3話:穏やかな夕食
「話しこんでいる間に随分と遅くなってしまったな。クレージュやウィルが待っているし、そろそろ食事に行くとするか」
ヴォルフの話で過去の自分を思い出していたリモニウムは、ヴォルフの言葉で我に帰った。
自分は今、非力な少女となって生まれ変わり、自分の子孫が親という意味不明な状況に置かれている。
あの悪魔みたいな天使によって天国的地獄に追い込まれたが、とびっきりの祝福を受けているのは自覚していた。
自分のことなのでいまいち実感はわかないが、リモニウムは八歳にしてはかなりの上玉らしい。
男と結婚する気などさらさらないが、ビジュアル面でブサイクと言われるよりはいい。
上玉どころではなく傾国の美少女と呼べるレベルなのだが、本人はいまいち気付いていない。
あと、自分がほったらかしにしていて、一代で終わると確信していたカッターランド家は、優秀な末裔により、王家の一端を担う家柄になっていたのも驚いた。
もしかしたら祝福という奴なのかもしれない。食うに困らず、周りの人間関係も極めて良好。理想的な環境と言ってもいいだろう。
だが、リモニウムが本当に欲しい物は未だに自分の手に入っていない。
「どうした? パパが抱っこしていってやろうか? お前は何も無い場所でもよく転ぶからな」
「平気です。ひとりで歩けます」
父に促され、リモニウムはぱたぱた足音を立てて食事に向かう。まず第一に、リモニウムが欲しいのは頑強な肉体だった。少女という事を差し引いても、この身体は貧弱すぎる。
八歳だというのに極端に小柄で、五歳くらいに見られる事もある。
それにリモニウムは超絶爆裂運動音痴だった。その割に病気にかかった事は一度も無い健康体という謎仕様だ。
「遅いよ父さん。リモだっておなかが空いただろう」
「すまんすまん。つい話しこんでしまってな」
苦笑しながらヴォルフとリモニウムにそう言ったのは、カッターランド家長男にして、若き天才ウィルバートだ。
褐色の髪は父譲りだが、クレージュに似てなかなかの美男子で、細身の長身だが引き締まった肉体をしている。
息子も娘も自分に似ないでよかったとヴォルフは安堵しているが、ウィルバートに関しては、もう少し男らしさがあったほうがいいとは思ってもいる。
決してウィルバートが街を歩いていると、若い女性が振り向くのに嫉妬しているわけではない。自分には最愛の妻がいるからいいもんね。
さて、カッターランド家は、入口の広間から廊下を奥に進むとヴォルフの部屋があり、そのさらに奥に行くと調理場と家族専用の食事場がある。
来客用にもう少し広い部屋を用意しているが、家族四人で食事する際はほとんど平民と変わらないスペースを使う。
そうして既に着席していたクレージュとウィルに続き、ヴォルフとリモニウムが席に着く。
リモニウムはテーブルに掴まり、踏み台を使って椅子に座る。大人用の椅子が四つなので、こうしないと上手く座れないのだ。
テーブルの上には温かな湯気を立てる料理が並んでいた。焼き立てのパンや、シチューのような煮物などがメインで。客に振る舞うとなかなかに好評だ。
カッターランド家は高価な美術品を一つ買って家の品格を高めるより、食費や使用人の賃金を強化する方針だった。見てくれよりも実利を重視するのが現当主のあり方だった。
「では神に祈りを捧げ、食事をいただこう」
ヴォルフがそう言い、家族四人は食事に手を合わせ、神に祈りを捧げる。今日一日、安穏に過ごせた事を感謝する風習だ。
ただしリモニウムだけはポーズだけで神を呪っていた。そもそも、奴らのせいでこんなヘタレにされてしまったのだ。なぜ感謝しなければならないのか。
家族自体は嫌いではない。特にリモニウムは強い奴は問答無用でリスペクトする癖があり、ヴォルフやウィルバートは敬意を払うに値する実力者だ。
クレージュも優しくて美人だ。母親でなければ口説いていただろう。もっとも、リモニウムは女遊びより野郎との殴り合いが好きな変人だったので、正妻と呼べるような相手はいなかったのだが。
「そろそろ降臨祭だが、今年は休暇が取れそうだ」
食事に舌鼓を打ちながら、ヴォルフはそう呟いた。降臨祭とはこの国に降り立った神を称える祭りで、建国記念日のようなものだ。
せっかくのお祭りなのだが、ヴォルフは騎士団長として警備に当たる事が多かった。だが今年は少しだけ余裕があったので、家族と共に出掛ける事が出来そうとのことだ。
「その代わり、今年は僕が東奔西走しなければならないけれどね」
「お前も今年から正式な騎士になるんだ。初任務だから気合を入れるんだぞ」
ヴォルフに余裕が出来たのは、息子のウィルバートが騎士として警備部隊の一角を任されたからだ。
せっかくのお祭りに一家から二人も働かせるのはどうなのかと、運営側も配慮してくれたようだ。
「今から緊張するよ。部隊長とはいえ、みんな僕よりベテランだからね」
「お前も将来的に人を使う事を覚えねばならん。ちょうどいい機会だ」
「争い事が起こらないように頑張るよ」
「争いごと!? 何ですかそれは!?」
それまで黙って聞いていたリモニウムが、身を乗り出して二人の会話に混ざった。
リモニウムが現役だった頃は、全身入れ墨をした荒くれ者が大挙して襲撃し、街に火を付けたりしていたのを片っ端からぶっ飛ばしたり、またぶっ飛ばされる側だったり。懐かしい思い出だ。
「うーん、一番多いのは露店での値引きのトラブルとか詐欺とかかな。あとは迷子とか。喧嘩とかかな」
「そうですか……」
その話を聞いたリモニウムは、しょんぼりと肩を落とした。
実に牧歌的だ。つまらん。
だが、その落ち込みっぷりを、ウィルは別の方向で解釈したようだった。
「喧嘩といっても大したものじゃないよ。昼間からお酒を飲む人も増えるから、酒癖の悪い人が怒鳴ったりとか、その程度だよ。大けがする人なんて滅多に出ない」
妹は人同士の争いを嫌う。だから、争い事という表現を使った事にウィルは少し後悔した。
そしてさらに、妹はこんな事まで言いだす。
「おにいさま、私も、警備に参加は出来ないでしょうか?」
「え!? リモが!?」
「はい!」
リモニウムはウィルの事をまっすぐに見た。その表情は真剣だ。
おままごとのような闘争でも、間近で見てみたいのだ。
「リモはお祭りを楽しめばいいんだ。面倒な事は大人に任せておけばいい」
当たり前だが却下された。その返事を聞いてリモニウムはあからさまに落ち込んだが、リモニウム以外の家族は、娘の心優しさに胸を打たれていた。
このくらいの女の子なら、祭りの運営側を手伝いたいなどとは露にも思わないだろう。
わずか八歳のリモニウムが、トラブルを取り締まる側に回りたいというのだ。
(この優しさにつけ込む輩がいなければよいのだが……)
ヴォルフは、黙々とパンをちぎって食べる愛娘を、いとおしげに見つめていた。
リモニウムの優しさは美徳ではあるが、美徳が常に有利に働くとは限らない。
そういった美しい心につけ込み、食い物にする悪魔のような輩もいる。
そういう連中を取り締まるのがヴォルフやウィルバートの仕事だ。
「私は……くやしいです」
「悔しいって、何がだい?」
パンを食べ終わった後、リモニウムはぽつりとそう呟いた。ウィルが問い直すと、リモは涙目になって兄を見つめた。
「私は強くなりたいです! 強くなって、コテンパンにしてやりたいです!」
「リモ……」
ウィルは複雑な表情を浮かべる。自分と違いリモニウムは運動が苦手だ。
貴族の淑女だし、なんら問題は無いのだが、武家の娘として恥じるところがあるのだろう。
ちなみにリモニウムがコテンパンにしたいのは悪党ではない。もちろん悪党もいるが、とにかく自分に向かってくる奴を、片っ端からぶっ飛ばしたい破壊衝動に駆られている。
だが、現状だとそこらの野良猫にも勝てないだろう。今のままでは祝福に呪い殺されてしまう。リモニウムは早急にマッチョになる必要があった。
「……分かった。じゃあ、明日から少しだけ剣術を教えてあげよう」
「本当ですか!?」
ウィルがそう言うと、リモニウムの表情がぱっと輝く。
花のような笑顔とはこういう表情を言うのだろう。
「ウィル、リモは女の子だぞ」
「いいじゃないか。少しくらい身体を動かしたほうが心にも身体にもいい」
「そうねえ、ただ、あんまり危ない事はさせちゃ駄目よ」
ヴォルフもクレージュもあまり歓迎していないようだったが、それでもリモニウムの気持ちは察していたので、強く反対はしなかった。
こうして食事が終わると、リモニウムは上機嫌で自室に戻り、ベッドにごろりと横になった。
そして、母のクレージュがプレゼントしてくれた、枕元にあったクマのぬいぐるみを引っ張る。
「くっくっく……おにいさまに鍛えてもらえるとは。さて、そろそろ反撃開始だ」
リモニウムは美しい顔に邪悪な笑みを浮かべた。将来的にはこのクマちゃんのはらわたを引き裂いて、代わりにナイフを仕込む予定だ。
なお、現状は危ないから刃物を持たせてもらえないので、綿が詰まったままになっている。
祝福を取り払う第一ステップを歩めると思うと力が湧く。そうしてリモニウムは、クマのぬいぐるみにベアハッグをした。