第92話(計)
「でへへへ……ううん…? うへえ………はっ!」
なんだろう、楽しい夢だと思ってたら、突然それが悪夢になったような気がするような?
確か、フリギアが満面の笑みを浮かべて僕のことを褒めちぎってて、えっへっへとか思ってたら、いつもの笑顔で無茶難題を押し付けてきて…
「……むむ」
はっきり思い出せない、このもどかしさ。
寝起きのまま首を横に向けると、といつの間にか中天を越えてた太陽が眩しくて…ってもう夕方じゃん!
「さすがに、寝過ぎだよなあ」
ベッドに上体を起こして、うんと伸びをして。
「ん? 寝過ぎた…?」
はて? なんか寝るって表現に引っかかりを覚えるのはどうしてだろ?
そうだそうだ。そもそも、僕、どうして夕方までぐっすり眠って…
「あああああああっ!」
ソレに気付いた瞬間、ベッドから飛び降りて、そのまま扉を開けて廊下を駆けて、階段を全力で下り。
そこで熱心に、傷だらけの壁を磨いていた執事さん、サフォーさんを発見して。
「サフォーさん! 酷いよ!」
「おや。お早うございます、シアム様」
僕が詰め寄っても動じることなく、掃除の手を止めて、一礼するサフォーさん。
あ、どうもどうも…と反射的にお辞儀しそうになって、半分傾けた身体を慌てて戻す。
「じゃなくて! アレなんなの! 子守唄じゃないし!」
「はて、なんのことでございましょうか? おお。そういえばシアム様、お昼を食べ損なってしまいましたな」
「お昼とかいいから! もう夕方だし! あああ、そうだそうだよ! 針、針! 針直さないと!」
「いやはや、そんなことはありませんぞ。お食事を一食でも抜くとですね…」
そうだ、サフォーさんに噛み付いてる場合じゃない! シオンさんが困ってる、絶対に困ってる!
けれど僕の焦りを前にしても、サフォーさんはお昼ご飯のことしか心配してくれない。
「シオンさん! シオンさんまだいるっ?」
「…ですからして……シオン様でしたら数刻前、店へお戻りに」
「お店に! マズイ、追っかけないと、って服!」
いつの間にか寝巻き姿だし! い、いや! 今はそんなのどうでもいいって!
「ちょっと僕、今からシオンさんのお店に…ってサフォーさん、シオンさんのお店って、ど、こ……ん?」
一人わたわたしていると、奥の部屋から茶色い物が見えて、思わず注視しちゃったり。
あれ、なんか嫌な予感が…と思えば、茶色い何かは茶色い長髪で。
それに続いて、氷のような目と、薄い紫色のドレスが僕の視界に入って…
「うひあっ?」
「何かしら、騒々しいわ」
反射的に、気をつけの体勢をとるのも仕方ない、と思う。
僕の声に反応して、絶対零度の視線が、整った顔がこっちに向いて。
「………ナンデモゴザイマセン」
「まあ…」
現れたのは、クラヴィアさん。どうやら、今日もお屋敷にいたみたいで。
そんな長い時間顔を合わせてたわけじゃないのに、緊張で全身が震える僕を認めて、クラヴィアさんの氷の目が丸くなる。
「なんて……」
次には口元に手を当てて、驚きの表情を浮かべて、僕を凝視する。
「ど、どうも…」
若干逃げ腰の挨拶をすれば、見る間に目が釣りあがって…あ、マズイ。
「なんてはしたない姿をしているの!」
「すいません!」
うん、そうですよね。なにせ僕、今、寝巻き姿だし。
心臓に悪い声で一喝したクラヴィアさん。びしっと、指を二階へ向けて、凍てつく目は僕の服に落として。
「即刻着替えてきなさい!」
「はいっ! ごめんなさ…」
「早くなさい!」
「ただいま着替えてまいりますでございます!」
サフォーさんのことをすっかり忘れ、きびすを返して部屋へ逃げ帰る。
勢い良く扉を閉め、それに背中をあずけつつ、呼吸を整えて。
汗ばむ掌で洋服棚を開けて、適当な一着に着替える。
「び、びっくりした…」
まだ心臓がバクバク言ってたり。なにも突然現れなくてもいいのに。僕にも心の準備っていうのがあるわけで…
色々悶々しつつも着替え終わって、なんとなく頭へ手を置いて、寝癖とかないか確認確認。
ううむ、最近までミノアに髪をいじられてたせいか、頭が気になって仕方ない。
「大丈夫! だよね…?」
鏡鏡…と、探してみるけど、残念ながら部屋の中に鏡がない。
とはいえ、完成したばかりの銀剣なら、綺麗に反射できるだろうけど、我が子を鏡代わりにするなんて有り得ない。
「これなら大丈夫、きっと大丈夫、多分……大丈夫」
自分に言い聞かせるしかない。声が小さくなってくのは仕方ない、うん。
「…………」
果たして階下に戻れば、何故か仁王立ちで待機してたクラヴィアさんと目があったりするわけで。しかも、壁を掃除してたサフォーさんは、もういない。
「た、タイヘン、お待たせシマシタ…」
おずおずと、上目遣いになる僕。皮膚に突き刺さる眼差しが、上から下から浴びせられる。
「初めからそうなさい」
「ハイ…申し訳ないデス…お手数おかけイタシマシタ…」
氷点下の視線も数日振りだけど、全く懐かしくないデス。今まで忘れてた、心臓と胃の痛みがぶり返しただけデス。後、恐怖で涙零れそうデス。
けど幸いなことに、クラヴィアさんはそれ以上追求することなく、身を翻す。どうやら、食堂に用事があるみたいだ。
「そ、それでは! 僕シオンさんのところに行くのでしつれ」
「来なさい」
今の僕には用がないから、さようなら、とお屋敷の入り口へ向かおうとすれば、この一言。
「えっ?」
「………」
「は、はいっ! ただいま参りますです!」
僕には背を向けてるはずなのに、こう言うしかない。威圧感がトンデモナイ。
一歩でも後ずさると、問答無用で刺されそうだし、実際なんかクラヴィアさんの手、服の間に見え隠れしてる鞘に伸びてるような。
いやいやまさか、そんな……ねえ?
「………」
「………」
無言で、殺意に似た何かを放出するクラヴィアさんに、逆らえるはずもなく。
しずしずと、僕は何も悪いことしてないのに、罪人のようにクラヴィアさんの後を付いていく。




