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運命を操るのは  作者: 安藤真司
本編 運命を操るのは
24/41

母さん

 文化祭に向けて一致団結していくクラスに背を向けて、みもりと千晶は学校を出て真っ直ぐ家に帰ろうとしていた。

「本当に行くん、だよな?」

「お願いします」

 短く言葉を交わし、それ以降はやや重たい空気を互いに醸し出す。



 みもりが千晶に対して、あるお願いをしたのが、昨日だ。

 その願いの内容というのが、是非とも運命を操って欲しい、というもので。

 一体何を言っているんだと聞いた千晶に、みもりは落ち着いた声色で話した。

「だって千晶が言ってた」

 確かに言った。

 千晶は図書館でみもりと会った際に、自分には運命を操る力があるのだと。

「い、いやあれはだな」

 が、その発言の意図するところは、本当に自分にそんな奇想天外な力が備わっていると言いたかったわけではない。

 自分の所為で、自分にとって大切だった家族がばらばらになってしまったこと。さらには母親まで無理をして何も自分に言ってこなかったこと。そして、これから新しい家庭を持とうという父とその恋人の存在。

 それらを含めて、自分の所為で周りの人間が不幸になる、そんな現実があるのだと言いたかっただけだ。

 もっと簡素に言い表すならば、自分が疫病神かもしれない、という程度の意味合いである。

 今こんな枝葉末節を突っ込まれても困るというものだ。

「本当に運命を操ったりできるって意味じゃ」

「千晶は自分の所為で、お父さんとお母さんが幸せになれなかったって、そう思ってる」

「まぁ、そりゃそうだが」

「でも私は逆だと思って、ます」

「逆? 俺と一緒にいて幸せだったってのか? 離婚するにも新しい家庭を築くにも邪魔な俺が?」

 みもりの物言いに少しだけ、千晶は語気を強める。

 いかに相手がそれなりに事情を話したみもりでも、自分の心象にまで土足で踏み込まれて欲しくない。

 しかし、そんな千晶の考えにこそ、みもりは寂しさを滲ませる。

「お母さんもお父さんも、今同棲されてるお父さんの恋人さんも、ちゃんと願いをかなえていると思う。」

 結果として、二人の願いは、離婚、という選択だったのかもしれない。

 それには千晶の存在は、穿った見方をすれば邪魔だったのかもしれない。

 だが。

「千晶のことを愛しているから選択を悩んだと思うし、千晶のことを愛しているから黙っていたのだろうし、千晶のことを愛しているから今も一緒にいてくれるんだろうって思う」

「仮に、そうだとして……なんだってんだよ。俺にはなんの力も、ねぇよ。それに、親が何を思っていようが、結局そんな気遣いのせいで俺はずっと苦しんでんなら、ありがた迷惑だ」

 自分にはなんら不思議な力など宿ってはいないし。

 親が仮に幸せだと言うのなら、自分が不幸じゃないか、と。

 千晶は自分の置かれた境遇をそう話した。

 否定できる要素を、みもりは持たない。

 あったとしてもきっと、今の千晶には何も響かないだろう。

 だからみもりは、自分の知っている言葉で、語りかける。


「未来を見通す力は、けれど、思い通りの未来を視ることは出来なかった」

「ジャンケンに勝つ力は、けれど、本当に勝ちたかったジャンケンには勝つことが出来なかった」

「目を合わせる力は、けれど、心を通わすことは出来なかった」

「時間を巻き戻す力は、けれど、助けたい誰かを救うことは出来なかった」


 それぞれ、役に立ったり立たなかったりする不思議な力を持つ先輩と親友の顔が浮かぶ。

 皆、その能力の裏には悲しい傷が刻まれていた。


「なら、もし、ご両親が幸せで、その分千晶が不幸になっているというのなら。今私を助けることで、結果的に千晶が嫌な気持ちになっているというのなら」


 自分を助けることで千晶が不幸になる、とみもりが発言したことに、千晶は驚く。

 そんなつもりは一切ない、と思っているのだが。

 これはあくまで善意で、と考えたところで、千晶は自分の中に奇妙な違和感を覚える。

 善意?

 何に対する善意だというのだ。

 みもりに対して?

 親友を失った森崎みもりが可哀想に見えたというのなら、それに対して優しくしているというのなら、それはひどく、傲慢ではないだろうか。

 だが、それだけではない。

 みもりに感じているのは、きっと――。


「千晶、あなた、自分の願いは叶えられないくせに、自分じゃない人の願いを叶えられるんじゃない?」

「……いや、さすがに、そんなわけ」


 否定しようとする千晶に、みもりは言葉を被せる。

 別に必死な様子なわけではない。

 それしか縋るものがない、という風ではない。

 だからこそ、その内心が、読めない。

「だからそれを確認しよう。ちゃんと聞こう。勿論私のため、詩織のため、だけど、なにより、千晶のために」

「俺の、ためって」

「千晶、私のこと、こんなに手伝ってくれてありがとう。ようやく私も少し落ち着いてきましたし余裕も出てきました」

 お辞儀をするみもり。

 そんなことが言われたいわけではない。千晶はそれに返答することができない。

 自分の内側を見透かされているようで、居心地が悪い。

「だから、千夏が言ってくれたことと、同じこと、言いますわ。千晶、あなた私のこと手伝うとき、少し、ひどい顔してる」

「……そう、見えるか?」

「私は私。千晶は千晶。全くの別人なのに、大切な人が何も言わずにいなくなった私に、自分を重ねてる。それも、まだ出会える可能性があるのかもしれない、って私を、妬んでる、羨んでる」

「……あ、ぁ」

 みもりが指摘した通り。

 千晶はみもりに対して、二つの感情を抱いていた。

 一つは自分と同じ境遇に置かれたことへの同情。

 もう一つは、特殊な状況であるものの、それ故、再び大切な存在に出会えるかもしれないことへの羨望。

 その二つを同時に向けて、千晶はみもりのために動いていた。

「ねぇ、千晶。会わせて」

「誰、に」

「お父さん。それに、同棲している方」

「なんで」

「どんな想いだったのか、どんな想いなのか。どんな願いを持っていたのか、どんな願いを持っているのか。それを聞きたい」

「聞いて、どうする」

 聞いたから、何が変わるわけでもない。

 特に、織上詩織の居場所に関しては、何もわからないままだ。

 どうしてそんなことをするのだろうか。

 意味があることなのだろうか。

「もう一度頼みます。千晶、私を助けてください。あなたにもし不思議な力があるっていうのなら、その力を一度でいい、私のために使って欲しい」

「……わかった」

 ありえない。

 最初に抱いた感想はそんなところだった。

 こいつ、冷静になってもやっぱりとち狂っている、と千晶は思わずにいられない。

 だが、このくらい自分勝手で、訳がわからないほうが。

 確かに、森崎みもりらしいのかもしれない。

「まぁいいが、森崎」

「なに?」

 だが、なにもかもみもりの言うがままにされているのは何となく気に食わなかったので、一つ、せめてもの反撃とばかりに指摘しておく。

「さっき、口調戻してみろ、っつったが。今は逆に普通のとですわが混ざってむしろ気持ち悪い」

「うるっさいですわっ!!」

 みもりが意識しているかどうか、それは不明だが。

 この千晶の言葉で、みもりの口調はようやく元に戻る。

 それは、ある意味。

 森崎みもりが森崎みもりを確立したということで。

 目に見えぬ自分を取り戻した、もしくは。

 新しい自分を、形作った、ということだ。



 そんな成り行きで、みもりと千晶は、秋山家に向かっていた。

 千晶の父とその恋人については千晶の方から話をしておいた。昨日の今日だと言うのに時間を作ってくれた二人に千晶は感謝しつつ、しかし、本当に女子を家に連れて行くのか、と戦々恐々としている。

 一体なんと言われるのか、想像もつかない。

 恐らくは千晶の真剣な態度から、何かしら重要な家族の話をされるであろうということは感じ取ってくれており、だからこそ無理に今日の予定を空けてくれたのだろうが。

 みもりを見てどんな反応をするのかは全くわからない。

「あ、そういえばお父さんと、お母さんと、お父さんの恋人の人、名前まだ聞いてないです」

「そうだったか。父親は大和(やまと)、母親は亜紀(あき)、それに、あの(ひと)は、富永美奈(とみながみな)って名前だ」

「……いい名前」

 みもりは顔も知らぬ千晶の両親の名を褒めた。

 どんな名前でも同じ事を言っただろうか。

 いや、恐らくは本心だろうな、と、これまで話をしてきて、少なからずみもりの人となりを知った千晶は確信する。


 千晶の家はやはり、みもりと詩織の家からそれほど離れてはいなかった。歩けばそこそこ時間がかかりそうではあるが、散歩気分で寄ることはできるだろう。

 ごく普通のマンションの、うち一つが秋山家らしい。

 秋山、という表札を見て、みもりは深呼吸をする。

 ぶれないように。

 聞き逃さないように。

 どんな願いを、息子に託しているのか、知るために。

「行きましょう、千晶」

「……あぁ、そうだな」

 千晶に続いて家に入る。

 生活感に溢れた、小綺麗な玄関。やけに大きな革靴と、それよりもややサイズの小さく、しかし光を弾く質感を出した革靴、それに赤のハイヒールが並べられている。

 三人分。

 三人、いる。

 それだけで、どれだけ幸せで。

 三人でいられなかった人のことを考えてしまうだろう千晶にとってそれは。

 どれだけ、辛いのだろうか。

 入ってすぐ、フローリングの居間が広がる。

 そこに、スーツではないにしろ、落ち着きのある、余所行きの服に身を包んだ男性と女性が座っている。

 恐らくは食卓用であろう、四人用のテーブルに三つ同じ椅子と、一つだけ大きさも形もやや異なった椅子が配置されている。椅子もやはり、普段使っているのは三人分だけで、今日は来客があるので出してくれている、ということなのだろう。

 千晶がその空気を裂く。

「ただいま」

 その千晶の言葉を受けて男性と女性、千晶の父親――大和――とその新しい恋人――美奈――は優しく迎える。

「……あぁ」

「おかえりなさい、千晶くん」

 少しだけ緊張した面持ちでみもりも挨拶を交わす。

 あくまで見届け人であるので、手短に。

「初めまして。私、森崎みもりと言います。千晶くんのクラスメイトで、その、失礼ながらご家庭の事情を多少伺いまして、この度同席を希望しています」

「千晶から聞いてるよ。座りなさい。もてなしはないが」

「いえ、元よりそのつもりはございません」

 挨拶を済ませてみもりと千晶は大和と美奈に向き合うように座る。

 この場に自分がいていいものなのだろうか、とみもりは若干自分の立ち位置に疑問を持つが、千晶にこの場を設けさせたのはそもそも自分であって。発案者が同席することはさしておかしなことではないだろう。

 千晶風に表現すれば、「お前が言い出したんだからちゃんと一部始終を見届けろよ」という話だろう。

 ぎゅ、と机の下で小さな拳を握り締め、みもりは千晶が話し出すのを待つ。

「そろそろ、話しておきたいと思ってだな。これからのこと、と、これまでのこと」

 千晶はゆっくりと、言葉を選ぶようにして話し始める。

 父親を相手にするその心境は、難しいものがあるだろう。

「いいだろう。お前には……色々と迷惑をかけてきたからな」

「あぁ、散々な」

 千晶の見も蓋もない返答に、大和は悲しさを滲ませた。

 千晶も千晶で、少し辛そうだ、ということを隣にいるみもりは感じたが、まだ話は何も始まっていない。まだ自分の出る幕ではないだろう。


「まず聞きたい。どうして、母親、いや、母さんと、離婚した」


 いきなり、核心を突く質問。

 きっと、離婚する際に話をされているだろうとは思うのだが。

 千晶が聞きたいのは、真実だ。

「互いに生活のリズムが合わなくなったとか、すれ違いが無視できない状態になってしまったとか、それぞれの道を歩み始めたくなったとか、そんなことは聞いた」

「確かに、話したな」

「正直に言って欲しい。俺、邪魔だったか」

 静寂。

 離婚する上で。

 息子の存在は、邪魔だったのか、否か。

 大和は、本音と建前の間で揺れ動き、その後に。

「離婚そのものよりも、お前の扱いについて話しあった時間の方が長かったのは、事実だ」

「……そうか」

 直接的な表現は避けたものの、その答えは嘘偽りなく。

 邪魔だった、という意味になるだろう。

 千晶の体が震えたのを、みもりは感じた。

「それでも、別れたいって、望んだんだな」

「俺と亜紀は駄目だったよ。とっくにな。なんのことはない、一緒にいたいと願ったから結婚した。千晶、お前が生まれるときはこれからも共に進めると信じていた。だが、三人が一緒にいるためには仕事が必要で、そのために一緒にいることが難しくなった、ひどい矛盾だ、だが、俺にできることはそれしかなかった」

 生きていくためには金が必要で。

 二人が、三人が一緒に生きていくためにはその分の金が必要で。

 金を得るためには働かなければならなくて。

 朝から晩まで働いていれば、家族と過ごす時間は十分にとれなくなってしまう。

 だが、家族と過ごす時間のために仕事をないがしろにしてしまえば、その時だけではない、職場で一度信用を失えば取り戻すことは困難だ。

 十年、二十年後を考えれば、そんなこと、できるはずがない。

「俺はそれでも仕事を続けるしかなかった。亜紀はそれでも家族と共に過ごしたかった。結局俺は、何も守れない、家族ってものを甘く見ていたんだ」

 父親の吐露に、千晶は何を感じているのだろうか。

 怒っているのか、それとも。

 みもりは横目に千晶の表情を伺うが、よくわからない。

 両親が別れた、詳しい経緯を聞いて、どんなことを考えるのだろう。

「……母さんは、それでも、心のどこかで、待っていた、とは、思わなかったか」

「いいや、それは俺のほうだ。亜紀が、亜紀とお前がいつか戻ってきてくれやしないかとずっと考えていた。だが、あいつはそんな弱い奴じゃあなかったな。一人で、お前をここまで立派に育てたんだ」

「強い、か。そうだな、母さんは強かった。俺に弱音を、吐いてくれないくらいに」

 言ってほしいことを、言ってくれなかった。

 気付いたら、もう限界を越えていた千晶の母親は、一人で死んでしまった。

「亜紀は、そうだな、そういう奴だったよ。お前は知らないかもしれないが、昔からあいつ、言うべきことをあまり話すような奴ではなくてな。若かった俺は、亜紀が何も言わなくても言えなくてもその全部を気付いてやれるようになりたい、って、そんな風に口説いたもんだ」

「は……」

「だが、現実は、そうだな、俺は気付いてやれなかった、いや、気付いていながら何も行動を起こさなかった」

 初めて聞く二人の話に、千晶は呆れたようだった。

 母親が何も言わないのは昔からのことだったらしい。

 それを、まさか口説き文句に使っているだとは思いもしなかっただろう。

「本当は、ずっと一緒にいたかったのか?」

「一緒にいたかったのは本心だ、が」

 真実を求める息子に、大和は一人の父親として、あるいは、一人の男と向き合った者として、嘘はつかない。目を逸らさない。誤魔化したり、しない。

 一緒にいたかった。

 けれど。

「俺も亜紀も、別れることを望んでいた。千晶、お前のことよりも、自分達自身のことを考えて、だ」

「願ったか……」

 千晶のぼやきは果たして、自分自身に向けてのものなのか、それとも、みもりが言った出鱈目が真実になってしまいそうで怖いからなのか。


 千晶は次に、美奈の方へ向く。

「それで、まぁ、父さんとあんたがまた会った流れについては一通り聞いているが」

「ええ、この間話したものね」

 家族との時間を守れなかった大和はしかし、彼女、富永美奈に出会う。

 その出会いはなんと言うこともない、傷心の大和が一人、休暇中に訪れた旅先でのことらしい。

 美奈、彼女もまた、夫と別れた後で傷心の身だったらしい。

 ただし、美奈の場合は夫の方が黙って家を出てしまったとのことだ。

 理由は、単純。

 不倫相手の所へ、逃げてしまったらしい。

 中々、壮絶な人生を歩んでいる。

 千晶も、大和も、亜紀も、美奈も。

「先に、結論を聞かせて欲しい」

「なに、千晶くん?」

「再婚相手に、父さんを、考えてる、か」

「考えてます。私は、大和さんと次の人生を歩みたい」

 これまで聞いてこなかった、本音。

 怖くて聞けなかった、意思。

「父さんは、この(ひと)と、再婚する気が」

「ある」

「俺は、必要か、それとも、要らないか」

 みもりは、ハッとして、千晶の方へ顔を向けた。

 千晶は確かに言っていた。

 自分がいなければ、もっと幸せな人生を送ることができるのではないか、と。

 それは、ただの後悔と、自己嫌悪、だけではなく。

 自分への不安だ。

 自分が生きていていいのだろうか。

 こんな心地良い場所にいて、いいのだろうか。

 母親がいなくなってしまった世界で、まだそれを受け入れることもできていないのに、新しい世界を享受してしまっていいのだろうか。

 そんな不安が、今の千晶の心を固めている。

「必要だ。贖罪というわけではない、亜紀のことを忘れたわけでも、過去のことを無かったことにするつもりだってない。だが、一人の父親として、俺は、お前が独立するまでは一緒に、暮らしたい」

「私も、あなたの存在を知った上で、大和さんと共に生きていたいんだって、そう願ってます。話を聞いていれば、亜紀さんがどれだけ素晴らしい人なのかは、よくわかります。だから、亜紀さんの代わりになんてなるつもりはありません。私は私らしく、大和さんの妻になりたいし、千晶くん、あなたのお母さんになりたい」

 都合のいい言葉を並べているだけかもしれない。

 みもりはまず、そんな捻くれた考えを持った。

 離婚は美談なんかじゃない。

 過程はどうあれ、将来を誓い合った者達が、永遠を誓い合った者達が袂を分かつ、そんな決断だ。

 どんな理由であれどんな形であれ、綺麗な離婚なんてものは存在しない。

 だが、勿論、それは人間として生きていく上で与えられた当然の権利だ。

 歴史の中で、親同士が決めた結婚が全てであった時代から、当人の心情によって決定できるような時代へと変遷を重ねてきたのだ。だから、その決断をすることそのものが悪い訳ではない。

 だが、新しく人生を始めて、上手くいきそうで、だからそこに、今まで言ってみればないがしろにしてきた息子を巻き込んで一緒に暮らそうなどと言うのは、何かおかしいのではないか。

 そんな言葉を言えるのであれば、どうして最初から彼のことを考えられなかったんだ。

 どうして最初から、幸せなままでいられなかったんだ。

「あの、私、私は……」

 これまでは、家族の事情に一切干渉するつもりはなかったみもりだったが、感情の爆発に、思わず口を開く。

 本来なら、赤の他人が踏み込んでいいはずがない、そんな家庭の事情に、家族の問題に。

 しかしそれでも、みもりは黙っていられない。

「なんか、変だと、思います」

 千晶が吐露した想いを、少なからず知っているから。

 そんな。

 そんなありきたりな言葉で済ませて欲しくない。

「お、おい、森崎」

「だって! 千晶は、ずっと苦しんできたんです! ずっと、ずっと、お母さんが、どうして自分に何も話してくれなかったことを苦しんできた! それに、それに、お父さんと、お母さんが、別れたがってることを知って、なのに、二人とも千晶に何も言ってくれなくて、それで、それで!!」

「いや森崎お前がなんで泣いてんだよ」

「わかんないですわ!! わかんないですけど、なんか、すごく、すごく……千晶のこと、ないがしろにされてるみたいで、変、ですわ……」

「はぁ……」

 千晶の溜息は、嫌な雰囲気を醸し出してはいなかった。

 むしろ、どこか嬉しそうですらある。

 どうやら、そのくらいの機微はみもりにもわかるようになってきたらしい。とは言っても、何故か泣いてしまったみもりは、そんなことにまで思考が回らない。

 泣いたみもりの目の前にティッシュ箱を置いて、千晶は父親と、そして。

 母親を(・・・)相手に。

「と、いうことだ。今こいつ、森崎が言ってくれたようにな、実は俺は俺で色々と悩んだり自己嫌悪に陥ったりしていたわけで、そう簡単にあんたらとの新しい生活を快く受け入れるわけにはいかねぇな。父さん、母さん(・・・)

「……千晶、お前」

「千晶くん……」

 きっと、初めて口にしたであろう、『母さん』という、呼び方。

 快く受け入れるわけにはいかない、という宣言とは裏腹に、だからこそ、自分を認めさせるように、ちゃんと話して欲しい、という千晶の意識の顕れに。

 父である大和は涙を堪え、母となる美奈は涙を流す。

 この一瞬を、千晶が不満を口にして、なおも認めてくれる瞬間を、待ち焦がれていたかのように。

「ち、千晶……千晶ぃ……」

 その、感極まって泣いている美奈よりも、ひどい有様のみもりが千晶の手を取る。

 千晶とて、みもりの肩に手を置いたり、みもりの頭を膝に乗せていたり抱きかかえたりしていたというのに、みもりの方から手を握られて若干焦っている。

「だからなんで森崎の方が一番泣いてんだよ馬鹿! ほら泣き止めっての!」

「ごめ、んなざいっ」

「はー、森崎お前自分の目的忘れてんじゃねぇだろうな……ったく」

「ぞんな、ごとっ、言われでもっ」

 悲しさからか、嬉しさからか。

 その涙の意味は千晶にはよくわからない。

 別に、ただ。

 自分の気持ちを伝えただけだ。

 納得がいかない部分を聞いた。

 自分の母親のことを、自分のことを。

 納得がいっていないことを宣言した。

 今の微妙で、曖昧で、無意味な関係を、形あるものにしたいと。

 それだけだ。

 森崎みもりが泣くようなことは、何もしていない。

 むしろ、感謝するのはこちらの方だ、と思う千晶は、しかし、照れから真っ直ぐは届けられない。

 小さく、小さく。

「さんきゅな」

 と、そう呟いた。

 その小さな呟きは、確かにみもりに届くことはなかったが。

「……ところで、そちらの森崎さんとは一体どういう関係なんだ?」

「ぶっきらぼうなこと言って、本当は彼女さんとか?」

「ちっげぇよアホか!?」

「千晶、父さん達の姿を見て、幻滅しているのかもしれないが、別にいいんだぞ、好きなら好きだとちゃんと言って、誰かと付き合ったって」

「それがこんな可愛らしい子なら、なおさら、ね?」

「だからちげぇっつってんだろうが……」


 家族に対して立てられる戸などなく。

 ついでに、親とする恋愛話ほど恥ずかしいものなど世界には存在せず。

 だが、逆に言えば。

 色恋沙汰を話すのが恥ずかしい、ということは。

 果たして彼らは、家族になれた、ということなのかもしれない。

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