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出会い

もうどうだって良かった。ただ忘れればいいだけ、諦めればいいだけだから。

使用料の未払いで家の水道と電気が止まった事も、無け無しの金と希望をはたいて挑んだ戦(という名のパチンコ)に大敗した事も、脳ごとこの灼熱の太陽で焼いてしまえばいい。この耳を劈くような蝉の声もいいスパイスだ。耳からも俺の脳をぶっ壊してくれ。幸い俺の手元には先ほど入手した燃料(という名のカップ酒)がある。そうだ、火にアルコールを注げばよく燃えるんだ。

チンチンの鉄板みたいに熱い公園のベンチに腰掛け、高級ドリンクを一口。やっぱり仕事の後の一杯は最高である。そのままゆっくり目を閉じる。新台入荷だというから今日は早起きして開店前から並んでやったというのに、全くあんまりである。まぁそんな苛立ちも少し昼寝でもしたらすぐに忘れられるだろう。


八月の馬鹿みたいな気温は別に嫌いじゃない。扇風機台が馬鹿にならないのは気に入らん。だが暑さなんて耐えていればいいんだ。耐えていればエアコンなんて無くても夏は越せる。そう、なんとなく耐えていれば夏なんてすぐに終わるのだ。

というか俺みたいな金の無いクズは冬の方が堪える。死んだばぁちゃんが俺の為に残してくれた家は広くて何より家賃がかからないが、建付けが終わっているせいで隙間風がヤバい。夏の隙間風なんてただ生ぬるいだけだ。しかし冬はどうだろう。断言する。冬は何か金消費ゴミ行動(防寒対策)をしないと確実に死ぬ。指が壊死しそうになるほど凍てついた隙間風一つ一つが語りかけてくるのだ「I kill you」とな。


どうしてこんなにクソ熱い中、日向の公園のベンチなんかに座り込んで冬の話なんかしているかというと答えは単純。『クソ熱いから』である。俺みたいな人間は今よりもっと最低な状況を思い浮かべるとなんだか『あぁ、今はまだマシか。よし、今日も頑張って生き延びるぞ〜』と前向きになれるのだ。単純なオツムを持って生まれると得である。恐らく半年後の俺は散々夏の文句を垂れているのであろう。俺なんてそんなもんである。

嫌なことは飲んで寝て忘れる。そうしたら大抵のことはどうにかなる。



おとなしくウトウトしていた俺の耳に心地の良い低音の声が響く。

「まぁ汚らしい人間。見るからにクズですがそちらの方が都合がいいのでよしとしましょう。」


「は?」

心地のいい声だと思えば言っていることは全く心地の良いものではなかった。

目を開けると、そこに居たのは真っ黒のスーツを着たデカい男。真っ黒な長い髪を後ろで束ね、これまた真っ黒な日傘を差していた。…そして何故かビショビショである。


「な、なんでそんなビショビショなんだよ…」

何か文句をつけてやろうと思って自分なりに最大にドスの効いた声で発した「は?」も虚しく、出てきた声と言葉は情けないものであった。


こんなクソ暑い中スーツ?ていうかデカすぎるだろコイツ、190はあるんじゃねぇか?真っ黒なジャケットとネクタイって、喪服?いやヤクザか?ヤクザって年中喪服着てんの?

てかなんでこんなにビショビショなんだよ。通り雨か?夕方でもないのに?じゃあその少しも濡れてない傘はなんなんだよ、傘持ってんなら差せよアホンダラ。


アホみたいな事を考えていると思うように威勢のいい言葉が見つからない。

困惑する俺など気にもせず男は語り出す。

「『中途半端な存在』というものは困ったものですね、水に沈めば人間は死ぬはずなのに、全身川に入って息を止めてもちっとも苦しくない。このままではじきに寿命が尽きてしまいます。」

一言一句、言葉の意味は理解できるが何を言っているのかは全く意味が分からない。なんだコイツ、ラリってんのか?

ただでさえ頭の中が纏まらないのにやかましすぎる蝉の声のせいで尚更である。


「アンタ、何言って…」

水に沈めば人間は死ぬという言葉自体、他人事の様でなんだかおかしいが寿命が尽きるってどういうことだ?外見からしてこの男は二十代後半辺りといった所だろうか。

余命が僅か?という言葉には程遠く、とても高級品だと思われるスーツ越しにも彼の体格の良さは一般人の中だと目立つくらいガッチリとしている。


「お隣、失礼しますよ。」

そう言って俺の横にそっと腰掛けてくる。なんとなくコイツがヤバいやつだと察知した俺はソイツから少しでも遠ざかろうとベンチの右端にこっそり移動した。

そんな俺の動きを目の端で捉えたのだろう。ズリズリと俺の方にケツを近づけてくる。

そしてそっと俺を日傘の中に入れてきた。

その瞬間、白飛びしていた俺の視界の色はワントーン明度を落とし、その男の『黒』でいっぱいにされた。いきなり距離を近づけてきたことに警戒したからかもしれない。ただその男の周りは生気のないような冷たい空気が漂っていた。


「そんなに警戒しなくたって、取って食ったりなどしませんよ。」

男は飄々とした様子で俺に告げる。

もしかしたらコイツ、マジで関わっちゃいけない奴なんじゃないのか。逃げるべきか、でも俺みたいなひょろひょろのアラサー、逃げた所ですぐ捕まるか?

ごちゃごちゃ迷っていると、突然、俺の野生の勘(そんなもの元々無い)が言いだした。

『逃げた所で意味が無いのならいっそここは全くビビッてない振りでタイマンすべき』だと。そうだ、俺が逃げるんじゃねぇ。コイツを俺のところから逃がすんだ。

「…誰がてめぇみてえな野郎と相合い傘なんてしたいんだよ。」


奴にとって想定外なことを言ってやったと思った。だが奴の表情は全く変わらない。

「おや、要らない気遣いでしたか?」

紳士的だが不気味な作り笑顔を浮かべる。正直今すぐ逃げ出したいが、俺はコイツを負かしてやるって決めたんだ。

「当たり前だ、雨なんか降ってねぇのに何で傘なんか差さねぇといけねぇんだ」

「傘ではなく日傘ですよ。これだから学の無い餓鬼は嫌いです。」

「な、なんだと…?」

先ほどと同様の作り笑顔と丁寧な敬語だったはずなのにいきなり餓鬼だなんてフレーズをぶっこんできた。ヤバい、怒らせた?


「こんな殺人級の日差しの中、日傘も差さずに居られる方がおかしいと思いますが。」

「ハッ、そ、そんなこと言ったって日傘なんて使う男は全員ホモだね」

もう意地である。

「…『ホモ』という言葉は同性愛者の男性を差す『ゲイ』と大体同じ意味だと記憶していますが、合っていますか?」

少し難しそうな表情を浮かべる。

「そ、そうだよ、お前はゲイだって言ってんだ」


すると少し悩んだ末にペラペラ話出した。

「…すみません、それは私達『死神』の管轄外なのでお答えできかねます。

…詳しいことが知りたいのでしたら『悪魔』の中の『色欲魔』さんたちにお繋ぎしたいところですが、生憎今は連絡手段が途切れてしまっていて…」

「は?さっきからつらつら何言ってんだ…?」

まただ。意味わかんねぇこと言いやがって。

「えぇ。少し説明が足りていませんね。一つずつ説明します。」


少し考えてからまた話し出す。

「まず、私は今は訳あって天界から地上に降りて来ている、というか降ろされたという状態なんですけど…それは置いといて、つまり私は人間ではなく神なので色欲を持たないんです。ですから性的指向を持たないんです。ですから貴方のおっしゃる『ゲイ』には該当しないわけです。分かって頂けましたか?」

…いや

「すまん、…なんとなく()()()()()()お前が死神って部分から理解出来ない」

脳は一定ラインを超えるとフリーズするらしい。実際さっきまでの困惑とか不信感ってやつは俺の中から消えていた。


「おや、ではもう一度。『まず、私は死神というものです。まぁ、今は訳あって天界からt』」

「別にもっかい聞きてえんじゃねぇってんだよ!もっと分かりやすく説明しろタコ!」

そしてまた一定ラインを超えるとメキメキと好感度で動き出すのだ。


「分かりやすく…と言われましても。全てを分かりやすく説明しようとすれば丸三日はかかりそうですからねぇ…」

冗談じゃない。俺は今とにかく腹が立っているのだ。

「手短に要点だけ話せよ馬鹿!」

そんな俺をあしらう様に男は続ける。

「えぇ、分かってますよ。五月蠅い餓鬼ですねぇ…

うーん、私の説明がこんな極小脳ミソ野郎に伝わるか不安ですが…貴方も耳の穴かっぽじって聞いてくださいね?」

なんでコイツは敬語はなんとなく使えるくせに語彙はこんなに下卑てんだよ。

とりあえず(何故か)強気になった俺はカップ酒をここで一口。

不思議なことに俺の中からコイツへの恐怖心というものは無くなっていた。代わりに懐疑心がどんどんと募っていく。


「まず、私は『死神』という存在でして、頭に『死』が付くものの『神』として天界で暮らしていました。それで、たまに下界に降りては『人間達の寿命を奪う』という仕事をしていたんです。」

「ちょっと待て、死神の仕事ってそんな罪深いヤツだったか?死人の案内とかだと思ってたんだが…」

死神は少し不機嫌そうな顔をした。

「あぁ、それは上司たちの仕事ですよ。死神の中にも階級があるんです。そんな格好良い仕事は本当に上流の死神しか出来ません。ほとんどの死神は私の様に人間から寿命を吸収して生きていますよ。」


「寿命を吸収…?どういうことだ。」

「ひとつ答えてやればまたひとつ質問ですか。人間は強欲でやはり好きませんね。

元々、死神の寿命はその時代の人間の平均寿命くらいでした。時代によっては短い時もありましたがそれでどうにかなっていたんです。仕事は今と変わらず『死人の案内』と『人間に運命を与えること』。ですが丁度、私が生み出された時代…室町末期と言えばわかるでしょうか?あの時に日本人の平均寿命が急激に短くなってしまって…ほとんどの死神が15歳を迎える頃に死んでしまったのです。」

最初は作り話だと思っていたが目の前のコイツの謎の“人外感”から真に受けて真剣に話を聞いている自分がいた。


「どうにか対処は出来なかったのか?」

「えぇ、こんなに急激な変化は本当に久しぶりで。…ベテラン死神の方々もみんな死んでしまったのでどうすればいいかも分からず…。

そこで、今まで『運命』と称して人間から奪っていた寿命を、各々の寿命として吸収することにしたのです。他にも色々制度を変えました。持っている寿命が長い死神だけが『死人の案内業務』を行う、『人間に運命を与える業務』を行う死神は前者に毎年持っている寿命の4分の1を渡す。要約するとこんなものでしょうか。」

「それだと、室町末期から死神の面子は変わらないってことにならないか?」


「その通りです。50人程いる死神の中で私は最年少ですが今年で462歳です。ストックしてる寿命はあと5000年ほどありましたよ。」

「はぁ?462歳とか…急に現実味が無くなったぞ。」

死神は呆れた様子だった。

「現実味なんて無くても、これは正真正銘事実です。

そもそも私のような高貴な存在が貴方のような腐れ脳ミソ野郎にわざわざ教えを説いてやっているのですよ。先程までのクソ失礼極まりない態度は私の素性を知らなかったということで水に流して差し上げますが、今の貴方はもう少し有難そうにお聞きになるべきです。そうですねぇ…あぁ、低能頭を垂れて蹲われては?」

屈託のない笑顔でそう提案してきたがここは聞こえなかった振りをしておこう。


…百歩譲って『死神』という存在、その業務や制度を信じてやってもいい。しかし本当に神の類いの存在はこんなに傲慢でいいのか?神って、なんかこう、もっと寛容で穏やかなもんじゃねぇのか?

「で、なんでお前ビショビショなんだよ。」

「糞爆弾雑魚、私の話、ちゃんと聞いてました?…まぁいいでしょう。」

いいんだ。口は悪いけど意外と寛容なとこもあるのか?


死神は少しバツが悪そうな顔をしながらまた話し出す。

「先程説明した通り、死神の界隈では持っている寿命が長ければ長いほど偉いのです。逆に持っている寿命が少ないほど地位が低く、業務内容もダルくなります。私の担当地域の下級死神は私含めて約50体です。一年に吸収する人間の寿命は一体辺り100年程でしょうか。その死神達が毎年20年×50体で大体上級死神に1000年献上するとなるt…」

「おい、前置きがなげぇよ。要約しろ、要約。」

キモいことに変わりはないが意外と寛容な奴だと理解した俺はかなり強気である。(ただ酒に酔っているからかもしれない)


てっきりまた上から目線でグダグダ言われるものかと思っていたが違った。少しめんどくさそうな顔をした後、急に吹っ切れたような作り笑顔になって明るく言い放つ。

「同僚たちから預かった上級死神に献上するはず寿命を毎年ちょっとだけポケット寿命に…」

「ポケットマネーみたいに言ってんじゃねぇよタダの横領じゃねぇか!」

思わず特大ツッコミが炸裂してしまった。

「ハハハ、バレないと思って調子に乗ったとは言え、流石に800年一括で横領したら即バレして能力剥奪&追放されましたよ」

コイツ、目が笑ってねぇ…。


「ってか、じゃあ今は普通の人間と変わんねぇってことか?おい、さっきの神ムーブなんだったんだよ!」

「ッハ、私が人間などという下等生物と変わらないと?低能も程々にしてください。…手は打ってあったのです。」

打ってあった?どういうことだ。

男は俺を馬鹿にするような顔で話を続ける。

「諸々がバレる直前、持っていた寿命殆どを使って執行人を買収しました。

私は下級死神であったとは言え、寿命トップランカーでしたので魔法の勉強会に参加する権限をもっていたのです。そこでの勉強成果を活かして、こっそりと細工をしたのです。私から死神の能力を剥奪する際に使う魔法陣に『地上に到着した瞬間、また能力が戻ってくるように』と。

下界でも今までのように死神の発動できるようにしておけば寿命が尽きて死ぬことがない上に、人間の中に紛れて生きるのならこの能力はクソ便利ですから。時間に余裕があるのなら、いつかまた天界に戻る方法を見つけることも可能だと思ったの

です。」

「ここまで色々聞いて、その上級死神たちがぼんやりしすぎだと思うのは俺だけか?」

「あんな奴ら、ただの長く生きているだけの平和ボケ老害ですよ。まぁ、だからと言って舐め腐ったことをしていたら痛い目を見た訳ですがね…」

「なんだ、じゃあお前はただ能力を持って落ちてきただけの死神って言うことか?」


手を打っていたと言ったというのに奴の表情は何故か暗い。

「…ハハハ。そういかないのが下界というものらしいです。」

「は?」

謎に静かにキレながら俺に淡々と語りかけてくる。

「何故か能力が十分に発揮できないのです。

実際に空中浮遊、テレパシー、サイコキネシス、透明化、瞬間移動が使用不可、変身、透視、洗脳の使用にかなり制限が掛かっています。」

「超能力者かよ」

「だから使えないと言っているでしょう、この下僕が!」

なんかキレられたんだけど、やだコイツ。


「…もっとクソッタレなのは寿命の吸収が出来ないことです。こっちでまた荒稼ぎすればいいと思っていたのに、奪えは出来ますが自分に与えることが出来ないとなると、買収の際、気にもしていなかった端数の分しか生きられません。恐らく10年も無いです。

あぁ、本当に終わりました。やっぱり人間界はクソです。」

そんなことまで人間のせいにされてもな。

『お前が細工した魔法陣がなんか間違ってたんじゃねぇの?』『お前も歳とってモウロクし始めたんじゃねぇの?』とかいいそうになったが、キレられる未来が見えたので辞めておいた。


「じゃあ、お前は半分くらい人間ってことか?」

「私がそんな下等生物と同じわけがないでしょう糞垂れ。…別に死神でないことは人間であることを意味しないようです。つまり私は言葉のままに何者でもない、『半端モノ』ということですよ。」

どうでもいいところでいちいちマウント取ってくるなコイツ…


それはどうでもいいとして気になるのはコイツの含みのある言い方だ。

大学中退のニートの脳みそで考えてみる。恐らく自分が人間とは程遠い存在だと発見したのはコイツなのだろう。…つまりコイツがびしょびしょなのは『自分が人間であるか確認したから』だったということか。

水の中に身体を沈めて、少しでも息苦しさを感じたら自分の何割かは人間というわけだ。だが『ちっとも苦しくなかった』そこでコイツは自分が『人間にされた死神』ではなく『力を奪われた死神』だと気づいたのだろう。やっぱり俺は天才なのかもしれない。


「じゃあ、これからどうすんだよ。お前、戸籍も無いんだから人間に擬態しての生活もだいぶキツいんじゃねぇの?」

いつの間にかコイツの存在を受け入れてしまっている自分がいる。暑さと酒というものは恐ろしいものである。


「一つ聞きたいことがあるのですが。」

「なんだよ、俺はお前の世話なんてしてやんねぇぞ。」

残り少なくなったカップ酒をまた一口。

「そんなことではありません。ただ、これは人間界ではどうやって使うのか教えて頂きたいのです。」


そう言うとなんやらジャケットのポケットをガサゴソと漁り出した。

出てきたのは少し水でふやけた一万円札が五枚。

「は、はぁ?なんでお前、こんなもん持ってんだっ!」

「先程、其処らを徘徊する老いぼれから寿命を奪った時に急に手元に」

「寿命が…金に?」

お前には勿体無いから俺が貰ってやろうと言いたいところだったがもっと意味の分からん事を言い始めやがったので飲み込んだ。


「恐らく本当は私の寿命として吸収されるはずのものだったのです。それが『ナニカしらの不具合』によってこんな紙切れに…。」

奴は不服そうである。

「紙切れってお前な…日本国の最大紙幣をなんだと思ってやがる。」

呆れた様子の俺を見てニヤッと口角を上げた。

「おや、やはりコレは人間界ではかなり使えるという読みは当たったようです。」

コイツ…計りやがったな。


「そんな嫌そうな顔をしないでください。これは双方に有益な取引です。『利害の一致』というやつですよ。」

俺の頬をジトッとした生ぬるい汗が伝う。

「俺の方の利益なんて目に見えてる。だがお前の利益というのはなんなんだ?」

嫌なニタニタ笑いだ。取引?死神なんかと?こんなただの一般人だった俺が?


さっきまでニヤニヤしていた奴が急に真顔になって俺の目の奥をじっと見つめる。その時、クソ暑くて五月蝿い八月だというのに、急に俺の世界がコイツに支配されるように全ての音を無くした。そして冷たい風が俺の胸を貫いていく。

人間のようで全く違う、奥に生気を宿さない瞳。コイツ…ホンモノだ。

今まで味わったことの無い被支配感が俺の喉の奥をピリピリと刺激する。


「…時間さえあれば、この私なら不具合の原因を見つけ出してぶっ潰すことが出来るはず。

今、私に残された寿命がどれほどあるのか確認する方法がありません。だからこそ人間としての生き方を学ぶなんて下劣な行為に時間を割いている暇は無いのです。

そこで交渉です。」


ダメだ。こんなの。相手は死神だぞ。絶対何か痛い目を食うに決まっている。

でも、でも。

初めて出会った死神という存在。最初は怖かったはずだった。


「『この能力で金は貴方が望むだけお渡ししましょう。その代わり貴方は私に衣食住を提供する。期限は私が不具合をぶっ潰すまで』いかがですか?」


ーーーでも、今俺の中に溢れるこのじっとして居られないような気分の昂りの正体は。ーーー


今までの何もない堕落した生活。これは神様が俺に下さった最高の変わるチャンスなんじゃないだろうか。いや、絶対そうだ。俺の野生の勘が言っている。


ーーー“興奮”だーーー


右手に持っていたカップ酒を飲み干し、空き瓶を遠くへ放り投げる。パリンという軽い音が俺の心をさらに鼓舞する。そんな俺をまるで思い通りと言わんばかりの顔で死神は見ていた。そしてそのまま、右手を死神に向けて差し出す。


その手を、奴は力強く掴んだ。真っ黒な手袋をつけている大きな手の温度は大好きだったばぁちゃんの納棺の時の手の温度によく似ていた。

「…冷てぇな。」

「えぇ、死神ですから。」

でも少し落ち着いた。また自分の世界に戻って来れような気がした。


そっと顔を上げ、死神の顔を見つめる。

村瀬桐馬(むらせとうま)だ。お前は?」

「ただの死神です。名乗る名など持ち合わせていませんが、人間界では無いと不便でしょうね。…そうだ、貴方に名付けさせて差し上げましょう。」


死神は嬉しそうにさっきまで死んでいた目をキラキラと輝かせる。意外とこういうことにワクワクしちゃう可愛い奴なのかもしれない。さっきの人外ムーブが嘘のようである。

「名付けって…急に言われてもなぁ、」

いきなりの提案に少し戸惑いながら周りをそっと見回す。

夢中になっていたさっきまでは耳に入ってこなかった蝉の声、頬をジワリと伝う汗、全てを蛍光マーカーで塗りつぶしたような明るさ、…the八月という感じだ。八月、八月は旧暦でなんて呼ぶんだっけか。卯月とか、神奈月とか色々あったのは覚えてる。ナントカ月、ナントカ月…あ、そうだ。


「葉月…。」

ボソリと呟いた俺にソイツは目を輝かして顔を近づけてくる。

「ハヅキ…まぁ貴方のような外民が考えたにしてはいい響きなんじゃ無いですか?許可して差し上げます。以後、私のことは「葉月様」と呼ぶように。」

平然としているように振る舞っているつもりなのかもしれないが、実は心躍らせて喜んでいるのが丸分かりである。


「…では、これからよろしくお願いしますね、桐馬さん。」

「こちらこそよろしくな、葉月。」


その瞬間、葉月の手袋越しになんだか冷たいような、心地良いものが俺の心臓を通り抜けていった。


「ちょっと、『葉月様』と呼べと言ったでしょう!クソッタレが!」

「へーへー、とりあえず俺ん家の空いてる部屋貸してやっから着いてこい」

よっこらしょ、と葉月の日傘の中から抜け出して立ち上がり歩き出す。

「汚ったないクソまみれの部屋だったら承知しませんよ。」

「ばぁちゃんが俺の為に残してくれた遺産なんだよ、大事にしてるっての。お前俺のことなんだと思ってんだよ…」



こうして俺と元死神の葉月クンとの奇妙な飼って飼われての共同生活が始まった。


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