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運命を操るのは  作者: 安藤真司
本編 運命を操るのは
21/41

二人

 みもりと千晶は結局幸魂高校の二号館へとやってきた。

 屋上へは入らなかったものの、屋上の手前の踊り場から階段に足を下ろすようにして座る。

 二号館は一部教室が入試相談室として開放される以外には文化祭の最中特に催しは行われない。

 そのこともあって、人気(ひとけ)はなく、この文化祭に向けてあちらこちらで生徒が闊歩している状況では数少ない落ち着いて話ができる場となっている。

 もっとも、この文化祭にかこつけて二号館屋上を使用しての告白を考える者もいるかもしれない、ということを考えると遭遇したときに些か以上に気まずいだろう。

「詩織が、自分から消えた、なら……」

 みもりは再度、桃春教諭から得た新たな可能性を検討している。

 千晶もまた、その線について考えていた。

 ありえない現象を相手にしているので、幾らでも妄想を広げることはできるのだが。

 検証すべきはやはり、事実の確認と、その現象を当該人物が行う意味、感情だ。


 詩織がこの状況を引き起こした。

 みもりがこの状況を引き起こした。


 言うは容易いが、そこに確かな理屈が無ければただの妄想でしかない。

「少し問題を整理するか」

 千晶が言って、順に今確認できていることをまとめていく。

「基本に立ち帰ると、そうだな5W1Hって便利な言葉があるし、それに則ってみるか」

 5W1Hとは英語の基本である、疑問詞の頭文字を取ったものだ。


 いつ……WHEN

 どこで……WHERE

 誰が……WHO

 何を……WHAT

 何故……WHY

 どのようにして……HOW


 要素は以上五つである。

 何かを尋ねる際にはこの要素を確実に伝える必要があり、逆に相手が何か尋ねてきた際にはここを聞き取らなければ何を聞かれているのかがわからないという重要な言葉だ。

 そして、何か問題が発生した時にはこれらに沿って整理をすることで自分達がどこで躓いているのかがわかりやすくなると言われている。

「まずいつ起きたか、だが、恐らくは森崎がその事故を目撃して気絶した時から、だろうな」

「事故そのものかがトリガーなのか、私の気絶がトリガーなのかは不明、かな」

 確かにそうかもな、と千晶はみもりに同意してから先に進む。

「次にどこで、だが、これもあまり重要じゃあ、ないだろ。場所としては通学路とも言えるし、織上がいなくなった影響だけ考えるなら街全体とか世界全体かもしんねぇな」

 みもりも場所に関する何かが特に重要だとは思えないが。

 だが、一応思いつく可能性については意見をしておく。

「ただ、織上詩織の存在する世界から、存在しない並行世界に私が、もしくは私と千晶が移動したなら場所は世界そのものになるかもしれない」

 ありえない、とは思うが。

 ありえないことについて考えるならありえない案を検討すべきだ。

「で、次、誰が、については、当事者が誰なのかって話になるわけだが。消えたのは織上で、それを覚えているのは森崎と、一応俺だな。あとは別の誰かがこの状況を引き起こしてる説もあるかもしれない」

 これについてはみもりから追加で話すことはない。なんにせよ、自分と詩織が大きく関わっているであろうことは間違いないだろう。

「何を、ってのはだからまぁ、考えられるのは、記憶を、いや、一人の人間の存在を消したのか、もしくは世界そのものを変えちまったか、森崎と俺だけ別の世界に飛ばしたか、ってとこか」

「そう、だね。消えたのは記憶だけじゃなくて、詩織がいたって証拠になる物まで消えてるから」

 なんとなく、人の記憶というものは元から曖昧なものなので、それを操る力があってもそこまで劇的におかしくはない。いやおかしいのだが、優芽の持つ時間を巻き戻す力よりは現実的、の、ような気がする。

 だが、今回は物質まで消えている。記憶のような曖昧なものならまだしも、データだけでなく織上詩織に繋がる全てが消えてしまっている。

 だから恐らく、この状況を引き起こした誰かが操ったのは記憶だけではないのだろう。

「で、何故。これは、誰がって方に大分左右する気がするが。例えば第三者なら織上のことを消してしまいたいほど嫌っていたとか。織上本人だとしたら……どうなんだろうな」

「うーん」

 詩織が自分で自分を消してしまう理由。

 多少自惚れてみるならば。

「私のため、とかなら、平気でそういうことをしそうな、気はする、かも……」

「そうなのか」

「ええ、た、たぶん」

「類は友を呼ぶって感じだな……なに、森崎の周りは全員そんななのか?」

「そんな、って」

「なんつーか、友人のことを過度に大切にしてるっつーか、いっそ依存してるくらいの勢いすら感じる」

 互いに、相手がいなければまともに生きていくことすら難しい。

 そんな存在となってやしないか。

 千晶の指摘に、みもりは考えてみる。

 自分は詩織に依存しているだろうか。

 している気がする。

 自分は弥々に依存しているだろうか。

 している気がする。

「良い、ことではないけれど、悪いことじゃ、ないとも、思う」

「悪いとは言ってねーよ。良いじゃねぇか、それだけ大事にできる奴がいるってのは」

 千晶はそれを否定しなかった。

 そんな簡単に認めてしまってよいものなのだろうか。

 誰かに依存して生きていくことは、結構酷く、醜いのではないだろうか。

 自分って存在を誰かに委ねてしまうのは、自分の存在意義だとか、自分が自分であることの妨げにはならないだろうか。

「続きいくぞ。最後は、どのようにして、ってとこだ。これは恐らくは、森崎が言ってた、能力とやらで間違いなさそうだと」

「うん。そうだと思う。今のところ、こんな非現実なことを引き起こせるようなものを、私たちはそれしか知らない」

 起きている時点で非現実ではなく現実なのだろうが。

 こんなことが普通に起きる世界なんてものにこれから先の未来で変容していくのだろうか、と一抹の不安を覚える。

 時間や存在などといった確かなのに不確かなものにまで、人類が手を染め出したら。

 それこそ、秩序もなにも無くなった、非道な世界ができあがってしまいそうなものだ。

 まぁ、今を生きる自分達にとっては、来るかどうかもわからない未来のことなんて心配するだけ無駄なのかもしれない。

 いくら環境保護を謳おうといつかは地球が滅んでしまうのと同じように。

 人類が標準で時間を操ってしまうようになったところで、きっとそれはみもりが生きている内ではないだろう。なら、それについて気を病むのはその時代に生きる人々に任せてしまおう。

 今は自分のことで、詩織のことだけで手一杯だ。

 手一杯どころか、既に許容容量を超えてしまっている。

 なんなら四ヶ月前の体育祭の事件の時点だって自分に耐えられるような事件ではなかったくらいだ。

 だと言うのに今回は自分と千晶しか詩織のことを覚えてないときている。

 そんなもの。

 普通に考えて、平気なわけがない。

「やっぱまず考えるべきは、何故、のところか」

 千晶がそんな深みに嵌っていくみもりの思考を遮るように議論を続ける。

 みもりはその言葉で我に返り、話を思い出しがてら尋ねる。

「どうして、こんなことが起きているかってこと? どうして?」

「さっきの桃春先生の話を検証してみよう。仮にこの状況を引き起こしたのが織上詩織自身だったとして、ならどうしてこんなことを起こしたのか、だ」

 なるほど。

 確かに先ほど話してくれた桃春教諭の説をきちんと検証していない。

 状況を整理してみて、やはり感じたのは情報が少なすぎるということだが、それについては嘆いていても始まらない。

 今持っている情報だけから色々と考えていかねばなるまい。

 それでもある程度は候補が絞れている。逆に言えば二、三くらいの説を出す以上のことができない状態、でもあるが。

「詩織が、自分で自分を消したとしたら、か」

「ああ、さっき森崎もちらっと言ってたろ。森崎のためなら織上は自分を消す事だってするかもしれないって」

「う、ん。でも、どうして、だろう。例えばどんな状況なら私のために詩織は自分を消してしまうんだろう」

「それこそ、こうなる前の織上ってなんか変なとこなかったのか」

「変なって例えば?」

「だから、そうだな。森崎の先輩は一応未来視とかいうのが出来たんだろ。そういう、なんつーか事前にこうなることを想定した言動をしてなかったかってことだ」

「自分が消えちゃう、ようなことを、予め知っていたような……?」

 みもりは思い出してみる。

 詩織が消えたのは今週の月曜日。一昨日の朝だ。

 彼女はバスに轢かれて、気を失ったみもりが目を覚ましたら詩織は消えていた。

 それまでの詩織に、どこかおかしなところはあっただろうか。

 何か、いつもと違うような、そんな空気が。

 流れていたり、しただろうか。


「……した。あった。なんか、なんか変、だった」


 みもりは詩織に対して違和感を覚えていた。

 間違いない。

 詩織は確かに、いつもと違っていた。

 それも、自分で自分がおかしいかもしれないと認めていたくらいだ。

「話した、よね。なんか詩織が変で、私がそれを聞いてみたら、詩織言ってた」

「あぁ、好きな奴ができたって、答えたっつってたな」

 まず真っ先に変なのはそこだ。

 詩織の言動は明らかにおかしかった。

 何がどうおかしい、と聞かれると困るのだが、長年一緒に連れ添って歩いてきたみもりにはすぐわかるくらい露骨に、詩織は何かをみもりに隠している様子だった。

 それがなるほど、高校生になって、そして初めて本気で好きな人ができたとなれば、そんな態度もさもありなん、とでも思っていたのだが。

 もしもそれが。

 そのおかしな態度こそが、この状況と関連付いたものだったとしたら。

「その織上の好きな奴って……いや、俺が話聞いたのが日曜で事故が月曜の朝だもんな。聞けてないか」

「うん……その、登校中に聞いたは、聞いたんだけど、その、はぐらかされちゃって」

「はぐらかされた?」

「なんか、ええと、なんか変なこと言って」

 変なこと。

 そうだ、詩織の好きな人を教えて欲しいと言った時も彼女は変だった。

 何と言っていたか。

 どんなことを言ってはぐらかされたのか。


『んー、じゃあ、私の質問に全部、答えてくれる?』


 そんな前置きをしていた気がする。

 これも突然すぎて驚いた記憶がある。

 記憶なんか信じられるはずもないので、事実かどうかはわからないが。

 自分の記憶だけは信じてみよう。

 でないと、詩織の存在すら。

 信じることができない。


『私がまた、自分を責めてるときは、助けてくれる?』


 これは確か、体育祭の事件について、詩織が話してくれたことだ。彼女はずっと、事件が発生していた当時もそうだし、今もまだ、自分が何もできなかったことを責めていた。

 だからみもりは、許してあげたはずだ。

 詩織が自分を責めるというなら、何度でも詩織を許してあげる、と。

 そんなことを考えたはずだ。


『私が助けてって言ったら、助けてくれる?』


 助けてって言ったら、とは。

 一体何を想定しているのだろう。

 普通に生きていて、助けて、なんて言葉はそうそう使わないだろう。

 まさか学校の課題について、助けてというような状況を考えているわけではないだろう。


『私が信じた心を、尊重してくれる?』


 詩織が信じた心だなんて、これもまた、よくわからない。

 詩織が信じた心があったとすれば、勿論それを尊重するし、なにより詩織が信じた心というものを自身でも感じてみたい。


『みもりはずっと、私の親友でいてくれる?』


 言うまでもない。

 あるいは、何度でも何度でも、喉が枯れるまで言い続けてやる。

 自分は、森崎みもりはこれから先もずっと、織上詩織の親友であり続ける。


 その後は、どうだったか。

 カセットテープを渡してきたはずだ。

 自分はもう録音したから、あとは吹き込んでくれと。生徒会長として今年の文化祭を盛り上げるために心身を賭して頑張っている奏音への、労いのメッセージをと。

 そのカセットテープは、鞄の中から消えていた。写真やその他の物品と一緒に、だ。

 それで、その後すぐに、詩織はバスに、轢かれて。

 それで、それで。

「…………?」

 何か、抜け落ちている気がする。

「どうした? 変なことって、何言ってたんだ?」

 千晶に話しかけられるが、一旦無視する。

 カセットテープを渡されて。

 何を誤魔化しているんだと少しだけ怒ったはずだ。

 その後。

 詩織が、轢かれる、直前。

 何か。

 何か、言っていた、ような――。


『みもり』


 笑いかける詩織の顔。

 その引き込まれるような笑顔と、世界が遅延する感覚。

 詩織の笑顔は何故だか、自分の全てを見透かしているようで。

 けれど安心感があった。

 自分の全てを彼女に委ねてしまえるようで。

 それで、それで。

 詩織は、死の直前に――。

 言っていたはずだ――。


『私を――よろしく』


「わ、たしを、よろしく……」

「あ?」

「『私をよろしく』って、言ってた……」

「……織上が、か?」

「言ってた、言ってた! 確かに、死ぬ直前に、そう言ってた!!」

 みもりの記憶が急に鮮明になる。

 どうしてこんな大事なことを、今の今まで忘れていたのだろう。

 詩織は最期にそう言って、そう伝えて死んでいった。

 一体どういうことだ。

 どういう意味だ。

 私をよろしく、とは。

「他にはなにか?」

「う、うん。その、そういう風に言う前にも幾つか」

 みもりは詩織が死の直前話した言葉を全て千晶に伝える。

 どれもこれも、やはり普通に話すにしては意味がわからない。

 ただ、その違和感は、一つに集約される。

「私をよろしく、ねぇ……やっぱ、どうも、その台詞だけ聞くと、これから自分がどうなるか、わかってるみたいじゃねぇか?」

 千晶の感覚に、みもりも同意する。

 どうにも怪しい。

 自分をよろしく頼むのは、つまり。

 自分がこれから、誰かに頼んでおかないと危険な状態になるかもしれないからだろう。

 なら、自分がこれからバスに轢かれることを知っていたのだろうか。

 だがそれだけなら、よろしく頼むことは何もないのでは?

 詩織は、もしかして、あのとき既に、自分が消えてしまうことを知っていたのではないか?

 だが、やはりそうだとしても。

 そうだとするならば余計に。

 消えてしまうのなら何をよろしく頼んだのだ?

「千晶」

「なんだ?」

 みもりは一瞬だけ間を置いて、躊躇ったもののすぐに切り替えて続きを口にする。

 千晶の方も、みもりのその一瞬の迷いを見て、どうやらみもりがこれから少々言いづらいこと、もしくは不躾な質問をするであろうことを察した。

「お母さん。その、お父さんと付き合っているみたいな、今同棲している人じゃなくって、生みの親の、お母さん」

「あぁ、どうした」

「死ぬ前に、ううん。お母さんが死を予感したとき、千晶にどんなことを話した?」

「は……?」

 話が急に逸れたため、気の抜けた言葉が千晶の口から漏れる。

 母親の話、それも死ぬ前にどうだったか、ときた。

 突然ではあるが、一応死ぬ直前にどうであったか、という点では詩織の話から逸れてはいないだろうか。

 第一、よく考えてみれば、みもりが千晶に踏み込んだ話や質問をするとすればそれは確かに家庭環境についてだろう。

 父親の話か、それとも、母親の話か。今一緒に暮らしている人だって、きっとさほど遠くない未来には、結婚して事実上千晶の母親になるだろう。

 ともかく、聞かれたことについて考える。

 どうだったか。

 母親は死ぬ前自分にどう話したか。

 思い出そうとするまでもなく、すぐにその記憶は呼び覚ませる。

 母が死んでから今日この日まで、忘れたことなどないからだ。

「まぁ、母親は強がって何も言わなかったからな……だから俺が覚えてるのは、俺が寝ていると勘違いした母親が零した一言だけだ」

「……何て、言ってた?」

「『お父さんを、よろしく』」

「…………うん」

 みもりは納得したように頷く。

 思ったとおり、というか、出来すぎているくらいの回答だ。

 千晶も自分でその言葉を発してから、詩織との共通点に気付く。


『私をよろしく』

『お父さんをよろしく』


 二つの言葉。

 そのどちらも、死の直前に発した言葉だ。

 だが、その意味は大きく異なっている。

「おかしいな」

 千晶が呟く。

 それにすぐみもりが反応する。

「何が?」

「あ、ああ? おかしいって森崎が思ったから聞いたんじゃねぇのか?」

「んと、変だとは思ったんだけど、何が変なのかわからなくて」

 違和感のままに話を進めたようだ。

 もしも千晶の母親が全く違う言葉を零していたとしても、それは大した問題ではなかっただろう。

 千晶に聞いたのはただの確認で、可能性を少し広げてみただけだ。

「自分が死ぬことを知って、それで。俺の母親が頼んだのは父親のことだった。が、織上が頼んだのは自分自身だった」

「そう、だね」

「もっと分かりやすくするぞ。今ここに、俺と森崎がいて、あとはそうだな。俺達が誰にも言わず飼っている野良犬がいたとする」

「随分また限定的な仮定だね」

「だな。仮定に意味は無い。で、とにかくだ、俺は余命一週間とかの宣告を受けてじきに死ぬらしいとわかる。そのとき俺が森崎に言う言葉は」

「たぶん、『わんこをよろしく』かな」

「そんな可愛い表現はしねぇ」

「犬、好き」

「嫌いじゃない」

「そっか。野良じゃなく、ちゃんと飼えたらいいね」

「……何の話してんだ?」

「犬の話」

「……そうだな。飼えたらいいな。で、俺は言うわけだ。『わんこをよろしく』って。それはそうだよな。もうすぐ死ぬ俺は、犬の世話をもうできない。それを森崎に託すかもしれん」

「託すかなぁ」

「託さない気がするな」

「だよね」

「だが、そんな時にだ。俺は『俺をよろしく頼む』と言うか? 言ったとして、その意味は?」

「……ん」

 所々絶妙にボケとツッコミを挟みながら千晶とみもりは論理を固めていく。

 どう考えても詩織の発言はおかしい。

 そのおかしさの正体を突き止めるために、目の前の違和感に理由を付け加えていく。

「自分の死に際、よろしく頼むのはやっぱり、大切な人のこと、さっきの例だと犬だけど。大切な何かだよね。自分が死んでしまって、あの人大丈夫かなって、そう心配になっちゃうようなそんな誰かのこと」

「俺もそう思う。だから織上詩織の発言はおかしい」

「……死ぬのは詩織。なら、詩織が私にお願いするとしたら、おばさま、詩織のお母さんのことだとか、弥々のことだとか、もしくは、好きな人のことだとかを、お願いするはず、かな」

「だが、実際に織上が言ったのは、『私をよろしく』だった」

 私をよろしく。

 そのままの意味で捉えるならば。

 一切事件と関わりなく、素直に受け取るならば。

 親友に対してある意味自分を皮肉った発言だろう。

 これからもよろしくね。というそんな意味を、自分を卑下して表現すればこの発言に繋がるかもしれない。


 だが、仮に。仮にだ。

 仮に詩織が自分の死を、バスに撥ねられて死ぬという未来を知った上でこの発言をしたのだとしたら。

 先ほど千晶とみもりで考えた通り。

 本来心配する対象は自分でない誰かのことのはずだ。

 だが、死ぬのは自分なのだから、詩織本人なのだから、きっとそれは、死後の自分のことをよろしく頼むということになるはずで。

 無理矢理解釈しようと思えば、死んだ後、自分の持ち物なんかをよろしく頼むという風に聞こえなくも無い。

 もちろんそれはこじつけで、聞こえなくは無い、という以上に何も断言することはできない。


 さらに、仮の仮に。

 仮定を上乗せして考える。

 詩織が自分の消滅、記憶も記録も残さずに自分が消えてなくなることを知ってこう発言したとしたら。

 どうなるのだろうか。

 自分が消えて、けれどみもりには記憶が残っていることを考えると、みもりに対して記憶の中の自分を大切にして欲しいと言っているようにも聞こえる。

 確かに、みもりすら自分のことを忘れてしまうと思っているのであれば、頼むことなど何もない。頼んだところで忘れてしまうのだ。

 僅かな可能性としてみもりが詩織のことを忘れない、ということに賭けたとしても、それならそれで『忘れないでね』とかそういった言葉を残せばいい。わざわざ『よろしく』などという表現を選ぶ理由が薄い。

 ならば、ただ、自分の記憶を大事にして欲しいというだけなのだろうか。

 本当に、それだけなのだろうか。


「私をよろしく。お父さんをよろしく。死ぬ直前に、消える直前に、詩織が私に伝えること……私に伝える、とっても、とっても大切なこと……おばさまでもない、弥々でもない、理紗でもない、詩織の好きな人でもない、死ぬ直前に唯一頼みたいのはきっと、詩織にとって誰よりも大切な人のこと……」


 そんな大切な人物が、自分?

 詩織はそういう人物だっただろうか?

 自分のことを一番に考えるような思想の持ち主だっただろうか?

 それとも、いざ死が眼前に迫って、これまで味わったことのない恐怖や不安から、どうしても自分の存在のことを忘れないで欲しかったのだろうか?

 それもありそうだ。確かにみもりも千晶も死の恐怖など、自分で感じたことはない。

 それだけなのかもしれない。

 だが、みもりは違うと思った。

 根拠はない。

 死を前に、詩織がどういった行動に出るかはわからない。

 考えたこともないし、考えたところで正確に詩織の言動を推し量ることなどできやしない。

 そうでないとしたら。

 詩織は死の恐怖に負けていないし。

 詩織は自分のことについては冷静であったし。

 詩織は確かな自分の意思で、親友である森崎みもりに『私』のことを託した。


 私。


 私だけど。

 私じゃない。

 私じゃないけど。

 私。


 織上詩織だけど。

 織上詩織じゃない。

 織上詩織じゃないけど。

 織上詩織。


 自分だけど他人で。

 他人だけど自分。


 そんな『私』。


 遡れ。


 最近の詩織との記憶を、全部。

 詩織が言ったこと、全部。

 思い出せ。


『私を――よろしく』


『みもりはずっと、私の親友でいてくれる?』


『私が信じた心を、尊重してくれる?』


『私が助けてって言ったら、助けてくれる?』


『私がまた、自分を責めてるときは、助けてくれる?』


『んー、じゃあ、私の質問に全部、答えてくれる?』


『……好きな人ができたんだ』


『私のこと知りたいだなんて、そんなに改まることないのに。親友なんだから』


『うん、私。みもりに隠してること、ある』


『みもりなら、秋山くんとだって仲良くなれると思うよ。みもりが望めばね』


『目の前だけがみもりの全部じゃないって、私は思うな』


『私は、うーん……まぁ、いいんだよ』


『みもりのクラスは劇やるんだっけ?ええと、演目は』


『そういえばみもり今日、あ――朝のホームルームで話があるみたいだけど、みもりのクラスに男子が転校してくるらしいよ』


「…………『そういえばみもり今日、あ――秋山くんが転校してくるらしいよ』なら?」

「おい、またなんだ?」

「一年一組の演目を知らない、じゃなきゃ、忘れてた、なら?」

「おい森崎、聞いてんのか?」

「彼氏がいなくても、私はいいんだよ、もうすぐ死ぬから、なら?」

「おいってば!」

「その私は、誰?」

「森崎!」


 千晶がみもりの肩を掴む。

 突如、早口に色々なことを言い出したので心配してか、声が届いていないためか、千晶は声を荒げる。

 階段に座るみもりを真正面から見て、大丈夫かと体を揺する。

 はっとしたみもりが、自分の肩を掴む千晶の腕を不意に握った。

 真っ直ぐ自分を見る千晶の瞳を、みもりもまた真っ直ぐ見つめる。


 そして。

 自分が、辿り着いた荒唐無稽な結論を、簡単な文章にする。

 詩織は。

 織上詩織は。


「詩織は、二人いた……二人いたんだ!!」


 事件の全てが、織上詩織の全てが。

 今ようやく、繋がり始める。

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