引き返せない
バナと話した後だ、私はこのまま"タガメ"から離れるのだ、そう思い、数メートル歩いた。
携帯は震え続けていた。
通話に出なかったら、どうなるだろう、除名してくれるのだろうか。
ただ、傘連判状に指印を押してしまったのだ、簡単には見捨ててはくれないだろう。
そう思った。
また数メートル歩き、我慢ならず通話をとった。
「こんばんは、夜分にすみません、今お時間大丈夫ですか」
静かに田辺は問うた。
私はおずおずと
「はい、大丈夫です」
と答えてしまった。
「H市のもう一つの"メダカ"の拠点を見つけました、前回と同じことをしていただきます。位置情報を送ります。タクシーでお越しください。代金はお支払いしますので、なるべく速やかに、よろしくお願いします。では」
通話が途絶えた。
私は、今にも崩れそうになった。
膝に手をつき、肩で呼吸した。
バナとの約束を裏切ることになる、行かないという選択肢を取ることもできる。
逡巡し、直接彼に伝えよう、今回限りだ、と決めた。
ついていないことに、前回手渡された一式は揃っている。
そして、タクシーも行列ができるほどに並んでいた。
私を引き留めてくれているのかもしれない、そう思った。
だが、続々とタクシーは訪れ、すぐに列は消えてしまった。
私は、南無三、なるがままになれ、と空を見つめ、タクシーに乗り、運転手に行き先を告げた。
────私は先輩にまた負担をかけていたのだ、と電車の中で一人、反省会を行なっていた。
"メダカ"に匹敵するほどの団体に関わらせてしまったのだ、私のしたことは重くて、罪深い。
神様がいて、赦してくれるのであれば、赦しを乞いたい、そう思い、目を閉じた。
イヤホンからはお気に入りの音楽が流れているが、気にならないほどに、先輩のことを想った。
見守っていただけ、何を、だろう。
加担したに違いない、とにかく今日の飲みで、改心してくれていることを信じるばかりだ。
私のために、彼は道を逸れようとした、どれだけ優しくて強くて、脆い存在なのだろう。
誰かが、彼を支えてあげなくてはならないのだ。
あの薄暗い部屋にいる彼を、なんとか明るいところにまで、手を繋いで連れ出してあげなくてはいけない。
その役目が、私に務まるだろうか。
彼には小学生からの付き合いの友人がいる。彼らがきっと今も支えてくれているんじゃないだろうか。そう信じるしかなかった。
私が彼の支えになるには少しばかり脆弱かもしれない、そう思い、少しため息を漏らした。
タクシーは、私の言われるがままに動いた。
目的地まで20分弱かかった。
『まともな奴ってどこだ 普通の人って誰だ』
私はまた、BUMP OF CHICKENの描く一節を強く思い出していた。
田辺たちはすぐ見つかった。
2mはあるのだ、目立って仕方がない。
田辺は私に気付き、伝えた。
「お越しいただき、ありがとうございます。帰りの分のタクシー代も含めて、今お渡しさせていただきます」
と、往復するよりも高い額を渡してきたので、これの半分しかかからないですよ、と伝えたが聞き入れてくれなかった。
「前回と同様に、エレベーターの開閉ボタンを押していただきます。今回も、入る手段は分かりましたが、戻る手段がわからない。D社も、考えるものです、やはり侮れない。前回のこともあったので、警戒されているはずです。今回は前回より1分短く済ませます。では参りましょう」
そう言うと、今度はマンションのような建物の中に入って行った。
私が何か話す隙もなかった。
もう、物事は決定づけられており、拒否権はないのだ、と汲み取ることができた。
少し躊躇い、深くニット帽を被り、マスクをし、手袋をした。
深夜のマンションに、4人の集団が入るのだ、監視カメラに捉えられていてもおかしくない。そう考えたが、既に監視カメラのレンズ面になにか細工がされているようだった。
エレベーター内で、前回同様、複数のボタンをコマンドのように入力し、ぐるりと回りながら、扉が開いた。
玄関のようなスペースがあり、中はマンションの一室かのようだった。窓はなかった。
生活感のある部屋だった。
水槽はなかった、ただ、そこにあったかのような形跡はあった。
「一歩遅かったか」と田辺は舌打ちし、足元に警戒しながら部屋の中に入り、複数台あるノートパソコンを棚から取り出し、一列に並べ、3人で並んで一斉に撃った。
何度も発砲音が続いた。
また、乾いた音がした。鼓膜が強く震えるのを感じた。
事を済ませた3人は全てが破壊された事を確認し、エレベーターに戻り、扉を閉めた。
前回同様、何かを言うわけでもなく、各自携帯を取り出し、あちこちへ散り、歩きながらタクシーを呼んでいた。
また、話すタイミングがなかった。
明日メッセージで、いや、電話か、電話で脱退する事を告げよう、そう思い、私は途方もなく歩き出した。
部屋までの経路を探索し、過剰にもらったタクシー代を他に充てようと考えた。
見慣れた道につき、携帯の案内を切った。
酔いも覚め、耳にこびりついたあの乾いた音をかき消すべく、イヤホンをし、音楽を流した。
しかし、少しもあの乾いた音は消えることがなかった。
あの乾いた音に、やはり魅力を感じてしまったのかもしれない。
そう、少し、乾いた音と、火薬の匂い、それがやはり、心地よかった。
だがそれではいけない。
バナとの約束を思い出した。
ほんの1時間前の出来事だ。
うやむやにし、言い訳を探し、脱退を告げなければならない。
部屋に戻り、一服した。
充足していた気持ちから、どん底まで気持ちが落ちた。
断ることができなかった、バナとの約束を…守らなくてはいけない。
そう思い、携帯を取り出したが、躊躇し、結局布団の上に放り投げた。
睡眠薬をオーバードーズし、無理矢理に意識をシャットダウンさせた。
翌日、チャイムの音で目が覚めた。
宅配便だった。縦長のダンボールを渡され、困惑した。
ずっしりと重たかった。
送り主はすぐにわかった。
宮城からだった。
箱を開けてみると瓶詰めされたビールと、もう一つ小さな箱があった。
開けてみると、銃があった。
それに手紙も同封されていた。
『一つ、彼女を傷つけた復讐の第一歩を贈らせてもらった。マガジンはまだ渡すには早い、と田辺と相談したので、これだけ贈る。くれぐれも使い方は誤らないように。宮城のビールお兄さんより』
呆気なく、ドラマ性もなく、ただ銃とその説明書が届いた。
マガジンがない、ということは発砲はできない、ということだ。
手が震えた。
いよいよ引き返せないところまで流れ着いてしまった。
こんなもの、どうすれば良いのだ、と困惑し、絶望感が襲いかかってきた。
型番が書いてあったので、調べてみると、日本の警察官が所持しているものと同型のものであることがわかった。
弾は七発撃てる、らしい。
田辺に言って、早急に脱退しなければならない。そう思い、急ぎ田辺へ電話をかけた。
彼はワンコールで出て、いつもの高い声で、要件をわかったかのように話した。
「昨晩はありがとうございました、このお電話は、銃が届いた、と認識してよろしいですか?」
その通りです、と私は早口に話し、続けた。
「やはり、"タガメ"から脱退させていただきたく、お電話差し上げました。やはり生半可な気持ちで活動に参加するのは、よくないと思いましたので、銃はお返しします、次の金曜日でよろしいですか?」と、これも早口に話した。
あまりに早く話してしまったので、ところどころ噛んだかもしれないが、田辺には伝わっている様子だった。
少し、沈黙があった。
「あなたの後輩さんの報復は、投げ出して良いのですか?彼女から何か言われたのでしょうか、話すべきではない、とお伝えしたはずです」
言い返せなかった、その通りだ。
「しかし、彼女は"タガメ"の存在を知っていました。そこから私の発言から逆算して、"タガメ"に参加したことがわかってしまっただけなのです。意図があったわけではなく、自然と知られてしまったのです。彼女は、自分のためと思って行動しないで欲しい、と私に言いました。ならそれに従うのが私の行動として、理にかなうのではないでしょうか」
「ごもっともです。あなたの判断は、倫理的にも感情的にも理解できます。ですが、我々の立場としては、ここであなたを手放すわけにはいきません。あなたはすでに二度、我々の活動に同行しています。行動を共にした時点で、関与の程度にかかわらず、法的には『共犯』として扱われる可能性が極めて高い。加えて、銃の所持という事実。たとえマガジンが未装填であっても、銃刀法違反には該当します。これは明白な違法行為です。私たちがこの事実を警察に提出すれば、あなたの社会的信用は著しく損なわれます。就職活動はまず無理でしょうし、将来にも影響が及びます。"タガメ"のような組織から途中で抜け、再び表の社会に戻るというのは、理屈では可能でも、現実的には難しい——その点はご理解いただけるかと思います。私たちは、感情ではなく合理性で動いています。そして今のあなたは、感情ではなく、合理性で物事を判断すべき時です。」
やはり、私はもう泥沼の中に肩まで浸かっているのだ。逃げられない、そう感じた。
「次の襲撃の際に、直接マガジンをお渡しします。一発撃っていただきます。次は迎えに行きます。銃を持ったことを確認してから次の襲撃に行きます。一発撃っていただいて、それでも脱退しようと思うのであれば、我々はあなたを除名します。しかし、他言しないように、監視はつけます。それでもよければ」
静かに、淡々と彼は告げた。
「こちらとしては、今揺らいでいるD社の隙を見逃さないよう、必死です。一人にかける時間はなるべく減らしたい。そう思っています。では、またこちらからご連絡差し上げますね」
と言って、通話を切った。
私は、脱力しきり、無力感と、疎外感を同時に感じ、布団に体を預けた。
再び、微睡の中へ戻っていった。
ただでさえ辛い現実から、また目を背けるべく、目を閉じた。




