25
応接室らしい部屋に通される。
どうやらここは学長夫妻の屋敷らしい。
エレナに刃物を当てていたのはキロだった。
キロは部屋に入るなり、エレナに中央に行くよう促すと、扉を閉め、扉の前に陣取った。副学長が部屋中のカーテンを閉めて回る。
エレナは学長に促され、ソファーに座った。学長は向かいに座る。
学長はパーティーから付けたままの羽根の髪飾りを取ると、緑のアイシャドーで縁取られた細い目でエレナを睨め付けた。
「あなた、ハジ教授の回し者?」
「だったらどうだっていうんですか。」
エレナは慎重に答えた。
老人2人と男1人、普通なら倒して逃げることもできそうだ。しかし。
ちらりと戸口のキロを見やる。腕を組んで戸口にもたれかかった彼は、エレナの動きを注視していた。格闘技をやっている者なら分かる。奴の身のこなしはプロのものだ。かなり鍛えられている。それを城で会ったときには隠していたのだから相当だ。よほど機を見て攻撃しても、エレナに倒せるかどうか。
きっとあいつがハジ教授を殺ったんだ。
エレナは学長をにらみ返した。
「そう。分かったわ。」
学長ははんはんと頷く。
「ハジの奴、やっぱり生きてるのね。」
「え?」
エレナは耳を疑った。
「こんな時期に、しかも飼い犬の学生に殺されたなんていうから、不思議に思っていたのよ。きっと学長選まで身を隠すつもりに違いないわ。こざかしい。
あなたプロでしょ!まだ見つけられないの?!」
学長はキロを睨む。キロは恭しく頭を下げた。
「申し訳ございません。全力は尽くしております。」
学長はきいっとハンカチを噛んだ。
ハジ教授は生きているかも知れない。
エレナにとっては、それが聞けただけで十分だった。やっぱりレントは犯人じゃない。教授のために動いているだけなのだ。今はきっと2人で身を隠しているのだろう。信じて待たなきゃ。心に決める。
目をつむっていると、ガタリとテーブルを蹴る音がした。
「むかつく小娘だね。」
学長が言う。
「知っていることをお話しなさい。そうしたら、命だけは助けてあげましょう。」
しかしエレナは学長をにらみ返した。
「あなたなんかに話すことは何もありません。」
学長はきいっと顔を赤らめる。
「キロ!この小娘から知っていることを吐かせなさい。その後は始末するなり何なり、お前に任せます。」
おいお前、と副学長が慌てて仲裁に入ろうとする。しかし学長は意に介さなかった。
「承知いたしました。」
キロが動く。
エレナは立ち上がった。どうにかして逃げ出さなくては。殺されてたまるものか。
ちらりと後ろの窓を振り返る。殺し屋の隙さえ突ければ、老夫妻など敵ではない。翼を出して空に逃げられれば、外は夜だ。夜闇に紛れれば逃げられるだろう。
エレナはじりりと後ずさった。キロはゆっくりとやってくる。手が伸びる。もうちょっと。エレナはドレスの裾に手をやった。
「はあ!!」
エレナは一気にスカートを引き抜くと、布をキロに向かってバサリと投げつけた。何かあった場合に動きやすいようにと、スカートの取り外しのきくドレスにしていたのだ。残ったミニスカートの下にはショートパンツも履いている。
エレナはすぐに踵を返して窓に走った。副学長がひええっと飛び上がるのなど無視だ。しかし。
「あっ。」
何かに足首を取られ、エレナは前に倒れ込んだ。すぐに起き上がろうとする。しかし、視界が霞む。煙か雲のようなものがエレナの周りを取り囲んでいた。
「何?!」
「無駄だ小娘。その霧からは逃れられない。」
霧はふわふわとエレナの周りを回る。絡め取られるようにして、エレナの体はふわりと宙に浮いた。
「きゃっ。」
体の自由がきかない。足が地面につかない。霧が周囲から離れない。濡らしたぞうきんのように体にまとわりついてくる。翼を出そうにも、ぎゅうぎゅうと締め付けられて身動きが取れなかった。
不覚だ。こんな力が使えるのは、王宮の兵士くらいだと思っていたのに。唇を噛む。
「連れてお行き。」
学長が言う。キロの手が今度こそこちらに伸びる。
エレナは目をつむった。
―――――助けて!レント!
『大丈夫よ。』
どこからか、少女の声が聞こえた。
「え?」
目を開ける。その瞬間、エレナの体にまとわりついていた霧がふと動きを止めた。直後に逆の方向に動き出す。水滴が集まって玉になっていく。
ビー玉ほどの大きさに育った無数の水の玉が、キロに向かって飛んでいった。
「ぐっ!!」
霧がなくなり、エレナの体は床に落ちる。また少女の声が言った。
『今よ!』
エレナは窓に向かって走った。翼を出す。カーテンを、鍵を、窓を開け、外に飛び出そうとした。
「逃がすか!」
背後で剣を抜く音がした。エレナは窓枠を蹴る。次の瞬間、風切り音と共に液体が散らばった。
水はエレナの体にもかかった。一瞬、自分が切られたのだと思った。風に乗り損ね、庭に不時着する。直後に、再び刃物の気配を感じた。
振り返りざまに体を反らす。剣の切っ先は、さっきまでエレナの鼻先があった場所を掠めた。キロは再び剣を振り上げる。
「ああああ!!」
エレナは振り下ろされた剣を体を捻って躱すと、その勢いで追跡者に回し蹴りを食らわせた。まな板の3枚くらいはへし折れる蹴りだ。その蹴りは確かにキロの軸足に当たったはずだった。
しかし。
「あっ。」
キロの軸足の周りには、あの霧が渦巻いていた。エレナの蹴りはその霧のクッションに捉えられ、届かなかったのだ。
再び剣が振り下ろされる。霧に足を取られ、エレナは動けなかった。とっさに両手で顔を庇う。そのとき、エレナの眼前に菫色の髪の少女の姿が現れた。
エレナの頭上に振り下ろされた剣は何かに弾かれる。また液体が散らばった。まさか少女が身代わりになったのか。エレナはドキリとしたが、散らばったのは血液ではなかった。エレナの体にもかかったのは、おそらくただの水だ。
霧から足が抜ける。エレナは立ち上がった。
「うっ。くそ・・・。」
キロは目を押さえて蹲っていた。何者かの攻撃を受けたらしい。
エレナは周囲を探した。先ほどの少女は誰なのか。助けてくれたのなら、置いて逃げることはできない。
「何をやっているの!逃がしたら承知しませんよ!」
窓から顔を出した学長が叫ぶ。
エレナは後ずさった。少女の姿は見えない。気のせいだったのかも知れない。逃げなければ。
翼を動かそうとしたそのときだった。
「そこまでだ!」
大きな声がして、カッと周囲が明るくなった。無数のライトがエレナに、キロに、窓から覗く学長夫妻に投げかけられる。
目を眇めて空を見上げると、白の王の軍勢が、ずらりと空に並んでいた。
兵士たちは屋敷とエレナたちを囲むように降りてくる。
「剣を捨てろ。少女から離れるんだ。」
兵士たちの先頭に立った男が命令した。キロは無言のまま、剣を地面に突き立てる。両手を挙げ、エレナの側から後ずさっていった。
「セイラ学長、カスロ副学長。出てきていただきましょうか。」
窓から見ていた学長は、きいっと男を睨んだ。
「やはり生きていたんですのね。ハジ。」
え?
エレナはハジと呼ばれた男を見た。白髪交じりの栗色の髪の、細身で小柄なおじさんだった。いつも話には聞いていたけれど、ハジ教授の実物を見たのは初めてだった。
学長夫妻は玄関から外に出てくる。
ハジ教授は2通の書類を取りだして、夫妻に掲げた。
「セイラ王立高等院学長、カスロ同副学長。両名を、業務上横領の容疑で告発します。
詳しいことは、これから城で取調べがなされるでしょう。」
「おのれ・・・。」
きいっと学長はハンカチを握りしめる。
しかし観念したのだろう。気弱そうな副学長が、そっと妻の肩に手をやった。
夫妻は兵士たちに引っ立てられていく。キロも捕まったはずだ。しかし、エレナはそんなことは眼中になかった。
ハジ教授がいるということは、彼もいるはずだ。周囲を探す。
そして。
エレナは教授の後ろの方にその姿を見つけた。堪えられずに走り寄る。
「レント!」
「あらー?エレナ、どしてこんげなとごに。」
惚けた声は彼のものだ。
よかった。涙が込み上げる。その瞬間、エレナは足を振り上げていた。
「今まで何してたのよ!」
「ゲフ!!」
クリーンヒットの回し蹴りは、レントの体を数メートルも吹っ飛ばしていた。




