1人称の語り手の時間
ここでの話ではないけれど、
時系列が上手く表現できていない作品が多いと思います。
基本となる考えは、時点移動は上手く書いても読者を混乱させる。
ですので、ちゃんと事前に設計図を書いて、解りやすくする必要があるのです。ですが時点移動をすることが上手な作者と勘違いしている人が多く、理屈を知らない人が多い気がします。
某サイトで活動しているときに考え出したことをここで紹介させていただきたいと思いますぅ。
(ちなみに、そのサイトではさんざん貶されました。ですのであくまでも参考程度で)
1人称において、視点は 主人公=語り手 ですが、時間は必ずしもそうではありません。
例えば、夏目漱石のこころ
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。~
私はこういうのを1人称日記型と呼んでます。回想形式と言ったほうが正しいのかもしれませんが、回想形式リアルタイム型と区別するため日記型とします。
読んでわかると思いますが、読者を想定しています。そして、語り手である作者は過去の話をしています。また本編に入っても、過去の話を語るスタンスは続いています。
これで、主人公の時間=語り手とはならないということを理解していただけると思います。