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レントは次々と本を運んできた。ジールのペースなどお構いなしだ。おかげでジールは、夕方まで一服もせず作業を続けてしまった。
兄との約束のティータイムなどとっくに過ぎている。いつもなら誰かがティータイムの時間を知らせに来るのだが、今日はそれもなかったからノンストップでの作業になってしまった。
2階相当部分の残りの本を全て運び終わって、やっとレントは翼をしまった。
「さ、さすがに疲れました。」
「ご苦労様。」
ジールの作業は本の記録と分類表を作ることだから、レントが休んでいる横で黙々と作業を続ける。リストにタイトルを写し、何ページか読んで、それでも分からなければ最後まで読んで内容を記録する。それから、分類表に従って番号をふる。分類に従った書庫全体の並べ替えは、全ての本を記録し終わってからやるつもりだから、記録作業の終了した本は元の棚に戻して終わりだ。いつもは本を運んで戻す作業も一人でやっていたものだから、確かに作業員が増えることはありがたかった。
「これ、どういう分類になってるんですか?」
不意な声に顔を上げると、レントはジールが作った分類表をしげしげと見ていた。
「こら。勝手に見るな。」
奪い返そうとするが、ひょいと紙を持ち上げられ、空振りに終わる。レントもディーンほどではないが、ジールよりは背が高い。ジールはむかっときて、椅子に足を掛けて紙を奪い取った。
「邪魔するなら帰れ。」
「いやー、申し訳ない。
その分類は、もしやジール様がお作りになられたので?実に合理的で、見とれてしまいました。」
「本の整理が俺の仕事だからな。タイトルを記録するだけじゃ整理にならないだろ。」
ジールはレントを無視して作業に戻る。レントはまだ感心したように顎をさすっていた。
ジールは次の本を取って目を細めた。表紙の文字が古代文字だ。久しぶりに混じっていた一冊だった。
リヴァに習ったおかげで、ジールはその文字をだいぶすらすらと読めるようになっていたが、それでもまだ、内容理解には辞書がそばにいてくれる方がありがたい。しかし、レントがいてはリヴァに話しかけることはできないから、何ともやりづらかった。
とりあえずタイトルを記録する。古代文字と、現代訳の双方でだ。
『王位継承戦争・上』
書き終わって、ジールは首をかしげた。
席を立ち、1階の棚を探る。やはり同じ名前の本がもう一冊収められていた。
しかし両者は表装の色が違った。1階の方は白。今回見つかったものは黒だ。
ジールは机の上に二冊の本を並べた。
「どうかしたので?」
レントが聞いてくる。ジールは無視して2冊の本の表紙をめくった。
「中身が違う。」
「その字が読めるので?」
リヴァの答えを期待していたのだが、当然のように返ってきたのはレントの声だった。
ジールは不満に思ったが、彼に説明してやった。
「この2冊、題名は同じ『王位継承戦争』の上巻なんだ。でも、表装の色が違うし、中身も違うみたいだ。副題が付いてる。白い方は『風のフオル』、黒い方は『地のラートウッド』。」
レントはしばらく悩んでいたが、ふむふむと頷いた。
「じゃあ、白い方の中巻や下巻は『水のキュリ』や『風のアーレル』、黒い方は『炎のフリエルダ』とか『樹のリュリエッタ』なのかも知れませんね。」
白いのは『風のミスト』というのもありかな。レントは呟く。ジールは驚いて目を見開いた。
「何でそんなこと分かるんだ?」
「何でって、ちょっとした推理ですよ。」
レントは2冊の本を閉じた。
「表紙の色が白と黒ということは、『白の国』と『黒の国』を表していると考えるのが順当です。
白い本の方に書かれている『風のフオル』は、王位継承戦争の際に白の王を目指した白の天使であり、黒い方の『地のラートウッド』は、地の勢力を率いて反乱を起こした黒の天使です。それなら、白と黒のそれぞれの本の下巻は、白黒両国の他の天使たちについて書いたものと考えられます。もちろん、あくまで推測ですが。
王位継承戦争はご存じで?」
ジールは感心してレントの話を聞いていたが、急に質問されて、慌てて頷いた。
「約千年前に白の国で起こった、王位継承権をめぐる内乱と、それに伴って黒の国で起こった争乱のこと、と習った。」
レントは頷く。
「白の王であらせられるあなたの兄上・ディーン様は空と海を治め、白の天使は風の天使と水の天使に分かれるように、黒の王は大地と岩漿を治め、黒の天使は地の天使と炎の天使に分かれます。
王位継承戦争は、風の天使と水の天使の間の約三百年の争いに端を発し、炎の天使、そして、地の天使のうち土を司る者たちと、そこから生まれた他の動植物を統べる者たちの5つの勢力が、国の枠を超えて謀略の限りを尽くした時代です。
風の天使を率いた代表的な天使が、先ほども申しました『風のフオル』。彼を補佐した優秀な補佐官が『風のミスト』でした。『風のアーレル』は、志半ばに夭折したフオルの死後、風の政権を立ち上げた名君ですね。
水の天使として一度は白の王となったのが『水のメリス』ですが、彼女はあまり優秀な王とはいえなかったようです。彼女を支えた『水のキュリ』は、最初の王・レフロの弟君であり、宰相としても知将としても名高かった『白のシェイド』の再来と謳われましたが、意外と大したことないんですよね。有名なので、本になるならキュリかもしれないと考えましたが、私的にはミストの物語を希望します。
黒の天使で、炎の天使を率いた『ソールスベリー』は名実共にすばらしい名将だったそうですが、私はむしろ、副官の『フリエルダ』を推奨したい。男装の麗人とあだ名された彼女は、きっとその胸に密かな闘志を秘めた、すばらしい女性だったに違いありません。
『地のラートウッド』は軟派な男だったようで私はいけ好きませんが、『樹のリュリエッタ』は神秘的な魅力を漂わせるカリスマのような女性だったそうです。きっと、どこか影のある・・・、」
「おい。」
ジールはやっとレントの話に割り込んだ。
「主観が入りすぎだ。お前が歴史オタクだってことは分かったからもういい。」
レントは口惜しそうに話をやめる。口をとがらせた。
「オタクとは失礼ですね。私の専門は歴史学なんです。もっとも、ハジ教授のご専門がと言うべきですけど。」
「ハジ教授?そう言えば、昨日もその名前を聞いたな。」
あっと思ったときにはもう遅い。レントはまた、ぺらぺらとしゃべり出していた。
「ハジ教授は、王立高等院の若手研究者のホープなんです。
大きい声では言えませんが、王立高等院は長い間、現学長一家が牛耳ってきたんです。今も現学長夫妻の許可なしでは何もできない状況で、研究機関とは名ばかり。ただのじいさんばあさんのお茶のみサークルになってたんですよ。
それを、今度の学長選で、あ、学長は一応投票で選ばれるんですけどね、若手研究員の総意でハジ教授を推薦し、内部から改革を図ろうと目論んでいるんです。」
「へえ。」
あっとレントは口を塞ぐ。おしゃべりな奴でも、さすがに口を滑らせたと思ったらしい。
それからレントは急に声を潜めた。
「すみません。このことはくれぐれも内密に願います。
もし下手にばれると、ハジ教授のお命が危ない。」
「命?」
何やら物騒だ。
シーっとレントは指を立てた。
「いや、実のところね、私はこのために遣わされたんですよ。
我々は、ディーン王とのパイプを欲しているんです。」
「兄貴と?」
ジールはあからさまに顔をしかめた。
「はい。ディーン王は、この十余年、じじばばたちの書庫開放の嘆願書を蹴り続けてくださった。当然です。あいつらに開放したら、書庫は荒らされ、貴重な史料はあっという間に散逸していたでしょう。ハジ教授以下の改革派の研究員は、そんな王のご見識に一目置いているわけです。今回の改革の際には、是非とも王から後押し願いたい。
しかし、何分、王宮にはつてがない。下手な人物には近づけません。どこでじじばばに繋がっているかも分かりませんからね。
そこで、弟君に接触を、と考えたわけです。もちろん、弟君の人柄も確認する必要がありましたが。」
ジールは最後の言葉にぴくりと眉根を寄せた。
「じゃあ、今日一日俺を試してたのか?」
試すだなんてとんでもない。レントはあわあわと手を振る。
「しかし、私は確信しました。
ジール様は我々の同士たり得るお方です。分類表を作っての作業工程、本に対する熱意、是非とも我々の研究室に招き入れたいくらいです。」
「そりゃどうも。兄貴が許すならね。」
「はい。数年前に、じじばばどもがジール様を王立高等院へと打診したときには、王に軽くあしらわれたようですが、改革後なら王にも納得して頂けるでしょう。」
「な・・・。」
ジールは言葉を失った。
ディーンがジールの進学話を蹴ったことは知っていた。しかし、まさかそんな裏があったとは。
同時に唇を噛む。なぜ気づかなかったのだろう。
考えてみれば、ディーンの即位で表向き内乱は終わったとはいっても、白の国の政情はずっと不安定だったはずだ。年若い王であるディーンはもちろん、その年の離れた弟の存在は、政敵が漬け込む恰好の隙になり得ただろう。ディーンに取り入るためにジールに近づこうとするバカが腐るほどいることは、ジール自身ですら早くから気づいていたことだ。
王立高等院の内情然り、もしかしたらディーンは、他にもジールの知らない事情をいろいろ知っていたのかも知れない。そういったしがらみから、ずっとジールを守ろうとしてきたのかも知れない。
ディーンはただのブラコンで、もう15歳にもなる弟を城に閉じ込めて、自由に空を飛ぶことすら許さないバカ兄貴のはずだ。なのに。これでは、どこまでがディーンの我が侭で、どこからがジールの我が侭だったのか、分からなくなるではないか。
レントの声が遠くに聞こえる。
「ジール様がもし我々に賛同して頂けるなら、今お話ししたことをディーン王に打診して頂きたいのです。ジール様、ジール様?」
「ああ・・・。」
分かった、とジールは頷いた。
「明日にでも、兄貴と、信頼できる重臣に話してみるよ。」
「ありがとうございます!」
レントはローブの懐から一通の封書を取り出した。厳重にシールされている。ジールが受け取ると、レントはかっと目を見開いて、それからくたくたと椅子に崩れ落ちた。
「良がったー。これで私は今日、安心して家に帰れます。」
「そうか。」
ジールは彼に微笑もうとして失敗した。