第46話 光の記録者たち
封印神殿の最深部――。
崩壊の音が、まるで天の怒号のように轟いていた。
光の柱が天井を突き破り、床が裂け、漆黒の闇と白金の光が混ざり合う。
それはまるで“理”そのものがひび割れていくような光景だった。
「ミリア! セレナが!」
悠真の叫びが、震える空気をかき分ける。
彼の腕の中で、セレナはぐったりと力を失っていた。
胸元の闇の印が淡く光を放ち、鼓動のようにゆっくりと脈打っている。
「大丈夫。彼女は……印を安定させたの。だから……今はもう、休んでるだけ」
ミリアの声は震えていた。
それでもその瞳は、まだ戦いの終わりを見据えていた。
崩壊する床の奥から、光が噴き上がる。
神殿全体が、ゆっくりと沈んでいく。
ミリアは息を吸い込み、両手を天へ掲げた。
《光翼飛翔》!
純白の光が爆ぜる。
背中から伸びた巨大な翼が、空間を覆い尽くすほどの輝きを放つ。
その翼が、悠真、リサ、クリスティア、そして気を失ったセレナを包み込む。
「いくわ。飛ぶ!」
ミリアの声とともに、光の奔流が上昇した。
瞬間、世界が反転する。
視界が白く、次の瞬間には無数の光粒が雲を貫き。
一行は雲海の上へと、舞い上がっていた。
空はどこまでも黒く、遠くに見える地平線がわずかに青みを帯びている。
“終わりの夜”が、ようやく明けようとしていた。
「はぁっ……はぁっ……」
ミリアの息は荒く、光の翼は微かに揺らいでいた。
「ミリア!」
「……平気。まだ……少しは持つわ」
しかし、その声には限界の色が滲んでいる。
先程の戦闘で、彼女の魔力はほとんど尽きかけていた。
悠真はセレナの身体を支えながら、必死に声をかける。
「ミリア、下に安全な場所は」
「ちょっと黙って!」
短く遮ったのはリサだった。
風を読むように目を細め、地上を睨む。
月光が雲間から差し込み、遠くの丘の稜線を照らす。
「……あそこ。南東の丘の斜面。風が弱い、着地できる!」
即座にミリアが頷く。
「了解!」
翼が一閃――。
雲を切り裂き、光が滑空する。
急降下の風圧が顔を打ち、悠真はセレナを必死に抱きしめた。
その横でリサが叫ぶ。
「もう少し右! 流されてます!」
「分かってる!」
風が唸り、光の翼が軋む。
限界寸前の魔力で軌道を調整し――。
そして。
――ドンッ。
全員の身体が地に触れた瞬間、光の翼が霧散した。
ミリアは膝をつき、息を荒げる。
「……助かったわ、リサ。あなたの目が、命綱だった」
「弓より重いもん抱えるの、慣れてないんでね……」
苦笑しながらリサは肩を叩いた。
ミリアは微笑むと、静かに空を見上げた。
封印神殿の上空には、崩れ落ちる光の欠片がまるで星屑のように降り注いでいた。
しかし、安堵の時間は長くは続かなかった。
草原の向こう、黒い影が動く。
耳慣れた呪文の声が響いた。
「残党……か」
リサが眉をひそめ、弓を構える。
黒印教団の生き残りが数名、こちらに向かっていた。
魔導士を中心に、闇の残滓をまとっている。
「ミリア、無理するな。ここは――」
「大丈夫、少しだけなら……!」
ミリアは手を掲げ、小さな光輪を展開。
その光がふわりと地面を照らし、敵の動きを鈍らせる。
リサは矢を一本つまみ、月光を受けて目を細めた。
「じゃ、こっからはあたしの番だ」
彼女の矢が放たれる。
風が鳴り、影の中の魔導士の額を正確に貫いた。
一拍遅れて、クリスティアが笑みを浮かべながら手を掲げる。
《運命華彩魔法》
周囲の空気が淡い花の香りに包まれる。
舞い散る花弁のような光がリサの肩に降り、次の矢の軌道を導いた。
「……ほら、今夜は運命が味方してるよ♡」
「ふん、あんたの魔法、ちょっと派手すぎるんだよ」
言葉とは裏腹に、リサの矢は一発も外さなかった。
短い戦闘のあと、残党は完全に沈黙した。
ミリアがゆっくりと立ち上がり、光輪を解く。
「……みんな、ありがとう。これで、終わりです」
神殿の残光が静かに消える。
長い戦いの終焉が、ようやく訪れた。
焚き火の炎が、夜風に揺れていた。
丘の上。
セレナは地面に寝かされ、穏やかな呼吸を続けている。
胸元の闇印は、もう穏やかな光しか放っていなかった。
ミリアは彼女の手を握り、静かに目を閉じた。
「……もう大丈夫。あなたは、ちゃんと帰ってきたわ」
悠真は少し離れた場所で、焚き火に薪をくべていた。
「ミリア、こっち来いよ。体、冷えてるだろ」
「ありがとう、悠真」
リサは周囲の見張りを続けながら、弓を膝の上に置く。
「静かですね~……まるで何もなかったみたいです」
「ええ。でも……何かが、確かに終わったの」
その会話の背後で、クリスティアがふわりと笑う。
焚き火の光で髪が金色に染まり、まるで妖精のように見えた。
「光も闇も、ちゃんと戻る場所があるんだね」
ミリアは微笑んで頷く。
「ええ……たとえ導師カルマがいなくても、希望は消えません」
悠真はその言葉を聞きながら、焚き火の炎を見つめていた。
英雄でも、魔導師でもない自分。
けれど。この場所にいることだけは、確かに意味がある。
彼は静かに呟いた。
「……俺は、見守ることしかできなかった。けど、それでも……いいんだな」
ミリアが目を細めて微笑む。
「ええ。あなたがいたから、私たちは帰ってこれたのよ」
風が止んだ。
夜空に薄い雲が流れ、月光がその切れ間を照らす。
その向こう、わずかな黒い光が、かすかに瞬いた。
ミリアは立ち上がり、そっとその方向へ手を伸ばした。
「導師カルマ……あなたの闇は、まだ世界に息づいているのですね」
悠真も空を見上げる。
「なら、俺たちで見届けよう。終わりのその先まで」
沈黙が訪れる。
その静けさの中で、遠くの空が、ゆっくりと白んでいった。
夜明けが近い。
新しい一日が、確かに始まろうとしていた。
ミリアの翼の残光が、淡く消えていく。
その光を見つめながら、誰もが心の中で同じ言葉を思った。
――まだ、続いていくのだ。
カルマが残した“理”を超えて。
人が、自らの意志で歩く時代へ。
そして夜明けの光が、静かに丘を包み込んだ。
「ねぇ、ミリア」
「なに?」
「セレナが目を覚ましたら、まず何て言う?」
「そうね……“おかえり”って、言うわ」
その笑顔が、朝の光に溶けていった。




