瓦解
────昨晩の出来事もあり、私はやや不快感に囚われながら目を覚ました。
今日は大学に行き、先輩のいないバイト先へ向かう。彼は休みの日だった。
少し、モチベーションが下がった。
朝のルーティンをこなし、支度ができた。
家を出て、いつもの電車に乗り、いつも通り大学に来た。
私は一年浪人している。
先に大学や短大を出た友人たちは、会社での扱いや、人付き合いについて愚痴を言ってくる。
同情はできるが、共感はできなかった。
私にはまだ先の話だったから。
その近道として、"メダカ"に入り、D社に就職し、差をつけたい、とまで願っていた。
ついこの間までは、波があったとはいえ、順風満帆だった。
それが崩れ去り、私の手元に残ったのは、あたたかい家族と、先輩だけだった。
その先輩は、孤独感から、私の行いで、正しい道から脱線しようとしていた。
私が昨晩、道に戻せたかはわからない。
もしかしたら、簡単には抜け出せない道に入り込んでしまったかもしれない。
私のために、行動してくれる人がいたのに、私は彼のために行動できずにいる。
もしかしたら私は優しくないのかもしれない。
一歳年下の学友たちのことも、軽く見てしまっているかもしれない。
私が一年かけて必死に受かった学校に、学友たちはストレートに入学することができたのだ、劣等感を抱えていたのかもしれない。
もしかしたら、先輩と接する時も、大学を出てフリーターで、なんとか就活を進めているような人だから、とおもしろおかしく扱ってしまっていたかもしれない。
それでいて、巻き込んだ。
良い方向に巻き込めれば良かった。
悪い方向に巻き込んだのは事実で、訂正しようがないことだった。
その罪悪感を抱えたまま、電車に乗り、うつらうつらと考えていた。
彼は今日、何をするんだろう。
悪い団体から抜け出すことができただろうか。
彼には幸せになって欲しい。
たとえ私がもう彼の側にいる資格がなかったとしても。
彼が、私に好意を向けてきていたのもわかっていた。それでも私は受け入れられなかった。矮小な人間なのかもしれない。
苦しい思いをたくさんしてきた人だ、良い形で報われなければ、この世は非情すぎる。
ただ、私も現実を知り、この世の虚しさを知った。
大人たちは汚れ、若者から搾取する。いらなくなれば棄てる。
そんな世界だ、彼のような優しすぎる人には、社会の風は少し厳しく当たるだろう。
何か幸せになれる手段はないのかな…と、目を閉じ、大学までの道を歩いた。
──目を開けると、銃がテーブルの上に転がっていた。
夢じゃない、がっかりした。
私は銃を手にした。
右手に、馴染むかのよう違和感なく当てはまった。
冷たく、重たく、あまりに不気味に馴染んでいた。
これまで握ってきた、ペン、本、ペットボトル、包丁、バナの手、それらよりもしっくり来てしまった。
私はこれを、使わなくてはいけない瞬間を迎えなければならないのだ。
それが今日なのか、明日なのか、わからないが不安と不気味さに私自身が握られているかのような感覚に陥った。
私はこれを、使わなければならないのだ。
正義の側だと思っていた。
いや、正直に思えば正義の側にいる、ともまだ思える。
そう思い、タバコを蒸した。
換気扇をつけ忘れていた。
堕落し切った生活を送ったその晩、田辺からまた連絡があった。
外は雨が降っているようだった。
「お迎えにあがりますので、支度を済ませてください。また、なるべく黒い服装で、よろしくお願いします」
簡単に告げられ、言われるがまま私は支度を済ませた。
「はい」と答えたような気もするが、声になっていたか、わからない。
服は大体暗い色しか持っていない。黒の服なんて簡単に用意できた。
テーブルの上の銃に目をやった。
冷たく、残酷で、目を背けられない現実が、そこにはあった。
「今日はT市にある、水槽を管理している施設に行きます。そこで、なるべく多くのめだかを排斥します」
車内で淡々と告げられた。
「説明書は読みましたか?」
「はい、一通りは」
「では、これをお渡しします。貴重な物なので、なるべく撃つ回数は少なく、丁寧に扱ってください」
彼は簡単に言うと、マガジンを渡し、装填して見せろ、と言うので説明書(手書きだったが)通りにやってみると、簡単に装填することができた。
カチリ、と言う冷たい音が、やけに車内に響いた。
すると田辺は満足そうに笑みを浮かべ、エレベーターから見ていた時のことを思い出しながら、あのようにやってください。と言った。
これでもう、簡単には後戻りできない、彼は問答無用で私を逃さないつもりだ。
どこで間違えたんだろう、と切実に思った。
車に30分ほど揺られると、目的地に着いたようだった。
路駐をし、そこで降りると、冷たい風が頬を撫でた。
手袋をしているが、それすらも貫通するように、私を冷やした。
寒さを誤魔化すべく、ポケットに手を入れると、さらに冷たく、ゴツゴツとしたものが指先に当たった。
これから、使うのだ、撃つのだ。
田辺は最初撃たなくていい、撃たないように願っている、と言っていたのにも関わらず、私に実弾を渡し、撃つように告げた。
冷酷な人だ、そう思った。
今回はまたビルの中に入り、水槽とPCを壊すのだと教えられた。
エレベーター係は今日はいらないようだった。
3人で、ビルの中へ入って行った。
1人は車で待ち、すぐに出られるように構えていた。
階段でコツコツと歩いて行った。
もう1人の男に、サイレンサーを渡された。
どうつけるんだ、と問うと彼は銃を渡せ、といい手際よくまたカチリ、とつけた。
ポケットからはみ出るほどの大きさになった。
持ち運びには向いていないな、と思った。
目的の一室についた。
もう1人の男は手際よく鍵を開け、ドアを開け、警報器を無力化させた。
ボコボコとポンプの音が部屋中に響き渡っていた。
「やりましょう、制限時間は5分です」
そう田辺が言うと、田辺ともう1人の男は水槽に柄の部分を叩きつけていた。
私も、慌てながら彼らの真似をした。
硬い。なかなか割れそうにない。
強く4〜5回は叩いた、まだ割れなかった。少しガラスが欠けたくらいだった。
もっと強く、ガラスを叩いた。
大きく、嫌な音がした。
すると、ようやく水が溢れてきた。これで、撃つのだ、と体が理解した。
銃を右手にフィットさせ、銃口を水槽に向けた。
こんなものを、使う日が来るなんて、陰鬱としていた生活からは想像もつかなかった。
腕が、手が、指が、震えた。
足も震えているのがよくわかる。
引き金に指をあて、引いた。
しかし簡単には撃てなかった。
もう少し力を入れて引き金を引いた。
すると、カシュッと小さく、いや、大きな音で弾丸が放たれた。
体は大きくのけぞった。
薬莢が跳ね返り、腕に当たった。ほんの一瞬だったが、熱を帯び、火傷するかのような熱い感覚が左手に伝わった。
腕が丸ごと後ろに持っていかれるように、グイと下がった、あまりの衝撃に肩が外れたようだった。手はジンジンとし、腕は硬直した。
私は腰を抜かした。
当然だ。
そして大きな音を立てて、水槽のガラスが割れた。
そこから水と一緒にめだかが流れ出てきた。
その水が私にかかり、全身がびしょ濡れになった。
火薬の匂いが、した。
腰を抜かした私は、マスクの下で笑みを浮かべていた。
乾いた笑いだった、喜びでも怒りでもない、全てが壊れていく感覚にただ震えていた。
「は、ははは、はは」
声が漏れていた、笑うしか、なかった。
「ははは、はは」
私は立ちあがろうとしたが水に足を取られ、また床に尻もちをついた。
「はははは、は」
笑うしか、なかった。
越えてはいけない一線を越えた。
そう理解した。
呆然とした。
もう一度立ちあがろうとし、また転けた。
顔から床に突っ伏した。
床ではめだかがバタバタと跳ねていた。
それを薙ぎ払うように押しのけ、両手を使って立ち上がった。
「あははは、はは」
次の水槽へ向かった。要領はわかった。あれくらいの力で、叩くんだ、と理解し、さっきよりもはるかに強い力でガラスを叩いた。
すると簡単に3回叩いただけで水が溢れた。
迷わずに、躊躇わずに、もう一度引き金を引いた。
銃の乾いた音、薬莢が落ちる音、火薬の匂い、勢いよく飛び出してくる水とめだか、全てが綺麗に彩られるかのような感覚に陥った。
声を上げて、高らかに笑っていた。
「あっ、ははは!ははは、はは!」
他に水槽は残っていなかった。
田辺が私を小突き、PCの前まで連れていった。
3人一斉に銃を撃ち、PCは跡形もなく砕け散った。
たった5分の出来事である。
私たちは颯爽と部屋を出て、外に待つ車へと向かった。
車についた私は、腹筋が捩れるほどに笑った。
こんなに笑ったのは何年ぶりだろうか、腹筋が、横隔膜が痛くなるほどに笑った。
もう1人の男がうるさい、と私を制した。
それでも我慢ならなかった。
「ぷっ、あっ、ははっははは」
田辺は言った。
「"タガメ"を脱退されますか?」
マスクを外し、親が子に、恋人が恋人に、向けるかのように私に微笑むような目でこちらを見つめていた。
ごめん、バナ、俺はもう戻れないかも。
君を苦しめていためだかを、指を引くだけで、終わらせることができたよ。これで苦しむ人も減るはずだ。ああ、よかった。
私は間違っていなかったのだ、田辺に言った。
「脱退なんて、考えられません。これは、しなくてはならない行為だ、なんとかしてD社に一矢報いて…ははっははは!」
田辺は笑みを浮かべ、満足そうに私を受け入れた。




