その教室内でどうなっているのかはわからない、が。話を聞いていると、生徒会の皆もクラスメイトもどうやら詩織に続き、みもりのことまでも忘れているようだ。

 詩織に会いたい、というみもりの願いは、詩織の下へみもりが到達する、という形で達成された。当然といえば当然の結果だろう。

 だが、そんなことは、みもりにとっては大したことではない。

 ただ一人、彼が、覚えていてくれるはずだ。


「聞こえる? 千晶」


 本来なら、届かないはずの声。

 しかし。


「……ん」


 届かないはずの声に、千晶がぴくりと反応する。

 千晶はきっと、全てを覚えている。


「決着は着いたわ。また、あなたの力を借りたいの、お願い、千晶」


 後は、全てを元に戻すだけ。

 この、閉ざされた世界から、みもりと詩織の二人を元の世界に帰すだけ。

 そして、そんな芸当ができるのは。

 今この場に一人。


「森崎……いるんだよな? 見えないし聞こえないが、いるんだよな?」


 もう一度。

 みもりを、詩織の所へ送り出すことに成功したように。

 もう一度。


「お願い、千晶、私、私と詩織を、元の世界に、千晶のいる、その世界に、帰して!! お願い、千晶!!」

「戻って来い、もう一度、ここに!!」


 二人の声はやがて重なり。

 そして。

 そして。


「私の願い、届きましたか?」

「届くわけねぇだろ。だがまぁ、なんとなく、な」

「千晶、ありがとう。私、千晶に会えて本当に良かった、千晶が助けてくれて本当に、本当に」

「あぁ? っつーか泣いてただろお前、目ぇ真っ赤だぞ」

「ごめんなさい、泣いてました」

「素直だな……んで、そっちの女子は、誰だよ」

「ふふ、ごめんなさい。紹介が遅れましたわね。じゃあ千晶、紹介しますわね。こちら、こちらがね」


「世界で一番私のことを想ってくれてて。心から尊敬できる、私の親友。織上、詩織ですわ」



 一つの、尊い命を代償に。

 誰にも知られず儚い命を散らせた少女がいることを、胸に刻んで。

 それでも共に歩みたいんだと願った二人の少女は。

 運命を跳ね飛ばし、時間も跳び越えて。

 ここに、集う。

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