図書館と過去
日曜日。
生徒会の仕事もクラスの集まりも今日は休みである。
久々の落ち着いた昼下がり、みもりは市民図書館に来ていた。
みもりは月に一、二度くらいの頻度で図書館を訪れている。
家で勉強できないタイプではないがたまには環境を変えたい、という気持ちの問題もあり。
元々本を読むのが好きな方ではあるため、気になるものの冒頭を読んでみて面白かったらそのまま借りていこうともしている。
図書館なので大した外出でもないが、高校生にとって私服を着る機会というのは制服に比べて少ないので一応はそれなりに身なりを整えておく。
みもりは制服を嫌っているわけではないが、たまにはおしゃれもしてみたいと考える年頃なので、案外服を見たり考えるのは好きであったりする。
とは言っても、おしゃれに命を懸けていそうな弥々と比べれば所持している洋服の数は相当に少ないだろう。
今日はボーダーのシャツに黒のスカートを合わせて、上からロングカーディガンを羽織っている。長時間座っていて疲れないように全体的に余裕のある、ゆるっとしたチョイスだ。
市民図書館は中々に広く休日には子どもから大人まで幅広い人が利用しているが、みもりはこれまで勉強スペースを確保できなかったことはない。
学祭前のこの時期に特別な課題があるわけではないが、先日返されたテストの復習を軽くしようというつもりでまずは座れるスペースを探す。
横に六人が並んで座れるサイズの大きな机を囲うようにして座るようになっており、今日もすぐに空いている場所を発見し、座ろうとすると。
その隣に、見覚えのある人影がいるのに気付く。
気付きみもりが一瞬悩んでいると、その間にその人物がたまたま振り向いた。
明らかに嫌そうな顔をしたのは、千晶だった。
もう座ろうと荷物を降ろしていたみもりは、今更離れるのもどうかと思い、千晶の隣に腰掛ける。
嫌そうなものの、節度は守った声のトーンで千晶は小さな抵抗を試みる。
「他にも空いてるとこあるだろ」
「もうここに荷物置きましたし。知り合いがいたからと変えるようなものでもありませんし」
「あーもういい俺にとやかく言う権利は確かにない。皆のスペースだ」
「その通りですわ」
みもりがそのまま座ると、千晶は気にせず何か本を読み始めた。
みもりもまた、千晶を気にしても仕方がないので自分の勉強を始める。
昨日のケーキ屋といい、よく遭遇するものだ。
世間が狭いというかなんというか。
バイト先があのケーキ屋である時点で、家がそれなりに近いのは事実なのだろうが。
図書館であるためか、互いにやりたいことを優先していたためか、それから小一時間程度、無言の時間が訪れる。
簡単に復習を終えたみもりは勉強道具をしまい、大きく伸びをした。
これから好きに本でも読もうとすると、千晶の方から話しかけてきた。
「こんなとこまで来て勉強してるんだな」
千晶の口調は馬鹿にしているものではなく、普通に感心しているようだったので、みもりも誠実に答える。
「いえ、今日なんか、こないだのテストの復習くらいですわ」
「普通はテストの復習とか宿題にでもなんねぇ限りしねぇって」
「そんなことないと思いますけど……」
復習くらい、やってる人は多いのではないかと思うみもりである。
まだ教わっていない範囲を予習するのに比べて、既にやった範囲を定着させるのだから割とやりやすいのではなかろうか。
更に今に限って言えば、テストの復習でやっているのは間違った箇所の解き直しと、教科書で該当箇所が含まれる部分の解き直しくらいだ。
それもテスト返却後すぐに一度やっているので、さくさくと進んだ。
さして労力にはならず、その証拠に全教科合わせても一時間くらいで終わっている。
「と、いうか千晶はどうなんですの? 進度とか、前いたところと差があるんじゃないですの?」
「あ、俺? 俺のことはどうでもいいだろ」
「いえせっかくですしまだ習ったことのない範囲があればアドバイスくらいはできますわよ」
「別にいーっつの。勉強なんかやる気ねぇし最低限やっときゃいい」
否定する千晶に、みもりはもう一押ししておく。
「でも、結局知らない部分はこれから追っていかないと。赤点続きでは留年しますわ」
千晶の目がほんの少し泳ぐ。
思い当たる節があるらしい。
「どうせやるなら分かっている人と一緒の方が楽でしょう?」
「あーまぁそりゃそうだが……いやいい。そこは普通に男子に聞く。男女がどっかで一緒に勉強してるとかあんまよくないだろ」
そう言われると今度はみもりが黙る番となる。
畢竟、高校生の男女など、特別な理由もなく一緒にいれば勘違いされてしまうものらしい。
そんなことはみもりもよく分かっている。
と、いうか、高校に上がってから、中学の時よりも一層女子の派閥なるものが面倒になっているという感覚が正直なところ、あるのだ。
「じゃあ、ノートを貸します。それくらい、受け取ってくださいな」
「いや、だから別に」
「理紗、とっても喜んでいましたわ。ケーキは勿論、最後のチョコも」
昨日の理紗の誕生日、千晶はプレゼント、と言ってその場で『Happy Birthday Risa』とチョコレートに文字を書いてやった。理紗は大変喜んでおり、大事そうに写真に収めてからぱくりと食していた。
あの後、家に着いたみもりと理紗を詩織と弥々が出迎えて、二人から理紗へ誕生日プレゼントが渡されもした。
詩織からは良い香りのするアロマキャンドルが、弥々からは外出用の手鏡が、それぞれプレゼントされた。
理紗の純粋な笑顔に三人共に癒され、その場は解散となったが。
理紗は理紗で色々と悩みがあるらしいことを知ったものの、彼女にとってはかけがえのない一日になったのではないかとみもりは確信する。
そのかけがえのない一日に、千晶が十分に関わってくれたことも、同時に。
「同情とか、先生に言われたからとか、何も関係ないんですの。これは私が勝手に千晶にお礼をしたくて、勝手に提案してるだけ。どう?」
ここまで言われて、ついでに理紗のことまで話に出されて断るほど千晶は捻くれていない。
「ったく。貰えるモンは貰っとくよ、さんきゅな」
「……はい」
そしてそんな千晶に提案を受け入れてもらえることが、何故かみもりは堪らなく嬉しい。
自分の顔が緩んでいる気がして、そんな顔を見られたくなくて、みもりはすっと立ち上がり、
「ちょっと本見てきます」
と言って棚へ向かった。
しばらくはいつも通り小説を中心に、読みたかったものを探す。
以前は専ら恋愛ものに限っていたのだが、中学を卒業した後に今更ながらジュール・ヴェルヌ著の『海底二万里』を読んで、それからどっぷりサイエンスフィクションや冒険活劇といったものにはまってしまっている。
海の恐ろしさは当然ながら、海底の神秘、美しさを堪能でき、謎に包まれたネモ船長の妙なリーダーシップに思わず胸が高鳴るものだ。
ここではないどこか遠くへの憧れは、人間誰しも共通なのかもしれない。
それでも、物語を読んでいるうちに何故か、その遠くの世界が実在しているのではないか。案外自分のすぐ側で起きているのではないかと思わせるのだから素晴らしい。
そんな感動を胸に覚えつつ、古典名作と呼ばれるようなものを今日もみもりは漁る。
元の場所に戻ると、千晶も何か本を読んでいた。
邪魔にならないようになるべく音を立てずに席につく。
それでも視界の端に映ったのか、千晶はちらりと横のみもりへ視線を向けた。
「へぇ『われはロボット』か」
みもりが手にした文庫本を見てタイトルに納得の声をあげる。
その声色が存外嬉しそうだったので、不思議とみもりも流れるように尋ねてしまう。
「読んだことがおありで?」
「あぁ、好きなんだ、SF」
SFが好き。
脳内に確実にインプットして、そんな千晶を見れば、確かに読んでいる本が、なんというか、実に理系チックだ。
小説に見えるが……なんの本なのか、一瞥しただけではよくわからない。
「えと、その本は……数式がなんか載ってますけれど」
「いやこれはそういう演出だ。この世界のプログラム言語で書かれているって設定の作品なんだ。別に難しい数学の勉強をしているわけじゃねぇ」
いやいや十分に難しい設定ですこと、と内心思いつつ、しかし今驚くべきことは恐らく千晶と普通に会話できていることだろう。
ここが図書館だからなのか。
それとも理紗が緩衝材になってくれたのか。
趣味の話になると素が出てくるのか。
ほんの少しずつ心を開いてくれているのか。
正解は不明だが、ともかくここで本の話をしている分にはお互い喧嘩腰にならなくて済むらしい。
「面白いぞそれ。まるで今が予言されてるみたいで、でもやっぱり想像の世界で」
「私はあんまり詳しくないんですけれどね。SFの人気作を調べたらよくこれが出てきたってくらいで」
「短編集だし、とりあえずは最初の二つくらい読んでみりゃいい。」
「ええ、そうしてみます」
「どこか遠くなのに、こんな世界があればなぁなんて思っちまうくらいには現実感があるんだよな」
「え……」
期せずして同じ感想を抱いていたことに驚き、目を見開く。
その意見自体は肯うものだったが、みもりは、全く別な言葉を発した。
「千晶は、どんな世界を望んでいるの?」
言葉が全て出きってから、みもりははっとする。
一体、自分は今、何を。
何を尋ねたのだ。
何が言いたいのだ。
「急になんだよ。世界?」
「あ、ええと……」
もうここまで、黙っていることが困難なくらいなら、聞いてしまってもいいだろうか。
それはずるいだろうか。
でも。
ずるいと言われてもいいと。
それでも知りたいと思う感情が、みもりを動かした。
「この間の、千晶の、"理由"、聞いても、いいですか……?」
千晶の"理由"とは。
千晶が声を荒げた理由だ。
『なんでそれがわっかんねぇんだよ』と、声を荒げた理由だ。
千晶はそれについて、悪かったと謝り、理由があったのだと、個人的な理由があったのだと話した。
その理由は黙秘したままであったが、何かある、ということだけは話してくれた。
その詳しい中身を、聞いてもいいか、と。
踏み込んでもいいか、と。
みもりは千晶に尋ねたのだ。
千晶はみもりから目を逸らし、目の前の小説をじっと見つめた。
永遠にも感じられる間を置いて、千晶は短く。
「あぁ」
と、頷いた。
「離婚したんだ。俺の両親」
端的に、それだけで十分すぎるほどに伝わってしまう、千晶の理由。
「で、俺は母親の方に引き取られたんだが、その母親が死んだ」
親の離婚、そして、死去。
それらがどれだけ多感に揺れる一中学生高校生に影響を及ぼすのか。
想像もできない。
「で、父親の所に戻ってきて、それで」
まだ、これ以上何かあるのか。
「父親に、新しい女ができてた。まだ結婚はしてない」
「ち、あ」
「同情するか? 憐れむか?」
千晶は、みもりを一向に見ようとしない。
けれど、みもりの言うべきことは決まっている。
「同情します。憐れみもします。でも、だからと言って私から見た千晶が何か変わるわけでも、ないと思います」
「……」
こんな千晶の事情を聞いて。
同情しない人間などいるものか。
自分はちゃんと父がいて母がいて妹がいて。
何一つ不自由なく暮らしてきて。
幸せに生きてきた自分が、幸せの象徴である家族が壊れてしまった人間を見て、何も思わないはずがない。
自分がそんな立場だったら、なんて仮定がそもそもできない。
そんな状況に立たされた人間の気持ちなど分からない。
分かったつもりで、「大変だね」と空っぽの言葉をかけることしか出来ない。
けれど、それだけだ。
誰だか知らない人間のそうした事情を知ったなら、同情して終わってしまうのだろうけれど。
今目の前にいるのは、秋山千晶だ。
まだ、出会って一週間しか経っていないが。
こうして隣に座れるくらいには、相手のことを知っている。
だから、言える。
「話して、欲しい。私は、知りたいです。知った結果、たぶん何もできない。何も返せない。だから私の我が儘ですけれど、私は、知りたい」
「森崎は……やっぱ変なやつだろ」
「否定はしませんわ」
みもりと千晶は、同時に笑い出した。
そして千晶は、淡々と語りだす。
「俺は、運命を操ってしまえる」
「普通の家庭だった。少なくとも俺にはそう見えた」
「だが、違っていた。父親と母親は少しずつ歯車が噛み合わなくなっていた」
「二人とも働いていたからな。一緒にいる時間なんて、減れば減るほど誤解は増える」
「それである夜、いや、俺が気づいたのがたまたまその日だったってだけだが、そのある夜、二人が話し合いをしているのを聞いたんだ」
「離婚するしない、それで、俺の扱いをどうするのかって」
「笑えねーよな。そりゃ、これまで、滅茶苦茶仲良くは見えなかったが、普通の家庭くらいには正しく清く円満に過ごしてきたんだから」
「それでさ。俺の親、なんて言ったと思う?」
「『千晶がいなければこんなに悩むこともなかったのに』だとさ」
「悪意がないのは、わかってる。だが、その言葉を受け止められるほど俺は大人じゃなかった。今も、そうじゃない」
「なのに、そんなこと言った翌朝、普通にしてんだよ。普通におはよう、行ってらっしゃいとか言ってやがってさ。意味わかんねぇよな」
「結局俺は母親に引き取られた。すれ違いはあってもどちらかが悪いとかじゃなかったから、手続きとかはすんなりいってな。呆気なかった」
「一つの家庭が終わることなんて、すぐなんだな」
「俺は沢山言いたいことがあったし、沢山文句を言いたくもなった。が、やめた」
「何を言っても、世界は変わらねぇ。俺が文句を言ったって、ただ母親が困るだけだ」
「母親と二人暮らしは、別に悪くはなかった」
「俺に言わせれば、ただ父親がいないってだけの生活だったから」
「母親は、それでも強かった。強い姿を見せようとし続けた」
「金のこともそう。精神的な部分もそうだ」
「決して俺には弱い部分を見せようとしなかった。いくら俺が休めと言っても休まなかったし、何か言えって言っても、言わなかった」
「そんで、倒れた」
「ストレスが原因なのか、なんなのか、正確なことは分からねぇが、俺は学校に行っていて、母親が休日だった日中に家の中で急にぶっ倒れて、そのまま死んだ。心筋梗塞だった」
「最初の発見者はだから、俺だったよ。家に帰ってきたら、台所で母親が倒れて、息してねぇんだ」
「あんときゃさすがに泣いたな。散々泣いて、それで、まぁ、行き場をなくした俺を父親が引き取ってくれた」
「だが、もう、父親と母親はその時点で別々の道を歩んでから十分に時間が経っちまってた」
「父親には新しい彼女、みたいな人がいて、同棲を始めてた」
「別に、二人とも俺の事を疎ましくは思わなかったよ。父親は自分から俺に来いって言ってくれたし、まだ結婚はしてないがその新しい女も、俺を優しく迎えてくれた」
「けどよ、おかしいだろ」
「全部、俺から始まってんだ」
「父親も母親も、俺がいなけりゃすぐに離婚できたはずだ」
「離婚した後も、俺がいなけりゃ母親は無理をすることはなかったはずだ」
「優しく迎えてくれているが、俺がいなけりゃ父親とあの女は次の人生をすぐに歩めるはずだ」
「全部、俺がいなけりゃ上手くいってるはずなんだ」
「死ぬ気はないが、日々死にたい気持ちでいっぱいだよ、俺は」
「俺が、俺がいなけりゃって」
「毎日自分に問いかけて、生きてる」
千晶はそこで言葉を切った。
ほとんど事実を繋いで喋ったために、千晶の心境の変化を正しく掴むことはできなかった。
けれど、知れた。
その内側にあるものを。
自分に対して、ああも怒ってくれた、その理由を。
「――ったく、なんなんだよ」
千晶はみもりを見て呆れた声を出す。
自分の小さな鞄を探って、ハンカチとティッシュを取り出すとみもりの前にそれらを放った。
みもりは今、盛大に泣き腫らしていた。
「あ、ありがとう、ござっ、います……」
受け取って、とめどなく零れる涙をどうにか拭う。
が、拭った先からぼろぼろ際限なく涙は落ちていった。
「なんで森崎が泣いてんだよ」
「泣いてるのは、悲しいからですわ」
「なんで悲しんでだよ」
「よくわかりません」
「あーもう、泣くなよ」
ハンカチを顔に押し付けるみもりの頭を、ぐしゃと千晶は押さえた。
撫でる、というほど優しくはない。
髪をわざと乱すように、雑に。
「泣くなって。じゃ勝手に続き話すぞ? いいな?」
千晶はみもりの返事を待たずに続けた。
図書館の中だからか、みもりは声をあげて泣くことはなかった。なので二人の姿が目立つこともない。
その事実に安堵して、千晶は言いかけていた話を進める。
「俺がいなけりゃってのはさ。まぁ厳しい仮定だと思う。それでも俺はきっと自分を責め続けるんだろうが」
自分を責めるのに、理由とか納得とか、そんなものは要らない。
他でもない自分が、自分を責めなければ自分を保てないのだ。
「けど、けど。苦しいときに、もう駄目だって感じたときに、一言『助けて』って言って欲しかった」
それは、母親のことを言っているのか。
それとも、父親のことを言っているのか。
それとも、自分自身に向けて言っているのか。
それとも。
「だから、森崎。お前の姿は見ててなんか、すげぇ腹立つ。まるで、母親みたいで」
母親みたいとは、馬鹿にしていたわけではないらしい。
何も言わずに、大丈夫大丈夫と繰り返して、勝手にいなくなってしまった母親の姿を、どこかみもりに重ねていたようだ。
それ自体が自分勝手であることを自覚して、けれど怒りが湧いてくるのは止めようがなくて。
千晶はそうして人を避けてきたのだろうか。
「だから悪かった。あんとき怒鳴ったのは俺の問題だ。森崎に非があるとか、そういうんじゃねぇ」
「そう、なんですね」
千晶はまた謝る。
みもりは、頭から、千晶の手から伝わる熱で、千晶が発する言葉で、ようやく少し落ち着く。
悲しい気持ちで胸はいっぱいだが。
「今度はじゃあ、聞いてもいいか?」
「え、と、はい?」
「なんで、無理してるって言わないんだ? それと、なんで俺なんかにこんな突っ込んでくんだ?」
無理してることは前提として尋ねてくる千晶の表情は真剣だ。
みもりは千晶が出してくれたティッシュで鼻をかんで、気持ちを少し落ち着ける。
無理、しているんだろうか。
でもきっと苦しんでいるのだろう。自分で認めていないだけで。自分で認めたくないだけで。
(どこから話したらいんでしょうね)
きっと、人を不安にさせまいとする遠因には心当たりがある。
小四のときの詩織との事件がそうだろう。
だが、あの感情を、正確に話すことは難しいように思えた。
だからとりあえず、目の前のことについては話そうとしてみる。
「無理しているかは、そうですね。自分では正直、よく、わかりません」
少しだけ嘘をついた。
よくはわからないが、無理しているらしいことは自分で気付いている。
「私、親友のことを、知りたいんです」
「は? 親友?」
急に予想だにしない回答があったことに、千晶は面食らったようだ。
だが、色々と話す上で、森崎みもりを語る上で織上詩織のことを語らないわけにはいかない。
「織上詩織。千晶は会ったことないでしょうけれど、同じ幸魂高校で一年三組の、生徒会役員にもなってる子」
「あぁ、知らねぇな」
やっぱり知らないんだ、とも思うが。
千晶らしいといえば千晶らしい。
「小さな頃、小学校に入る前から家が隣で、ずっと一緒に、いたの」
ずっと、だなんて。
まるで、今もずっと一緒かのようだ。
今は、一緒にいるのに、どこか、詩織が、遠い。
近いのに遠くに感じてしまう。
だから、知りたい。
知りたいんだ、って。
「最近ね、詩織の様子がおかしくて。なにか、隠しているみたいで」
きっと、自分しか気付かないような、とても微妙な、しかし大きな変化。
「で、すぐに聞いてしまいました。私、あんまり我慢強くないほうで。何か隠してるでしょ、って」
こいつはそういうのずけずけと言いそうだな、と失礼なことを千晶は頭の片隅で考えたが、勿論口にはしない。
ちなみにずけずけ言うのは千晶も大して変わらない。
「そしたら、『好きな人ができた』って、詩織が言うんです」
「……」
「でも、誰なのか、教えてくれませんでした。と、いうか私には見当もつきませんし、好きな人がいるだなんて素振り、見たこともない」
それが。
そのことが。
「不安で、不安で、不安なんです」
知らないことだから。
知っていると思っていた詩織に、自分の知らない部分がある。
当たり前だ。
人間なんだから。
外に見えているのが全部なはずがない。
内面の全部なんて、誰も知らない。
当の自分ですら把握していないのだから。
「だから、人の気持ちが知りたい。どんな経験をしてきて、何を考えて、何を思ってるのか、知りたいって、そう、考えてるんです」
「面倒くせぇな」
「……そう、思いますか?」
「そんな理由で、俺のこと聞いてきたのか?」
「そんな理由で、ですわよ」
「そか、辛いな、森崎も」
「千晶ほどじゃないです」
はぁ、と溜息を吐いて、みもりはまとめてしまう。
どうせこれ以上は、お互いに、無為な時間を過ごしてしまうだろう。
解決しないものだ。感情の問題なんて。
誰かに話すことで楽にはなっても、根本的に抱えた問題が解消されるわけではない。
「でも、森崎がそんな風に言うくらいなら、よ」
千晶は自分が手にした小説でトン、と軽く机を叩いた。
涙で霞む視界に、千晶が真っ直ぐ自分を見ているのが映った。
みもりは、千晶の、心からの笑顔を初めて見た。
「相手も同じくらい、森崎のこと思ってくれてるんじゃねぇの?」
それについては。
まぁ、確信が持てた。
何かを隠していたとしても。
秘密があったとしても。
詩織は、きっと。
「ええ、私のこと、きっと誰よりも考えていてくれてると思います」
だからこそ怖いのだけれども。
だからこそ、我が儘を言っても、いいのだろう。
我が儘を言えるのも、生きていればこそ、なのだから。
それからはまったく会話もせず、みもりは本を読んでいた。否、読んでいる振りをして、ちらちらと隣の千晶を伺っていた。
千晶の方も、みもりが見ている感じではただ本を読んでいるようなのだが。よくよく見れば、ページが進んでいない。
何か、考え事をしているのかもしれない。
時計を見れば割にいい時間になっていたので、みもりは片づけを始める。
机に出していた読み途中の小説を借りるために鞄から財布を出して、貸し出し用のカードを取り出しておく。
「私、今日はそろそろ帰りますわ」
みもりの言葉を聞いて、千晶も自分の腕時計を見た。そろそろ図書館が閉まる時間になりそうなのを確認して、千晶もまたゆっくり立ち上がった。
特に返事もなく、千晶もまた自分のカードを取り出した。
そのまま示し合わせることもなく並んで貸し出しの手続きを済まして、図書館を出る。
「じゃあ、また学校で」
「おう」
軽く挨拶をして、自分の帰り道へ進もうとしたそのとき。
「森崎、今日は、なんだ。やっぱ、悪かったな。変な話をして」
「……私から、聞いたことです」
「まぁ、そうだが」
千晶はバツが悪そうな顔をしている。
みもりから聞いたこととはいえ、泣かせたことを気に病んでいるのだろうか。
「私の方こそ、変な話をしてしまいました。でも、聞いてくれてありがとうございます」
だから、それに対してはお礼で返す。
たぶんだが、千晶は素直な言葉に弱いらしい。
根が真面目なのだろう。
「いや、いいって……あー、なんだ、森崎」
「なんです?」
「お前さ、昨日といい今日といい、けっこう私服、洒落てるのな」
突然の。
まったく予想だにしていなかった言葉。
数秒みもりの脳が機能を停止する。
「嫌いじゃない。じゃな」
そしてそのまま反応を返す前に、勝手に千晶は帰っていく。
その後ろ姿を見つめて。
ようやくみもりが絞り出したのは。
「そういうことは、会った時に言って欲しい……」
どこかで聞いたことのあるような。
ステレオタイプな独り言だった。