何か隠してるよね
翌日、昨晩の出来事がネットニュースにあがっていた。
当然、"メダカ"とは記載されず
「H市で発砲事件か」とだけ書かれ、簡単な文章で内容はまとめられていた。
私でも書けそうだな、この記事、と思い、そのページを閉じた。
昨晩の快感が、まだ残っていた。
苦しめられる人たちを救う手助けができるのだ、恍惚とニヤけてしまった。
この快楽に浸った状態でタバコを吸ったらさぞ気分がいいだろうな、と思い換気扇の下まで行ったら箱の中身はもう空だった。
大きなことをする、田辺が言っていた通りになった。
大事が起きた。
しかも、私の目の前で。
私は正義の側に立っている。
そう思うと心地よくて仕方がなかった。
コーヒーを淹れよう、と思いお湯を沸かしたが、肝心のコーヒーも無くなっていた。
なんだよ、と思いながら財布を持ち、コンビニへ向かった。
コンビニまでに何台パトカーを見ただろうか。
偽善者共め、と横目で見つつ、コンビニに入店した。
タバコとコーヒーパックを購入しようとレジ列に並び、自分の番が来た。
もう馴染みのある(いわゆるおばちゃん接客をする)店員さんが話を振ってきた。
「今日はパトカーが多いですねー」と私に会話を振ってきた。
「そうですね、何かあったんですかね」と私は素っ気なく躱し、この人は何も知らないんだな、と思った。
コーヒーを淹れるべく、部屋に戻り私は考えた。
確かに大事になった。
ただ本当に善いことをしているのだろうか、やはり拳銃を扱うようなところにいるのは──と、考えたがあの乾いた音の残響がまだ耳にこびりついている。
視覚化できる救済、形として残る報復。
願ってもないことだったじゃないか、と私は私を肯定していた。
ぽつんと、薄暗い部屋にいる私は、ドリップコーヒーにお湯を注ぎ、ぽこぽこという音と共に、静けさを感じていた。
まだ、変わっていない。
今日は木曜日だ。
また"タガメ"にいけば、また、変化を感じることができる。
そう確信していた。
明日が待ち遠しい、一体何をするのだろう、何を話すのだろう。
そう考えると、生きる希望が湧いてきた。
好きな人のために、なればいい。
振り向いてくれないとしても。
バナからはまだ、返事がなかった。
────ほう、と煙を吐き出した。
寒空にタバコの煙はよく似合う。
どこまでも私の吐いた煙が長く、長く伸びていく。
大学の喫煙所は屋外にある。
雨が降れば傘の渋滞が起きること以外は、私にとってお気に入りの空間である。
空きコマの間は、タバコで埋める。
私は、講義の単位を間違いなく獲得できるほどに出席し、小テストや小論文などの課題も自力で乗り越えることができた。
あとは消化試合だ。
サークルから離れただけで、これだけ講義が頭に入ってくるというのは、想定していなかった。
マルチタスクは向いていなかったのだ、と思いながらまた深く煙を吐いた。
不審者はもう最近は見かけない。
あれ以降、特に何か私の身にあったわけではない。
学友と昼食を済ませたり、他愛もない会話をしたりと、いわゆる"普通"の大学生に戻ることができたような気がする。
どれだけ"メダカ"が私の負担になっていたか、よくわかった。
いよいよ、明日からバイトにも復帰する。
先輩ともシフトが被っていることが確認できた。よかった、と少し胸を撫で下ろした。
会ったら、必ず「今は平気、大丈夫」と伝えるつもりである。
ただ、やはり学友とでは満たされない何かがある。
大学ではまだ、どこか『孤独』を感じる。
"メダカ"の関与はなくなって嬉しいが、どこか満たされない『何か』がある。
満たされているはずなのに、どこか音を立てて、静かに漏れていく感覚があった。
不快感が、まだ忘れられない。
この不快感を先輩と共有したい、と願ってしまうのは彼にとって迷惑だろうか。
ただ、こんな話は先輩にしかできない。
依存癖がある。私の悪いところだ。
あと一本吸ったら校舎に戻ろう。
屋外喫煙所は素敵だが、一人では寒すぎる。
"タガメ"に行き収穫を期待していた私は────
ただコーヒーを飲み、「まだ時ではない」と田辺がそれだけ告げて、茶話会のようになってしまった。
先日のテナント襲撃後のプランや感想などを期待していた私は、拍子抜けしてしまった。
何度この大男に拍子抜けさせられるのだろう。
ただコーヒーを飲みながら、四木との昔話をされ、日常感が抜けなかった。
私はあのスカッとした夜の事を共有したかったのに。
彼らにとってはそれが日常茶飯事なのだ、私も早くその域に達したい、そう思ってしまった。
それからは凡とした毎日を過ごしていた。
ただ古本を買い取り、売り、また本を補充する。
それが終わったら喫煙所でタバコを吸い、家へ帰り飯を食う。
それだけを憮然と繰り返した。
退屈で、仕方なかった。
バイトがない日はやはり充電が切れたかのように、寝て過ごしていた。
これが私の日常か、とまた少し寂しくなった。
ただ時が来たらそれに参加する、その覚悟だけは決まっていた。
シフト表を見ると、明日の出勤者の名前にバナの名前があった。
復帰するのだ、と少し心躍った。
"タガメ"の話は出来ないが、それでも少し爽快感を共有できれば、と思った。
明日が待ち遠しい。そう思うと少し気持ちが安らいだ。
この爽快感をどのように表現すれば良いのだろう。
そう思い、彼女とのトークを開いてみたが、まだ既読はついていない。
そもそもが返信の遅い人だ、仕方がない、とまた携帯を閉じ、布団の方へ放り投げた。
私はまた貴重な休みを無意味に過ごし、翌日を迎えた。
朝は無情な程にやって来る。
少し曇り、「冬です」と言わんばかりの空だった。
出勤までの時間を、洗濯と、台所の洗い物で消化した。
いつも通りだった。
部屋は散らかったままで、片付ける意欲もわかない。
再び体を布団に預け、なにかと携帯でSNSを開き、怠惰な時間を過ごした。
すると、偶然オススメの欄に"メダカ"の動画の投稿があった。
川にいるあの鯉ほどの大きさのめだかだった。
来た。これはD社も黙ってないだろう。そうすると、"タガメ"も何かアクションを起こすに違いがない。
心が躍った、また活動に参加できるかもしれないのだ。
都合のいいことに、相当にバズっている。投稿は1時間前にされたものだった。ここまで投稿が残っているということは、D社もそれに注力する時間がないのだろう。
田辺さんからの連絡を待った。
待った。
出勤の時間までに来なかった。
少し残念に思いながら、出勤した
久しぶりに会ったバナは、髪を結び、気合い十分、といった具合だった。
私と目が合うと、駆け寄ってきて、小声で話しかけてきた。
「メッセージ返せなくてごめん!スマホ見られてると思うからさ、あんま動かさない方がいいかなって思って」
私は安堵した。それが理由なら、全くもって問題はない。
私はにこやかに「そっか、それならいいんだ」と言った。
バナも少し照れくさそうに「改めてこの間はありがとね」と呟いた。
「いいんだよ、タバコ吸おうぜ」
肩を叩き、そう言った。
喫煙所で他愛もない話をして、すっかり出勤時刻1分前になってしまった。
焦りながらスタッフルームに戻る時は二人とも駆け足だった。
私は満たされていた。
私は満たされていた。先輩と、何も問題なく接することができた。
暗い話もしなかった、とてもよかった。求めていたのはこれだったのかもしれない。
分かり合える人がいる、これが何より私にとって充足した時間を与えてくれるのだと思った。
後ろめたい気持ちは抜けないが、それでも補強にはなった。
それがどれだけ心強いか。
久しぶりの仕事に、少し緊張しながら、取り組んだ。
体は覚えているもので、作業は難なくこなすことができた。
充実している、そう実感した。
先輩も同じ気持ちだといいな、そうだったら嬉しいな。
鼻歌が出そうなほど、心地よかった。左手首の傷は、一目ではわからなくなっていた。
仕事を終えると、私とバナは喫煙所で再会する。
先に退勤していた私は、レジ締めをするバナを待っていた。
「久しぶりにやったけど、やっぱ締めってめんどいね」
とケタケタ笑った。
髪が前よりも長くなっていたことに気づいた。
そして目が合った。
するとバナは少し顔をしかめ
「ちゃんと寝れてる?クマすごいよ」
と指摘した。
自分では全く気がつかなかった。
「そう?自分の顔だからよくわかんなかったわ」
「自分の顔だからわかるんでしょ、指摘されるまでわかんなかったの?」とカバンを漁り、小さな手鏡を渡してきた。
よくよく見ると、確かにそうだ。
クマが濃い。
睡眠導入剤は飲んでいるが、ちゃんと眠れている気がしていた私は驚いた。
「この数週間で何かストレスでもあった?」
ハッと気づいたような素振りで
「"メダカ"…?」と口にした。
私は慌てて否定した。
「違うよ、あれ以降俺には何もない、むしろ爽快な出来事があって清々しい気持ちでもあるよ」
「何か…あった?」
どう答えるか迷った。
挙句、"タガメ"には触れないよう、嘘をついた。
嘘をつくのは得意だが、苦手だ。
彼女は訝しげな顔でこちらを見つめていた。
少し、沈黙があった。
「飲みに行こ、そこで話聞くわ」
と彼女は言い放った。
断りづらい、久しぶりに飲みたい気持ちはあったが、"タガメ"のことを知られるのはまずい。
酔った私なら言いかねない。
だが、もう彼女は歩き出していた。
私は、それに黙ってついていくしかなかった。
「予約していた橘です」
と店に着くなり彼女は言った。
彼女は喫煙所で既に予約を済ませていたのだ。
用意周到、当然いつもの個室に通され、座った。
ビール二つに、梅水晶。
久しぶりだ、「いつもの」だ。
私の中に『いつも』が再来した。
彼女はジョッキを持ち、こちらをやや睨みながら無言で乾杯を済まそうとした。
私もジョッキを持ち、コツンとぶつけた。
彼女は一口で半分飲んだ。
「そんな急に飲んじゃったら危ないよ」
「サークルではこれくらいが普通だったの。鍛えられてるから、私」
にやりと笑った。
彼女は前を向いているのだ、と察することができた。
この数週間で、また精神的に少し強くなったのか、と私は感服した。
どれだけのびしろがあるんだ、本当にすごい人だ。
ただ、やはりどこか影がある。
「サークルに関係してる話なら、絶対私に話して。巻き込んだのは私だし、責任は私にある」
私は萎縮してしまった、こちらにも影があり、人には言えないようなことをした。ただ、間違っている、とは思っていない。
私も負けじとビールを半分まで飲んだ。
どれだけ酔おうと、口にしないぞ、とサインを送った。
彼女とのビールは、やはり他の人と飲むものとは違う。
不思議なものだ、こちらにはもう傾倒してこないと思っていた彼女が、傾倒するかのような形で私を連れ出した。
久しぶりの再会で、さっきまでの楽しかった雰囲気から一瞬で張り詰めた空気感が漂った。
「"アレ"じゃないよ、さっきも言ったけど、石鹸以降俺に"アレ"は接触してきてない」
「その石鹸すら問題なんだけどね、気づかなかったの?」
「台所は雑把な所があるから、すぐには気づけなかったんだ。いつからあったのか、全くわからない」
「だとしてもその目、クマ、普通じゃないと思うよ」
じっと私に視線を合わせようとしてきた。
私はその視線を逸らした。
「少し、一人になる時間が多くて、寂しかっただけだよ。そこに、少しスカッとする出来事があったんだ、それだけだよ、本当さ」
嘘は言っていない。さっきの嘘よりは真実味を帯びた事実を告げた。
これで納得してくれるといいが、と願った。
「何か隠してるよね」
やはり簡単には逃してくれない。
「今日は、バナより俺が多く飲む、バナの復活祝いに」
「祝うんだったら、正直に言って欲しいんだけど?」
と、チャイムを鳴らし、店員を呼び、日本酒を熱燗でオーダーした。もちろん、お猪口は二つだ。
彼女は早期決着を求めている様子だった。
口を割らないようにしなければ、何を咎められるか、たまったもんじゃない。
反社会組織にいて、"メダカ"に制裁と報復を与える、なんて言えたものではない。褒められたくて、"タガメ"に入ったわけではないのだ。
ただ少し、自己顕示欲がよぎった。
活動を認めて欲しい、仕返しをしているのだ、と。
"メダカ"から溢れた学生たちの代打として私はバッターボックスに立ったのだ、と伝えたくなった。
それはもう綺麗な放物線を描いたんだ、そう伝えたかった。
「前、ウチの職場に四木さんっていたんだよね?」
なぜそれを…と口にしそうになり、慌てて言った。
「いたけど、何で知ってるの?」
「有名だったから。サークルで。選ばれたのに内定を蹴ったって」
サークルで海周さんは有名なのか、それはそうか、大勢から見れば憧れの立場を蹴り飛ばした、信じられないような存在だろう。
「あの人も"アレ"にいたの?」
と透け透けの口調で知らないフリをした。
「いた、凄かったって上級生が言ってた」
「ウチの店でも凄かったんだよ、あの人は…」
「店でも優秀だった、でしょ?その話、前にしてくれたよね」
ドキッとした。
仕掛けに乗ってしまった。
「仲良かったでしょ」
「…うん」
「知らないはずないよね」
「まあ…」
「あの人、今、なにしてるの」
「宮城でクラフトビール作ってる」
事実だ、大丈夫だ。
それにしてもなぜ、急に四木海周の名前が上がってきたんだ。
「だけ、じゃないよね」
嘘だろ、知ってるのか?
動揺した。隠し切れる気がしない。
「私も聞いたことある。"アレ"の対抗サークルに加担したって。しかも、超過激なやり方の。まさかだけど、誘われて入ったりとかした?スカッとしたって、それ?」
さすがだ、全てお見通しなのだ。
黙る前に返事をしなくては、私は日本酒が巡るのを感じる頭で考え、やはり答えるしかない、と思い、口にした。
「見守ってただけだよ、加担はしてない。海周さんも、間接的にしか関わってない、と思う」
「やっぱり…」
バナは頭を抱えた。
項垂れたあと、首を起こし、髪をはらい、ピアスが見えた。
「ダメだよ、それ以上のことしたら。"メダカ"よりヤバいことすることになるじゃん、ここで終わりにして、お願い。私のためとか、思わなくていいから」
改めて、何もかもお見通しだ。
しかし、そこに快感を求めてしまった私にとって、このブレーキはやや弱かった。
"メダカ"がバナにした行為を、私は断じて許すつもりがない。
しかしその本人が「私のため」じゃなくてよい、と言った。
それがやはりパンチとしては強かった。
テナント襲撃のことだとは思っていないようだった。
やはり、出来事としては世に大事とは認識させられていないのだ。
私は、確かに彼女がそういうのであれば、やめる選択肢もあるのか、とも思っていた。
私はまだ銃を握っていない。
まだ引き返せる。そう思った。
彼女の手を握ったこの手を、汚してはいけないのだと葛藤した。
私は日本酒を口にし、答えた。
「わかった、バナが言うなら、やっぱりやめるよ。確かに、少し怖かった。俺には向いてない、うん、向いてないと思うわ」
「それでいいんだよ、よかった、これ以上私みたいに道を踏み違えないで。私の側にいて、支えてくれるお兄さんとしていて欲しい」
やはり、恋人にはなれないのだ。
少し奥歯を噛み締めた後、絞り出すようにわかった、あれで終わりにするよ。と答えた。
彼女は安堵した表情で
「じゃあほら、いつもみたいに飲もう、終電まで時間あるし!」
私は微笑み、我々二人が自然と日常に戻ったのだ、と思い込んだ。
そのまま、彼女の終電まで飲んだ。
初めてだ、初めて、最後まで酒がうまいと思った。
いつも通り飲み、二人でケタケタと笑いながら時間を過ごした。
あっという間に時は流れたので、支払いを済まし、駅まで彼女を見送り、姿が見えなくなるまで手を振り、充足した気持ちで帰路につこうとした。
携帯が、震えた。
田辺からだった。




