第22話 黒衣の影
朝の陽光が、石畳の街を柔らかく照らしていた。
鳥のさえずり、焼き立てパンの香り、のどかな鐘の音――。
「……うん。今日こそは、平穏だ。絶対に。」
テーブルの上でパンをかじりながら、悠真は自分に言い聞かせた。
目の前には、トーストを頬張るリサと、新聞を広げたミリア、そして無表情でメモを取るセレナ。
「平穏な朝、最高。二度と巻き込まれたくない」
「そのセリフ、三回目だよ?」
「え、そんなに言ってたか?」
「記録によると、事件後の“再平穏宣言”は平均36時間ごとです」
「やめろセレナ、統計で俺の不幸を可視化するな!」
セレナは首をかしげながら、さらりとノートを閉じた。
「観察データは有益です。あなたが次に巻き込まれるタイミングも予測可能になります」
「そんな予報、天気予報より嫌なんだけど!?」
リサは吹き出しながらコーヒーを飲み、ミリアは冷静に新聞を指差した。
「……冗談抜きで、気になる記事があるわ。“市場通りでの魔力異常”」
「またぁ? 昨日の《月灯》事件の余波じゃないの?」
「違うわね。発生地点が広がってる」
セレナが窓際に立ち、静かに外を見た。
「街全体の魔力濃度が、昨晩より7.2%上昇。これは……自然な流れじゃない」
「数字で言われてもピンと来ねえけど、要するに“嫌な予感”ってことか?」
ミリアはうなずき、報告書に記入を続ける。
クリスティアは朝から貴族会に呼び出され、不在だった。
彼女が聞いてくるという「封印に関する不穏な噂」が、みんなの胸をざわつかせていた。
「ま、俺たちが心配しても仕方ないしな」
悠真はパンをかじりながら、言い訳のように笑った。
「平穏を願う者には、平穏が似合う……ってことで」
「……うん。そうだといいね」
リサの声は、ほんの少しだけ不安を含んでいた。
昼。
都市ガルド中央広場は、人々でにぎわっていた。
屋台の立ち並ぶ通りには、香ばしい匂いと笑い声が溢れる。
「うわぁ! 見て見て、チョコフルーツ! わたあめ! あと、なんか光ってるポップコーン!」
「リサ、落ち着け。財布は有限だ」
「お金より糖分が大事なのっ!」
「どんな理屈だよ!」
悠真は引きずられるように屋台巡りをさせられ、気づけば両手に紙袋を山ほど抱えていた。
その後ろを、セレナが無表情でノートを構え、観察を続けている。
「……被験者、屋台三件目。支出額、平均予算の1.8倍」
「ちょ、なんでいちいち記録してんの!?」
「実験です。“平穏な日常を願う人間はなぜ浪費するのか”」
「その研究やめろおぉぉ!!」
その頃、ミリアは警戒の目で周囲を見回していた。
「人が多すぎるわね……。」
「ピャッ!?」
突然、リサの悲鳴が響く。
「は、ハトにパン奪われたぁぁ!?」
「ハト強えええ!?」
悠真が慌てて追いかけるも、足を滑らせて盛大に転倒。
「いてぇぇ……!」
子どもたちの笑い声が広場に響き、セレナが小声で記録を取る。
「脇役、転倒。恥ずかしさ指数……89。」
「頼むから削除しろぉぉ!!」
リサは手を差し伸べながら笑った。
「大丈夫、悠真? 転んだとき、ちょっとカッコよかったかも」
「それフォローになってねえ!!」
和やかな空気の中――
その時、ふっと風が止んだ。
人混みの奥。
黒いフードを深くかぶった人物が、じっとこちらを見ていた。
ただ立っているだけなのに、空気が冷たくなっていく。
「……あれ?」
悠真が目を向けた瞬間、周囲の人々がふらついた。
まるで一瞬、意識を奪われたように。
セレナが目を細める。
「……空間波長が、歪んだ」
ミリアが振り向く。
「この感じ……“意図的な干渉”ね」
黒衣の人物は、悠真と目を合わせる。
そして――唇だけで微笑んだ。
次の瞬間、姿が掻き消える。
「おい、今の……!」
どこからともなく、ガラスの割れる音。
通りの一角の窓が一斉に砕け散り、悲鳴があがる。
「……やっぱり、平穏なんて続かないのかよ」
悠真の苦笑は、冗談にならなかった。
夜。
ガルド邸の一室には、地図と魔導灯の光が広がっていた。
テーブルには全員が集まり、緊張した空気が漂う。
ミリアが地図上に赤い印をつけていく。
「封印の反応地点はここ。《月灯》を中心に、放射状に広がってるの」
「つまり、封印の力が“街中に散ってる”ってこと?」
「正確には、“誰かが散らした”のよ」
セレナがペン先で地図の縁を指した。
「中心線の形が、古い封印紋に似てる。これは偶然ではないわ」
「つまり……誰かが封印を解こうとしてるってことか」
悠真の声が低くなる。
その時、ドアが開き、クリスティアが戻ってきた。
いつもの優雅さを少し失い、険しい表情で言う。
「……侯爵会からの情報よ。封印儀式に関わった古い家系の一部が、“封印の鍵”を再現しようとしているらしいの」
「貴族の裏工作、ってことか」
「ええ。そして、“黒衣の人物”も、その関係者かもしれませんわ」
「おいおい、また貴族絡みか……。俺たち、貴族運なさすぎじゃね?」
「悠真、次は貴族避けのお守りでも買っとこうか」
「それ効くの!? てか売ってるの!?」
リサが半笑いで言い、場の空気が少しだけ和む。
だが、セレナは珍しく不安げに眉を寄せていた。
「……あの黒衣の目。嫌な感じがしたの」
「お前でもそう感じるってことは、相当だな」
悠真はつぶやきながら、ふと拳を握る。
なぜか、あの目を思い出すと胸がざわめくのだ。
夜更け。
街外れの旧鐘楼跡。
月明かりが崩れた石壁を照らし出している。
「封印反応は、この辺りね」
ミリアの水晶球が淡く光り、静寂の中で脈動する。
悠真とリサが先行し、瓦礫の影を進む。
「こんな時間に探索って、怖いね……」
「安心しろ、何かあったら俺が――」
「逃げる?」
「…守るに決まってるだろ!」
「今ちょっと間あった!」
「気のせいだ!」
そんな軽口を交わした次の瞬間――
背後に、冷たい気配が立った。
黒い影が、音もなく立っていた。
月光に照らされたフードの奥には、深い闇のような瞳。
「“観測者の護り手”……まだ眠っているのか」
「……は? 誰に話してんだお前?」
悠真の言葉に、黒衣は静かに微笑む。
「――“脇役の器”か。皮肉なものだな」
その声に呼応するように、リサの腕輪が光を放つ。
黒紋石の残響――そして、悠真のこめかみが脈打つ。
「っ……頭が……!」
「悠真!?」
黒衣の手が上がり、黒い光が奔る。
その瞬間、ミリアの魔法陣が割り込み、光を防いだ。
「遅れて悪かったわね!」
セレナの無詠唱魔弾が夜気を裂く。
だが、黒衣の姿は霧のように消えた。
残されたのは、欠けた封印紋の跡だけ。
悠真は拳を握り、息を吐いた。
「……あいつ、俺のことを知ってた。どうしてだ?」
誰も答えられなかった。
橋の上、川面に映る月が揺れていた。
悠真は欄干に寄りかかりながら、静かに息をつく。
「……結局また、逃げられなかったな」
背後から足音。
リサがそっと隣に立つ。
「逃げるの、似合わないもん」
「は?」
「だって、誰かが困ってたら、助けちゃうでしょ?」
「……俺、そんなヒーローじゃねえって」
「ううん。“物語の外にいられない人”なんだよ、悠真は」
悠真は少しだけ笑って、夜風を仰ぐ。
その風が、どこか遠くから、運命の匂いを連れてくるようだった。
「……平穏を望むほど、巻き込まれるのかもな」
「でも、巻き込まれても――一緒にいようね」
「……ああ」
背後からセレナの声がした。
「……今回は私も巻き込まれるかも」
ミリアが苦笑しながら灯りを掲げ、クリスティアが静かに微笑む。
「貴方が脇役なら、この街は主役に救われているのですわ」
夜空に、淡い紫の月が滲む。
その光が、彼らの決意を静かに照らしていた。
悠真(心の声)
「……物語に引き寄せられるのは、ヒーローだけじゃない。
脇役だって――守りたいものがあるなら、戦うしかないんだ。」




