第1話 恋人と過ごす(はずの)日
こんばんは、汐瀬です。
じれじれ&クスリと笑えるお話を書きたくて
今回の作品を描きました。
クリスマスまでの短めの連載となります。
楽しんで読んでいただけたら嬉しいです!
伯爵令嬢クラリス・ド・ベルはその日、婚約者を待たずに夜空を見上げることを選んだ。
王立アルカナ学院の大ホールは、夜になると恋人たちのための場所になる。それは十二月のクピドの日――人々が慣例として「恋人と過ごすの日」も、もちろん。
ホールの中央に聳え立つ天文鏡の順番を待つ列には、自然と婚約者同士が並び、肩を寄せ合って星を見上げる。天の川がどうだ、北極星がどうだと語る声の合間に、甘い笑い声が混じる。その距離の近さが、クラリスには少しだけ眩しかった。
その光景の中で、緩やかなカールを描くピンクベージュの髪を靡かせながら立っているのが、彼女だった。その隣には赤いおさげ髪の親友、イザベル・マラントが分厚い魔導書を胸に抱えて立っていた。
濃紺と白を基調としたアルカナ学院の制服は、決して華美ではない。
柔らかな白のブラウスに、仕立ての良い紺のベストとスカート。裾や胸元に控えめな金の装飾が施され、着るものに自然と背筋を伸ばさせる。その佇まいは、クラリスの静かな品格を際立たせていた。
「……ねえクラリス、本当に殿下は来ないの? お誘いしたんでしょう?」
丸い瓶底眼鏡の奥から、イザベルは周囲を気にするように視線を巡らせる。「またクラリス様はご学友とご一緒ですわね」と話す女学生をみつけては、顔を覚えてやろうと密かに睨みつけた。
「今日は、お忙しいそうですわ」
そう答える声は、落ち着いていた。少なくとも、そう聞こえるように整えているようだった。
「お詫びのお花のひとつも、ないのですか?」
「恋愛にうつつを抜かしている場合ではないのだそうです。……きっと、そんな余裕もないくらい。生徒会が忙しいのですよ」
その言葉に、イザベルは何も言えなくなる。小さな小鳥が、クラリスの肩口でぴよぴよと鳴いた。慰めるようでもあり、励ますようでもあるその声に、クラリスは小さく微笑む。
「久しぶりにアルベルト様のところの黒猫にも会えましたし――私にはほら、イザベルも、この子もいますから」
そう言って指先を小さく曲げて小鳥のいる方の肩へ寄せると、小鳥はそのまま小さく跳ねて指先に乗り、クラリスの顔を覗き込んだ。
(大丈夫。……優先されないことには、慣れてるわ)
話し込んでいる間に、天文鏡の順番が回ってくる。担当教授が使用方法を説明する声は、残念ながらクラリスの耳元をすり抜け、流れていく。その様子を見ていたイザベルが代わりに受け答え、さらに順番を待った。
「あ、大丈夫です。いつも使ってますから」
イザベルが簡単に断ると、3段重ねの踏み台に乗った背の低い教授は小さく頷いて、「こちらに」と天文鏡の覗き口の方へふたりを手招いた。
「今夜は流星群じゃ。格別に綺麗なのは――ほれ、北斗星のすぐ横を何度も通っていく」
教授が照準を合わせた天文鏡は、覗き込むだけで満点の星空を映し出す。あまりの明るさに「わぁ」と声が出て、二人はしばらくの間、流星群を見続けた。
「私も、殿下にとっては一瞬の、……流れ星なのかもしれませんわね」
小さく、物憂げな言葉がこぼれる。イザベルはその声を聞き逃さなかった。
「あっ、いや〜、その! 今日の光はどちらかというと、まぐれというか何というか……あっそうだ、魔術競技部! 競技部の火球とか水球とか、そういうのだったのかも! あは、は、は……」
「ふふっ、イザベルったら。火球なわけないじゃない。でも……もしそうなら、もっと近くで見てみたいわね。ああいう光は、嫌いじゃないもの」
「では、すぐにでも行きましょ? きっとまだ、競技部が練習してますから!」
重たい魔導書を持ったまま、イザベルは空いた手でクラリスの手を引く。大きな本棚の間をすり抜け、噴水の横を通り、裏庭をかけていく。
「ふふっこんなに走ったの、久しぶり」
「早くしないと、終わっちゃいますから」
クラリスの方を振り返ったイザベルの視界の端が、チカチカと光る。火花のような光が閃光を放ち、星とは違う鋭い輝きとなって流れる。
「あっ! 今の、見ました?」
「え?」
クラリスが振り返った時、夜空にはもう何もなかった。
外へ出てからしばらく走っていたけれど、もう先ほど天文鏡で見た流れ星すらも見えない。少し残念に思いながら、クラリスは足を止めて夜空を見つめていた。
「すみません、気のせいだったのかも」
「いいのよ。それよりも早く、行きましょう!」
再び走り出したクラリスの頭の後ろに、またもや閃光が飛ぶ。夜空を切り裂くように、まっすぐ伸びて消えた光が、その目を捉えて離さない。胸の奥が、ほんの少し温かくなるような光。
「まぁ……」
思わず感嘆の声が漏れる。柔らかな光に照らされ、久しぶりにわくわくとした顔をしたクラリスを見て、イザベルはこの笑顔を絶対に守ろうと決意した。




