いなかった
本話は、前作『確率を操るのは』の物語に関わる重要なネタバレを含んでいます。ご注意ください。
みもりが、どんなことが起きても詩織を見つけてみせる、と、そう決意を固め、弥々もまたそれを全力で手伝おうと話を進めていると、森崎家の固定電話が鳴り響いた。
昼間に誰だろう、などとおどけることもなく、二人は一つ、電話の相手に心当たりがあった。
言うまでもない。
今、設定上は登校中に倒れたみもりは保健室で安静にしており、弥々はその付き添いをしているはずなのだ。
無断で抜け出して家にいるのだから、まぁ。
「私がでよう」
「へ? え、でも」
「いいから」
森崎家なのだからみもりがでるべきなのはないか、という常識を無視して弥々は意気揚々と受話器を耳元に当てた。
「もしもし? もりさきですぅ」
思わず口に含んだ飲み物を噴き出しそうになるほど甘い声。甘いというか、作った声というか。
一応、幼い感じを出そうという試みは感じられる。
『こんにちは。幸魂高校で、生徒会の担当教員をしております、桃春というものですが』
「ももはるせんせえ?」
『はい、みもりさん、ご在宅ではないでしょうか。先ほども留守電で伝えたのですが、みもりさん今朝急に倒れまして、保健室で寝かせていたのですが、先ほど見たらいなくなっておりまして、もしかして自分でご自宅に帰られたかなと思いまして』
「うーんと、みもねえさまは、ここ、いないの」
姉さまという表現を使っているあたり、どうやら理紗の口調を真似ているらしい。
実際に姉であるみもりに言わせれば、可愛くて堪らない妹に比べてなんといらいらとする喋り方なのだ、と突っ込みたいレベルだ。
そして理紗はまだ小四だが馬鹿ではない。
『そうかー、みもねえさまはそこにいないのかー』
「かえってきたらいっておきます」
『そうだなー、でも君もまだ学生だろ? ちゃんと学校行かないとさ』
「え? ええと、りさ、ちょっとかぜひいてて」
『風邪かー注意しろー? 最近急に寒くなってきたからなぁ、思わず小学生の振りする高校一年生がいるくらい』
「あ、あーっと、ちょっと、りさ、よくわかんない」
『そうかー、理紗ちゃんにはよくわからんかー、はははは』
「は、はは、ははははははは」
『綾文お前今すぐ来い』
「え、あ、は? え、ちょっと? 切れたしッ!?」
所詮は弥々の棒演技。
桃春教諭には一瞬でばれたようだ。
「素直に話したほうが良かったんじゃなくて?」
「いやいや、私の完璧な擬態がどうしてばれたのか、不思議でしょうがないよ」
そんな自信を持っていることが不思議でしょうがない。
みもりと弥々はしかし、どの道生徒会の先輩に今起きている事件について相談するつもりであり、それは可能な限り早いほうがいいだろうとは思っていたので良しとする。
今日このまま学校に行くなら、まぁ。
多少先生に怒られるくらいは。
我慢しよう。
「そういうことだよみもり」
「いえだから私は素直に謝ったらって……」
みもり、つまり親友がが元気になったことを確認するとすぐにいつも通りに戻る。
それも、綾文弥々の長所なのかもしれない。
「で、どういうつもりだお前ら」
ある意味調子に乗っていた二人は結構本格的に怒られていた。
まず職員室に寄ったみもりと弥々はそこで、授業時間であるためか桃春教諭以外に諸先生方の姿がない、という珍しい職員室の姿を目にした。
その後二人は職員室のすぐ横に設置されている面談室に通され、腰を落ち着けている。
「まず確認しとくが森崎。お前体調はいいのか」
「はい、大丈夫です」
「そうか随分返事がいいな。だが大丈夫かどうかはお前が決めることじゃない、話が終わったら今日は大事を取って休め。そんで病院へ行け」
「お断ります」
「そうかわかった。で、綾文」
桃春教諭はみもりの言葉をさらりと流す。
彼の実年齢をみもりは知らないが、恐らくはまだ二十代だろう。
二十代の後半と聞くと、みもり達高校一年生にしてみれば十歳以上も歳が離れているので大人に感じもするが、その実は大学を卒業してから五年程度しか経っていなかったりする。
桃春教諭は若いが故、なのか、元来の性格からなのか、近年の言動にうるさい教育機関に身を窶す者としては相当に乱暴である。
だが、そうした大人の姿というのは子どもにとっては憧憬の対象だったりする。
子どものまま大人になっている人間に、誰だって憧れるものだ。
裏でどれほどの努力や苦悩があるか、という部分には、目を向けずに、だが。
「お前なんだあの猿真似。小学生のつもりか? 教師なめんな」
「ぐ……桃ちゃん先生なら私の力量でも十分に騙せると思ったですッ」
「お前なんで頭いいし発想力もあるのに過程も結果も間違うんだよ」
「えへへ」
「お前ら頼むから日本語のキャッチボールをしやがれよ」
無論、みもりも弥々も、本音としては状況を伝えたい、のだが。
如何せん話は現実で起こる範疇に収まってはいない。
荒唐無稽で、まるでお伽話のようで。
話したところで自分達の妄想だと笑われるだけだろう。
大人は当てにならない。
「お前らさ、何を隠したがってんのか知らんが、話す気がないなら任せるぞ?」
「え……」
と、みもり及び弥々が頭の中で先生や大人というものに対する心象を垂れ流していると、まるでそんな胸中を読んだかのように、桃春教諭は語りかけた。
桃春教諭は椅子の背もたれに体を預けてだらしなく足を伸ばしてみせた。
「俺は確かに生徒会担当だが、俺がやるべきことは、お前らの決定が危なくないか、と相談があれば乗る、だからな。相談がないってんなら、俺は何もせん」
言い切ってみせた。
しかしみもりの中では、教師としてそれはどうなんだ、という感情よりも、確かにそうだ、これは自分達がしっかり考えないといけない問題なんだ、という気持ちでいっぱいであった。
危ないことは、もちろん出来ない。
相談も、出来ない。しない。
自分の中の決定事項を、自分が決めた心の行き先を、確かに真っ直ぐ届けるために、みもりは桃春教諭の言葉に応える。
「大丈夫、です。もし先生が危ないと判断したなら、止めてください」
桃春教諭は、じっと、みもりの目を見る。
心の中を見透かされているかのような感覚に、みもりはたじろぐものの、目は逸らさない。
無言のまま、数秒が過ぎる。
そして。
「俺に話す気は、ないんだな?」
「話せない、です」
揺るがない。
「あっそ。ならせめて無茶してくれるな。お前らが倒れて怒られんのが俺ら大人だってこと忘れんなよ」
「はい、ありがとうございます」
一礼して、みもりは面談室を離れる。
弥々もそれに続き、面談室を出る際にウィンクをしてやる。
「アホか……」
まったく、と。桃春教諭は大きく溜息を吐いた。
面倒な生徒というのは毎年毎年いるものだ。
生徒会役員は割と優秀で、真面目な生徒が多いが。
だからこそ、一度暴走しだすと他の生徒に比べて事が大きくなりがちだ。
なまじ自分で立てた計画通りに物事を進められる能力があるような人間は是非とも自分の管轄外で行動して欲しい、というのは大人なら誰もが一度は考えるものである。
「俺でなくていいが、大人をもっと頼れよな、餓鬼は」
生徒が教師にあれやこれやを相談しづらいのは今に始まった話ではない。
昔から、そういう関係の下に成り立っている。
教師とは常に生徒の模範でなければならない。
だが、生徒にしてみれば、教師とは自由を奪い己を拘束してくる存在だ。
時に優しくてよい先生だ、と感じることがあっても、基本的には、怒ってくる人間、である。
学校生活に関係ないことを話せば、怒るのではないか。
あるいは、興味がないのではないか。
そんなことを考える生徒は意外と多く、先生というものはあまり学生から本気の相談というものを受けない。
「しかし文化祭ってのは我々教師にとって苦痛すぎやしませんかね」
ひとりごちて、桃春教諭も職員室へと、戻っていった。
それから弥々は通常通り授業に戻り、同じく授業を受けようとしたみもりは案の定授業担当の先生に追い返され、一時保健室に舞い戻った。
このまま家に帰るつもりはないが、しかしゆっくりと思考できるという意味では保健室で横になっているほうがいいのかもしれない。
ひとまずみもりは保健室のベッドに舞い戻り、絶対に寝ていろとのお達しを受けて大人しくしていた。
制服で横になるのは大丈夫だろうか、皺とかつかないだろうか、などと今更な懸念事項も頭には浮かべつつ、やはり考えるのは現状、詩織のことだ。
(あ……駄目……駄目)
保健室に来た当初は、当然詩織がどうしていなくなってしまったのか、という現象と向き合って、色んな仮説を立てようなどと考えていたのだが。
いざこうして一人横になってみると。
繰り返し繰り返し、同じ場面がみもりの頭の中を流れていた。
数歩前を歩く詩織。
自分の問いに対して、中々答えを言わない詩織。
幾つか、質問を重ねてきた詩織。
それで、何か、何かを言おうとして、詩織は。
バスに、撥ねられて。
「う……ぁっ!」
急に吐き気を催して、みもりは保健室の小さな流し台に駆け込む。
意から逆流した熱く酸味のある液体が口から吐かれる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ん」
口に残った嫌な感覚を消すために蛇口を捻り、水道水で口を濯ぐ。
だが、何度水を口に含んでも、消えない。
無くならない。
「詩織……詩織……詩織」
手を伸ばす。
絶対に届かない、過去の、あの時間の、あの数歩先へ。
届かずに、手はただ鏡に触れる。
嘔吐し、泣いてぐしゃぐしゃになった自分の惨めな姿が映る、悲しい鏡が目に入る。
今の自分はこんなにも変わり果てていたのか、とみもりは思わずにいられない。よく詩織は今の自分を相手に普通で、いつも通りの彼女でいられたな、と。
そんな彼女がいたから、記憶もないのに前を向いて、真っ直ぐ詩織を探す彼女がいたからこそ、みもりはぎりぎり正気でいられたらしい。
弥々がみもりを強く抱きしめて、みもりが落ち着くまでずっと待ってくれていた、その効果は思ったよりも大きかったようだ。
(弥々がいなくなった途端に、この有様ですものね)
落ち着け、とみもりは自分に念じ。
実際に落ち着くことができたのは、それから何度目かの嘔吐を乗り越えてからだった。
みもりは流しを綺麗にしてから、ベッドに戻ろうとふらふらとした足取りでその数歩の距離を動く。
そしてベッドの足元に置いた鞄を見て、あることを思い出す。
(そういえば……)
先ほど思い返していた、詩織が死ぬ直前の行動。
あのときに。
確か。
「カセットテープを、渡されたような……」
なんの脈絡もなく、文化祭の運営で疲れているであろう奏音を労うメッセージを吹き込もうと詩織から一方駅に話して渡してきたカセットテープ。
それも、詩織との会話を思い出せば、何か宿題を見せる代わりに貰ったとか言っていた気がする。
「あれに何か、意味があったのかしら」
例えば、みもりが詩織から結局聞けなかった話について、とか。
気になってみもりは入れっぱなしになっているはずの鞄を覗いた。が、やはり写真などと同じく、どうやら詩織に関っているためか、カセットテープは鞄の中から消失していた。
「……やっぱり、ないのね」
どこにも、詩織の存在が見当たらない。その残滓すら、感じられない。
もし。
もしも、この世界中に織上詩織のことを覚えているのが、自分一人なのだとしたら。
「そんなの、そんな世界……やっぱり、耐えられないよ……詩織」
みもりは一人、弱気な言葉を零して。
「誰か、一人くらい、いてよ……詩織のこと知ってる人が、なんでいないのよ……」
それはいつしか、願いに変わっていた。
誰にも届かない願いは、結局世界を変えることがないなんてことは。
みもりにはよく、わかっていたのに。
願わずにはいられないほど、みもりの精神は、とうに限界を迎えていた。
それから時計の針は、まったりと回転し、ようやく放課後の時間が訪れる。
みもりは堂々と保健室を後にして、真っ直ぐ生徒会室へと足を運ぶ。
疲労からか、また眠ってしまったのだが、逆にそのおかげで体力が回復した気がする。つまり先ほどまでは自分が疲れているという自覚すら、なかったということなのだが。
ともかく、多少は元気になったつもりで、みもりは慣れた生徒会室へ入る。
「あぁ、来たねみもり」
弥々が反応する。見れば既にみもり以外の全員が揃っていた。
恐らく、生徒会室に行く、と言って聞かないみもりを説得せんとした保健室の担当教諭が諦めるまでの時間が少しかかったためであろう。
「体はどう? ちゃんと休んだ?」
「えぇ、寝てしまいました。意外と疲れが、その、溜まっていたみたいですわ」
「そっか。意外と、ね」
みもりは隠しているつもりなのかもしれないが、みもりをよく知る者からすれば明らかにおかしい。
何より、その状態で普通の笑顔を浮かべているので、いっそ気味が悪いくらいだ。
「みもりが来たことだし、先輩方、少しお時間いいですか?」
「さっき言っていた、話したいこと、ってやつね? ちょっと今のみもりちゃんを見て、そうね、みもりちゃんを無理やりにでも帰したい気持ちも湧いてきたけど、みもりちゃんがいないの、駄目、なのね?」
弥々の言葉に奏音が答える。どうやらみもりが来る前に、弥々の方から、話がある旨と、その話がみもりに関わるものであることは伝えていたらしい。
当然、奏音の質問に対しては、弥々は頷く。
「はい。とても、重要なことです」
重要なのは、しかし。
みもりにとって、だけではない。
「私たちにとって、です」
その一言で、全員の表情が変わる。
みもりが部屋に入ってきた瞬間、その異常に気付いた面々であったが、弥々の言葉で、皆ある事件を思い浮かべていた。
「話せ、弥々。何があった?」
募る危機感を抑えて、櫛夜が弥々とみもりに向けて、静かに尋ねる。
「櫛夜先輩、もちろんそのために時間をいただきます。でも」
声色から感じる気遣いに弥々は笑って答える。
優しく聡明な自分の彼氏に、しかし弥々は。
はっきりと、その気遣いを、断る。
「たぶん、櫛夜先輩にできることは、ないんです。櫛夜先輩だけでなく、私も、それに、皆さんも、です」
いつだって、はっきりと事実を言うことが正しいとは限らないけれど。
弥々は。
きっと、こうあり続けるのだろう。
自分が信じる、正しい道を、自分の手で選び続けるのだろう。
言葉でさえも。
あるいは、言葉を使わないことでさえも。
彼女はいつも、伝えるべきことは全て、語る。
織上詩織という人間が、幸魂高校の一学年に在籍していたこと。
そして、ここ生徒会に、庶務として存在していたこと。
その詩織が今朝、みもりと登校中にバスに撥ねられて、恐らくはその尊い命が失われてしまったであろうこと。
だが、そのショックで気を失ったみもりが目を覚ますと、詩織の死がなかったことにされたばかりか、詩織という人間自体がなかったことにされてしまっていたこと。
記憶にも、記録にも、詩織が、いないこと。
弥々は自分の知る全てを話した。
みもりと弥々が予想していたように、生徒会の誰も、詩織のことを知らなかった。
当然、携帯にも、議事録にも、詩織の名は残っていない。
「私はでも、みもりが嘘をついてるとか、みもりが間違っているって結論は、違うと思う。だから、先輩達にちょっとその頭脳をお借りできればと思いまして」
そう締め括ると、弥々は反応を待たずにパックの紅茶を人数分用意し始めた。
湯沸かし器がすぐに部屋中に響く轟音を鳴らし、まるでその音を聞くために集まっているかのように誰も発言しようとしない。
生徒会室に備えられている湯沸かし器と紅茶は桃春教諭が私的に持ってきたものだ。普段から学校のためにあれやこれやと動いてくれている生徒会役員への温情から用意してくれている。
いつしか役員は皆自分のマグカップを持ってきており、存分に甘えて紅茶を楽しむようになっていたりする。勿論、その辺り、節度を弁えて、毎日毎日飲んだりはしない。だからこそ桃春教諭も特に何も言わずに購入してくれるのだろう。
「ちょっと、俄かには信じられないけど……でも、起きてるのね?」
ようやく、声を絞り出すようにして奏音が確認をする。
みもりが頷くのを見て、奏音は天井へと視線を投げた。何を考えているのか、目を閉じている。
「櫛夜先輩。さっき私が言ったこと、覚えてます? たぶん、先輩にできることは何もないって。奏音先輩も、友莉先輩も、優芽先輩も、私にも、何もできないって」
弥々の再びの問いに、櫛夜は間髪入れずに答えた。
「あぁ、なんとなく、だが……。確認だ、狩野、侑李、夢叶、何か体育祭のときみたいな違和感であったり、そもそも記憶が残っては、いないんだよな?」
奏音も友莉も優芽も櫛夜の言葉に肯定の意を示す。特に違和感は感じていないし、詩織なる存在については一切覚えがないらしい。
「櫛咲くん、その、私たちが何もできないってどういう」
友莉が普段の明るさを消し、神妙な顔で、先ほど弥々が言った内容について尋ねてみる。どうやら櫛夜には弥々の指摘事項について見当がついているようである。
櫛夜はみもりと弥々を見つつ、自分の論理に間違いがないかを確認しながら喋りだした。
「まず、記憶がない以上、俺たちは全部推測で物事を話さなきゃならない。森崎の記憶と、俺たちの記憶とで、何が違っているのか、何が変わってしまっているのか、その原因についても考える必要があるよな」
「う、うん。でもそれって、体育祭のときの櫛咲くんとか綾文先輩とか、奏音とかと何が違うの?」
友莉の真っ当な疑問に、一度櫛夜は考えをまとめようと、手を口元に当てた。
確かにその通りである。
体育祭の事件が発生したときは、まずは違和感を感じ、その違和感に通じるように嘘が露見して、裏に隠れている全貌を明らかにした。さらに、そこに複数の人間の思惑が絡んでいることもわかり、櫛夜たちはその解決に勤しんでいた。
だが、それらは全て推測だとか推論に基づくもので、確かなものなど一つもなかった。
それこそ記憶も記録も信じることのできない状況で、本来唯一信じれるはずの人の心は、まったく使い物にならなかったどころか人の心や感情が原因で、それらが全ての歯車を回す動力源となっていた。
ならば、今、こうして直面した問題に対しても、同じではなかろうか。
共有したのは事実で、ならばその事実がどのようにして起きているのかを考えるのは情報が少ない以上は推理していくほかないだろう。
だが。
「問題はそこじゃないんだろうな……狩野、もう一回聞いておきたいんだが、何も知らないんだな?」
「ええ、私は何も知らない」
「やっぱそれが最大の問題だろ、この事件」
櫛夜と奏音の二人で何かを理解しあったようだが、いまだ友莉には分からない。
すぐ隣にいる優芽に顔を向ける。
優芽は友莉からの視線を感じて、櫛夜や弥々が言おうとしている事実を、口にした。
「奏音の……未来視で、なんで、見えなかった……?」
「あ……!?」
ようやく友莉がその事実に行き着く。
そして、この状況の特異性についても、認識を改める。
そうだった。
体育祭の事件において、櫛夜たちは確かにある情報のみを頼りに推論を立てた。
しかし、その根底となる情報というものは、綾文綾と狩野奏音によるものであった。
櫛咲櫛夜が一日に一度、ジャンケンに勝つことができるように。
この生徒会には他にもこの世の物理法則に縛られない能力を持つ者がいる。
例えば綾文弥々。
彼女は、一日に一度、望んだ人間と目を合わせることができる。
そして。
生徒会長の狩野奏音。
彼女は、発生がランダムであるものの、未来を視ることができる。
さらにこの能力は弥々の姉である元生徒会長、綾文綾にも宿っていたものである。
体育祭の事件とは、まさにこの二人、綾と奏音が視た未来というのが事件そのものだった。
能力の発動は奏音には制御できないが、しかし自分や周りに関る重大な出来事に対してこの能力が発動しないなどといったことはこれまでに起きていないらしい。
では何故、今回、織上詩織が事故に遭う、もしくは消えてしまうことを予知できなかったのか。
「それと、もう一つ確認したかったんですの。もう一つ、重要なことを」
みもりはそう言って、優芽を見た。何かに縋るように、けれど、きっとその願いは叶わないのだろうと、知っているかのように。
ほとんど泣きそうな目で見ながら、しかし自分を奮い立たせて、一つの情報を得るために、聞いた。
「優芽先輩。単刀直入にお尋ねします……詩織について、時間を巻き戻せますか?」
時間を巻き戻す。
そう、生徒会書記を務める二年の夢叶優芽もまた、能力を有しており、その力とは。
世界の時間を巻き戻してしまう力だ。
自分の記憶は残して、世界をある時間まで、リセットできる能力。
他の能力と比べても明らかに、世界の在り様そのものに干渉してしまえる能力で。
だからこそ、みもりはこの能力が発動できないかと尋ねた。
だが、みもりは知っている。
この能力が発動する、条件を。
「私の力は……私が、戻したいと思うような、大切な人が傷つくような事件が、私の前で起きないと、だから。事件自体が目の前でなくても、その結果が、私の認知の中にないと……時間、は、巻き戻せない」
優芽はあっさりと、みもりの期待を壊す。
彼女の時間を巻き戻す力は、彼女が言ったとおり、例えば人が重体になるだとか、死んでしまうだとか、そういった事故に優芽が直面しなければ発動できない。
つまり。
詩織がいなかったことにされており、優芽自身も、今みもりに聞いてしか知らない、そんな世界では時間を巻き戻すことはできない。
「そうです。綾お姉ちゃんと奏音先輩が一切関れなかったこと、そして、優芽先輩の能力が発動しないこと。それはみもりがこうして泣き崩れる結果を見ればすぐに予想ができました。ですから、つまり」
それら、全ての状況確認が済んだと判断した弥々が、現状をまとめる。
未来視を持つはずの綾と奏音が、未来を予知できなかった。
時間を巻き戻せる優芽は、認識してないが故に時間を巻き戻せない。
それら、この世界のルールに則っていない力でさえも、使うことができないのだ。
ならば、弥々が導く結論は簡単で。
ある意味それは、みもりを突き放すような言葉で。
「少なくとも今こうして私たちがいるこの世界には、本当の意味で、そのままの意味で、織上詩織なんて人間は、いなかったし、いないってことだよ、みもり」
いないものは、探しようがない。
聞かれても答えようがない。
ただその事実を、改めて突きつけるだけの言葉は。
弥々が思っていたよりも。
だいぶ。
みもりの心に冷たく響き。
みもりの心をどこまでも、深く、抉り取っていった。