泣き空
初めまして。榎木ひいきです。
小説を投稿するというアクションを起こすのは
初めてで、緊張と興奮の間にいます。
頑張って投稿していきます。応援よろしくお願いします。
「今思えば、すべてが必然だったのかもしれない。」
雲が何層にも重なり合い、その隙間から落ちてくる雨粒が
健次郎の頬に落ちた。
午前0時ちょっとすぎ。人気がなくなった駅のホームには
ただ一人、健次郎の足音だけが力なく響いていた。
健次郎がため息をつくと、白い息が出た。
健次郎はその白い息を見て、今日一日がやっと終わったのだと
肩の重荷が落ちるのであった。
今日も事故や遅延なく電車を運行することができた。
といっても健次郎は運転業務からしばらく席を外しているのだが・・
終電もなくなり、ホームの点検をするため駅構内を回る。
懐中電灯の光は相変わらず眩しい。
「ん・・?」
懐中電灯の明かりが照らした先を見て、健次郎は顔をしかめた。
「誰だ、あれ・・」
終電が終わったというのに人の姿があったのである。
健次郎はなぜか忍び足になり、その人の姿に向かう。
息を切らし小走りになるのはなにか申し訳ない気がした。
女の、か細いすすり泣きの声がしたからであった。
女は、女ではなかった。
「女子」と呼ぶべきなのかもしれない。
紺のプリーツスカートからは、色白の細く長い足が伸びていて
その白い肌にまた一滴、一滴と雨粒が落ちる。
女子高生はひざを抱えて震えていた。
寒いのか、泣き崩れているのかどっちが分からなかったが
健次郎は哀れな気持ちになった。
女子高生と判断していいのかまだ分からなかったが、
紺の靴下に校章らしいマークがプリントされていたため、
女子高生と断定することができた。
「西高か」
通称「西高」と呼ばれる県立高校は
ここ、西町駅を最寄駅とした県内でもトップレベルの進学校である。
確か、制服も紺を基調としていた気がする。
そこは、健次郎の母校でもあった。
先ほどまでの一滴、一滴ずつの雨粒は次第に激しくなり、
風も強まってきた。
冬の夜風はさらに寒い。
彼女は寒くないのか?
彼女は泣き止まない。顔をうずめ、一向に顔を上げようとしない。
彼女の白い指先がほんのりと赤くなっていた。
この震えは、泣いているに加えて寒さからきているのだろう。
そう思った矢先、健次郎は懐中電灯を置いて
改札の法に向かって走って行った。
息をきらして、ポケットの中から小銭を取り出す。
寒さと雨で手がかじかんでいて、小銭を滑り落としそうになった。
なんとか百円玉と五十円玉を手に握り、自販機にそれらを入れた。
今時の若い子はどういった飲み物を好むのだろうか?
寒いとき、健次郎は無糖のホットコーヒーを決まって飲むのだが、
高校生にはちょっと若すぎるだろう。
まず、コーヒーを好むか?
ミルクセーキは甘すぎる気がするし、
ホットレモンだと好き嫌いが分かれそうだ。
健次郎には、高校生になる子供も知り合いも、いなかった。
結局、コーヒー、ミルクセーキ、ホットレモンの次に並んでいた
ホットココアを買った健次郎は冷めないうちに、少しでも温かいうちに、と缶を胸にかかえながら、雨が入らないよう少し体を丸め
彼女の方へと走っていく。
少しでも、温かさがこぼれないように。
まだ雨は降り続いている。
「はい」
これが彼女に発した健次郎の第一声だった。
温かい飲み物が目の前にあるというのに
彼女は依然として顔を上げようとしなかった。
まいったな。冷めちまう。
健次郎は、腫れ物を触るかのように、そっと彼女の長い髪の毛から
垣間見える、白いミルク肌の足にココアの缶をあてた。
彼女の足の神経は、しっかりと熱いものを感知した。
彼女の濡れた長い髪が、白いミルク肌の足が、手が、そして、顔が
健次郎に向けられた。
その瞬間、健次郎は妙な緊張感を覚えたのであった。
「あ・・・」
健次郎は言葉を失いそうになる。
彼女の大きく、潤った瞳に健次郎の顔が大きく、映っている。
「ありがとう・・ござい・・ます。」
消えそうな、今にも雨に降られて土が混じってなくなりそうな、
か細い声が、また下を俯いた彼女の口から、零れた。
そして、口にココアを含ませて静かに彼女の口が白い息を吐いた。
駅のホームに、健次郎の心臓に響いた。
良かった。生きた若者だ。
彼女がココアを飲んでいる間、健次郎は彼女の横で胡坐をかいて
空を見上げていた。
本当は、その場から立ち去った方が彼女からしても気が楽だったの
かもれしない。
だが、健次郎はどうしても彼女の傍からは離れてはいけない、
そんな勝手な思いに縛られていた。
空は相変わらず、暗く、明るい色の混じることのない黒、
そこに雨粒がいくら足されても、決して混じることのない闇が
広がっていた。
寒い冬の真夜中、そこは出口の見えない闇、響く大雨、無音の心の雨。
健次郎はいつも情緒的になる。
空は相変わらず、暗く、明るい色の混じることのない黒、
そこに雨粒がいくら足されても、決して混じることのない闇が
広がっていた。
寒い冬の真夜中、そこは出口の見えない闇、響く大雨、無音の心の雨。
健次郎はいつも情緒的になる。
あの日も大雨だったな。真夜中の、暗い、暗い・・。
まだ自分は闇の中だ、思い出すなんて、まだ出口を見つけられない放浪者だ。
彼女のように泣けたら、少しは晴れるだろうか。
彼女は、静かにココアを飲み、静かに泣いていた。
こんな夜もこんな雨の日も、悪くないのかもしれないな。
雨はまだ降り続いている。
ココアを飲み終わった、缶を持った手が地に落ち、
健次郎の手に触れた。
冷たくなんか、なかった。
温かい。頼りのないか細い指は灯したばかりの蝋燭が
ゆらゆら揺れているようだった。
優しい火傷でいい。蝋燭に一本ずつ、溶け込んでいく。
彼女に、吸い込まれる。
指を絡ませる。大丈夫。僕は、灯火を消さないから。
今だけはこうして。闇の中で少しだけの灯りを。
彼女の手を握る。彼女は少したりとも、びくりともしてなかった。
長い髪の毛がそっと揺れ、彼女の顔が完全に健次郎に向けられる。
白い肌、ほんのり赤くなった頬、露をのせた長い睫毛、大きな瞳。
彼女の小さい口が動いた。
「お父さん?」
彼女の瞳に、僕は映っていなかった。