中編
同時刻 。家で二人を待っている純恋と壱は、暖かいお茶を啜りながら 雑談をしていた 。
「はぁ 、上手くやってんのかな。あの二人 」
「貴方もよくやるわねー。好きな子の為に 酷なセッティング組むなんて 」
「協力した奴が言うセリフかよ 」
「ふふ 、確かに 」
「 … … はぁ 」
話に間ができる度、壱は微妙な顔をして ため息を吐いている。本人は無意識だろうと理解している為 純恋は何も指摘しないが、さすがに何度もされると 空気が少しずつ重たくなる 。
「妬いてるの?」
「別にそんなんじゃねーよ 」
「だったら ため息何回もしない。見てるコッチまで辛くなる 」
「 … … 悪い 」
隼人と桃の恋を応援したいのは この二人の共通意識だ。壱は桃の事を、純恋は隼人の事が好きなのだが、あんな二人を見ていると とてもその隙間に入れない 。
「私達の関係を壊したくないのは分かるけど、もうちょっと桃にアピールしてもいいんじゃない?」
「お前には言われたくねぇ 」
「 … … 私はいいのよ 」
「どういう理屈だよ 」
「もう――勝負しないって 決めたから 」
窓の外を見つめる純恋に 壱は視線を逸らせなかった。それは見惚れた訳でも 同情した訳でもない。ただ理解してしまったのだ、純恋の覚悟の重さを 。
「何でそう思ったんだよ 」
「それは―― 」
――ピロリロリロリーン♪
変なリズムの着メロが鳴り響く 。続きの言葉を途切らせて、ポケットから携帯を取り出す純恋は パパッと慣れた手つきですぐに電話に出る。
「桃 どうしたの?」
その第一声で電話の相手が桃だと把握した瞬間、純恋の方を見てしまう壱。電話の内容が気になりながらも、己を落ち着かせようと 目の前に置いてあるお茶を手に取る 。
「 … … ぇ 」
明らかに 声のトーンが低くなる。息詰まってしまう喉は 次の音を発せなくなる程に、純恋の頭は真っ白になってしまう。ポトッと手から滑り落ちた携帯が、それら全てを物語っていた。
「おい 純恋 、どうしたんだ 」
その異常な様子に、さすがの壱も心配の色を隠せない 。自ら身を乗り出して、真剣に問いただしていた。
「桃が … … 隼人に告白したって 」
「ッ!!」
その瞬間、静まり返る部屋の中。しかし そんな空気を一転する、更なる衝撃の事実が――
「それで 隼人が逃げたって … … 」
「は?!!」
すぐには信じられないその事実に 声を荒らげてしまう 。動きも思考も停止して この場の全ての時が止まってから数秒後、壱は何かが吹っ切れたように 勢いよく立ち上がる 。
「あの野郎ッ!!!」
ダンッ!と勢いよく踏み込んで 颯爽と外へ出ていく壱 。そんな様子を見て 純恋も反射的に動いてしまう 。
「壱!ちょっと待って!!」
ドアの鍵も閉めずに 二人で隼人の家を出ていく 。何億も舞う綺麗な粉雪に目をくれる事もなく、コンビニへ続く道を息を切らして全速力で走る 。
「隼人くん! ちょっと待ってよ!」
「ッ … … !」
ズカズカと早歩きで桃から距離をとる隼人 。右手に持っている袋の中身が何度も揺れているのを気にもせず、歯ぎしりを立てて歩き続ける 。『俺は何も知らない 、何も聞いていない』と 言わんばかりに 。
「どうして 何も言わないの隼人くん! 」
「 … … 」
無言を貫き通す隼人の目の前から、勢いよく走ってくる人影が二つ 。そちらの足音も豪快に鳴っていて、近付いているのに衰えることの無いその速度は 隼人に激突する勢いのまま。
「 … … 壱か? 」
ようやく姿が見える距離になったが、そんな時間を感じさせない程の速度で突っ込んでくる壱は――
「隼人ぉおお!!!!!」
――ズガァアッ!!!!
その速度を乗せたまま、頬を思いっきりぶん殴った 。
「隼人くん!!」
吹っ飛ばされる隼人の体は 道の真ん中で豪快に倒れ込む 。心配そうに駆け寄る桃は、隼人の肩や手に触れていた。
「壱、あんた … … 」
「純恋は黙ってろ!!」
完全に頭にきている壱は、もはや誰の声も届かない 。今は 隼人以外の話を聞ける精神状態ではなかった 。
「逃げたって聞いたぞ 」
「 … … 」
腫れ上がっている頬を手で抑えながら ユラユラと立ち上がる隼人は、壱の事を睨んだまま。それは狂気とも言える程の、殺気を纏った瞳だった 。
「二人共! 喧嘩はダメだよ!?」
「女は黙ってろ!!!」
「ッ! … … ぇ 」
初めて聞く 隼人の大声に、二人の女の子は固まってしまう。かくいう壱も、そんな隼人の姿を見て 驚いた様子を隠せない 。
「説明しろよ 隼人 。逃げたってどういう事だ 」
「 … … 」
すぐに返事ができない隼人だが、重なり合う瞳は睨んだまま 。数秒経ってから 覚悟を決めたように口を開く 。
「そのままの意味だ 」
「ッ … … お前 」
「仕方ないだろ 。俺にはその選択肢しか、無かったんだ 」
――ギリッ 。
「ふざけんなよ!!」
完全に我慢の限界を超えた壱は 隼人の懐に飛び掛る。
またもや頬に飛んでくる拳を意地で受け止めて踏ん張る隼人だったが、今度は肩に 更にはお腹と、次々と殴りかかってくる 。
「どこまで曖昧なんだよ!! お前のせいで、二人がどれだけ傷ついてるのか 分かってんのか!!」
「ぐッ … … !」
「何も知らねぇみたいな面しやがって! いつまでも逃げてんじゃねーぞ!!」
「ッ!!」
次々と飛んでくる拳を何とか受け止めている隼人だったが、最後の言葉をキッカケに瞳の色が変わる。頬に向かってくる壱の拳を 両手で何とか塞いだのだ 。
「なっ!?」
「曖昧? 逃げてる … … ?」
小声で呟かれるその言葉は 壱にしか聞こえていない。だが次の言葉は この場にいる全員の鼓膜に響き渡る 。
「だったら どうしてお前は今、息切らしてんだぁ!!!!」
――ズガァアッ!!
隼人の反撃を、顔面に思いっきりくらってしまう壱は 後ろへ吹っ飛ばされてしまう 。
「回りくどいやり方で妙なセッティングして、いらねぇ気遣って!」
「っ! それは お前の事を考えて 」
「ふざけんなッ!!!蚊帳の外でしか俺達を見てこなかった奴に、何が分かるんだよ!!」
「ッ!!」
壱が桃に話しかけれる場面なんて 幾らでもあった筈だ 。自分から誘うタイミングなんて 何度もあった筈だ。それなのにコイツは――
「勇気を出せば踏み出せた一歩を いつも諦めて、俺達を外から応援した気になってるお前が どの面下げて言ってんだよ!!」
「隼人てめぇ! 言わせておけば … … !!」
痛みを感じながら立ち上がる壱は、熱くなっている体を冷ます為にブレザーを脱ぐ。
「今になって息切らして! ここまで拗れないと分かんねぇのかよてめぇは!!」
「それは 隼人がいつまでもハッキリしないからだろうが!」
「お前がいつ俺達の内側に入ってきたんだ!!」
お互いに収まることの無い熱と、ヒートアップしていく拳 。押し倒してはぶん殴り、形成を逆転しては 吹き飛ばし 。終わりの見えないこの喧嘩は、ここにいる全員が傷つけ合っている 。
「もうやめてよ二人共!!」
泣きながら叫ぶ桃の声も 二人の耳には届いていない 。殴り合う二人を見て、二の腕を強く握りしめる事しかできない純恋は 誰よりも深く傷ついている 。
「言えよ、今この場で 隼人の本当の気持ちを!!」
「言ってどうなる! 俺達の関係にヒビが入るだけだろうが!!」
言葉を投げつける度に心臓を抉り合う二人の怒号は、いつまで経っても傷つけ合う 。
「そういうのやめろ!お前が進まないと 俺達全員、前に進めないんだよッ!! 」
「ッ … … !」
壱の胸ぐらを揺さぶっていた隼人の動きが、一瞬だけ止まる 。その心の歪みを見逃さなかった壱は、息を切らしながらも話を続ける 。
「まだ分かんねぇのかよ 。この恋は お前を中心に回ってるって事が … … !」
その台詞を最後に 熱が冷めていく隼人の意識は、ハッと我に返る 。桃の方を見れば 涙で顔をくしゃくしゃにしており、純恋の方を見れば 死にそうな痛みを何とか押し殺して我慢している 。そして目の前に広がる壱の姿は、もうボロボロだった 。
「 … … 言って どうなるんだよ 」
震えた唇で この場にいる全員に伝える 。溢れ出そうな涙を堪えて、ナイフで刺されたような心臓の痛みを押し殺して 。
「俺達は 今まで通りでいれるのか … … ?」
「当たり前だろうが 」
力強く返されるその言葉を、隼人は信じてしまった。粉雪の熱で落ち着いたからなのか、二人の姿を見て我に返ったからなのか 理由は分からない 。
「 … … 分かったよ 」
覚悟を決めた俺は 壱の胸ぐらから手を離して、脱力させる。誰の顔も見ないまま 遥か遠くの景色を見つめながら、口を開いた 。
「 純恋 」
「 … … ぇ? ぁ 、なに ?」
呼ばれると思っていなかった純恋は、余りの驚きに動揺を隠せなかった。
「 … … ぇ ッ 。ち 、ちょっと待って はやと … … 」
泥まみれの隼人の後ろ姿を見て、この場にいる誰よりも早く 悟ってしまった 。彼が次に言う言葉を。彼が抱えていた 本当の想いを 。
――『 俺は お前が好きだ 』
「っ … … 」
この場にいる 全員の息が詰まる 。
「ぇ … … 」
言葉を失い、その事実に 脳が追いつかない 。
「はや 、と … … 」
誰も何も言わず、誰も何もしない 。時が停止している三人は ただただ隼人を見つめているだけ。何秒、何分経ったかも分からないこんな状況の中で、粉雪だけが 無情に舞い落ちている。
――サァァァァァァ 。
寒さを感じない突風が 俺達の隙間を吹き抜けていく 。この場にいる全員が固まってしまってから、どれだけの時が経ったのかは分からない 。
永遠に続きそうな いつ溶けるかも分からない この氷結の呪いは、まるで一枚の絵に収められた 漫画のよう 。
そんな長い間の時を得て 、隼人の視線は下を向いた 。
「だから 言いたくなかったんだよ 」
そう呟きながらその場を振り向いて、立ち去ろうと歩き始める隼人。しかし そこには立っている 。自分の想いを伝えた 女の子が
「 はや、と … … 」
あまりにも優しく呼ばれるその声に、一瞬だけ歩みを止めてしまう 。とろけるように揺れ動く心の中で、どこに向けていいのかも分からない視線を 再び下に向けて 歩き始める 。
「 ごめん 」
耳元でそう告げて 、純恋の前から去っていく。振り返る純恋は 彼に何も言えないまま、遠くなる背中を掴むようにして右手で虚空を握りしめる 。
その後ろ姿が見えなくなるまで見つめている純恋は、涙を一粒 頬に垂らす 。声を押し殺すようにして両手で口を抑えるのだが、どうしても喉奥から溢れてしまう 泣き声が、強く零れ出す 。
「 … … 行って 。純恋ちゃん 」
静かに座り込んでいた桃が 突然声を出した 。思わず反応してしまう壱も 桃の方を振り向いてしまう。
「隼人くんの事 追いかけて 」
今にも消えてしまいそうな掠れた声でそう告げる 。俯いている為 前髪で表情は分からないが、苦痛に悶えている事だけは 確かだった。
「も、桃? でも 私は 」
「お願いだから、行って 」
純恋の言葉を遮るようにして声を出す桃は、地面に付けている手の平に目一杯の力を込めて、握り締める 。
「私じゃなくて、桃が行った方が―― 」
――ッ!!!
その言葉を最後まで聞くことなく、純恋の方を見上げた桃 。何粒も何粒も流れ落ちる大きな雫は、粉雪と一緒に落ちていく 。我慢していた言の葉は もう抑える術を持たなくなった。
「私じゃ ダメなの!!!」
「ッ … … !」
「私が行ったって もうどうにも出来ないの!私が寄り添ったって、もう何も届かないんだよ!!」
「 … … 桃 」
そう叫びながら立ち上がって、純恋の元へ勢いよく歩き出す桃 。真剣な眼差しから流れていく何粒もの涙を見て、純恋の心は更に苦しくなる 。
「純恋ちゃんじゃないと ダメなんだよ!!私は もう、何もできない! 」
「で、でも 桃は 」
「隼人くんが苦しんでる時、何とかしてあげられるのは、もう純恋ちゃんしかいなくなったんだよ!!!」
「ッ!!!」
それは 紛れもない事実だった 。その全ての証拠は、隼人がさっき伝えた告白の中に詰まっている 。
あんなのを聞かされたら 私の出る幕はもうない。隼人くんに寄り添えるたった一人の人間、それはーー
「この中で … … ううん。この世界でただ一人 、純恋ちゃんしかいないんだよぉ!!」
「桃 … … ッ 」
「だからお願い! 行って?」
「で、でも 」
「行けッ!!!!!」
「ッ!」
最後に浴びせられた 桃の渾身の気迫に気圧された純恋は、反射的に背中を向けてしまう。
言われた通りに隼人を追いかけていく純恋を見て、桃はその場で立ったまま 緩やかに吹く雪風に身を委ねていた 。
「桃 … … お前 」
そんな桃の姿を見て、壱もゆっくりと腰をあげる。雪が付着しているボロボロになったワイシャツを気にする事なく、ただただその場で立ち尽くしていた。
「私ね、本当は知ってたんだ 。隼人くんが純恋ちゃんの事を好きって 」
「 ぇ 」
背中を向けたまま話し始める桃の発言は、壱の心臓を一瞬だけ止めてしまう 。
「だってね、仕方ないじゃん。隼人くん 隠す気ないもん 」
「 … … 」
本当に 涙が止まらない 。蹲りたくて 仕方がない 。そうしたら少しは、痛みが和らぐ気がして 。
「私がどれだけアプローチしてもね 」
だけど どうせ突き付けられる現実に 潰されるんだと思うと、私はもう 甘えられる居場所がない 。
「どれだけ 楽しい話をしてたって 」
無理だと分かっていた 。あの想いに入り込める筈が無いと理解していた 。それでもそんな現実を受け止められない私の未熟な心は、彼の曖昧な気持ちの隙間に寄り添って、一番傷つかずに済む彼の隣で甘えていたんだ 。
「瞳がね、追ってるんだよ … … いつも 。純恋ちゃんの事を 」
どんな話をしてたって 隼人くんが見てるのは、いつも純恋ちゃん 。どんな事をしてたって 隼人くんが見つめてるのは、純恋ちゃんだけ 。
「うッ … … うぅう 。ぅうぁああ … … ッ!」
言葉にならないその泣き声は 、抑えられる筈がなかった 。異常なくらいに苦しくなる心臓を強く握り締めて、その場で蹲るしかなかった。こんなにもボロボロの状態でとれる最善の行動なんて、私は知らない 。
「 … … ッ!」
地べたに崩れ落ちる桃を見守る事しかできない壱は、握り拳から血が滲み出る程の力を込めていた 。尋常ではない心の痛みが、痛覚を上書きしてしまったのだ 。
『お前がいつ 俺達の内側に入ってきたんだよ!!』
蘇るのは 隼人の本音 。
『ここまで拗れないと 分かんねぇのかよてめぇは!!』
紛れもなく 的を得ているアイツの言葉 。
『 純恋 、俺はお前が好きだ 』
どう考えても 一番逃げていたのは、俺だった 。
「ッ … … 桃 」
力強く 名前を呼んだ 。俺の事を見上げる桃の瞳からは 大粒の涙が幾つも流れ落ちている 。俺は そんな桃を見て、どうしても何とかしてあげたいと思う反面、俺では どうにも出来ないと理解していた 。
「 ずっと好きだった 。昔から 」
「 … … ぇ ?」
驚きのあまりに 大きく見開いてしまう紫色の瞳は、幾つも流していた涙を引っ込めてしまう 。雪の降る明かりが映えるそんな景色に、二人はお互いに見つめ合う 。
「隼人が辛い時 桃がどうしても駆けつけて支えてあげたいと思うように、俺も桃が泣いてたら 何とかしてあげたいんだよ 」
「え?でも壱くんは純恋ちゃんの事が … … 」
「全然違ぇよ 。ばか 」
柔らかい表情で桃に近づく壱は、目線を同じにする為にしゃがみ込む 。
「俺はずっと、昔から桃に惚れてた 」
「そ、 そんな … … 」
その告白に対しての返事は当然ながらもう決まっているが、今の桃が今の壱を振る事は、二人のメンタルが崩壊に近づくしかない 。
「返事はしなくて いい 」
そう言いながら立ち上がって、桃の頭に軽く手を乗せる 。
「俺は桃が好きだから、辛い時はいつでも呼んでくれ 。それを 伝えたかった 」
頭から手を離して、桃に背中を向ける壱はゆっくりと歩いていく 。
「壱くん! どこ行くの?!」
「ちょっとコンビニ 」
なんて当然のように振舞って、この場を去るしか 俺には無かった。こんな状況でコンビニなんて、さすがに嘘ってバレてるよな。でも 仕方ねぇよ、むしろよく我慢した方だ 。
「バカ野郎 … … 」
初めて踏み出した一歩で 好きな人に振られたんだ 。
「一人で泣く時間くらい よこせ 」