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真相は花の中

作者:

アナベル・アゲラタム子爵令嬢:乙女ゲーム「フローリアの乙女」の知識を持つ少女。ゲームにおけるポジションはサポートキャラ。

ベロニカ・ブーゲンビリア公爵令嬢:悪役令嬢

ブルビネ伯爵令嬢:悪役令嬢の取り巻き

デルフィニウム王子:メインヒーロー

カトレア・カレンデュラ侯爵令嬢:ヒロイン

Side A


 私の名前はアナベル・アゲラタム。

 フローリア王国の子爵令嬢だ。

 領地は辺境という程でもないけど、王都や主要都市からはかなり離れた田舎で、人間よりも羊の数のほうが多い。

 羊毛とチーズを特産品にしているけど、どちらもウチよりも良質だったり、流通の便が良い土地でも産出されているので正直微妙。


 家はアスターお兄様が継ぐ予定。

 必然的に私は何処かへ嫁がなきゃいけないんだけど、裕福でも爵位が高いわけでもない我が家では、親の力を期待したところで良縁は望めそうにない。

 結局十五歳になった今でも私に婚約者はいないままだ。


 今は王都にある全寮制、共学の学園に通っているのだが、たまに実家から送られてくる手紙には「恋人はできた? 嫁入り先見つかりそう?」と、私任せでイラっとくる文章が必ず書かれている。

 自分達は縁談で結婚したクセに、娘には自力でなんとかしろって無責任じゃない?

 できるわけないじゃん! こちとら容姿も能力も特筆すべきところがないモブやぞ!


 コホン、失礼。我が家のことはこれくらいにしておこう。

 封建制の世界で男女共学の学園とか、モブといった単語でお察しの通り、実は私は転生者であり、ここはゲームの世界だ。

 ゲームの世界でもない限り、年頃の貴族の子女が学園に通うなんてありえないもんね。

 この世界は前世でプレイしていたゲーム『フローリアの乙女』の世界なのである!



 この世界のもとになった『フローリアの乙女』は正統派乙女ゲーム。良くも悪くも普通だ。


 最近のゲームなので絵はそこそこキレイ。

 思うんだけど、今はイラストレーターの画力の平均値が高すぎて、一定のクオリティに達するとどれも似たような感じになっている気がする。

 昔は頂点(トップ)底辺(ボトム)の差がエグかったから、絵が抜きん出て上手い作品はそれだけでレジへ直行だった。

 今は無課金でもプレイできちゃうソシャゲが毎週のようにリリースされているから、少々絵がきれいなくらいじゃ売れない。

 他と差別化するために。数多あるゲームに埋もれないために。

 どこの会社も捻った部分や、尖った設定を作るようになったので、その反動で「本格」とか「王道」と呼べる作品が減った。


 そんな状況で開発された『リア乙』は、古き良き王道シナリオだった。

 とはいえ、乙女ゲーを題材とした小説でインフラ扱いされている男爵家の庶子が学園に入学し、王子様と恋に落ちるというものではないし、卒業パーティーで婚約破棄宣言したりもしない。



 ヒロインのカトレア・カレンデュラは侯爵令嬢。

 庶子じゃなくて、正統な侯爵家の娘。しかし彼女は生粋の貴族ではない。


 ヒロインの母親は、現カレンデュラ侯爵の妹だ。

 護衛騎士と恋に落ちた彼女は、王弟との結婚を拒否して出奔。

 駆け落ち先で生まれたのが我らのヒロイン・カトレアなのだ。


 親子三人慎ましくも平和に暮らしていたが、ある年の冬に父親が肺炎で死亡。

 一家の不幸はそこで終わらず、間髪入れず洪水で家が流されてしまい、母親は娘を連れて実家に戻るのである。


 兄である侯爵はしぶしぶ親子を受けいれ、姪に貴族としての教育を施した後に貴族の子女が集う学園に入学させる。

『リア乙』は平凡ヒロインじゃないので、カトレアは美少女設定だ。

 学園卒業後に姪の面倒を見る気がない侯爵は、彼女に自力で嫁ぎ先を探すよう命じるのである。

 親近感わいちゃうね! 私は実家細くて、美少女じゃないけど!


 高位貴族でありながら、長年存在を認知されていなかったヒロイン。

 半端な時期に編入してきた彼女は『幻の令嬢』として、生徒たちの注目を浴びる。

 基本的なマナーは詰め込んだが、実践経験に乏しい彼女は右往左往しながら学園に馴染もうと努力するというのがこのゲームのあらすじだ。



 メインヒーローであるデルフィニウム王子は王太子。

 彼は叔父を裏切った女の娘がどの面を下げてやってきたのかと、ヒロインに近付くのだ。

 社交に不慣れな侯爵令嬢を陰日向から助ける親切な王子の顔をしているが、その目的は彼女のアラ探しをして隙あらば糾弾するためだった。


 しかしそこは乙女ゲーム。

 弱音を吐かず、顔を上げて努力し続けるヒロインのひたむきな姿に、王子は徐々に惹かれていくのである。

 ミイラ取りがミイラになる王道パターンですね。わかります。


 婚約者と上手くいっていなかった王子は、攻略が進むにつれヒロインに心を許すようになり、少しずつ悩みを打ち明ける。

 そしてヒロインに励まされるうちに「人生のパートナーはただ優秀なだけではなく、お互いに対話して支えあえる人間でなければ」と思うようになる。

 悩みを解決してあげる系。悪い言い方をすれば相談女。

 これまたよくあるパターンだ。さすが王道、どストレート。



 最後に悪役令嬢のベロニカ・ブーゲンビリア公爵令嬢。

 実はブーゲンビリア家は、我が家の寄り親だったりする。

 そしてモブ令嬢こと私アナベルは、ベロニカ様の取り巻き……の補欠だ。


 王子の婚約者であり、自身が公爵家の令嬢であるベロニカ様の取り巻きは多い。

 常にレギュラー争いをし、スタメンはわずか五人。

 その他は全員補欠。レギュラーが体調不良とかお家の事情で休んだ時に一時起用されるバーター。

 その貴重なチャンスで見事ベロニカ様の心を掴むことができれば、貴族令嬢としての将来は明るいものになるけど、いかんせん「幼馴染」という最強カードを持つブルビネ伯爵令嬢をトップに上位3名が強すぎて自由枠が2つしかない。


 かくいう私は、万年ベンチの補欠オブ補欠。

 ブーゲンビリア家は寄り親なので、長期休暇の前後など季節のご挨拶に伺うことはあるが、ぶっちゃけ顔を覚えられているかどうかも怪しい。


 そんな位置づけだからか、私はゲームではお助けキャラというある意味、唯一無二の役職についていたりする。

 ベロニカ様の情報をそれなりに把握しつつ、ヒロインに対しても肩入れできる気楽な立場。

 プレイヤーが接触する度に、ヒロインの境遇に同情してベロニカ様関連の情報の横流しとか、攻略対象や学園の噂話を教えたりするのが私だ。


 ベロニカ様はエベレスト級のプライドの持ち主だ。

 自分にも他人にも厳しく、デレがない。

 愛想もないので他人に対するフォローが少なく、天然でパワハラ、モラハラ気質なところがある。

 我儘だったり、婚約者である王子に執着して悋気が凄いみたいなテンプレ悪役令嬢ではないんだけど、あからさまに問題があるわけではないので、指摘しにくく矯正が難しい。


 そんなベロニカ様が悪役令嬢なので、ヒロインに対するイジメはすごく地味だ。

 彼女は「高位貴族は、貴族の鑑であるべし」という信念の持ち主だ。

 故に侯爵家の令嬢でありながら、色々と拙いヒロインの振る舞いが目に余るようになり、どのルートを選んでも目の敵にする。

 彼女の所作が覚束なかったり、些細なマナー違反をする度に絡んでは逐一指摘するのが『リア乙』の悪役令嬢だ。


 初対面の時から無表情(ポーカーフェイス)で威圧感バリバリのベロニカ様。

 しかも人の一挙手一投足に目を光らせてくる。

 次第にヒロインは萎縮するようになり、普段ならしないようなミスを連発する悪循環に陥る。


 ベロニカ様の視界に入っている間は常に緊張状態を強いられるので、イジメというより姑のイビリに近い。

 正直私だったら教科書ビリビリとか、鞄を捨てたよりも嫌だ。

 そしてこれが後の婚約解消の理由の一つになる。

「下の者にプレッシャーを与え、責め立てるだけの者は王妃に相応しくない」ということらしい。



 さて創造主たる制作会社より、お助けキャラを拝命した私ことアナベルだが、彼女の行く末はどのルートもパッとしない。

 そういう役割のキャラなので、ヒロインを助けたところで得るものはない。

 ただヒロインに「ありがとう」と言われて終わり。

 この世界のヒロイン様にとっては、モブなど主人公のために用意された舞台装置。

 NPCには世界の中心たるヒロインが感謝の言葉ひとつ与えるだけでも過分な報酬なのだ。


 あえて言うなら、ヒロインが王子ルートに進んだ場合は悪役令嬢凋落の巻き添えをくらう。

 王妃の器ではないが、ベロニカ様は仕事はできる。

 むしろ仕事しかできないとも言える。


 他人に寄り添うことができ、芯のあるヒロインであるカトレアだが、彼女は仕事ができない。

 これに関してはヒロインの頭が残念なわけじゃなくて、それなりに成長してから侯爵家に引き取られた彼女には純粋に教育に費やされた時間が短かったことが原因だ。

 村人Aでしかなかったヒロインは、たった一年で付け焼き刃とはいえ学園に通えるレベルのマナーを取得している。

 その辺りの事情を考慮すれば彼女は地頭も要領も良い方だ。


 そんな状態のヒロインなので、ハッピーエンド後に王太子妃の仕事を任せるのは流石に無理だ。

 王家はベロニカ様に側室として嫁ぎ、カトレアが成長するまでの繋ぎとして政務を担当するするよう命じる。

 婚約者の交代については、卒業前に関係者が集まって内密に話し合われるので、フィナーレで衆人環視のなか断罪したりはしない。

 話し合いの内容については、後日ヒロインと王子がイチャつきながら数行語って終わりだ。



 我が家はブーゲンビリア公爵家についているので、ベロニカ様の進退の影響を受ける。

 本来であればウチくらいの下っ端であれば、日頃の恩恵が少ない分、被害も少ないのだが、そこは娘がゲームのネームドキャラクターなのでそれなりに影響がある。


 乙女ゲームで王子様と結ばれたのに、悪役令嬢が側室になるなんて、この不況の中で五千円出した購入者からすればたまったもんじゃない。

「そんなの全然ハッピーエンドじゃない」「ゲームの世界でそんなリアルは要らない」「物語の中ぐらい甘い夢をみさせろ」etc.

 このまま終わったらクレーム不可避になるので、そこはシナリオライターもちゃんと考えている。


 執務をするだけの側室になる。

 悪役令嬢に対しては、修道院とか国外追放以上のざまぁ展開。

 しかもフォローを強いられた相手は、自分より一段とはいえ爵位が劣り、マナー諸々が不完全なヒロインだ。


 矜持をズタズタにされたベロニカ様は側室を辞退する。

 彼女を駒としかみていなかった公爵夫妻は、娘に健康上の問題が見つかったことにして適当な家に嫁がせると、二度と社交界に出てこないよう申し付ける。


 その「適当な家」が我が家であり、ベロニカ様の夫となるのがアスターお兄様だ。

 人口が少なく、都会から遠い。

 公爵家の寄り子であり、困窮するほどではないアゲラタム家は、使えない娘を結婚という名で幽閉する場所としてうってつけなのだ。



「これは冷静に考えなくても、ベロニカ様のバッドエンド回避一択ね」


 ヒロインに味方してもメリットがないどころか、実家に厄介な小姑を抱え込むことになる。

 ゲームではベロニカ様を受けいれたことによる、我が家が得られる恩恵について語られることはなかった。

 そりゃそうよね。プレイヤーからしたらどうでも良い情報だもの。

 しかし今までの状況を考えると、娘の嫁入りを機に公爵が子爵家に目をかけるとは思えない。

 むしろ便利な駒扱いされて終わりそう。

 娘もお助けキャラなら、家も都合の良い家だ。


 ならばベロニカ様が婚約者と上手くいくようアシストし、成功のあかつきには良い縁談を用意してもらうのが賢い選択だ。

 ヒロインを他の攻略対象とくっつけても、私にメリットがないのはゲームで知ってる。

 なら悪役令嬢に賭けるしかない!


 お助けキャラがヒロインをサポートするとは限らない。

 私にゲームの記憶があるのは、きっと悪役令嬢を助けよという神の思し召しなのだ。

 そうと決まれば、先達に倣いゲームのルートをノートに書き出すぞ!



「ベロニカ様、恐れながら今のままですと貴女は2年後に婚約解消されます」

「なんですって?」


 未来の王妃として無防備になるのを避けているのか、ベロニカ様は基本集団行動している。

 ゲームの記憶を取り戻したのが入学のタイミングだったので、もう時間がない。

 ジリジリとしながらベロニカ様を観察していた私は、寮の廊下で漸く彼女がひとりになったので素早く接近した。


「実は私、未来のことがわかるんです」


 時間が無いので家名を名乗り、単刀直入に切り出す。


「あなた頭がどうかしているのではなくて?」


 顔をこわばらせたベロニカ様が、一歩さがった。

 助けを求めているのか、視線を左右に走らせている。


 この態度。どうやら彼女は転生者じゃなさそうだ。

 もしゲームのことを知っていたり、前世の記憶があれば王子との関係を変えるなり、今の私の言葉にもっと別の反応を示しただろう。


「信じがたいでしょうが、私は至って正気です。この先なにも手を打たなければ、ベロニカ様は卒業直前に婚約解消され、侯爵令嬢が王妃となる可能性が非常に高いんです」

「我が国に現在婚姻可能な侯爵令嬢は存在しないわ」


 未婚の高位貴族は公爵家の令嬢が二名。うち一名がベロニカ様で、もうひとりは御年5歳。

 侯爵家に年頃の娘はゼロで、伯爵家はチラホラいるが全員婚約済み。


「今はまだ存在しない、です。彼女はこれから侯爵家の娘になるんですから」

「……」

「私に分かるのは限定的な未来だけです。この紙にこのさき2年間に起きる災害・大事件が書かれています」


 いまだに警戒の色が濃いベロニカ様に、メモを差し出す。


「ベロニカ様を追い落とす令嬢は、来週起きる洪水が原因で侯爵家に迎え入れられます」

「洪水……?」

「工賃を浮かせるため、杜撰な工事をされた堤防が決壊するんです。被害を受ける村についても、この紙に書いてあります。私のことが信じられないのは仕方ありません。でも聡明な貴女なら、この情報を無駄にはされないと私は信じています」


 ここでベロニカ様がうまくやってくれれば、ヒロインは侯爵家に引き取られない。

 即ちゲームが始まらずに終わる。

 それに洪水を未然に防ぐことができるなら、それにこしたことはない。



 2週間後。


「アゲラタム子爵令嬢。ベロニカ様がお呼びです」


 放課後になり、私が人が疎らな教室で帰り支度をしていると、悪役令嬢の取り巻きAことブルビネ伯爵令嬢が声を掛けてきた。

 彼女に連れられた先は、寮にあるベロニカ様の私室。

 高位貴族用の特別室だ。

 私の部屋がワンルームのアパートだとすると、ベロニカ様の部屋は億ション。生まれ変わっても変わらないどころか加速する格差社会……


 私が部屋に入ると、ブルビネ伯爵令嬢は静かに退室した。

 必然的に二人きりになる。

 これはもしかして、信用されたのでは?


「洪水の件、どうでしたか?」

「あなたの言葉通りでしたわ。決壊した部分を調べたところ欠陥が見つかりました」

「そんな!? 決壊すると言ったのに放置したんですか!?」


 てっきり調査して、決壊しないよう修復したと思いこんでいたので非難めいた口調になってしまった。


「あのねえ。他領のことに、確たる証拠もない状態で干渉できるわけがないでしょう」

「そ、そうですよね。すみません」

「被害を受けた村については、適当な理由を作って事前に住民を避難させたので人的被害は発生していません。これで満足?」

「ええと……」


 人命が救われたのは喜ぶべきことなのだが、村の水害は阻止できていない。

 住む家を失ったヒロインは、結局侯爵家に引き取られたんだろう。


「あなたの目的は、この国の災害被害を減らすことではない。そうでしょう?」

「……仰るとおりです」

「わたくしの信頼を勝ち取り、何かを成したいのでしょう。あなたの望みはなに?」

「私はベロニカ様に王妃になっていただきたいのです」

「確かにアゲラタムは我が家の寄り子だけど、わたくしが王妃になっても旨味は少ないのではなくて? それに何もしなくても、わたくしと殿下の婚約がどうこうなることはないわ」

「いいえ。このままだとお二人の婚約が解消される可能性が高いんです。ベロニカ様のお力になる理由としては、その……ご成婚のあかつきには私に良い縁談を用意していただけないかなぁと」


 自分で言っておきながら、動機が浅はかすぎて恥ずかしくなった。


「情勢を鑑みて組まれた政略結婚よ。それこそ国際的な異変でも無い限りわたくし達の成婚は揺らがないわ」

「今は国内外の情勢が落ち着いているので、王家の威信を強化するためにお二人が婚約されたことは存じております。しかし切羽詰まった事情が無いが故に、メリットを上回るデメリットがあれば覆される婚約でもあります」

「デメリット? そんなもの」

「失礼ながらお二人の仲は伴侶の距離ではなく、同僚のそれです」


 思案顔のベロニカ様に、畳み掛ける。


「お互いに心を許していません。相手に寄り添ったり、慈しみ合ったりしていません。替えのきく仕事仲間状態です」


 かなりハッキリ言ってしまった。


「今更どうしろと言うの」


 ポツリとベロニカ様が漏らす。


「ベロニカ様の家庭事情は存じ上げています」

「あなたに公爵家の何が分かるというの」

「ご家族と距離があること……いいえ、公爵家が家族として機能していないことで、親しい者とのコミュニケーションのしかたを知らないことを存じています」

「……」


 公爵夫妻は仮面夫婦だ。

 お互いに最低限しか言葉を交わさず、娘を可愛がったりもしない。


 ベロニカ様には弟がいるが、お互いに勉強で忙しい。同じ家に住みながら週に一回顔を見るかどうかの関係だ。


 家族団欒というものを経験したことがないベロニカ様は、他人とのコミュニケーションの基礎が使用人との上下関係と、城の教育係との師弟関係の二択になっている。


「ベロニカ様は雑談や、たわいない話ができないのが致命的なんです」

「わたくしは、ちゃんとお友達と会話できているわ」

「ベロニカ様の会話は、情報交換とか相手を指導しているだけです」

「あなた、言葉が過ぎるのではなくて?」

「不敬を承知で申し上げています。ここでハッキリお伝えしないと、ベロニカ様は変わりません」

「……」


 心当たりがあるのか、ベロニカ様は考え込んでしまった。


「よろしければ、今度我が家へいらっしゃいませんか? 他の家庭が、家族間でどんな会話をしているのか参考になると思います」

「そうね……」


 少し迷う仕草をした後、彼女は頷いた。



 丁度連休が近かったので、私はベロニカ様を大草原の小さな実家に連れて行った。

 両親に公爵令嬢だと知らせてしまうと、いつも通りの姿を見せるのは難しいので、家名は告げずに学校でできた友達とだけ紹介した。


 身分を隠して服を地味にしても、ベロニカ様の艶々の肌や髪、所作の美しさは隠しようがない。

 薄々察しつつも、家族は「アナベルの友達のベラドンナ嬢」を歓迎してくれた。

 子爵家の面々の遠慮のないやり取りに、おっかなびっくり状態だったベロニカ様も、最後の方は我が家のノリに慣れてくれたと思う。


「ウチの家族と打ち解けていただけてよかったです」

「諦めたと言うか、こういうものなのだと受けいれたのよ」

「もし殿下と婚約解消なんてことになったら、ウチの兄と結婚することになるので、相性悪く無さそうで安心しました」

「なんですって!?」


 うっかり失言してしまった私に、ベロニカ様が噛みつく。


「だっ、大丈夫ですよ! そうならないように尽力しますから!」

「冗談じゃないわ! 本当はそれが狙いだったの!?」

「違いますって。ヒロイン──じゃなくて、侯爵令嬢がベロニカ様の後釜に座ったら、そういう未来もあるってだけです」

「……前々から思っていたけど、あなたの未来視ってどうなってるの?」

「学園入学時から卒業までの限定的なものです。身の回りの人物とか、自分にも影響するような大きな出来事を所々わかる程度です」

「過去視や、自分の望む情報を視たりはできないの?」

「できません! だから卒業後に起きることは当てられませんからね! アテにしないでくださいね!」

「そう。そうなのね……」


 我が家での練習の成果が出たのか、後日デルフィニウム王子から「婚約者が世話になった」とお礼の品が実家に届いた。

 仰天した両親から「どうみても良い家のお嬢さんだから、事情があるんだろうと追及しなかったが、ブーゲンビリア公爵令嬢なら言うべきだろう。寄り親だぞ!」と、私にお叱りの手紙がきたのはまた別の話。



「ついにこの日が来てしまったか……!」


 洪水の件で覚悟していたが、侯爵令嬢となったヒロインが編入してきた。


 さすがヒロイン。可愛いの権化。ベロニカ様が綺麗系なら、ヒロインは可愛い系。

 天然アイドルの化身のようなヒロインは、そこらの可愛い系女子とはオーラが違った。


「ベロニカ様、お願いですからカトレア嬢には絶対に近づかないでくださいね」

「わたくしから近付くことはなくても、彼女から挨拶に来るわよ」


 新参者が番長に挨拶するようなものだ。

 現在学園内の女社会はベロニカ様をトップに形成されている。公爵令嬢(ヌシ)にお目通りして許しを得ないと、学園で女生徒達と交流することができない。


「挨拶は仕方ありませんが、最低限の会話にとどめてその後は距離をおいてくださいね」

「ダメよ。そんなことをしたら、未来の王妃が理由もなく特定の令嬢を爪弾きにしていることになるわ」


 ベロニカ様の生真面目さが悪い方向に働いている。


「良いですか。お二人の相性は最悪です。ベロニカ様にそのつもりはなくても、一緒にいるだけでカトレア嬢を虐げていることになってしまうんです。婚約解消の理由の一つがそれなので、回避するためにはカトレア様と同じ空間に居ないのが一番なんですよ」


「一緒にいるだけで虐げるなんて納得できないわ。確かにあなたから色々話を聞いたけど、遠目に見た限りでは問題のある人物には見えなかったもの」


「相性の問題なので、単身ならそれは問題なく見えますよ! とにかく、少しでも破滅の可能性を減らすために彼女とは距離をおいてください!」


「……わかったわ」


 よしよし。不満そうにしながらも、最終的にベロニカ様は了承してくれた。


 編入から今に至るまでサポートキャラである私に接触してこなかったことを考えると、ヒロインが転生者かどうかはわからないが、少なくともゲームの知識はない。

 となれば、不安要素すべて対策しなくてもベロニカ様との接触を阻むだけで、王子ルートはあらかた潰せる。


 念の為ヒロインには、溺愛タイプの攻略対象を紹介しておこう。

 彼女を放置して、うっかり王子ルートに入ったら困る。

 彼女に薦めるのはお色気担当キャラだ。

 女遊びが激しい色男だが、ヒロインに出会ってからは誰よりも一途になり尽くしてくれるスパダリだ。

 機転が利くしエスコートも上手いので、ヒロインが少々やらかしてもスマートにフォローしてくれるだろう。


 私は胸を撫で下ろした。

 きっと全部上手くいく。




 結局ヒロインが王子と親しくしているなんて噂は流れないまま、平穏無事に月日は流れた。

 遠目に見る侯爵令嬢は、最初のころはぎこちない感じだったが、徐々にこの学園に馴染んでいったのでヒロインにとっても悪役令嬢にとっても良い結果(トゥルーエンド)に終わったんだと思う。


 卒業式前日。

 教師に呼び出されて応接室へ行くと、そこにはデルフィニウム王子と両親が居た。

 ベロニカ様とは親しくさせていただいたが、王子には紹介されていない。このまま一度も言葉を交わさずに卒業するものだと思っていたので、寝耳に水のイベントに驚いた。


 もしかしてベロニカ様が王子に私のことを話して、婚約者との仲を取り持ったご褒美をくれるのかなと期待した。

 ベロニカ様を信用していないわけじゃないが、異性よりも同性が薦める男性の方が良縁な気がする。


「──……アナベル・アゲラタム」

「はい!」

「俺は君がしたことを全て把握している」

「はい!」

「なら俺が何のために君を呼び出したかは分かるな」

「え? ええと……お礼とか?」


 視界の端で両親が息を飲む。母に至っては、泣き出してしまった。

 私のマナーの拙さに肝を冷やしているのか、父の顔色が悪い。


 あれ? どうして私のノートがテーブルの上にあるの?

 ゲームの内容が書かれたノート。もしかして私の部屋を漁ったの? 誰が? なんのために?


「……話には聞いていたが、これは酷い。君のような危険人物を野放しにすることはできない。家族は無関係だと確認が取れたため、君ひとりが修道院に入れば家の咎は問わないこととする」


「──え?」


*******


Side B


「ベロニカ様、恐れながら今のままですと貴女は2年後に婚約解消されます」

「なんですって?」


 ある日、親しくもなんともない令嬢から突拍子もないことを言われた。


「実は私、未来のことがわかるんです」

「あなた頭がどうかしているのではなくて?」


 最近妙な視線を感じるようになったので、ひとりにならないようにしていた。迂闊にも寮の中だからと油断してしまった。

 視線の主はおそらく目の前の少女だ。

 中肉中背で特徴のない顔立ち。記憶を探り、我が公爵家の寄り子の娘だと思い出した。


「信じがたいでしょうが、私は至って正気です。この先なにも手を打たなければ、ベロニカ様は卒業前に婚約解消され、侯爵令嬢が王妃となる可能性が非常に高いんです」

「我が国に現在婚姻可能な状態の侯爵令嬢は存在しないわ」


 先程から無礼が過ぎるし、言っていることもおかしい。

 心の病なのか、非合法な薬物を摂取しているのか。どちらにせよ危険人物に違いない。


「今はまだ存在しない、です。彼女はこれから侯爵家の娘になるんですから」

「……」

「私に分かるのは限定的な未来だけです。この紙にこのさき2年間に起きる災害・大事件が書かれています」


 アゲラタム子爵令嬢は、自分に特殊な能力があると主張してきた。

 全く信じていなかったけど、この場を逃れるべく、わたくしは差し出されたメモを受け取った。



「どうしたものかしら」


 異常者に絡まれたのだから、対処しないわけにはいかない。

 問題はこの件に関して誰に報告して対策を練るかだ。


「……ベロニカ。君にしては珍しく、浮かない顔だね。どうしたんだ?」

「殿下」


 口にも顔にも出てしまっていたらしい。

 不甲斐ない己に喝を入れ、いつものように「問題ございません」と言いかけて止めた。


「実は寄り子の娘がおかしなことを言い出しまして……」


 この程度の問題、王妃になるのであればひとりで解決できなければ、と思いつつわたくしは婚約者であるデルフィニウム殿下に報告した。


 異常者の思考回路は、正常な人間には理解しがたい。

 先日だって、わたくしの対応次第では激昂した相手に危害を加えられていたかもしれない。

 女の細腕であっても、他人に致命傷を与えることは可能。

 幸い殿下はわたくしと同じクラスで学ぶ学生なので、協力を得やすい。


「──……そうか。たとえ相手が同性だとしても、対峙するのは怖かっただろう」


 幸いにも殿下は事態を重く受け止めてくださった。

 何気ない言葉だが、思えば殿下からこのように気遣う言葉を聞いたのは久しぶりで、わたくしはどう返事をしたら良いのかわからなかった。

 言葉が出てこないわたくしに、殿下は困ったように眉尻を下げた。ああ、またこの顔をさせてしまった。


「……今回の件、君はどうみてる?」

「今の時点ではふたつの可能性があると考えております。ひとつは流言で他人を操り何かを成そうとしている。残るひとつは……信じがたいことですが、本当に予知能力がある」

「彼女自身がどこかに所属する工作員、もしくはそういった人物に利用されている可能性もある。君に影から護衛をつけよう。その上で相手の狙いを探ってもらいたい。……いけるか?」

「ええ、もちろんです。お心遣い感謝いたしますわ」



 件の堤防を秘密裏に調べたところ、アゲラタム子爵令嬢の言葉通り杜撰な工事をしていたことが判明した。

 確かに水の勢いが増せば、水圧で崩れかねない。


 しかし殿下もわたくしも堤防に手を加えることはしなかった。

 本当に大雨が降るのか分からないが、堤防が決壊したとしても浸水するのは小さな村がひとつ。

 問題の堤防がある領地を治めるのは、かねてより汚職疑惑があった人物なのでこれを機に処分することになった。


 被害が出るかどうかもわからず、更に出たとしても小規模なものであるとわかっているならと、手出しせず自然に任せる案もあったが、慈悲深い殿下は「民に被害が出るかもしれないと分かっていて見過ごすことはできない」と、人手が必要な事業を打ち出して、村の人間を報酬(アメ)命令(ムチ)を使って移動させた。


 わたくしが持ち込んだ情報を真摯に取り扱ってくださるそのお姿に、改めてこの方の隣で国を支えていきたいと烏滸がましくも強く願った。



 子爵令嬢の言葉は流言ではなかった。

 彼女の背後関係を洗っているが、今のところ不審な動きや怪しい人物との接点はない。


「洪水の件、どうでしたか?」


 ブルビネ伯爵令嬢が席を外すなり、アゲラタム子爵令嬢が切り出してきた。

 退出と言っても続き部屋に移動しただけなので、会話は丸聞こえだ。

 迂闊すぎる言動に、わたくしの中で彼女自身が工作員という可能性は消えた。

 残るは誰かに利用されているか、人の身に余る力を持ってしまっているかだ。


「あなたの言葉通りでしたわ。決壊した部分を調べたところ欠陥が見つかりました」

「そんな!? 決壊すると言ったのに放置したんですか!?」


 出どころの怪しい情報を一蹴しなかっただけ感謝してほしいのに、上から目線で批難されてわたくしは気分を害した。


「あのねえ。他領のことに、確たる証拠もない状態で干渉できるわけがないでしょう」


 それに常識で考えてほしい。

 内部告発があったことにして、強制捜査するにしても彼女が情報を持ってきたのは期日(エックスデー)の一週間前だ。そんな直前に言われても時間が足りない。


「そ、そうですよね。すみません」

「被害を受けた村については、適当な理由を作って事前に住民を避難させたので死傷者はいません。これで満足?」


 彼女が過ぎた情報を持て余している善良な人間なら、この結果に満足するはずだ。


「ええと……」


 わたくしの言葉に、バツの悪そうな顔をする子爵令嬢。

 やはり彼女の目的は2年間、我が国を襲う不幸を回避することではなく、もう一つの侯爵令嬢と殿下の婚姻の阻止のようだ。

 災害の情報は、わたくしを信用させるための材料でしかない。


「──……あなたの望みはなに?」

「私はベロニカ様に王妃になっていただきたいのです」


 単刀直入に問うと、彼女は迷うこと無く答えた。


「確かにアゲラタムは我が家の寄り子だけど、わたくしが王妃になっても旨味は少ないのではなくて? それに何もしなくても、わたくしと殿下の婚約がどうこうなることはないわ」


 わたくしと殿下の婚約は、現在の貴族間のバランスを崩さないことにある。

 今の状態を安定させるためなので、成婚したところで各方面への大きな影響はない。


「いいえ。このままだとお二人の婚約が解消される可能性が高いんです。ベロニカ様のお力になる理由としては、その……ご成婚のあかつきには私に良い縁談を用意していただけないかなぁと」


 取ってつけたような理由を述べると、彼女は誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべた。


「──……失礼ながらお二人の仲は伴侶の距離ではなく、同僚のそれです」


 今まで殆ど交流がなかった人物に言い切られて、わたくしは絶句した。


「お互いに心を許していません。相手に寄り添ったり、慈しみ合ったりしていません。替えのきく仕事仲間状態です」


 身に覚えがある。だが傍から見てもそう感じるような状態だったのかと思うとショックだった。


「今更どうしろと言うの」


 知らず言葉がこぼれ落ちる。

 今がダメだと指摘されたところで、ならどうすればクラスメイトの婚約者同士のように仲睦まじくなれるのか見当もつかない。


「ベロニカ様の家庭事情は存じ上げています」

「あなたに公爵家の何が分かるというの」


 知ったような口をきかれて苛立った。


「ご家族と距離があること……いいえ、公爵家が家族として機能していないことで、親しい者のコミュニケーションのしかたを知らないことを存じています」


 我が家の内情を言い当てられて絶句した。

 その情報はどこから得たものなの?

 内通者?

 予知というのは他家の事情まで見通すことができるものなの?


「ベロニカ様は雑談や、たわいない話ができないのが致命的なのです」

「わたくしは、ちゃんとお友達と会話できているわ」

「ベロニカ様の会話は、情報交換とか相手を指導しているだけです」

「あなた、言葉が過ぎるのではなくて?」

「不敬を承知で申し上げております。ここでハッキリお伝えしないと、ベロニカ様は変わりません」

「……」


 恐怖を感じながら会話を続ける。まともに受け取ってはダメよ。

 占い師や詐欺師は、相手にショックを与えてから寄り添うような態度をとるものなのだから。

 今彼女が言った言葉だって、もしかしたら大多数に当てはまることを言っただけで、心当たりがあるわたくしが動揺しているだけかもしれないのよ。


「よろしければ、今度我が家へいらっしゃいませんか? 他の家庭が、家族間でどんな会話をしているのか参考になると思います」

「そうね……」


 彼女の招待に応じれば、真の目的がわかるかもしれない。



「ベロニカ様……」

「あなたもそう思っていたの?」


 アゲラタム子爵令嬢が部屋を後にすると、別室で控えていたブルビネ伯爵令嬢が姿を現した。


「私はベロニカ様が真摯で、御身に相応しい振る舞いを心がけていらっしゃることを存じております。そんなベロニカ様だからこそ多くの子女が従うのです」

「……友人同士の会話ではないと言われたわ」

「そもそも彼女の言う友人とは、どんなものなのでしょうか。平民や、下級貴族同士の馴れ合いを指しているのではありませんか? ベロニカ様は公爵令嬢で、後に王妃となる御方。言葉ひとつ、態度ひとつが大きな影響力を持つのです。子爵令嬢のような交流はできません」


 彼女は言葉を尽くしてくれているが、それすらわたくしが言わせているんじゃないかと疑わしく思ってしまう。


「ベロニカ様。招待の件だけでなく、ご自身の抱える不安に関しても殿下に相談なさるべきです」

「そんなこと──」

「夫婦の形はそれぞれです。それにこう考えてください。お二人は公人なのだから責務を果たすために報告・連絡・相談をしないことのほうが問題なのだと」

「相談って、どこまで許されるのかしら」

「お互いの許容範囲であれば問題ございません。それを知るためにも、まずは殿下にお話なさってください」

「……ありがとう。あなたが居てくれて良かったわ」

「お役に立てたのであれば幸いです」


 ブルビネ伯爵令嬢は微笑むと、殿下付きの騎士に連絡してくれた。

 子爵令嬢によって乱された心は幾分和らいだが、一度うまれた小波はいつまでもわたくしの中に不安として残り続けた。



「──……公爵家の親子仲については聞き及んでいる。君を搾取したり、危害を加えているわけではないので静観していたが、まさか対人関係の構築で悩んでいるとは思わなかった」

「お恥ずかしい限りです」


 ブルビネ伯爵令嬢とは幼い頃からの付き合いだ。

 彼女はいつもわたくしに対して誠実だった。

 彼女の指摘は正しいと思ったので殿下に相談したのだが、話している内に弱音をはいているだけではないかと段々自信がなくなっていった。


「恥じることはない。本来なら最も身近な家族、次に親戚や友人を参考に対人能力を育むものだ」

「使用人が職務に専念できるよう気を配っています。意見を求められれば答えられます。でも殿下やクラスメイト相手ですと、どう接するのが最善なのかわからないのです」

「人間関係に正解なんてないさ。誰もが手探りで、日々小さな失敗を繰り返しているんだ」

「でもわたくしの立場で失敗は許されません」

「大きな失敗はね。だから先ずは俺相手に練習しよう。俺達は家族になるんだから。身内相手の失敗なら問題ないさ」

「殿下を練習台にするなんて、そんな恐れ多いこと……!」


 外の人間に対して失敗したら取り返しのつかないことになるから、まずは内々で練習をということなのだろうが、その相手が王太子だなんてとんでもない。


「二人の関係は、当事者が決めれば良いんだ。俺は君に失敗しても良いから、頼ってもらいたいと思っている。君はどうだ?」

「……殿下にとって替えのきく仕事仲間なんて嫌です」


 ああ、どうしよう。殿下の問いに対して、ズレた回答をしてしまった。

 これが授業であれば、教師から叱責される。


「子爵令嬢の言葉は気にするな。俺はそんなこと思ってない」

「でも。……他人からそう思われている、というのは事実です」


『心を許してない』

『相手に寄り添ってない』

『慈しみ合ってない』


 あれは周囲から見た、わたくしたち二人の評価だ。


「……もしかしたら彼女の狙いはそこかもしれない」

「え?」

「僕達の関係に亀裂をいれることだ。信用を得た上で、弱点を刺激して君を不安定な状態にしている」


 反射的に「違う」と言いそうになったが、思い当たる節がある。

 わたくしと殿下の関係について、子爵令嬢は不安を煽ることを告げるだけだった。

 対してブルビネ伯爵令嬢は、わたくしに建設的な提案をしてくれた。

 そこが二人の大きな違いではないのか。



 子爵家の領地は、王都からだと日帰りが難しい距離にある。

 当初アゲラタム子爵令嬢は、家に泊まることを提案してきたがわたくしは固辞した。

 秘密裏に護衛がついていると言っても、何を企んでいるかわからない輩の屋敷で一夜明かすほど慢心してはいない。

 相手の策に乗るのもありだが、わたくしたちが親しいと周囲に勘違いされたり、泊まったという事実を利用されるリスクのほうが重いと判断した。


「ウチの家族と打ち解けていただけてよかったです」

「諦めたと言うか、こういうものなのだと受けいれたのよ」


 正直わたくしは何もしていない。

 客そっちのけで内輪話で盛り上がる彼等を眺めていただけだ。

 たまに話を振られても、誰も情報を補足してくれないので、適当に相槌を打っただけだ。

 聞き役に徹するのが、彼女の言う正常なコミュニケーションというものなの?


「もし殿下と婚約解消なんてことになったら、ウチの兄と結婚することになるので、相性悪く無さそうで安心しました」

「なんですって!?」


 聞き捨てならないことを言われて、思わず大声を出してしまった。


「だっ、大丈夫ですよ! そうならないように尽力しますから!」

「冗談じゃないわ! 本当はそれが狙いだったの!?」


 ああ、どうしよう。

 まんまと既成事実を作らせてしまった。日帰りだからと軽く見ていた。

 家族協力のもと密会していたと吹聴されるのかしら。


「違いますって。ヒロイン──じゃなくて、侯爵令嬢がベロニカ様の後釜に座ったら、そういう未来もあるってだけです」

「……前々から思っていたけど、あなたの未来視ってどうなってるの?」


 彼女の持っている情報は、極めて個人的な内容から災害まで。精度のバラツキも気になる。


「学園入学時から卒業までの限定的なものです。身の回りの人物とか、自分にも影響するような大きな出来事を所々知ってる程度です」

「過去視や、自分の望む情報を視たりはできないの?」

「できません! だから卒業後に起きることは当てられませんからね! アテにしないでくださいね!」

「そう。そうなのね……」


 彼女の言葉を信じるなら、卒業後は予言に振り回されることもなくなる。


 自分に影響する出来事がわかるなら、わたくしたちが彼女を疑っていることも把握していることになるけど、分かったうえでこの態度なら彼女の自制心は驚愕に値するわ。

 一体何を考えているのかしら……?


 子爵家を訪問した事実を利用されるかもしれないと殿下に相談したら、殿下は速やかに手を打ってくださった。

 子爵家への訪問は、婚約者公認の行為と周知された。



「ベロニカ様、お願いですからカトレア嬢には絶対に近づかないでくださいね」

「わたくしから近付くことはなくても、彼女から挨拶に来るわよ」


 学園は社交界の縮図だ。

 同年代だけで構成されているので、卒業後の立ち居振る舞いを練習する場と考えられている。


「挨拶は仕方ありませんが、最低限の会話にとどめてその後は距離をおいてください」

「ダメよ。そんなことをしたら、未来の王妃が理由もなく特定の令嬢を爪弾きにしていることになるわ」


 わたくしがカレンデュラ侯爵令嬢を無視したら、女子達は彼女の存在を認めないだろう。

 親しくするかは別として、それなりに良好な関係を維持する必要がある。


「良いですか。お二人の相性は最悪です。ベロニカ様にそのつもりはなくても、一緒にいるだけでカトレア嬢を虐げていることになってしまうんです。婚約解消の理由の一つがそれなので、回避するためにはカトレア様と同じ空間に居ないのが一番なんですよ」


 今までで一番納得しかねることを言われた。

 同じ空間に居るだけで、好きでも嫌いでもない相手を害するなんて信じがたい。


「一緒にいるだけで虐げるなんて納得できないわ。確かにあなたから色々話を聞いたけど、遠目に見た限りでは問題のある人物には見えなかったもの」

「相性の問題なので、単身ならそれは問題なく見えますよ! とにかく、少しでも破滅の可能性を減らすために彼女とは距離をおいてください!」

「……わかったわ」


 自分が正しいと信じきっている人間と話しても時間の無駄だ。

 わたくしが引き下がると、彼女は満足そうな顔をして帰った。



「この度はお招きいただき光栄です」

「此方こそ御息女の編入で慌ただしい中、お時間いただき感謝しております」


 わたくしはカレンデュラ侯爵と、その姪であるカトレア様を公爵家に招待した。

 ブーゲンビリア公爵家とカレンデュラ侯爵家は、親しいとは言えないが、敵対しているわけでもない。

 今まで当たり障りのない交流しかしておらず、事業の提携などもない相手なので、いきなり御令嬢だけ招いても怖がらせるだけだろうと、今日は当主も同席してもらった。


「聞けばカトレア様は、最近淑女教育を始められて貴族の社交には不慣れだとか」

「ええ、仰るとおりですが必要なことは学び終えています。頭の良い娘なので、酷い失態をおかすこともないと判断したからこそ、編入を決めました。ベロニカ様はこのの事情をご存知のようですので、どうか寛大なお心で見逃していただけたらと思います」


 薄く微笑んだ侯爵が、慎重に言葉を紡ぐ。

 侯爵家の事情を、わたくしがどこまで把握しているのか見極めようとしているようね。


「少し小耳に挟んだだけで、詳しいことは存じておりませんの。習うばかりで経験に乏しいのであれば、わたくしと個人的に練習してはどうかと思いましたのよ」

「「──!?」」


 わたくしの申し出に、二人は目を見張った。

 近親者なのだから当然かもしれないけど、反応がそっくりだわ。


「無理強いはいたしませんわ。でもいきなり大勢と接するより、学外でわたくしと交流して徐々に慣れていくという方法をもあるのだとお伝えしたかったのです」

「お気持ちは嬉しいのですが、どうしてそこまで。ベロニカ様のご負担になりませんか?」

「実はわたくしも、友人とどう接すればより良い関係になれるか模索中なのです。カトレア様に協力していただけたらありがたいわ」


 一方的に親切にするのではなく、こちらにも利があると話す。


「編入直後で立て込んでいるので、一旦持ち帰らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「勿論ですわ」


 後日、侯爵家からわたくしの提案を受諾する手紙が届いた。



「あの方、大人しく修道院に行かれたみたいですね」


 美しい所作でカトレア様がカップをソーサーに置いた。

 流れるような立ち居振る舞いに、かつてのぎこちなさはない。

 わたくしは彼女の成長を嬉しく思うと同時に、初々しかった頃を懐かしんだ。


「やっと肩の荷が降りましたわ」


 卒業までの期間であれば、自分に関することは分かると豪語していたが、結局自分の未来はわからなかったようだ。

 災害・事件に関しては全て言い当てていたが、人間関係については結局、大部分が彼女の捏造……いや、誘導だったようだ。

 殿下が寮母に命じて部屋を検分したところ、恐るべき計画が記されたノートが出てきたという。


「『公爵令嬢と侯爵令嬢の不和を引き起こし、王家との婚約を破談させて、公爵令嬢を子爵家の嫁にする』なんて、どうしたらそんな大それた野心がうまれるのかしら」


「予言の力かしらね」

「それにしても腹立たしいのは、私にも妙な真似をしてきたことですわ!」

「ええ。よりによって、あんな身持ちの悪い男を侯爵令嬢に近付けようとするなんて悪意以外の何ものでもないわね」


「『あの方には絶対に近寄ってはいけない』と、編入初日にクラスメイトに忠告されたくらい素行不良で有名な方ですのよ。突然現れたかと思えば、婚約者のいない私に優良物件を紹介するとか言い出して……態度も失礼なら、人選がありえませんわ!」


 当時の屈辱を思い出したのか、瞳には涙が浮かび、手がブルブルと震えている。


「わたくしへの接触は利益を求めた結果でしょうけど、あなたに関しては害意によるものね。だって二人の仲を取り持ったところで、彼女が得られるのはあなたが傷付くという結果だけなんだもの」


「何故子爵令嬢は私をそこまで憎んでいたのかしら。私は侯爵家に引き取られるまでは村の人間としか交流していなかったし、貴族になってからはずっと邸内で過ごしていたので、本当に心当たりがないのです」


「ノートを見た殿下が仰るには、件の令息はあなたと出会うことによって素晴らしい男性に生まれ変わる予定だったようよ」


「迷惑な話だわ。問題のある人物の更正に、何故私が体を張って協力しなくてはいけないの」


「彼は男爵子息、あなたは侯爵令嬢。男爵家が裕福なわけでも、子息が優秀なわけでもない。侯爵家には何一つメリットがないわね」


「やっとあの親から逃げられたと思ったのに、私っておかしな人間に纏わりつかれる人生なのかしら……」


 蝶よ花よと育てられたカトレア様の母君は、いつまで経っても娘気分の困った女性だ。

 自分の行動がどれだけ周囲に迷惑をかけるのか考えることもせず、ただ好いたという感情だけで男と駆け落ちした。


 世間知らずのお嬢様に、騎士だった男は生涯尽くし続けた。

 彼女には内職どころか家事すらさせることなく、稼ぐのも家のことも全て夫となった男がやったという。

 夫婦の形はそれぞれだ。

 当人同士がそれで幸せなら、近所の人間が妻の態度を不快に思ったところで外野がとやかく言うことではない。


 問題なのはこの夫婦が、娘にも歪な関係を押し付けたことだ。

 幼い娘に家事を任せて、父親は外で稼ぐ。母親は何もしない。

 母親は用意された食事に感想という名の文句を言いながら食べ、昼寝をし、気まぐれで町まで行っては自分用の嗜好品を購入する日々だったという。

 幼い娘が使用人のように働くのを、二人は当然のように考えていた。

 カトレア様を憐れんだ近所の人間は、母親には話が通じないので、父親に何度か子供の扱いを改善するよう訴えた。

 しかし妻が関わらなければ正常に見えた男も、娘に関しては大概だった。


「『お母さんはお姫様だから』って、よく分からない理由で、私は村の子供と遊ぶこともなく日がな一日、大人用の大きすぎる道具を使って家事におわれてたのよ」


 大人なら簡単にできる水汲みも、子どもの体躯では重労働だった。


「見かねた隣の奥さんが料理を教えてくれたけど、それを知っていて尚、あの人は皿のひとつも洗わなかったわ」


 カトレア様の作ったものに感謝するどころか「結婚する前は毎食最低五品はあって、デザートもあったのに。まあ愛を選んだんですもの、仕方ないわね」「白パンの方が美味しいんだけど、この村じゃ仕方ないわね」と始終こんな調子だったらしい。


「父が亡くなって、家も流されてしまって……この先どうしようかと途方にくれていたら、侯爵家へ連れて行かれたのです」


 カトレア様の母君が家を捨てたのは、愛する男と生活するためだ。

 男が死ねば貧しい生活にしがみつく必要はない。

 彼女は「家がなくなったのは丁度良かったのかもね」と、娘を連れてあっさり実家に戻った。


「母と本当に血が繋がっているのか疑わしいくらい、伯父様はまともな方でした」


 過去に散々なことをしておきながら、悪びれもせず出戻った妹を侯爵は苦々しく思った。

 しかし彼女を野放しにしたら、何をしでかすかわからない。

 ただ野垂れ死ぬだけなら自業自得なのだが、無駄に行動力があるので自分の監視下に置くことにした。


 親子が屋敷に来た時、侯爵は姪の状態がおかしいことに気が付いた。

 かつて侍女たちに手入れされていた頃のような輝きはなかったが、母親である妹は手荒れのひとつもなく身ぎれいな格好をしていた。

 対照的に娘である姪は、疲れ切った労働者のような目をしていた。

 子どもとは思えないほど手が荒れていて、髪は自分で切ったようにガタガタだった。


「今の私があるのは伯父様と、ベロニカ様のおかげです。こうして学外でベロニカ様とお会いすることで、学園内でもつつが無く過ごすことができております」


 わたくしとのマンツーマンレッスンにより、カトレア様のマナーはみるみる定着していった。

 今の彼女なら、どこに行っても恥ずかしくない振る舞いができるだろう。


 カトレア様は素晴らしい淑女に育ったが、母親の評判が悪すぎる。

 姑世代の印象が悪く、嫁いでも苦労するのがわかっているので侯爵は無理に嫁がせようとは考えていない。

 カトレア様も結婚に夢見ていないので、卒業後はわたくしの侍女になりたいと語っている。


「いきなり接触して、訳知り顔であなたにマナーレッスンを提案したわたくしを怪しいとは思わなかったの?」


 ふと「わたくしのやったことは、あの子爵令嬢と似たようなものだ」と気付いた。


「失礼ですが招待状が届いた時には、出る杭は打たれると言いますか、かなり警戒しておりました。でも伯父様と相談して、熟考の末に申し出をお受けすることにしました」

「……怪しい話を持ちかけられたら、信頼できる人物に相談するのは大事ね。わたくしにとってはブルビネ伯爵令嬢と殿下がそうだわ」


「アドバイスは誰がどのように言ったか」が重要だと、何処かで聞いた覚えがある。


「幼馴染の御令嬢ですね」

「今度紹介するわ。生真面目なところがあるけど、誠実な()なの」

「まあ、ベロニカ様のような方であれば、是非とも仲良くなりたいものですわ」


 無事に学園を卒業し、来月わたくしは殿下の花嫁になる。

 王太子妃になれば、今まで以上によからぬ考えを持つ輩がすり寄ってくるだろう。

 でもきっと大丈夫。

 今のわたくしには信頼できる友人達と伴侶がいる。

「面白かった」「お前こんなテイストもいけるんだな」などお気に召しましたら、ブックマークまたは☆→★にしていただけると励みになります。


別作品ですが、2025/1/10に書籍発売します!

発売時にはSSを投稿予定です。よろしくお願いします!

挿絵(By みてみん)


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[気になる点] >庶子じゃなくて、正統な侯爵家の娘。 ってことですが、妹の子であり、家が決めた相手以外と結婚して生まれた子がヒロインなら貴族ではないのでは?また、護衛騎士が元貴族ならそちらに準じるの…
[一言] 子爵令嬢はアドバイス役なんて所詮はプレイヤーがそのアドバイスを無視して行動出来る程度の存在だという事を忘れていましたね 情報を得たプレイヤーはそれをそのまま活かす事も、逆にあえて無視して違う…
[一言] コレってまだ修道院送りだからマシなんでしょうね。 国家中枢人物夫妻から危険人物扱いされるという事は闇から闇に葬られてもちっとも不思議じゃない訳ですから。
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