ナポリタンを作ります ~何も書けない時にする秘訣~
今日はナポリタンを作ります。
まず少量の油をフライパンにしいて、ケチャップをひとかけ。
弱火でじっくりと炒めながら具材をカット。
使うのは玉ねぎとしめじ、ソーセージ。そしてピーマン。
玉ねぎは皮をむいて半分に切って根の部分を取り除き、それぞれ四分の一の大きさにカット。縦に切ると食べやすい。
しめじはいしづきを取ってそのまま。ソーセージは一口大ではすに切る。
カットした具材をフライパンに投入し、炒めていたケチャップと和える。火は弱火のまま。
次にピーマン。半分に切って種とへたを取り除いたら縦に三分の一くらいにカット。これは入れずにとっておく。
ピーマンを切り終わったら湯を沸かして塩を一つまみ。沸騰するまでの間、火を中火にしてケチャップを絡めた具材を炒め続ける。
湯が沸いたらパスタを投入。半分にすると食べたときに液がはねにくくなるので、真ん中くらいで折って入れている。
そこからは無心で炒め続ける。麺が柔らかくなってころ合いになりかけたと思ったら、ここで追いケチャップを投入。ピーマンも入れる。
さっと絡めて火を弱火にして、麺のゆで具合を確認。そこそこ良い感じにゆだっていたらざるにあける。ゆで汁は少しだけ残しておき、具材を炒めていたフライパンに投入。強火にして蓋をして20~30秒蒸らす。
蓋を取ったら麺を投入。一気に絡めてそこへさらに追いケチャップ。
アツアツをさらに盛り付けて完成。
とまぁ……こんな感じでナポリタンを作っている。
具材は大きめにした方が素材の味わいが楽しめておいしい(らしい)。
ゆで汁の代わりに赤ワインを入れることもある。
最初に油を敷く時にニンニクと鷹の爪を入れることも。
なんでこんなことを書いているかと言うと、ここ2、3日の間、何も書く気が起きなかったので、とりあえず何か書いておこうかと思ったからだ。
平穏な生活を送っている私だが、ある日突然、書けなくなる日がやって来る。
それは何の前触れもなく突然訪れ、小説の続きも、エッセイも、何も書けなくなるのだ。書けない状態を放置していると2、3か月平気で何も書けなくなる。
これはまずいと思って何か書こうと思った次第だ。
普段はなんの原因もなく訪れるこの症状だが、今回は理由がはっきりしていた。深く考えすぎているのだ。
実は……エッセイの書きすぎたせいか、脳が真面目なことを考えるモードになっていて、何事も深く真面目に考えるようになってしまっていた。
きっかけはエッセイのネタを探し。ふと、ネットスラングの「草」を取り上げようと思いついた。
ご存じのことかと思うが「草」は笑いを示す意味合いのスラングだ。
かつてネット掲示板などで(笑)を短縮して「w」が用いられるようになり、それを連続して打った「wwwww」が草が生えているように見えることから、笑いを示すスラングとして「草」が用いられるようになった。
そのことについて深く考察しているうちに、笑いの本質とかユーモアの意義とか、面倒なことをあれこれと考えるようになってしまい、ドツボにははまる。
笑いとは何ぞや。なぜ人は笑うのか。ユーモアとは何か。小説にとって笑える瞬間とは?
そんなことをあれこれと考えているうちに、ああでもない、こうでもないと思考が堂々巡りを繰り返す。ついには深みにはまってしまい、そこから抜け出せなくなってしまう。
奇しくも、ちょうど連載のおまけを書いているところで、最後のおまけとしてコントのような内容のものを執筆していた。
笑いについて深く考察しすぎてしまったためか、自分の書いていた小説が面白いかどうかが分からなくなり、続きを書く気が無くなる。
私が小説を書く時、実はほぼ何も考えていない。思いつく文章をタイピングしてそのまま文章にしている。だから、後から読み返すと酷い部分とか結構ある。
それでも、書ける時に書いておけが信念の私にとって、続きを書くことは何よりも重要だ。誤字脱字はどうせ後でチェックするし、文章の重複など些末な問題に過ぎない。
何よりも問題なのは書けなくなること。だから深く考えない。
深く考えないで小説を書いている私が、深く考えすぎてしまったことで、何も書けない事態に陥ったのは、皮肉と言うほかないだろう。
というわけで、とりあえずナポリタンについて書いてみた。
これが何か解決策になるとは思わないが、何も書かないよりはずっとまし。
私がナポリタンを作るときは、きまって面倒くさくなっている時だ。食べたいという欲求よりも、面倒だから手の凝ったものを作りたくないという気持ちの方が大きい。
自分でも不思議に思うのは、どうして買って済ませないで、わざわざ自分で作るのかということ。
面倒ならコンビニで適当な総菜を買えばいいのに、どうしてそうしないのか?
それは……単純に料理をするのが好きだからだろう。
私は料理をするのが好きだ。小学生くらいの時……いや、幼稚園児のころからやっている。
きっかけは保母さんから、キュウリのみじん切りの仕方を教わったこと。当時、問題行動の多かった私はひときわ手のかかる子供だった。私の面倒を見てくれた方は何をすれば私が熱心に取り組むか考えて、キュウリのみじん切りの仕方を教えてくれたのだろう。
その方は付きっ切りで私にナイフの使い方を教えてくれて、刻んだキュウリにマヨネーズを和えて、持ち帰らせてくれた。
家族はおいしいと言って、マヨネーズで和えただけのキュウリを食べてくれた。
私はとても嬉しかった。
当時の記憶が鮮明に残っているわけではないが、キュウリのみじん切りを教わったのは覚えている。私にとってとても大切な記憶なのだろう。
そんなわけで、幼いころに料理の楽しさを覚えた私は料理をするのが好きだ。他に趣味と言えば小説を書くことくらい。たまにジョギングをしたりもするが、料理をしている時ほど楽しいとは思わない。
私はどんなに面倒になった時でも料理をする。そんな時は決まってナポリタンを作る。
ナポリタンを作って食べると、とても満足した気分になれる。食べ応えもあるし、味わい深い。萎えかけた私の気力を盛り返し、明日は別の料理を作ろうと思える。
だからきっと……こんな文章を書いていれば、小説だって書けるようになるはずだ。
ナポリタンは万能なのだ。