第89話(計)
「むむむ……おっ」
作業中のシオンさんを見つめながら、何か手伝えることないかなあ、だなんて唸ること数分。
「鋏」
シオンさんが巨大な裁縫箱を開いて、中から裁断用の鋏を取り出す所を目撃。
これはもしかして…力になれるかも?
「あのシオンさん。その鋏、ちょっと借りてもいい?」
「ええ。どうぞ」
よしよし。
快諾してくれたシオンさんから、想像してた以上に大きい鋏を受け取って観察。
「これが布を切るための鋏かあ。凄く大きいし、重いんだね」
「普通はもう少し小型で軽いものですよ。私が使用している裁ち鋏は一番大きい型なので…」
「へえ! じゃあ、これが一番大きいってことは、これ以上の大きさはないってこと?」
「そうですね。それ以上大きいと持ち運びに不便なので、どこも作っていないと思いますよ」
確かに。これ以上大きい鋏なんて、これ武器なんで、って言われても違和感なさそうだ。
かなりの重量がある大きな鋏を開いたり閉じたりしてみる…よし、これならいけるいける。
「材料は鉄と鋼で…普通の鋏なんだね。精霊石とか組み込んだ物ってないの?」
「精霊石ですか? ああ、なるほど。シアムさんは鍛治でしたね」
「うん」
「実はですね、精霊石を組み込んだ裁ち鋏は作られていないのですよ」
「え? 風とか火の精霊石を組み込めば、布切るのも楽になりそうだけど…ないんだ」
「ええ」
素朴な疑問に、シオンさんは嫌な顔せず答えてくれる。
「昔は販売されていましたが、加減を間違えて負傷するという事故が多発しまして製造中止に」
「ああ! そういうわけ!」
精霊石の力って、使い手の意思で発動したりしなかったりするからね。
怒りに任せて鋏使ったら、勢い余って、床とか壁とか切断したり燃やしちゃったりするだろうし。
「後、夫婦喧嘩でご婦人が精霊石付きの裁ち鋏を持ち出したこともありまして」
「な、なるほど…それは…危険だ」
怒れるご婦人が、そんな鋏を振り回したら死人が出そうだ。
布に線を入れていくシオンさんに相槌打ちしつつ、鋏を調整していく。
「はい! 鋏、有難う!」
「いえいえ。シアムさん、大分長い間眺めていましたが、そんなにこの鋏が珍しいのですか?」
頃合いを見計らって返却すると、シオンさんは不思議そうに鋏へ目を落とす。
僕は、こんな大きな鋏を見たの初めてだから、とっても興味あったんだけど…普段から見慣れてるせいかな?
勿論、ずっと眺めてたわけじゃないけど。
「ふっふふふふ……シオンさん、その鋏、使ってみて!」
鋏なら、なんとか武器の範疇。
だからこそ、シオンさんに合わせた調整もできるわけで。
「はあ……え? おお!」
鋏の調整だなんて初めてだから上手くいくか不安だったけど、杞憂みたいだ。
僕が見てる前で、シオンさんは鋏を使っていく。
さして力を入れたようにも見えないのに、布が面白いようにするする切れていく。
鋏を扱う当人も驚くほどの切れ味。
「ここまでの切れ味はなかったはずなのに…まさか、シアムさんが?」
「うん! おまじない、みたいなものかな。シオンさんに合わせたから、大分楽になったと思うけど…どう?」
「とても素晴らしいです。力を入れなくとも布を裁つことができて……これは凄い」
感動するシオンさんが見れて、僕も嬉しい。
というわけで、次、いってみよう!
「あのさ、裁縫って針とか使うよね? 良かったら、見てみたいんだけどさ」
「どうぞ。こちらにありますので。数あるので、気をつけて下さい」
僕の要望に頷いたシオンさん。一旦鋏と布を床に下ろして、裁縫箱を開いていく。
…ふむ? 四角い、小さな枕みたいな物に、針が沢山刺さっている。それが二個。
長い針から細い針まで、太さも色々あって…ここに手を入れたら刺されそうで、背中がぞくっとしたり。
「こ、こんなに必要?」
「布の種類によって太さを変えるので、必要なのですよ。使用している間に折れる場合もあるので」
「そう、なんだ」
恐る恐る、一本の針を持ち上げまじまじ観察。長く使われているためか、ちょっぴり歪んでる。
なんとなくその歪みを直して、小さな枕に刺して。また次の一本を抜き出して、また歪みを直して。それを小さな枕に刺して……
「こ、これは…楽しくなってきた」
確かに、一本一本、長さや太さが違う。
それを一つ一つ、最適な状態に直すのが楽しくなってきた。
「ところで、この針刺してる小さな枕って、本当に枕なの?」
「残念ですが、違いますよ。その、針を刺している物は針山といいまして。中身は…髪の毛なのですよ」
「わわわわわっ?」
ふうん、僕が小さい枕って呼んでた物の正式名称は、針山なんだあ…じゃなくて!
中身が髪……だって?
慌てて手を引っ込めると、横から笑い声が聞こえてきたり。ひ、酷い!
「シオンさん! 脅かすの止めてよ!」
僕が睨み付けても、作業の手を止めないシオンさん。その表情は、言うまでもなく輝かんばかりの笑顔。
「驚かせてすいません。ですが、本当の話ですよ。動物や魔物の毛を使うこともありますが、針が錆び難くなる、という理由で髪の毛を使用している物も多いのです」
「へ、へえ…冗談じゃ、なかったんだね」
「ええ」
うん、分かった。ちゃんと理由があるっていうのは分かったけど……なんか、針山に手を伸ばしづらい。
何か他にないかな、と針山の横へ視線を動かせば、小さな蓋付きの木箱が目に付いたり。
「これ、なんだろ…」
、
零れた声に、シオンさんは顔を一瞬僕に向けて、布を切る作業に戻る。
「折れ針入れですよ。針も使い続けると折れてしまいますが、どうにも捨てられなくて」
「開けてみてもいい?」
「どうぞ。本当に折れた針しか入っていませんよ」
じゃあ遠慮なく、と木箱を手にとって、蓋を開けてみる…言われた通り、中にあるのは無数の折れた針。
二、三本それを掌に転がす…のは怖いから、指で摘みあげて……ほっほう。
「シオンさんって、すんごく人望あるんだね」
「は、はい? 何のことでしょうか?」
「注文服? あつらえ服? ふむふむ、いろんな人の注文を受けて服を作ってるんだ」
「え、ええ」
「お店はお弟子さんたちに任せて? へえ、色んな人の家に直接行くんだ」
「えっ? よく、お分かりで」
いくつかの家じゃ、シオンさんの所じゃないと納得できない、とかで指名までされてるっぽい。
それから、シオンさんは子供が好きで、子供にも好かれるから、人気者だとか。
…などなど、針たちが嬉しそうに教えてくれたり。
「なるほどなるほど。フリギアの実家でアザレアさんに…え? 一目惚れ?」
「シアムさんっ? 突然何を言い出すのですかっ?」
折れた針たちを直しつつ話を聞いていると、シオンさんの叫びが耳に。
何か事故でも起きたのか、怪我でもしたのか、と振り返ってみれば、真っ赤な顔して一心不乱に鋏を動かすシオンさんの姿。
一見したところ、事故も怪我もないみたいだから、あの叫び声は僕の気のせいみたいだ。
「シオンさん、どうかした?」
でも、気になるから一応。
「い、いえ! なんでもありません!」
「ご、ごめん。邪魔しちゃったっぽい?」
「い、いえ! なんでもありません!」
「う、うん…ごめんなさい」
物凄い勢いで怒られたり。どうやら、集中してるみたいで、話かけちゃまずかったみたいだ。
というわけで。
どうやら異常はなかったようだし、針たち直しながら続きを聞くことにしようっと。