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二人目は書庫の前だった。
白髪交じりの紫髪の老婦人が、書庫の前でジールの帰りを待ち構えていた。
本当は無視したかったのだが、一人目の勢いに飲まれて疲れていたせいか、うっかり捕まってしまった。そうしたら、このおばさんがまたよくしゃべった。
「私、ディーン王にお見合いを勧めに参ったのですの。」
「はあ?」
ジールはおばさんの言葉の意味を飲み込めず、思いっきり怪訝な声でそう問い返した。
「お見合いですわ。お・見・合・い。
ディーン王も今年で御年22歳。そろそろ身を固めてもよろしい年齢でいらっしゃいます。むしろ今まで浮いた話がなかったのが不思議なくらいです。きっと御幼少時より政務に励んでこられ、妙齢の女性と出会う機会がなかったのでございましょう。
失礼ですが、聞き及ぶところに寄りますと、ディーン王は弟であるあなた様を溺愛していらっしゃるとか。それもきっと、これまで他に愛すべき相手に出会えなかったからなのでしょう。
そこで差し出がましいとは思いましたが私、ディーン王に相応しいレディーを集めて、パーティーを開きたいと存じておりますの。愛すべき伴侶に出会えば、弟君への執着は薄れましょうし、何より、王様が守るべき家族を多く持つことは、この国の未来にとってとても良い影響を与えると、私、信じておりますの。
そこで弟君には、ぜひ私の意見に賛同して頂きたくてお話に来たんですのよ。」
「・・・はあ。」
そうですか、としか返事できない。
夫人は言いたいだけ言って、名乗りもせずに満足して帰って行った。
ジールは書庫の扉の前に取り残され、ただ呆然と立ち尽くした。
「お疲れ様。」
書庫に入ると、姿無き少女の声が言う。
ジールは書庫中央に設置された椅子に座って、テーブルに突っ伏した。
「何だったんだ。」
少女は声を掛けるタイミングを窺っていただけで、きっと全てのあらましを見ていたに違いない。
声だけでジールに語りかけるこの少女こそ、世界の記憶者と呼ばれる『水の姫君』だ。水底の神殿に本体を置く彼女は、水を通して世界のほぼ全ての事情を垣間見る能力を持っている。もちろん彼女の目は二つしかないから、一時に見られる映像には限りがある。しかし、ジールが突然の訪問者にたじたじになっている姿など、嬉々として鑑賞していたに違いない。形こそ労いの言葉も、からかっているようにしか聞こえなかった。
「何って、書庫に入りたい王立高等院からの使者と、ディーンにお見合いをさせたいお見合いおばさんでしょ?」
少女は一言でまとめた。
「そんなことは分かってる。」
「じゃあ、何をそんなに悩んでるのよ。」
「うー・・・。」
ジールは突っ伏したまま唸った。
「書庫を独占してるのは悪いと思ってる。ここの書物は、俺が私物化していい代物じゃない。」
「だったら開放してあげたら?」
「・・・そしたら、俺はどこへ行けばいい?」
ああそういうこと、と少女は息を吐いた。
「せっかく、うるさいお兄ちゃんからの逃げ場所を見つけたんですものね。」
うー、とジールはまた唸った。
「独りで悩まずに、レイタ辺りに相談したらいいじゃない。」
「レイタなら、さっさと開放しろって言うはずだ。その方が国のためなんだから。」
「じゃあ、直接ディーンに聞けば?書庫を気に入ってることも話して。」
「そしたら兄貴は、俺の好きにしろって言うに決まってる。」
「そうかしら。」
「そういう奴なんだ。」
ジールは深くため息を吐いた。
弟のことに関してはべったべたに甘い兄は、兄の元から離れたいという願い以外なら、弟の頼みは大概のことなら聞き入れてくれる。もう15歳にもなる弟を束縛し甘やかす兄などクソくらえだが、その兄から逃れる場所を確保するために、その兄に判断を仰ぐなど、矛盾以外のなにものでもなかった。
「好きにしろって言われたら、俺はきっとほっとするんだ。
俺はここを手放したくない。
でも、それじゃ何も変わらない。」
今度は少女がため息を吐く。吐いた息の深さを競い合っているみたいだった。
「じゃあ、お見合いおばさんを応援すれば?おばさんの言ったとおり、いい女性に巡り会えば、お兄さんはあなたのことを構うのをやめるんじゃない?」
はあ。と今度はジール。
「それはそれで複雑な気持ちになってるから悩んでるんじゃないか。
兄貴がいなかったら、俺は何の取り柄もないただのガキだ。」
少女はフンと鼻を鳴らした。
「それを分かってるだけマシね。
けど、女々しい。」
「はあ・・・。
どうしよう、リヴァ。」
「知らない。」
少女、リヴァはそう言って気配を消した。