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 次の日の朝、昨日貴志に言われた通り、祐一郎はシックなグレー色のスーツに着替えた。勿論小夏が選んだスーツだ。

 部屋に置いてある鏡の前に立ち、自分の姿を見てみると、何だか違和感を覚えてしまう。学校の制服もブレザーだが、それとはまた違い、今から会社にでも出勤をする、社会人の様だ。紺色のネクタイを締め直すと、ますます通勤の仕度をしている様に感じてしまう。

「ったく・・・。何でスーツなんだよ・・・。」

 ブツブツと文句を言いながも、髪を整えていると、後ろからパシャと、シャッター音が聞こえて来た。慌てて後ろを振り返ると、携帯のカメラで写真を撮っている小夏の姿があった。小夏はニコニコと嬉しそうな笑顔を見せながら、またパシャリと、もう一枚スーツ姿の祐一郎を写真に撮る。

「なに勝手に撮ってるんだよ!」

 不貞腐れた顔で言うと、「記念だよ、記念!」と満遍無い笑みを浮かべながら、言って来る。

「靴は結婚式の時に履いたヤツ、下駄箱から出して置いたからねぇ。」

 小夏は嬉しそうな顔をして言うと、携帯のカメラに納めた写真を、早速保存した。

「記念なら、ちゃんとデジカメで撮ればいいだろ。何で携帯の写メなんだよ。」

「待ち受け画面にしたいからだよぉ。」

「なっ!止めろよ恥ずかしい!」

 慌てて小夏の携帯を取り上げようと手を伸ばすが、透かさず避けられてしまう。祐一郎は顔を真っ赤にさせながら、小夏を睨み付けると、「絶対に誰にも見せるなよ!」と何度も言う。「はいはいっ。」適当に返事をする小夏に、絶対に見せるなと、また何度も念を押した。

 玄関先で小夏に見送られると、本当に今からどこぞの会社にでも、出勤をする様な気分になってしまう。

 「何が記念だよ・・・。」ブツブツと文句を言いながら駅へと向かい歩いていると、夏用のスーツとは言え、真夏の炎天下に長袖のスーツは流石に暑く、ジワジワと汗が滲み出て来た。

「マジで何でこの糞暑い日に、スーツなんだよ。」

 暑さからか余計に苛立ち、文句も多くなってしまう。現地に到着をしたら、絶対に貴志に何か奢らせなければ気が済まない。

 貴志、と言う名前に、ふと昨日写メを送る様に言われていた事を思い出した。

「そう言えば・・・。まっ面倒臭いしいいか。何より俺の本来の姿が、写真に写ってしまうからな。」

 フンッと鼻で笑うと、軽くネクタイを締め直した。


 家から駅までは、歩いて五分程でそう遠くはないが、暑い日差しの中を歩いていると、いつもよりも距離を遠く感じてしまう。額に薄らと滲む汗をハンカチで拭うと、ようやく駅へと到着をする。

 ドームまでは電車で十五分程度だ。改札を潜りホームへと行くと、丁度ドーム行きの電車が到着をする。電車に乗り込むと、車内は冷房が効いていて涼しい。体中の熱を冷ます様に、丁度冷房の風が来る位置へと立ち涼んだ。

 束の間の休息を味わう様に車内で涼むと、ドーム前の駅へと到着をする。電車を降り、改札を抜けると、又も灼熱の世界へと逆戻りだ。せっかく涼しくなった体は、また熱で上昇してしまう。

 ドームは降りた駅のすぐ目の前に有る為、そこはありがたい。太陽の下で待たずとも、天井の有る改札で待ち日差しは凌げる。ドーム前待ち合わせと言う事だが、貴志の姿が見えれば彼の元へと行けばいい。尤も、自分が先に到着をしていれば、貴志も電車で来るのだから、改札で会う事が出来る。

 ざっとドームの入口付近と周りを見渡すも、貴志の姿は見当たらない。腕時計で時間を確かめると、ジャスト十時五分前だ。

「ったく。原則を忘れたか?」

 不満気に溜息を吐くと、近くの自動販売機で、コーラを購入した。キンキンに冷えたコーラは、一口飲むと体中に炭酸と冷たさが沁みわたる。「あぁ~生き返る。」とオヤジ臭い言葉が、自然と口から出て来てしまう。一気にコーラを飲み干してしまうと、近くのゴミ箱に空き缶を捨てに行った。

 と、先程からやたらと、スーツ姿をした若い人達が、ドーム内へと入って行く姿が目に付いた。

「何だ?皆俺と同じスーツだ・・・。」

 周りを改めて見渡すと、今日はやたらとスーツ姿の若者が多い。

 不思議そうに首を傾げている祐一郎の元に、日傘を差し、ワンピース姿の一人の女性が近づいて来る事に気付く。女性は大学生位の歳で、茶色い綺麗な長い髪を靡かせながら、暑さを思わせない様な軽やかな足取りで近づいて来る。コツコツとヒールの音を鳴らしながら、祐一郎の目の前まで来ると、その足を止めた。

 祐一郎は思わず恥ずかしさからか、女性から体を背けてしまう。きっと駅で、誰かと待ち合わせでもしているのだろう、と思うも、歳上の女性と並んで立っている事は、少し緊張してしまう。

 女性はゆっくりと日傘をたたむと、傘に半分隠れていた顔をハッキリと現せた。長いまつ毛に、綺麗な顔立ちをしているが、どこか冷たい表情に、一瞬ゾッとしてしまう。クール系美人と言った感じだ。

 隣に立つ女性を、祐一郎は横目でチラリと見ると、女性はハンドバックの中から携帯を取り出し、カチカチとボタンを操作していた。到着の報告メールでもしているのだろうか?と思っていると、女性は携帯をハンドバックに仕舞い、視線を一瞬祐一郎の方へと向ける。

 互いに目が合ってしまうと、祐一郎は慌てて女性から視線を外した。そして次の瞬間、女性の口から意外な言葉が飛び出して来る。

「貴様がコードネーム、シャノンだな。」

「なっ!」

 突然見ず知らずの女性に、自分のコードネームを言われ、祐一郎は驚き女性へと顔を向けた。すると女性は、祐一郎の方を見る事無く、凛とした表情で、視線を真っ直ぐ前に向けたまま言う。

「こちらを向くな。」

 その言葉を聞いた祐一郎は、慌てて女性から顔を背けた。「何で俺の――― 。」言い掛けている途中、祐一郎の言葉を遮るように、女性は話しをして来た。

「コードネーム、ジェイドは此処へは来ない。」

「どう言う意味だ?お前は何者だ?」

 祐一郎は額に汗を滲ませ、もしや敵組織の手先か?と思い警戒をする。「何者だ?」再び尋ねると、女性は微かに口元を緩ませ、名乗った。

「私はコードネーム、アレン。『闇の使者エージェント』の、極秘メンバーだ。安心しろ、仲間だ。」

「極秘・・・メンバー?」

 思わぬ女性の発言に、祐一郎は思わずまた、女性の方へと視線をやってしまう。

「こちらを見るな。声も抑えろ。自然体でいろ。密会が敵にバレてしまう。」

 女性に促され、祐一郎は慌ててまた視線を外す。

「どう言う事だ?極秘メンバーとは?」

 祐一郎も、女性から視線を逸らしたまま少し小声で話すと、女性は淡々と説明をして来る。

「私の組織内での役目は、敵組織の全貌を暴く事。即ちスパイだ。また我等組織内に裏切り者が居ないか調査をする、特殊エージェントだ。」

「特殊・・・エージェント・・・。アレンと言ったな。お前は・・・。」

「私は六人目のエージェントだ。だが任務を極秘に行う為、七人目が見付かるまでは、表に姿を現す事は滅多にないのだ。」

「成程、それで会議の場にも姿を現さなかったのか。しかし何故突然、俺の前に姿を現せた?」

 祐一郎が尋ねると、コードネーム『アレン』と名乗る女性は、険しい表情を浮かべた。

「緊急事態が起きたのだ。」

「緊急事態だと?もしやっ!敵組織に動きが?」

 祐一郎はチラリと視線をアレンの方へと向けると、アレンも視線だけを祐一郎の方へと向け、小さく頷く。

「貴様も気付いているとは思うが、今日ドーム内で、敵組織の壮大な人員確保が行われているのだ。」

「敵組織の?ハッ!」

 祐一郎は、周りにやたらとスーツ姿の若者が多い事を思い出す。

「それで今日は、何故かスーツ姿の者達が多かったのか・・・。」

「そうだ。私の調査に依れば、ドーム内で様々な企業が人員確保の説明会を行っている。その中に、どうやら敵組織も極秘に紛れ込み、人員を増やそうとしているらしいのだ。だがどの企業に紛れ込んでいるのかまでは、分からなかった。そこで貴様に任務を頼みたい。潜入し、敵組織が紛れ込む企業を見付けだして欲しいのだ。」

「俺に?何故俺なんだ?」

「貴様の邪気眼ならば、見抜く事が出来るはずだからだ。」

 アレンの言葉を聞いた祐一郎は、更に驚き、ゴクリと生唾を飲み込んだ。そして緊張をした赴きで、アレンに言う。

「どうやら、何でもお見通しの様だな・・・。俺の邪気眼の事すら知っているとは・・・。」

 アレンは軽く鼻で笑うと、得意気に言って来る。

「それが私の仕事だからな。」

「しかし分からんな。だったら何故直接俺に言って来ない。ジェイドを通じて俺を此処へと導いたのは、何故だ?」

「簡単な事だ。敵組織に情報が漏れでもしたら困るからな。秘かに任務を伝える為に、ジェイドに貴様を此処へと寄こす様に命令したのだ。無論、ジェイドも任務の内容は知らない。」

「成程。遠回しではあるが、確かにその方が安全だな。どうりでジェイドの口振りが、おかしいと思った。知らないのならば当然か。」

 祐一郎は両腕を組むと、秘かに笑みを浮かべた。中々の兵だ―――― 。関心をすると、嬉しそうな声で伝える。

「いいだろう。その任務受けた。」

 祐一郎の回答を聞き、アレンも微かに口元を緩めると、詳しく説明をし始める。

「私は顔が割れてしまっている為、ドーム内へは入れない。貴様一人で入る事になるが、人目が多い為危険はないだろう。多くの企業の中から、まずは貴様が一番興味をそそられる物を見付けろ。見付けたら詳しく話を聞き、良い条件等を出して来て、更に貴様の興味がそそられれば、その企業で間違いない。敵組織の一部だ。見付けたからと言い、軽率な行動は取るな。パンフレットを受け取り、何事も無かったかの様にその場を去るのだ。貴様にそれが出来るか?」

 フンッと祐一郎は鼻で笑うと、得意気な表情をして言った。

「俺を誰だと思っている。そんな容易いミッション、造作もない。」

「貴様にしては良い返事だ。では、健闘を祈る。」

 そう言い残し、アレンは日傘を広げると、颯爽とその場から去って行ってしまった。

 祐一郎はアレンの背中を見送ると、顔をニヤニヤとニヤケさせる。心の奥其処から湧き上がる興奮を抑え切れない様子で、「フッ・・・フフフ・・・。」と不気味な笑い声を漏らした。

「ついに・・・ついに来た。我が組織の本格始動。ヤベェー、マジ激熱なんだけど。」

 不気味に笑いブツブツと言っていると、周りから痛い視線を感じ、祐一郎はハッと我に変える。コホンッと軽く咳を吐くと、何事も無かったかの様に、涼しい顔をしてドームへと向かって行った。

 ドーム入口に到着をすると、駅のホーム以上に、沢山のスーツを来た若者達の姿が有る。入口には、『合同企業説明会フェア』と看板が掲げられていた。

「この中に敵組織の一部が・・・。よしっ!潜入開始だ!」

 ゴクリと生唾を飲み込み、少し緊張をした赴きで、ドーム内へと入って行く。中は沢山の人で溢れ返っている。皆沢山のパンフレットを方手に、真剣な表情で中を見て周っていた。

 ドームの中には見覚え有る名前の有名企業や、始めて見る企業の名前まで、数々が入っていた。それぞれの企業アピールの実演をしている場所があれば、片方では仕切られたスペースのテーブルに座り、対面して話をしている者達が居る。想像していた以上に壮大なイベントに、祐一郎は驚き唖然としてしまう。

「何だこれは?この中だけ空気が違う・・・。重苦しく、禍々しいオーラを感じる。」

 タラリと汗が頬を伝うと、祐一郎はまたゴクリと生唾を飲み込んだ。安易に考え過ぎていたか―――― 。と思うと、身を引き締め、周りを警戒し始める。

 隙を見せぬ様、警戒態勢を維持しながら中を見て周っていると、突然祐一郎の目の前に、一冊のパンフレットが差し出された。

 透かさずその場から距離を置くと、両手を前に翳し構える。険しい顔で、パンフレットを差し出して来た女性を睨み付けると、「不意を衝いたつもりかっ!」と叫んだ。

「いえ・・・あの・・・。よろしければ当社のパンフレットを・・・どうぞ・・・。」

 困りながらに女性が言うと、祐一郎はゆっくりと構えた両手を下ろし、そっとパンフレットを受け取った。警戒態勢を維持しつつ、パンフレットに目をやると、ゲーム会社の物だ。

「あ、俺このゲーム会社知ってる。」

 会社名を目にし、急に警戒態勢が解けると、その場でパラパラと、パンフレットの中身を見始めた。

「よろしければ、詳しくご説明を致しましょうか?最新ゲームの製作過程を、一部ですがご説明しております。その他――― 。」

「え?最新ゲームって、あの?俺買いましたよ!あっ、まだプレイ中なんで、ネタバレとか無いですよね?あーでもあそこの攻略が今一分かんないから、そこは教えて欲しいかなぁ~。そう言う説明とかも有るんですか?」

 まだ説明途中の女性の言葉を遮り、ペラペラと喋り出すと、女性は困惑しながらも答えた。

「えぇと・・・そう言った説明ではなく、本社の方針や制度について等・・・ですが。製作過程の説明は、職場環境の説明を兼ねてと言う事での説明ですので・・・。」

 それを聞いた祐一郎は、一気に詰らなさそうな表情を浮かべる。

「なんだ・・・。やっぱ攻略本買わなきゃ駄目かなぁ?あっ、でも製作過程がどんなのかは、興味有るな~。キャラデザの原画とか見れるのかな?それよりCG製作の・・・。」

 と、あれこれと言い掛けている途中、突然ハッと、アレンに言われた言葉が脳裏を過る。

 確かアレンは、自分が興味をそそられる企業が、敵組織の一部だと言っていた。今が正に、その瞬間だ。自分は今、このゲーム会社に興味をそそられている。と言う事は、このゲーム会社が敵組織の一部なのでは、と考えた。そして何より、自分に対し積極的にパンフレットを差し出して来たと言う事は、もしかしたら自分の正体に気付き、仲間に引き入れてしまおうと言う魂胆なのでは、と頭に過る。

 祐一郎は身を引き締め直すと、凛とした態度に急変させ、ネクタイを締め直しながら、凛々しい声で言った。

「そうですね。少し・・・詳しい話を聞きましょうか。」

「あぁ・・・そうですか。でしたらどうぞ、こちらにお掛け下さい。」

 祐一郎はすぐ近くに設けられた、テーブル席へと案内される。既に数人が座り、一対一の説明を受けている様で、祐一郎も椅子へと座った。

「すぐに担当の者が説明に参りますので。」

 そう言うと、女性はまたパンフレットを配りに戻って行ってしまう。

「なんだ?あの女はビラ配りのバイトか。周りは既に、洗脳をされている最中の様だな。」

 ボソボソと独り言を言っていると、茶色のスーツを来た年配の女性が、祐一郎の前へと座りに来た。

「お待たせ致しました。」

 そう言って穏やかに微笑むも、キッチリと纏めた髪型と、黒縁眼鏡を掛けているせいか、古典的な怖い女教頭先生の様に見えてしまう。

「あ、はい。どうも・・・。」

 その外見から、祐一郎は思わず恐縮してしまった。

「当社の最新ゲームをご購入して下さったそうですね。ありがとうございます。それでしたら、製作過程にはご興味がお有りでしょう。当社はゲームの製作チームの他に、営業チームと各部署がそれぞれございますが、資格を取得しながら働く事が出来る、と言った長所がございます。ですから営業チームから製作側のチームへと、途中希望移動をする事も可能なのです。既に資格所有者の方は、すぐにでもゲーム製作へと参加出来ますよ。保健等に関しましては―――― 。」

 延々と長ったらしい説明が始まり、祐一郎は少しうんざりとした様子で聞く。

 よく喋るおばさんだ――― 。と思いながら聞いていると、ふと疑問が思い浮かんだ。

 よくよく考えたら、このゲーム会社は自分もよく知っている会社だ。何よりこの会社から発売されているゲームを、よく購入している。もしこの会社が敵組織の一部だとしたら、とっくに自分はゲームを通して洗脳されているだろう。そう思うと、この会社は敵組織の一部では無いのか?と思うが、自分が興味をそそられた事に間違いはない。

「ん?ゲーム?」

 ポツリと呟くと、ハッとある重大な事に気付く。

 確かアレンは、企業に紛れ込んでいると言っていた。となれば、敵組織の一員が通常企業に紛れ込み、内側から支配して行くのではないだろうか。となると、ゲーム会社は打って付けだ。それこそゲームを通して洗脳をする事が出来る。そして洗脳をされた者達は、敵組織の人員となるのだ。

(成程!こう言う戦略だったのか!危うく騙される所だった!なんと言う合理的かつ恐ろしき仕組み!)

 心の中でそう叫ぶと、驚いた表情をさせ口を金魚の様にパクパクとする。

「どうかしましたか?何か質問でも?」

 説明を延々としていた年配女性に尋ねられると、祐一郎は慌てて、「いえっ!問題有りません!」と答える。そして覚られぬ様、キョロキョロと目を泳がせ、周りを探った。

(この中に敵組織の者が紛れ込んでいる!誰だ!どいつだ!)

 すると祐一郎の視界に、先程パンフレットを渡された、女性の姿が目に入った。女性は今も、行き交う人にパンフレットを配り続けている。その姿を見た祐一郎は、カッと目を見開いた。

(見えた!あのビラ配り女か!)

 祐一郎は目の前で説明を続けている、年配女性に、真剣な表情で尋ねた。

「すいません、質問です。あそこでビラを配っている人は誰ですか?」

 直球に尋ねると、年配女性は戸惑うも、「パンフレットでしょ?」と答えて来た。

「最近入社した新人の者なので、説明はわたくし達ベテランがしておりますが?若い子の方がよかったかしら?」

 ホホホッ、と微妙に口元を引き攣らせ、笑う年配女性は無視し、祐一郎は確信を得る。

(最近の入社・・・。突然の新入り、若い女、年増女、男の社員・・・。ハニートラップ!)

 ガタッ、と勢いよく椅子から立ち上がると、テーブルに置いたパンフレットを手に持ち、力強く一歩一歩を踏み出しながら、パンフレットを配り続けている女性の元へと歩み寄る。女性の前まで行くと、黒いスーツの胸元に付けられた名札を見た。名札には『三浦』とだけ書かれている。

 チッと軽く舌打ちをすると、じっと女性の顔を見つめた。三浦と言う女性は、セミロング程の長さの髪をした、二十代前半の様だ。

「あの・・・何か?」

 困った顔をして尋ねて来る三浦に、祐一郎は真剣な表情で尋ねる。

「あの、下の名前何て言うんですか?教えて下さい。」

「は?えっと・・・。」

 唐突な質問に、更に困ってしまう三浦の姿を見て、祐一郎はハッと自分の失態に気が付く。

 理由も無く聞いたとしても、警戒して素直に教える筈がないだろう。祐一郎は透かさず笑顔を浮かべると、穏やかな声で言った。

「あぁ、突然すみません。パンフレットを貰ったお陰で、この会社を知る事が出来て興味も湧いたので、切っ掛けを作ってくれた人にお礼が言いたくて。ついでに、名前も知りたいかなって・・・。もしかしたら、先輩になるかもしれない人なので。」

 可愛らしい笑顔の祐一郎に、三浦の頬は思わずピンク色に染まってしまう。

「えっ?あぁ、そうでしたかっ!私、三浦瞳って言います。楽しい会社なので、是非来て下さいね。」

 照れ臭そうに三浦瞳は自己紹介をすると、祐一郎はニヤリと笑った。

「瞳さんですか。パンフレット、ありがとうございます。新人さんと聞きました、大変ですね。」

「いえいえ、そんなっ!あっ・・・あのっ、まだ会場を見て周ります?」

「え?いや・・・もうそろそろ帰ろうかと。」

 突然の質問に、祐一郎はまた少し警戒態勢へと入ろうとする。すると三浦瞳は、モジモジと恥ずかしそうにしながら、顔を赤く染めながら言って来た。

「あの・・・私もうすぐ休憩入るんですが・・・。その・・・よければお茶でも・・・。いえっ、あのっ!興味が有るなら、外でお茶でも飲みながら、ゆっくり話しませんか?その、会場じゃ聞けない話とか・・・。あぁ、休憩と言っても、本当三十分程度で、短いんですが、外ならメアドとか交換出来るかなぁ~って。」

 歳上にモテる祐一郎の特徴が、ここでも発揮され、三浦瞳は近くで説明をしている上司達の目を気にしつつ、祐一郎を誘った。

 祐一郎は不可解そうな表情を浮かべるも、これは敵組織の探りを入れるチャンスかもしれない!と思い、笑顔で頷く。

「喜んで。えっと・・・どこで待っていればいいですか?」

 祐一郎の答えに、三浦瞳は嬉しそうに微笑んで言った。

「あ、じゃあ、ドーム出たすぐ横に有る、カフェで待ってて下さい。私、カフェのすぐ側の駐車場に車を停めて有るので、ちょっと車に忘れ物取りに行ってから、向かいますから。」

「分かりました。休憩は、もうすぐなんですか?よければ先に、何か注文しときますけど。」

「いえっ、いいですよ。後十分位は有るから、お待たせしちゃいますので・・・。えっと、十五分後位には、カフェに行きます!すぐに行きますから!待っててね!」

 少し興奮気味に三浦瞳は言うと、祐一郎は優しい笑顔で頷いた。

「ちゃんと待っているので、大丈夫ですよ。じゃあー、俺は先に行ってるんで、これで失礼しますね。怖い眼鏡のおばさんが、こっち睨んでるし。」

「え?嘘っ!マジ?」

 慌てて三浦瞳は後ろを振り返ると、先程の年配女性が、鋭い目付きでこちらを見ていた。三浦瞳は焦ってパンフレットで顔を隠すと、「それじゃぁ・・・後でね。」と小声で言う。祐一郎はクスリと笑い、頷くと、そっとその場から離れて行った。

 三浦瞳と約束を交わした祐一郎は、ドームを出ると、早速待ち合わせ場所のカフェへと向かう。その道中、祐一郎はずっと不適な笑みを浮かべていた。

「フフフ・・・流石俺だ。ジャック・バウアーも顔負けの、完璧な機転と演技。小夏の遺伝子が役に立った。」

 「フフフハハハハハッ!」盛大に笑いながら、カフェを目指し歩いて行く。


 待ち合わせ場所のカフェは、ドームの出入口を出てすぐ左側に在る、ドーム敷地内のカフェだ。カフェ近くには階段が有り、階段を下りた所に駐車場が在る。三浦瞳は、この駐車場に車を停めたようだ。

 祐一郎は先にカフェに入り、カフェ・オレを注文すると、目立たない奥の席へと座った。会話を他の者に聞かれない為に、と奥へと行ったのはいいが、カフェ内にもスーツ姿の者達がウジャウジャと居る。流石にこの人の多さには、祐一郎も少しうんざりとしてしまう。

 チラリと腕時計を見ると、十二時前で丁度お昼時近くだ。三浦瞳の休憩と言うのは、きっと昼食休憩の事だろう。

 「暇だ。」とぼやくと、ズズズッとカフェ・オレを啜る。

「いや暇じゃない!報告しなくては!」

 思わず自分でツッコムと、慌てて携帯をズボンのポケットから取り出した。

「そうだ!紛れ込んだ敵組織の者を見付けたんだ。アレンに連絡しなくては・・・。」

 と、携帯の電話帳を開くも、アレンの連絡先を知らない事に気が付く。仕方なく貴志に連絡をしようとするが、貴志は自分の任務の事を、知らないと言う事も思い出した。

「ならば俺は、誰に報告をすればいい?」

 祐一郎は、その場で頭を抱え込んでしまう。どうすればいい物かと悩んでいると、「あ、そうだ。」と思い出す。

「緊急連絡用の、掲示板設置して有ったっけ。そこでいいか、お知らせメール届くし。あー、ついでにアレンのコードネームパスも、登録しておこっと。」

 祐一郎は携帯から、『闇の使者エージェントの集いし部屋』を開くと、その中に有る緊急連絡用掲示板を選択し、書き込み欄の中にカタカタと文字を打つ。

「えっと・・・。『只今ドームにて、敵組織の一人を発見。黒いスーツ着用の、二十代前半と思われし女。髪はセミロングの黒色。こちらの正体を隠し、接触に成功。待ち合わせ場所のカフェにて、待機中。対象はカフェ近くの駐車場に車を停めている様だ。何かを取りに行くと言っていた為、極秘資料の可能性有り。』っと・・・こんな感じかな。あ、名前は・・・。『対象は三浦と名乗っていた。精細はまた後程報告する。』こんなもんかな。アレンの事は・・・極秘エージェントと言っていたしな、会合の時に話そう。」

 文章を作成し終えると、書き込みボタンを押した。『書き込み完了』と言う文字が、画面に表示をされると、そのままパスワード登録画面へと進み、アレンの名前を登録する。

「これでよしと。後は三浦瞳の到着を、待つだけだな。」

 携帯の時計で時間を見てみると、十二時五分過ぎになっていた。先程見た時間から、もうすぐ十分が経つ。再びカフェ・オレをズズズッと飲むと、携帯アプリのゲームをしながら、三浦瞳が来るのを待った。

 しかし、待てども待てども、三浦瞳は一向に現れる気配が無い。時間を見てみるが、もう十二時二十五分を過ぎている。「ったく、これだから三次元女は・・・。」文句を言いながら、苛立つ様に何度も時計を見た。

「もしやっ!俺の正体に気付き逃げたのでは。」

 ハッと気が付くと、慌しく席を立ち、携帯をポケットに仕舞い店から飛び出す。そのまま横の階段を下り、駐車場へと行くと、ざっと周りを見渡し、三浦瞳の車を探した。が、三浦瞳がどの車に乗っているのか、知らない事に気が付く。

「しまった!聞いておけばよかった!」

 またも頭を抱え込むと、悔しそうに何度も力一杯地面を踏み付ける。

「あ、まだ会場内に居るかも。」

 ピタリと足を止めると、早速会場へと戻ろうとした。だがその前に、一応と思い、駐車場に停められた数台の車をチェックする。車内に三浦瞳と思わしき物等は無いかと、窓から中を覗き込む。傍から見たら思い切り不審者だが、祐一郎は気にする事なく、一台一台を見て回った。

 結局どの車からも何も分からず、仕方なく会場へと戻ろうとすると、階段を上がる左脇に、一台車が停まっている事に気付く。建物が上からはみ出しているお陰で、そこだけ日陰になっている。車はカフェの建物のはみ出した部分の下に有り、丁度死角になっていて、気付かなかったようだ。

「長時間車を停めるなら、ここだな。それに関係者となれば、誰よりも先にこのポジションを押さえられる。俺の推理が正しければ、三浦瞳の車はこの青いマーチだ。」

 祐一郎はニヤリと笑うと、青い車の元へと近づいた。そっと覗きこむ様に車の側まで来ると、早速車内を物色しようとする。すると車のすぐ側に、女性の靴が転がっている事に気付いた。

「何だ?忘れ物か?」

 祐一郎は靴を拾い上げようとしゃがむと、車の下の隙間から、女性が倒れている姿が見えた。

「なっ!」

 驚き、その場で尻餅をついてしまうが、慌てて立ち上がり、女性が倒れている反対側へと回り込む。

「大丈夫ですか?」

 声を掛け、急いで駆け付けようするが、倒れている女性の姿を目にすると、祐一郎の足はその場に固まってしまった。

 駐車場を囲む木の壁の中に、肩から上が埋もれている。コンクリートの上に寝そべる体は、ぐったりとしており、白いシャツは真っ赤に染まっていた。所々衣服は乱れ、車を背に寝そべっているせいか、赤い雫は建物の方に広がっている。

 祐一郎は愕然とすると、「なんだよ・・・これ・・・。」と声を震わせながら、恐る恐る近づいた。

「血・・・だよな、これ・・・。」

 ゴクリと生唾を飲み込むと、自然と足が震えてくる。ドクドクと鼓動は高鳴り、暑さとは別に、ジワリと額には冷や汗が滲んだ。手の震えが止まらない。血が沢山流れ出ているから、と言う理由だけではない。見覚えの有る服装だからだ。

 歪に顔を歪めると、高鳴る鼓動を必死に押さえながら、ゆっくりと後ろから近づき、上着に付いている名札の名前を覗き見た。名札には『三浦』と書かれている。

「マジかよ・・・。嘘だろ・・・?」

 名札の名前を見た瞬間、一気に気持ち悪くなり、思わず手で口元を覆ってしまう。後退りをするも、勇気を振り絞り、木々に隠れた顔を覗こうとした。別の三浦だと言う事を、心のどこかで願いながら、ゆっくりと顔を確認する。

「うわわああああぁぁぁ――――!」

 木々に埋もれた顔を確認すると、祐一郎は叫び声と共に、その場に腰を抜かしてしまう。その顔は間違いなく、三浦瞳だった。

「みっ、みっ、三浦・・・瞳・・・。何でだよっ!どうなってんだ・・・。しっ・・・死んでっ・・・。」

 祐一郎はお尻を着いたまま、手でズルズルと後ろへと下がった。足はガクガクと震えが止まらない。始めて見る本物の死体に、恐ろしくて今にも吐きそうだ。

「どうしよう・・・。きゅっ、救急車っ!いやっ・・・警察っ・・・。どっちだ?なっ・・・何番だっけ・・・?」

 突然の出来事に、頭の中は混乱してしまう。ズボンのポケットの中から、携帯を取り出そうとするが、手が震えて上手く取り出せない。「糞っ!手がっ・・・!」必死に奮闘をしていると、ガサッと近くの木陰で、人影が通り過ぎるのが一瞬見えた。

「誰だっ?」

 とっさに叫ぶも、その気配はすぐに消えてしまう。

 と、祐一郎の悲鳴を聞いて駆け付けて来た、来場者の一人の男性が、祐一郎と三浦瞳の死体を目にし、「人殺しっ!」と叫んだ。

「なっ!ちがっ!俺じゃ・・・俺じゃないっ!」

 慌てて言うも、男性は祐一郎から距離を取ると、急いで携帯を取り出し、警察へと通報をし始めてしまう。祐一郎は慌てて立ち上がろうとするが、腰が抜けて立ち上がる事が出来ない。

「どうしようっ・・・どうしよう!にげっ・・・逃げなきゃっ!違っ!俺じゃないんだ。ちゃんと説明してっ・・・。でも、信じて貰えなかったら・・・。やっぱり、逃げなきゃ!でも・・・立てない!立てないよ!」

 ポタポタと流れ落ちる汗が、地面へと滲み込む。救急車とパトカーのサイレンの音が、遠くから近づいて来る。ギュッと強く唇を噛み締めると、大粒の涙が零れた。




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