執事に扮した元・王様
「あぁ、今日は長い一日だったわ」
家に入るなり、金の髪飾りを無造作に引き抜く。豪奢なのはよいが、重いのだ。
「見事な悪役ぶりだったな」
と執事に扮した友人の笑いを堪える声音に、ルドヴィカは
「お褒めに預かり光栄だわ」
と肩を竦めた。
体格も良いこの男、ルドヴィカが2度目の婚約破棄をした相手である。
彼の生国であるヴェリタケント王国の宮廷でこそ、丁々発止とやりあったが、実はこの通り、共謀していた上に、今もこのように軽口をたたき合う仲である。
「貴方こそ、本当に何でもできるのね。ボニファーツィオは10年も軍に居たのよ? ハリーが押さえたらびくともしなかったから驚いたわ。ロムルス家の不正の証拠だって貴方が見つけてきた」
税の徴収で、武力を使ったならここのはずだと、断片的な場所の情報を聞いただけで特定して、勝手に張り込んで下手人を捕まえてきた。
ルドヴィカの父ですら、ドン引きする有能さである。
「徴税の仕組みは、両国で大差ない。ルドヴィカより私の方が少し詳しかっただけだ」
流石、元・王様だ。
青い瞳に絵にかいたような金髪は、そもそもソーニョ・ロマヌス国には少ない、ヴェリタケント王国の住民の特徴だ。ソーニョ・ロマヌス国より西、更に北にも進んだ場所にあるせいなのか、ルドヴィカが訪ね歩いた先の人々は、体格も少し全体的に大きかった。
ハリーはその典型的な特徴を備えている。
ヴェリタケント王国の様式の服はすっかり着なくなり、髭も剃り落として、今はチュニックと一枚布の上着というロマヌス国式の服装になっているが、やはり中身は違う。
「仕組みは知ってても、張り込んで捕まえてくるってどうなのよ」
「小国の悲しさだな。王といっても、なんでも自分でするものだ」
ハリーはあっさりとそういいながら、鬱陶しい上着をはぎ取った。逞しい腕が露になり、普段から重い剣を操っていることを誇示する。ソーニョ・ロマヌス国では兵士は鎖帷子を身に着けるのが一般的だが、鎖帷子では刃は止まっても、剣を振り下ろされた衝撃で骨が砕けるだろう。盾で防ぐとして、どれだけの戦士が、彼の剣の動きについてゆけるのか。西方のヴェリタケント王国をはじめとする極西六王国は、いずれも勇猛さで知られた国だ。
(だから、戦争なんてありえないのよね…馬鹿馬鹿しい)
「しかし、このトガだけは、着方を覚えられそうにない」
と、トガを丸めて持ち上げ、ハリーは苦笑した。
ソーニョ・ロマヌス国は、成人の公共の場での服装が、他国に比べるとかなり厳密に定められている――というのは、ルドヴィカが西方のヴェリタケント王国を訪ね、またソーニョ・ロマヌス国の東方にある幻唐国という国の話を聞いて思ったことである。
自由民か奴隷か、外国人なのかによって、トガという一枚布の巻きつけ方や色の使い方が定められており、特に奴隷や外国人が自由民を装った場合には、重罪になることがある。
「そこまで複雑な手順にしたのはパーティだからよ。普段は色だけ合わせとけば大丈夫」
ハリーは本来は外国人であるが、ルドヴィカの父が元老院議員としてその身分を保証したので、自由民の扱いである。
「そもそも、そんなに長くこの国にいるつもりはないのでしょう?」
とルドヴィカは苦笑した。
今回、ハリーがここまで動いてくれたのは、ソーニョ・ロマヌス国の市民権の為などではなく、絹の道を通ってさらに東方の幻唐国に行くための路銀や商人たちへのつなぎとの引き換えのためである。
さらり、と柔らかなルドヴィカの衣が揺れた。
高価な絹は柔らかく、女性の身体のラインを引き立てるので、上流階級には特に人気の素材だ。遥か遠く、ソーニョ・ロマヌス国の東方、歩けば1年もかかるような旅路を経て、気には幻唐国という巨大な帝国からやってくる。
風俗も文化も全く異なる東方で暮らすとハリーが言い出したときから、この元・王様が何を考えているのか、ルドヴィカも分からないことがある。
「色々手配してもらったのに悪いな」
「いいのだけど…不思議ではあるのよ」
このソーニョ・ロマヌス国で、元老院議員の家とつながりを保ちながら暮らせば、仕事も探しやすいし、それなりに贅沢な暮らしができるはずだ。外国の出身であっても、官職を目指すことも、2-3年経てば難しくない。ハリーの能力と容貌を考えれば、人気取りは容易いと思えた。
なのになぜ、命の危険を冒し、過酷な旅に出ようというのか。
旅路は飲まず食わずに陥る場合もあるという。
「自分で幻唐国を見ておきたい。それに尽きるな」
とハリー言った。元・王様、アクティブ過ぎないか。
上着をとったことで、腰につるして隠し持っていた短剣が露になっている。
「ロマヌス国は共和制だ。この国に王はいない。私の知る限り、王をいただく最も巨大な国が幻唐国だ。王という地位を知るものとして、その治世を見てみたい」
彼自身は追放された身であるから、生きて故国の地を踏めるとは思っていない。
だが、孫の代ともなれば、一人の庶民として東西の行き来ができるはずだ。
その時に、東の進んだ知識――ソーニョ・ロマヌス国という大国を魅了する絹や紙のような特産品を生み出した豊かな帝国の体制を知りたい。王という地位がどこまで人を幸せにできるか見てみたい。見聞を故国に持ち帰れるようにしたい。叶うならば、民間にはなるだろうが、かの国の有力者ともの繋がりを持ち帰らせたかった。
王座を捨て、弟にすべてを託した。
今、ハリーができる、罪滅ぼしなのである。
「あなたに何の罪があるのよ?」
という言葉が、思わずルドヴィカの口を突いて出た。
「王族に生まれて、国から追放されるだけのことをしたのだ。国に身を捧げることを許されない、重い罪だ」
これが王という者なのだろうか。
共和制の国で生まれ育ったルドヴィカには、わかり難い。元老院議員は終身制であるが、それであっても、なお、独裁を許さない元老院とは異なる、人を人として生きさせないような覚悟がそこあるのだとルドヴィカは感じた。
目の前の男が遠いものに見える。
ただ一つ、言えるのは、
「貴方は、本当に立派な王様だわ」
彼の献身は、ヴェリタケント王国の者ですら知らないだろうが、ルドヴィカだけは覚えておこうと心に決める。
それ以上の何かを彼は望まないだろうと思い、ルドヴィカは話を切り替えた。
「さ、疲れたし、夕食にしましょう? 今日は祝杯だわ。とっておきの葡萄酒を開けなくちゃ」
クレオパトラの再来とすら呼ばれるルドヴィカの艶やかな笑みに、ハリーも楽しみだと笑って応じる。
ソーニョ・ロマヌス国は、奴隷制度が発達している。
ソーニョ・ロマヌス国の上流階級の家の御多分に違わず、ルドヴィカの言葉に控えていた奴隷たちが動き出した。奴隷と言っても、濃度と異なり、家内奴隷というのは、下手をすれば自由市民の貧民より余程待遇が良いと言われる。
特に、ルドヴィカの家は奴隷にとって穏やかな環境であるためか、女主人の祝い事をいまかいまかと待ちわびた様子で動き始めていた。
ご馳走は、主人たちが一通り手を付けた後は、奴隷を含む使用人にもお鉢が回るのだ。
ソーニョ・ロマヌス国は食事を楽しむことを是とする。
女性はあえてゆったりとした食事用のドレスに着替え、食事を思い切り楽しめるようにするのが常だ。
「わたしも着替えてくるわ。食堂でね」
とハリーに軽く手を振って、近づいてきた奴隷に金の髪飾りを預ける。
「ああ」
と応じたハリーに背を向けて、ルドヴィカは自室へと向かった。
こちらのハリーが、幻唐国を舞台にした作品で、異国の商人に当たる人物の祖父にあたります。
幻唐国を舞台にした作品はこちら
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