勇者ってなんじゃろう?
勇者ってなんじゃろう?そう聞かれてあなたはどう答える?ある者はドラゴンをも討伐する強き者と答えるだろうし、ある者はタンスから金品を物色する犯罪者と答えるだろうし、またあるものは恐怖に打ち勝つ勇敢な人と答えるだろう。
勇者と言っても色々いるのだ。人それぞれ。それが結論だろう。実際この世界の勇者に別に必要な資格などない。勇者を名乗ればそれは勇者だし、勇者と言われればそれも勇者なのだ。
僕はみんなからほめたたえられる勇者になりたかった。僕は前世が高校生でみんなからいじめられていた。みんなから悪口を言われたり、殴られたりして喧嘩になる毎日。
勇者と似ても似つかない僕はそれゆえにフィクションの勇者にあこがれた。聖剣を抜き、勇敢に戦い人々を救い、感謝される。素晴らしいことだ。
僕は才能が足りず、卑屈で多くの人に馬鹿にされた。勇者とは真逆だった。嘆かわしいことだ。
なので転生してある程度大きくなったら近くの森を探して、魔物を討伐していた勇者を見つけて、その人に弟子入りした。
しかし僕の目はガラス玉にも劣るらしかった。師匠はろくでもないショタコンのおじさんで僕にいろんな衣装(とても口に出せない)を強制的に着用させたが、剣技や無属性魔法の身体強化などはしっかり教えてくれた。まあ元から強かったら師匠から技を教えてもらうことはなかっただろう。
転生するときに何か神から力をもらうとかそういう事があったりはしなかった。生まれつきたまたま魔力が高かったとかそういう事もなかった。むしろ低い方だ。
しかも転生者は珍しい存在でも何でもない。クラスに2,3人いるぐらいの割合で存在する。多すぎ、僕一人でいいわ!おかげで転生者の特別感はストップ安だ。
転生者は色んな世界や時代からやってくるため実は文明がすごく発展している。はっきり言ってすべてにおいて地球を上回っているように感じる。高校生で死んだため専門知識も持っていない文明の発展に貢献することはとても難しいだろう。
転生してうれしかったことはたまたま容姿がいいことぐらいだ。今の僕の姿は茶髪に青い大きな目でかわいらしい線の細い少年だ。線が細いので筋肉がなく、鍛えた割にあまり力がない。ついでに小さいので2歳ぐらい歳が下に見られる。
その後に村で勇者としての活動を始めようとか思ったが、奴隷商に売られそうになったため逃げ出してきた。農家の長男ではなかったし、ついでに身体強化を使えるし、容姿もいいから比較的高い値が付くということだ。
まさか美少年ということが結果的に悪い結果を生むとは思わなかった。やったー。女性にモテそうとか思って浮かれてた自分を責めてやりたい。身体強化もとりあえず使えそうだからという理由で安易に覚えたのがなんとも馬鹿らしい。でも身体強化で聴覚を強化してなんか夜中にぶつぶつ言ってる両親の会話の内容を聞けたのは良かった。
前世を省けば11歳のいたいけな少年を貧しくて破産しそうだからという理由で売らなきゃいけないとは両親にも同情する。だからと言って奴隷商に売られるのは嫌なのでとりあえず日銭を稼ごうと思って村の近くで拾った質の悪い剣を持って近くの町に行ってみる。そこは今いる村よりモンスターが多く、それを狩る勇者や冒険者、傭兵なども多い。
だから宿泊施設などもしっかりしている。宿屋が一軒しかない僕の生まれた村とは違うのだ。そんなこと考えながら、しばらく歩いて町に近くなってきたところだった。悲鳴が聞こえる。
「ぎゃあああああ。ホブゴブリンだあああ!助けてくれえええええ!」
男性の声だ。美少女のかわいらしい悲鳴でないのが残念だ。男性に惚れられても何の意味もない。しかし助ければ金をくれるかもしれない。そう期待して悲鳴が聞こえたところまで身体強化を発動しながら走っていく。
身体強化を使えば、鍛えた割に力の弱い11歳の少年だろうが地球でいう短距離走の世界チャンピョンぐらいの速さで長く走ることができるのだ。
身体強化は魔力を体に流して力を上げるので、もっと筋肉があるやつとか、もっと魔法の才能がある奴なら更に速く長く走れるが、僕にはこれが限界だ。あっという間に成人男性ぐらいの背丈をした緑色の怪物が視界に入った。ホブゴブリンだ。僕は殺意を全開にして襲い掛かった。
「キエエエエエエエエエエ!」
これではどっちが野生動物かわからない。ホブゴブリンは僕の走ってくる音でとっくに僕の存在に気付いている。奇声にも驚かず、片手剣とバックラーを構える。冷静さを感じさせる構えだ。ホブゴブリンのくせに生意気だ。
きっとこいつは僕をなめている。そう勝手に思い込むことで僕は殺意をさらに高める。戦闘で恐怖に負けたら死が待っている。無理やりにでも恐怖を抑え込む。
僕は斜め横にある大木に向かって跳んだ。そして木を蹴って横からホブゴブリンに飛び込む。ホブゴブリンは後ろに一歩下がって、距離を置く。僕は片手剣と両手剣の中間ぐらいの長さの剣を中段に構える。
そこからホブゴブリンの目の前にすり足で近寄る。ホブゴブリンは接近する僕に対し、片手剣を振るおうとする。それを見た僕は、即座に後ろに一歩下がる。ホブゴブリンが前に一歩踏み出して、片手剣を斜め上に掲げる。片手剣を斜めから振るおうとしているのだろう。
僕は大きく腰を落として、ホブゴブリンの片手剣を持っている方の胴体に向けて横から斬撃を放つ。ホブゴブリンは片手剣を真下にストンと降ろして斬撃を防ぐ。ホブゴブリンは力が強い。身体強化をかけている人間が両手で放った斬撃でも片手で受けとめきることが可能だ。
僕は後ろに退く。ホブゴブリンは前に一歩飛び込む。そして僕が構えている両手剣をバックラーを当てて巧みにはじく。バックラーは相手の武器にあてて攻撃を妨害する使い方が多い盾だ。ホブゴブリンは自分の武器の強みを把握しているようだ。
そうして空いた手で片手剣を動かそうとする。そうはさせない。僕は片手を両手剣から放して親指を外に出して握りこむ。次の瞬間に僕は、ホブゴブリンの懐に飛び込む。
ホブゴブリンの喉を狙い親指を前に突き出す。勢いづいてホブゴブリンに当たる瞬間、身体強化を拳に集中させる。ホブゴブリンの喉元に親指が突き刺さる。僕はすぐに全身に身体強化を戻して飛び退く。
いまのは瞬間強化と部位別強化の組み合わせだ。瞬間強化は限られた時間だけ身体強化を発動することによって効果を上げる技術だ。そして部位別強化は限られた部分だけ身体強化を発動する事によって効果を上げる技術だ。
僕はそれぐらいしなきゃ急所に当てたとはいえ、ホブゴブリンを殺すことはできない。つくづく自分の魔力の低さが憎らしい。
ホブゴブリンの喉から血があふれ出る。ホブゴブリンはそれに構わず前方へ跳んだ。着地の瞬間に足を前に出して片手剣を僕に突き込む。僕は横に跳んで突きを避けた。ホブゴブリンは地面に倒れこんで動かなくなった。
死ぬかと思った。前に師匠に見てもらいながら戦った時のホブゴブリンより腕がよかった。まあホブゴブリンにも個体差はあるよな。一回ホブゴブリンを倒したからと言って油断してはいけないのだな。
そんなことより男の人はどうした。ちゃんとここにいるな。あとちょっと遠くにゴブリンの死体が十数匹分ある。この人が倒したのか?僕より強くね?ホブゴブリンに驚くことあるか?気になったら聞いてみるのが一番だ。会話を始めよう
「大丈夫ですか?」
まあいきなり質問攻めもあまりよろしくない。助けたらまず相手を心配するのが最低限の礼儀だ。まずこのセリフだろ。男の人は苦笑しながら元気よく言った。
「ああ問題ない。ちょっと魔力をゴブリン達と戦ったせいで切らしててな。そこをホブゴブリンに襲われたんだ。」
そうか魔力切らしてたのか。人間が脳を使って操る力が魔力だ。そのため知能が人間並みに高くないと使えない。しかし魔力を使えなくても動物は強い。人間が魔力を切らしてたら勝つのはほぼ無理だ。
銃とかがあれば別だがこの人は持っていないようだし、銃はホブゴブリンのような動きの速い動物には当てるのがかなり難しい。男の人がやられかけてた理由に納得した。
男の人が急に胡散臭い笑顔を浮かべた。なに?この胡散臭い笑顔。なんかよくないことが起きそうなのは子供でも分かる。演技が下手すぎるだろ。僕は男の人を強くにらみながら、無言で両手剣を構えた。
「待て!待て待て待て!いきなり殺そうとすんなよ!」
男の人が騙そうとしたくせに何かほざいている。僕は騙されるのが嫌いなんだ。どいつもこいつも僕のことをなめやがって、いじめられてた時と同じ、暗い感情が顔を出す。僕は息を吸って高ぶる感情を抑えて叫んだ。
「やられる前にやれ!それが僕の座右の銘だ!死ねええええええええ!」
そう言って足から力を抜いて飛び掛かろうとする。力を入れるのではない抜く。力を入れると体が硬直してあまりうまく動けない。適度な脱力が重要だ。
魔力が切れた人間は魔力が残っている人間に太刀打ちできない。僕をなめたのがいけないんだ。殺してやる。そう思っていたら、殺意全開の僕におびえた、男の人が慌てて、僕に命を取られる前に叫んだ。
「分かったああああ!全部話すから殺さないでくれえええええ!」
突然の命乞い。僕の中で殺意が薄れてきた。そりゃそうだ。僕は前世含めてまだ人を一度も殺したことがない。相手が命乞いしてるのにそれを遮ってぶった切ることなどできはしない。
「話を聞きましょう。殺すのはそれからにしてあげます。」
男の人が息を整えて話し始める。どうにかして息が乱れないようにしようとしているようだ。殺されそうになっている状況で平常心を保つのはきついようだ。僕だってそうだ。人のことを言えたものではない。
「あのな。助けてくれて有難う。命の恩人にこんなこと言うのもあれだが、頼みがある。俺と一緒にある魔王を討伐してほしいんだ。」
来たああああああああああ!この人のことを殺さないでよかったあああああああああああ!これだよ。こういうのを待ってたんだよ。魔王を討伐これこそ勇者の仕事だよ。いええええええええええええいいいいいいいいいい!
「おい。ちょっと話の続きをしてもいいか?」
おっと。興奮しすぎたようだ。そうだ。まだ話は終わっていない。あれ?ふと気づいた。長話するんだったらこんな場所で話してたら危なくね。ゴブリン出るし。次の瞬間、僕は振り向き剣を振るった。
するとそこには僕にいきなり斬られて喉から血しぶきを出すゴブリンの姿があった。そして僕は身体強化を発動させてゴブリンに蹴りを入れる。ゴブリンはバランスを崩して倒れ、そのまま動かなくなった。男の人は思い出したようにリュックを光らせて次々とゴブリンたちの死体を消していく。
これはマジックバックだな。見た目より大きなものが入る魔法のバックだ。かなり高い品だ。男の人と僕はお互いうなずき合った。危険だし取るもんとって帰ろう。意見は完全に一致した。
そして一緒に町に入った。町に入って話の続きだ。僕は興奮を抑えてセリフをかまないように聞いた。
「どんな魔王を討伐するんですか?」
男の人は深刻な表情を浮かべた。どんな凶悪な魔王なんだ?気になる。気になるぞ。仲間の仇かそれとも家族とかを人質に取られているのか?テンションが上がった僕に男の人は声を震わせて言った。
「とても凶悪な魔王だ。俺の大切なものを盗んだんだ!」
おおおおお!なんだ?伝説の装備か?高価な財宝か?それとも家族をさらったことを盗んだと表現しているのか?気分が上がる。上がってゆくううううう!
「俺がかき集めたエロ本をひとつ残らずだあああ!」
今なんつった?エロ本?気分が下がるわあああああ。時間返してくんねえかなああああ。僕は地べたに座って俯いた。なんでこんな男助けたんだろおおおお。下らねえことを頼んできた時間泥棒が早口でまくしたてる。
「エロ本と言っても数千冊あってだな。今は絶版のも多くある!その価値は500万タジーを超える!お願いだ!俺に協力してくれ!報酬は50万タジー払うからああああ!」
僕はその言葉を聞いてすくっと元気よく立ち上がった。できるだけ優しく微笑みながら丁寧な口調で言った。
「話を聞かせてもらっても?」
男の人はいきなり僕の態度が変わったことにびっくり仰天している。開いた口が塞がらないといった感じだ。50万タジーは日本円に換算すると50万円ぐらいだ。僕はお金が大好きだし、とても大事なものだと思っている。
なんたって家に金がないせいで売られかけたんだからな。何がおかしいんだ。とっとと話を聞かせろ。男の人はようやく我に返って、話を再開する。
「俺はこの街で活動している冒険者なんだが、家族にばれないよう村にある洞窟にエロ本を隠していたんだ。しかしある日この地に魔王が流れ着いた。その魔王は洞窟に住んだ。俺は魔王からエロ本を取り返そうと挑んだが一人じゃ勝てなかった。かといってパーティの仲間は結婚して違う仕事についちまった。だから君にしか頼れないんだ。頼む!俺と一緒にエロ本を取り返してくれ。」
マジで下らねえな。勇者が誰でもなれるなら、魔王も誰でもなれる。魔王だと主張すればそいつは魔王だし、魔王だと決めつけられたら、それもまた魔王なのだ。魔王もピンからキリまでいる。
なるほどな。依頼は受けてやってもいいが。その前にこの男の人は僕にしなきゃいけないことを忘れている。僕はにっこり笑って、忘れていることを伝える。
「依頼は受けましょう。でもその前に僕は貴方を助けました。貴方が倒したゴブリン5匹分売ったお金を譲ってはくれませんか。あと僕が倒したホブゴブリンとゴブリンも忘れずに。」
男の人はやるせなそうな溜息を吐きながら、僕と素材買取センターに向かった。ホブゴブリンの片手剣とバックラーが悪くない代物だったし、素材の量が多かったので買い取り総額は7万タジーぐらいになった。そして男の人と明日に魔王を倒しに行く約束をして宿屋に行った。
そして宿屋から出て向かった場所は冒険用装備の店である。おっと店員さんからすごい警戒されてるな。窃盗犯かもしれないと思われてるようだ。心配せんでも金は持ってるわい。今着ている服は少しぼろいからな。家が貧乏だったので兄のおさがりだし。
店員さんから警戒されながらもなんとか装備を買うことに成功した。装備の質を確認しようと手に取った時なんて、店員さんが足に力を込めて、臨戦態勢だったしな。泥棒じゃないっての。
まずはブーツだ。防水とかいろいろ便利な機能が付いた、地球のコンバットブーツみたいなやつだ。きちんと山道を歩けそうなやつだ。あとは膝パッドと肘パッド。これはがあればどこかにぶつけたり、転んだ時も安全だ。
あと一番高かったのが動きやすい密着トップスと密着ボトムスだ。体の線が出るような服で。伸び縮みして動きを全く阻害しない。迷彩色で通気性もいい。今回の装備を全部つけると全身が迷彩色の不審者になった。
勇者ってこんなだっけ?今回の装備は全部でおよそ6万タジーした。つまり僕は日本円で自ら6万円払って、不審者になったということである。待て待て。そうじゃない。宿屋に泊まるために1万タジー残して、装備を整えた。こっちだ。
そして僕は宿屋でご飯を食べて、明日に備えて寝るのであった。そして朝ご飯を食べて宿屋を出る。さて待ち合わせ場所の門の外についた。そのすぐ後に男の人も来た。そして僕を見て言う。
「うわあああ。不審者だ!」
失礼な。あんたも僕の装備の上に皮鎧とか着てるだけであんま変わらんだろ。というかこの世界の戦闘職をみると全くファンタジーって感じがしない。ミリタリーな感じがする。でも、この世界にも一応あるにはあるのだファンタジー装備が。
しかしそれは職人による手作りだ。職人が自らの作りたい物に対する熱意と魔力を込めて作り上げる。本当に作りたいものだから、それは冒険のときに非合理的ともいえる形をとることがある。そんな感じなのだ。
手作りは高い。人件費が上乗せされるからな。そのため金のある戦闘職しかもっていない。つまり新人冒険者とかがそれぞれの個性あふれる服を着ていたりとかそういうことはないのだ。ロマンもへったくれもない。
たしかに冒険の時にそれで強くなるわけでもないのに、スカートとか、はかないよな。その色にしても強くならんのに、わざわざ目立つ色にすることないよな。この世界はファンタジーにあこがれる者に厳しい現実を平気で突き付けてくる。
男の人は目の前にいる不審者が昨日会った命の恩人だということにようやく気づいたようだ。軽いノリで挨拶してくる。
「おお。おはよう。昨日の少年じゃないか。装備を整えたようだな。俺は魔法を後方から打ち込んでサポートするタイプの冒険者だ。」
そうか。ポジションの確認をしておかなければな。ワクワクしすぎて忘れていた。僕も挨拶を男の人をまねて元気よく返す。
「おはようございます。昨日も見たと思いますが、身体強化が使えます。他は五感の強化ぐらいしか使えないので、僕が前衛ですね。じゃあ行きましょう。案内してください。」
そして洞窟の前についた。洞窟はそんなに大きくない。男の人と顔を見合わせてこっそり忍び込む。すると何やら奥から声が聞こえてきた。
「そろそろこのエロ本を売る準備を整えようか。大分休んだしな。魔族の村の古本屋までもっていこう。よいしょっと。多いから分けて運ばなきゃ。」
男の人と僕はうなずき合って洞窟の外に出る。こいつが出てきたところで襲い掛かり、速攻で殺してしまうのだ。ふっ魔王よ。独り言なんて言うからいけないのだよ。恨むなら独り言の癖がある自分を恨むんだな。
足音が近くなってくる。魔王が出てきた。容姿を確認する前にまず斬りかかる。魔王は後ろに跳んで避けた。そしてエロ本の入った段ボール箱を洞窟に放り投げた。判断が早い。
魔王はミノタウロスだった。3メートルぐらいあり、まあまあ強そうなモンスターだ。服装がジャージなのが残念だ。しかしジャージは強さに関係ない。ホブゴブリンなんかとは比べるまでもないぐらい強いだろう。魔王は高笑いしながら言い放つ。
「ふっ、このエロ本は拙者が売って金にするのだ!仲間を集めたところで私を倒すことはできんぞ!人の不意を突いて襲う卑怯者どもがああああ!」
拙者とはずいぶん特徴的な一人称だ。男の人はその言葉を聞いて強く魔王をにらめつけながら怒りを込めて叫ぶ。
「そのエロ本は俺のだあああああ!返せええええ!」
信じられるか?こいつらエロ本をめぐってこんな真剣な表情してるんだぜ。そんなこと考えてたら男の人は手から灰色に光るテニスボール大の球を放った。マジックボールだ。魔力を球にしてそのまま放つ無属性魔法だ。魔王はマジックボールを飛び越えて僕に迫る。
僕の真上から魔王の巨体が降ってくる。魔王は僕を踏み潰すつもりだ。僕は後ろに大きく飛ぶ。なんとか踏みつぶされずに済んだ。男の人が魔王の着地に合わせてマジックボールを撃ち込んだ。魔王は腕でマジックボールを防いだ。
魔王の左腕からは少量の血が流れる。流石に無傷ではなかったが、仕留め損ねた。魔王は憎悪を込めて叫んだ。
「武器さえ持っていればこんなことには!不意打ちなんてしやがって卑怯者がああ!」
何も言い返せねえ。ここは魔族の村が近い。魔王はちょっと近くに行くつもりだから武器を持っていなかったのだろう。そこを僕たちに襲われて武器が必要になったわけだ。確かに卑怯だ。しかし男の人は魔王が傷ついたことで機嫌がよくなっている。魔王に笑いながら言った。
「ハーッハッハッー!卑怯で結構だ!俺は手段を選ばない男だぜええええ!」
エロ本ごときに手段を選ばないとはとんでもない男だ。そう考えながらも僕は前にすり足で出て剣を上段に突き出す。魔王は半身になってそれを避ける。そして肩から放つように拳を突き込んでくる。ジャブだ。それを僕は腰を落として避ける。
体格差がこれだけ違えば、あまり威力はないと言われるジャブですら致命傷になりうる。腰を落としてジャブを避けてから、剣を魔王の胴体に突き込む。魔王は後ろに下がって刺突を避けた。
僕の刺突を避けた魔王に男の人がまたもやマジックボールを放つ。魔王は少し屈んでそれを避ける。僕は前に出て斜め上から剣を振り下ろす。魔王は剣を腕で受けた。
剣に伝わる固い皮膚の感触。魔王の皮膚が固く切れにくい。魔王の左腕が浅く切り裂かれ、また血が流れる。魔王は苦しそうだ。しかし魔王はあきらめない。眼光を鋭くして高らかに叫んだ。
「拙者は諦めない!雇い主だった魔王が死んで無職になっても諦めなかった!今度は自分が魔王になってみよう。そう思った。こんなところで拙者の野望は終わらんぞおおおおおお!」
そんな過去があったのか魔王。でもな僕だってこんなところで死ぬわけにはいかない。僕も魔王を見習って叫ばせてもらう。
「僕だって諦めない!いじめられてても諦めなかった。奴隷商に売られそうになってもくじけなかった。みんなにほめたたえられる勇者になってみよう。そう決めた。こんなところで僕の夢は終わらない!」
ひとしきり自分語りした魔王と僕は同時に飛び込んだ。魔王は腰を回して拳打を放つ。それを屈んで回避。強く地面を蹴って、魔王の懐に潜り込む。魔王は膝蹴りで迎え撃つ。魔王の膝を蹴って僕は宙に浮いた。膝蹴りを踏み台にした僕は落ちると同時に剣を真上から振り下ろす。
魔王は横に一歩下がってそれを避ける。魔王が避けた直後に男の人がマジックボールを撃ち出す。魔王は倒れこむようにしてマジックボールをやり過ごした。それから倒れこんだ勢いを使って前に飛び出る。
僕は斜め横にすり足で地面を滑る。すれ違いざまに一閃。やはり浅い。魔王の足から血が出る。魔王は少量の出血など構わず男の人に急迫。やばい。このままでは依頼主が死ぬ。金が貰えない。僕は叫びながら急いで魔王の方に跳んだ。
「カネエエエエエエエエ!」
背後から魔王に剣を振り上げ、飛び掛かった。魔王は振り向いて拳打を僕に叩き込もうとする。空中では避けることができない。僕は剣を魔王の拳に思いきりぶつけた。魔王の拳が割れた感触がする、代わりに僕は拳打による衝撃で吹っ飛ぶ。
衝撃をいなすように空中で開店するがいなしきれず剣が半ばから、へし折れた。まあ数打ちの粗悪品だから折れても仕方ないだろう。僕はすとんと着地する。どうしようかな。やべえ。
いやそんなこと考えるのはあとでいい。男の人が魔王にマジックボールを撃った。魔王にマジックボールが命中。しかし魔王はまだ倒れない。僕は折れた剣を構える。魔王はそれを見て笑いながら言った。
「キョキョキョオオオオオオ!そんな折れた剣で拙者を倒そうとは片腹痛いわああああ!」
キョキョとかいう笑い方はねえだろ。それに折れた剣でもないよりゃいい。僕は恐怖に耐えるために怒りをむき出しにして、大きな声で吠えた。
「お前はその折れた剣で死ぬんだよおおおおおおおお!殺してやるうううううううう!」
気が狂ったかのように叫ぶ。実際狂ってるかもしれない。そして前に勢いよく跳ぶ。僕は剣を振り上げる。そしてその体勢から剣を放り投げた。そしてさらに魔王との距離を詰める。魔王の顔に向かって投げた剣は、腕での防御ではじかれる。それでも構わない。
今の場所は魔王の目の前。僕は拳を魔王の股間に向かって振るう。そして親指を外に突き出した拳に身体強化を集中させる。振られた拳の親指が魔王の股間に突き刺さる。気持ち悪い感触が親指に伝わる。
急いで身体強化を全身に戻し。後ろに飛び退く。魔王の股間から血がしたたり落ちる。金的には動脈がない。切ったところで血は出ない。しかし神経が山ほど配置されているのでかなり痛い。
魔王は啞然として硬直する。興奮状態なのでさほど痛くないのか、声は出ない。ちっ、痛くねえのか。当てが外れた。でもとても驚いている。結果オーライ。
隙ができた魔王を見た男の人がバレーボール大のマジックボールを作り出す。特大のマジックボールを確認した魔王は焦って叫んだ。
「おいこんな方法で魔王を倒す奴がほめたたえられる勇者になれるとでも思ってんのかああああああ!」
魔王が何を言ってるのか僕にはさっぱり分からない。何も問題ないだろう?僕はとびっきりの笑顔を浮かべて言った。
「安心しろ。正々堂々おまえを倒したことにしてやる。」
誰が油断している魔王を不意打ちして、魔王が武器を持っていない状態で股間を切り裂いて倒したなんてこと正直に言うんだ?僕が魔王に放った言葉と当時に男の人がとてもいい笑顔を浮かべて、マジックボールを発射する。
魔王はマジックボールを避けることができなかった。マジックボールは魔王の頭に直撃。頭がつぶれる。魔王は地面に倒れて動かなくなった。僕たちの勝利だ。男の人が感極まって雄たけびを上げる。
「魔王討ち取ったりいいいいいいいいいい!」
雄たけびが森に響いた後、男の人が魔王をマジックバッグに収納する。こんなでかいのも入るのか。かなりいいマジックバッグだな。男の人を今すぐここでぶっ殺したくなったが我慢だ。さすがに依頼主を殺すわけにはいかない。
しかし僕の中の悪魔がささやく。男の人が持ってるマジックバック確実に報酬の50万タジー以上するぜ。こいつの装備も売り払えば金になるだろ。絶対その方が得だって殺しちまえよ。駄目だ。落ち着け。そんなことしちゃいけない。
いかん。このままでは心の中の悪魔に負ける。何かいい案は?そうだ!とりあえず気を紛らわせようと男の人に質問をする。
「えーとこの魔王の素材売った金どう分けます?」
そうそうこのミノタウロスの魔王の素材も売れる。ミノタウロスの毛皮は大きいから高い値が付くし、肉もたくさんとれるし、角も良質だ。魔王の素材について話し合ってなかったな。何故か男の人は、何を言っているんだ?という顔をしている。男の人は首を傾げて言った。
「依頼の報酬は50万タジーだからこの素材は俺が頂くけど。なんか問題あったか?」
殺そう。僕は身体強化を再び発動させる。そして男の人に飛び掛かり馬乗りになる。そして拳を男の人の頭に振り下ろそうとした。男の人がたまらず絶叫する。
「分かった。ちゃんと分けるから許してくれええええ!殺さないでくれえええええ!」
その声で僕は我に返った。すぐに申し訳ない気持ちが湧いてくる。ほろりと涙が落ちる。僕は馬乗りをやめて立ち上がる。そして頭を下げた。
「すみません。素材が欲しすぎて気づいたら殺しかけてました。ごめんなさい。」
僕が謝ったのを見た男の人は、しばらくの沈黙の後に顔を青くしながらおびえた声で僕に謝り返した。
「すまん。その辺のことを話してなかったのは俺のミスだ。素材は山分けしよう。」
なんか男の人は僕に恐怖を抱いているようだ。やはり殺しかけたのがまずかったのだろうか?これではまるで脅迫のようだ。まあ報酬が増えるなら何でもいいか。そんなことよりもっと大事なことを僕は思い出した。
「あのエロ本どうします?」
男の人は恐怖にゆがんだ顔から一転達成感にあふれた顔になった。そして急に元気を取り戻して語り始める。
「そうだな。家に新しく作った物置にしまい込もう。もちろんただの物置じゃない。隠し扉がついていて一見ただの壁に見えるのだ。作るのに苦労した。つまり洞窟はその物置が完成するまでの仮の隠し場所というわけだ。洞窟に入ってきてエロ本を盗まれちゃたまらんからな。まあ盗まれそうだったけど、それで・・・・・・。」
このままだと無限に話が続きそうだ。時間がもったいない。エロ本の話なんかにこれ以上時間を使いたくない。そう思った僕はこれ以上話が続く前に言った。
「とっととエロ本を物置に運び込みましょう。」
男の人は俯いて無言で頷いた。少し話過ぎたと後悔しているのかもしれない。そして段ボール箱をマジックバックにしまって、男の人の家に向かう。しばらく歩いて男の人の家に着いた。男の人の家は現代日本で見るような普通の一軒家だった。
うらやましい話だ。僕がつい最近までいた実家なんて茅葺屋根の古い家だったのに。この世界は地球より発達しているが貧富の差というものは存在する。貧しいとこは死ぬほど貧しいし、豊かなとこは想像がつかないほど豊かなのだ。
まあとりあえず今は男の人の家に入って、物置にエロ本をしまい込まなければいけない。男の人に家の中に案内されて入る。シミやカビのついていないタンスやテレビが置かれ、ぼろくないカーペットが敷かれている。
僕は身体強化を発動させようとして思いとどまった。危ない。嫉妬に狂って人を殺すとこだった。それでは勇者失格だ。まあその定義で言ったら、勇者の中には魔王と手を組んだ者や殺人が癖になった者など失格者が大勢だ。
僕はそんなろくでもない勇者失格連中とは違う。さてとりあえず物置まで行こうか。男の人が僕の先を歩く。後ろから不意打ちしようかという変な気が起こらなくなるくらいには油断のない背中だ。さすが戦闘職。背後のことを気にもしない連中は戦闘職になっても長生きできないだろう。
そして物置があるという部屋に来た。タンスやテーブル、パソコンにカーペット。どれも目立った汚れのない良い品だ。殺意が高鳴る。家の中にあるものを売りさばき、男の人の装備を金にすれば稼ぎはもうすごいことになるだろう。
でもそれでは売りさばいた後に足がついてしまう。まだ殺人犯にはなりたくない。そう思うと殺意が緩やかに収まっていった。部屋の中は一見普通だ。何の変哲もない。しかしこの部屋のどこかに確かにエロ本が隠れている。それも大量にな。
いったいどこなのだろう。そう思い始めた時、男の人が得意げな笑みを浮かべた。その笑みを消さぬままタンスをどけた。すると若干切れ目がある壁が出てきた。男の人が壁を手で押すとくるんと回った。
するとそこにはやたらだだっ広い空間があった。おいおい。どんだけエロ本を積み込むつもりだよ。ずいぶん手が込んだ物置だな。男の人は魔法使いではなく、大工になるべきだったのではないだろうか?
男の人は得意げな笑みをまだ消さない。顔に張り付けたままにしている。そして明るく高い能天気な声色で楽しそうに言った。
「いやあー。苦労したんだぜ。家族にばれないようにこれを作るのは。自信作だから本当は見せたいんだがな。エロ本を積み込むのがばれちゃいけないからな。こうやって自慢できるのはお前くらいってことよ。さあとっととエロ本を積み込むぞー。」
やめろ。声に出すな。ばれるかもしれんだろうが。その時僕は殺気を感じて身体強化を発動。殺気が放出された方向へ飛びかかる。着地の瞬間に腰を回して拳打を叩き込む。しかし拳に手ごたえはない。
僕の拳打は相手が半身をそらして避けたため不発に終わった。そのすぐ後に腹に拳が叩き込まれる。回避のすぐ後に攻撃。流れるような無駄のない動きだった。しかも身体強化で上がった耐久力を上回るすごい威力の攻撃だ。僕の腹の中の空気は外に吐き出され、そのまま倒れるしかなかった。
男の人の顔は恐怖に歪んでいる。これはもう無理だ。僕は男の人を見捨てることにした。何が何でも生き抜いてやる。熱い感情が心に宿る。気が付けば僕は土下座をしていた。
いじめられっ子時代に何回もした動作。結局殴られるから意味がなかったので途中からするのをやめた動作。転生してきた後には一回もしたことがなかった。
でも体が覚えていた。とても綺麗な土下座だろう。僕は土下座をしている方だからよくわからないけど出来がいい気がする。そして吐く言葉は真実だ。嘘を吐いても男の人に足を引っ張られるし、もともと噓をつくのは大の苦手だ。僕は勢いよくでかい声で言った。
「すみませんでしたあああ!状況を説明してもいいですかあ。」
転生後で初の僕の華麗なる土下座からの熱意のこもった謝罪を受けた女の人は、ボソッと一言だけ言った。
「許可する。」
今のところ命は取られないようだ。しかしまだ強い殺気を感じる。僕はまだ助かっていない。そう実感した。僕はすぐに受け答えする。
「有難うございます。僕は昨日この男の人がホブゴブリンに殺されかけているところを助けました。」
女の人は眉を少し動かした。なんだ?命をとうとう取られるのか?そうではなかったようだ。女の人は小さく言った。
「そこから?話が長くなりそう。」
怖すぎる。他人に生命を握られているというのはとても恐ろしいことだ。ついでに屈辱的だ。どっかの漫画の強い剣士が言ったことにとても納得した。しかし人生はわからない。他人に殺生与奪の権利を取られることがあるかもしれない。
その状況でもあきらめないこと、それが大事だと僕は信じている。命をあきらめきれない僕は次なる言葉を紡ぎだした。
「それから男の人が魔王にとられたエロ本を取り返すのに金は払うから協力してくれと言われました。」
女の人は殺気を強くする。そして眉を吊り上げた。これはもう勝率はほとんどないが戦って生き残ることを選ぶか?僕はそう考え始めた。女の人は怒りを込めて言った。
「いくら?」
僕の息が荒くなる。死ぬかもしれないが正直に答えるしかないだろう。もしダメだったら戦うしかない。僕は覚悟を決めて言い放った。
「50万タジーです。」
女の人の殺気がさらに強くなる。殺される。そう思った。女の人がわなわな震えながら眉を最大まで釣り上げて言った。
「あなた。私に申告していないお金があったの?」
静かだが怒っていることが十二分に伝わる声だ。どうやら殺気の対象は男の人らしい。でもまだ僕の命は助かっていない。男の人はがくがくと震えながら呼吸を必死に整えようとしている。だが呼吸が整わない。
「ハアッハアッハアー。ングッ。ハアッアァー。ヒイーィ。ウオッオー。」
過度の緊張が男の人に呼吸を整えさせることを許さない。女の人が底冷えするような冷たい声で情けない男の人に向かって言う。
「言えないの?答えて。」
男の人は白目をむく。顔が青白くなる。もはや生きている人の顔とは思えない。おまけに汗がだらだらと垂れる。目からは涙が止まらない。鼻の下からは鼻水があふれ出る。汚ねえ。男の人はこれ以上ないほどに追い詰められていた。
しかし死にたくないという思いが男の人に声を出すことを許した。か細く震えた極小の声が男の人から漏れ出る。
「ア、アウッアウッアー。す、すみません。かかか、隠し持ってました。」
男の人がそう言い終わった瞬間だった。乾いた大きな音が室内に響いた。女の人の掌底が男の人の顎を打ち抜いていた。男の人は呻く暇もなく倒れる。次は僕の番かもしれないな?本気でそう感じた。
女の人は倒れた男の人から目を離す。そして大きく開いた眼を僕に目を向ける。女の人は殺気を緩めず、僕に質問した。
「それで魔王は?」
間を置かず僕は答えた。あらゆる余裕がそぎ取られていく。答えた声が震えていないかどうかさえ確認する余裕はなかった。
「ヒ、ヒイッヒイ。こ、この人とともにこ、殺し、ました。」
僕ももうすぐあの魔王のところに行くかもしれない。そう思うと震えが止まらなかった。女の人は明るさのない声で僕に聞いた。
「その後は?」
会話するたびに心が削れていく気がした。土下座の姿勢は本来だいぶ苦しいのだが、心が削れていく方がつらすぎて全くと言っていいほど気にならなかった。会話するたびに心が削れるのだとしても答え続けなければならない。死にたくなければ。僕はゆっくり答えた。
「えええ、エロ本をこ、ここに運び込もうと、とと、しました。」
時間が止まった気がした。女の人の返答までの時間が数日にも感じられた。気づけば僕は師匠から習った五感強化のすべてをしていた。視覚強化で表情筋の動きなどを読み取った。聴覚強化で心拍数などを聞き取った。
嗅覚強化であらゆる匂いをかぎ分けた。味覚強化で大気を挟んで舐め尽くした。触覚強化で空気の流れを感じた。僕は味覚強化と触覚強化は師匠から習っていたが使えなかった。それが突然使えるようになった。怖かったのだろう。僕はそれほどまでに女の人の感情を感じることに全力を割いた。
僕は殺されない。そう感じ取った。しかし安心した素振りを見せてはいけない。相手は僕のことにいら立っているのだ。緊張していてほしいのだ。確かに分かった。そこから僕は前世も含め、人生全てで体験したことのないぐらい頭の回転が速くなった。
人生をかけた受験の時だって、命がかかった魔王との戦いのときでさえ、こんなことはなかった。その次することがすぐ分かった。その先も。さらにその先も。そうして気づいたら口が開いていた。
「申し訳ありませんでした。」
女の人が次にいう言葉ももう僕は知っている。僕はただその言葉を言うのを待つだけだ。そして女の人がスマートフォンを取り出して画面を僕に見せる。画面にはこの近くの本屋が写っていた。口を開いた。
「エロ本を全部この店に売ってきて。発信機付きボディカメラつけとくから。不正しないように。」
スマートフォンはこの世界にもある。やはりここでもスマートフォン依存症はあるのだろうか?近所の人や家族が持っていなかったからわからないが、多分あるだろう。ちなみに女の人がボディカメラを持っている理由もわかる。
わかるが考えたくない。思考を強制停止させる。僕はただ言われるがままボディカメラを体に取り付けられた。そして恥ずかしい思いをしながらエロ本を店に売りに行った。そりゃそうだ。
まず量が半端じゃない。子供なのにこんなにエロ本を持っているのかと思われるのがそもそも嫌だ。次に内容がやばい。男の人が結構変態だったので、僕が結構な変態に見えるのだ。僕はできるだけ何も感じないようにしながら売りに行った。
お店の人のゴミを見るような目がとてもきつかった。きっと女の人はこれが嫌だったのだろう。精神的に疲弊した僕は男の人の家の前についた。そこには驚くべき光景が広がってた。男の人が庭の木に吊るされていたのだ。
僕は即座に家の垣根の陰に隠れる。次に心拍数、呼吸音などを最低限に抑える。日本で何回もやった技術だがこんなに精神的に疲弊した状態で使うのは久しぶりだ。ブランクがある状態で過去最高の隠密が必要とされる状況に出くわすとは災難だ。
様子を把握するため視覚強化以外の五感強化をすべて発動させる。すると女の人の声がはっきりと聞こえてきた。
「あなたは私だけを見てればいい。エロ本なんて必要ない。私がいる。」
ひいいいいいいい!ヤンデレだ。初めて見た。怖い。怖すぎる!いかん心拍数を抑えろ。気づかれてしまう。強化した感覚で女の人の感情を把握する。
これは冗談なんかじゃない。まぎれもない本心だ。そして女の人が懐から鞭を出した。次にやることが僕にはわかった。男の人もわかったのだろう。必死に止める。
「エロ本なんて読んで悪かった。でも今、君にはお腹に子供がいるだろう。だからそういう事はできないからちょっとたまってしまってたんだ。いや、それは言い訳にならないな。とにかく許してくれええ!」
男の人と女の人には子供がいるようだ。許せないな。少し怒りの感情がたまる。しかしその感情は次の瞬間に跡形もなく吹き飛んだ。
ビシュン!ベチッ!乾いた大きな音があたりに響く。音速を超えると鞭は空気との抵抗ですごい音がする。おまけに音速を超えた鞭が当たってもすごい音がする。そして漂う血の匂い。一呼吸遅れて男の人の痛々しい叫び声が響く。
「いい、い、イイイイイイイイッ!」
その叫び声じゃあ。まるで昭和の悪の組織の戦闘員だよ。僕は現実逃避をするように考えた。鞭が何度も音速を超えて振られていく。
「イイイイイイイイッ!」
「イイイイイイイイイイイイイイイイッ!」
「イイイイイイイイイイッ!」
不思議だった。さっきまで男の人に嫉妬していたのに、今では男の人にめちゃくちゃ同情している。こんなに一瞬で感情が切り替わるなんて初めてだ。今日は初めてが多い日だな。女の人は鞭を振る手を止めた。
そして男の人に近づく。男の人の顔に自分の顔を近づける。そして男の人の顔から出ている血をべろべろ舐める。ひいいいいいいい!
心臓の音が上がりそうになるのを必死でこらえる。見つかったら殺される。死にたくない!その思いが僕に限界を超えた隠密技術を特別に提供する。僕は庭の垣根と一緒になった気がした。心臓の音が体から聞こえなくなる。
隠密の腕を上げた僕は達成感を覚えた。僕はまだまだ成長できる。どこまでも行ける。そう思った。女の人は血をひとしきり舐めた後に甘い声で言った。
「ただの血なのに、あなたから出ていると考えると、とても美味しい気がしてくる。」
達成感が崩落した。そうだ。まだまだ成長の余地があっても、今死んだら意味がない。気づかなくていいことに気づいてしまった。女の人は殺気を収めて言った。
「今度はエロ本なんか読んじゃダメ。だいぶ後になるけど私がいっぱい気持ちよくしてあげるから。」
よし後で男の人を蹴ろう。同情する気がすぐに失せた。とりあえず男の人と女の人が家に入った。しばらく待機してから、僕は何食わぬ顔で家に入る。
「ただいま帰りました。姉御。」
さらっと口から出たセリフ。あれ?怖すぎて僕、無意識に子分になろうとしているのか?女の人は姉御と呼ばれても、顔色一つ変えず僕から財布を受け取った。まあ元から姉御は表情が少なめだが、ひょっとして姉御ってほかの人も言ってるのか?
疑問が次々湧き出てくるがそんなことはどうでもいい。依頼の報酬がもらえるかということの方が大事である。姉御に聞くのは怖いので、男の人に聞こう。男の人の耳に顔を近づけて話す。
「依頼の報酬ってもらえますか?」
男の人は呆れたような顔をした後にささやいた。
「払うらしいよ。ちなみに素材の分け前、俺の分は没収された。お仕置きだってよ。」
ざまあみろ。僕は笑みを浮かべた。しかし男の人はなぜか悔しくなさそうだ。僕に向かってにっこりと微笑んだ。そして口を開いた。
「俺が一人で冒険にでるのは不安だから、お前にもついて行って欲しいってよ。」
マジっすか?姉御。僕はバッと姉御の方を向く。姉御はゆっくり首を縦に振った。男の人が僕にうざい顔で言ってくる。
「俺はこんなに愛してもらってるぜ。お前も誰かにこれだけ愛してもらえるといいな。」
うざいが、男の人がさっき鞭でぶっ叩かれてたのを思い出した。あれは重すぎるな。僕は男の人を哀れんだ目で見つめる。男の人は僕の表情の意味が分からなかったようだ。ぽかんとした顔で宙を見上げた。
魔王を倒しても勇者の冒険は終わらない。この世界の魔王はピンキリだ。今回の魔王は僕にとって、ラスボスたり得ない。僕の冒険は始まったばかりだ!