2話:初代当主アレックス・カッターランド
今を遡る事五百年前、アレックスは戦災孤児として、戦乱の時代を奇跡的に生き延びていた。森に捨てられていた彼は、野生動物と共に暮らし、十歳になっても喋る事すら出来なかった。
そんなアレックスだったが、ある日、偶然彼を見つけた傭兵団に拾われた。面倒見のいい団長だったし、アレックスは武器は使えなかったが、驚異的な体力を持っていたので荷物持ちには最適だった。
ある程度人の言葉を覚えた後は、戦闘に参加する事もあった。
アレックスは野生児として身に付けた頑強な肉体を持ち、突いても切っても死なない不死身の化け物だった。
武の才能は無いが、最後まで死なない奴が勝つというスタンスで戦場を生き抜いてきた。
アレックスは他の傭兵団員が戦死する中、一人生き残り、多くの功績を残した事で領主から爵位を貰った。カッターランドというのは『大地を切り裂く』という意味だ。
そこで仕方なくアレックスは貴族の作法を叩きこまれた。
とはいえ、動物じみた生活を長年送ってきたものだから、貴族の仕事は適当な者に任せ、自分は刃物を振り回しながら戦闘に参加し続けた。
結果としてアレックスは、自ら先頭に立って平民を守り、自分は一切ぜいたくをしない名貴族として扱われた。実際には好き放題やっていただけなのだが。
こうしてアレックスは全身に傷が無い場所は無いというところまで暴れ続け、最終的に戦場でくたばった。そのあまりの狂戦士ぶりに『鬼神』と後年解釈されることになる。
「被告人、前へ」
アレックスは過去の事を回想していたが、凛と響く女性の声で我に帰った。
今、彼は鎖で首から下は指一本動かせないほどにがんじがらめにされ、巨大な裁判所の中心に立たされている。両脇には巨大な角を持つ鬼達が、アレックスが逃げ出さないように鎖を抑えつけていた。
アレックスの周りの傍聴席には、多くの人外が座っていた。
目を奪われるような可憐な天使から、目を覆いたくなるような触手で覆われたタコのような化け物……数えればキリがない。
「被告人とはひどいですね。僕は別に悪い事はしていないのに」
「無駄口を叩くな。地獄からクレームが来たせいでお前はここに立っているのだぞ」
目の前でアレックスを糾弾しているのは、菫色の美しい髪に、銀縁眼鏡を掛けた理知的な女性だった。髪と同じ色のスーツを着ており、男装の麗人と呼ぶに相応しい。
「さて、これより被告人アレックスの裁判を始める。裁判長はこの私、ザフキエルが務める」
菫色の女性はザフキエルと名乗り、アレックスの罪状を読み上げる。
「貴様は生前、数多くの暴力行為を行ったが、生まれの悲惨さを加味し、地獄ではなく辺獄送りにしてやった。だが、そこで貴様は……」
「同じ境遇の人たちと協力して遊んだだけですよ」
「あれは武装蜂起だろうが!」
ザフキエルがばんと机を叩くが、アレックスはへらへらした表情で笑って流した。
死後、それほど罪の重くない人間は地獄ではなく辺獄という場所に送られる。
ここは責め苦も無いが希望も無いという場所で、簡単に言うと留置所のような場所だった。
そこで一定期間罪を犯さなければ、それなりの身分として転生させられる。
だが、あろうことかアレックスは周りの人間を煽り、辺獄で部隊を編成して暴動を起こした。
速攻で鎮圧されたが、こうしてアレックスは辺獄から地獄送りとなった。
「だって、何もせず、いつまでもただ漫然とした生活を送るなんて苦痛じゃないですか。僕はもっと刺激ある人生を送りたかったんですよ」
「お前の人生は既に終わっているだろう。地獄送りにした後、魔獣の刑に処されたわけだが……」
魔獣の刑とは、罪人と魔獣を同じ檻に入れ、恐ろしい獣に意識を持ったまま食い殺させるという地獄式の刑罰だ。
既に死んでいるので、仮に一度食い殺されてもすぐに檻の中で魂は復活し、また同じ責め苦を延々味わう。もっとも残虐な刑の一種だ。
だが、ザフキエルは手元に配られた資料に目を通し、渋面を作る。
「魔獣に食い殺された回数……78965回。最終的に魔獣が嫌がって人を恐れるようになってしまった……なんだこれは」
「いちいちカウントしてたんですか。遅かれ早かれ食べられるんだから、早めに食われたほうが苦痛が少ないんですよ。ただ、噛み砕かれるか、意識を保って胃袋に入って溶かされるのか、どちらがいいかというと微妙なラインで……」
「もういい。聞きたくもない」
にやけ面でそんな猟奇的な話をしないで欲しい。
ザフキエルはこめかみを押さえながら、再びアレックスに向き直る。
「普通は2、3回もやれば参ってしまうものなのだ。そうして反省させた上で、改めて魂を洗浄して転生をさせる。だが、貴様はなんだ。マゾヒストにもほどがあるぞ!」
「マゾとは失敬ですね! 僕はただ、最良の手段を選んだだけですよ!」
ザフキエルに対し、アレックスは憤慨した。
別に好き好んで魔獣に食われていたわけではない。
もっともダメージが少ない方法を試行錯誤していたというのが本人の弁だ。
魔獣からしてみれば、今食った人間が1秒足らずでダッシュで戻ってきて、口に飛び込むゾンビアタックをされるのだからたまったものでは無かっただろう。これでは人間が嫌になるのも無理はない。
「貴様を放置しておくとろくなことにならんということで、天国と地獄で処遇を再度決める裁判を行うことになったのだが」
ザフキエルは頭を抱えた。地獄側から天国側に押し付けたいという意図が見え見えだった。
もちろん、こんな奴は絶対に入れたくない。
傍聴席の人外たちも、たかが人間一人にこれだけ見に来るのは滅多にない。
なにせ、自分達の暮らす側にこの狂人が来たら、今度は何をされるかという不安がある。
裁判長ザフキエルの判決を、傍聴席の天使と悪魔たちは固唾を飲んで見守った。
「……判決を言い渡す」
しばらく天を仰いだ後、ザフキエルはアレックスを真っ直ぐに見た。
アレックスは拘束されているというのに、ザフキエルの鋭い視線を平然と受け止めていた。
「まず、貴様は特例として記憶を残したまま人間界に転生させる。本来、魂を流転させる際は記憶を消すのだが、お前には記憶を残しておいた方が罰になるだろう」
「へぇ、どんな罰を与えてくれるんですか? 一生不幸で永遠に報われないとかですかね?」
確かに、今の記憶を持ったまま、人間として再び生を受け、一生何をやっても報われないと分かった状態で生涯暮らし続けるのはつらいだろう。
だが、ザフキエルは意地悪な笑みを浮かべる。彼女は天使のはずだが、その表情は悪魔じみていた。
「いいや逆だ。貴様にはとびっきりの祝福を与えてやる」
「は?」
予想外の判決に、アレックスの目が点になる。意味が分からないアレックスに対し、ザフキエルは歌うように言葉を紡ぐ。
「貴様は記憶を持ったまま、全ての戦闘能力を失ってもらう。祝福され、誰からも愛され、行く先々の全ての存在に救済をもたらすだろう。荒野の戦場は一面の花畑となり、貧乏人や病人はすべて苦痛から解放される。人々はみな生を謳歌し武器を捨てる。素晴らしいだろう?」
ザフキエルがそう言い終わると、アレックスの表情から初めて余裕の色が消えた。その顔は顔面蒼白になっている。確かに素晴らしい。素晴らしすぎて寒気がする。
「ちょ!? ままま待って下さい! それでは戦闘行為が出来ないではないですか!」
「当たり前だ。貴様にはこれが一番効くだろう? 誰からも責められないということが最高の責め苦になる事もあるということだ」
「ふざけるな! 僕は拒否するぞ! 僕は……僕は! あの血が沸騰するような、人間の理性とかいう枷を外せる戦闘が大好きなんだ!」
「貴様に拒否権は無い。以上で閉廷だ。処置は私自らこの場で行う」
ザフキエルが慈悲深い無慈悲な判決を下し、ぱちんと指を鳴らす。次の瞬間、アレックスの足元から光の粒子が溢れ、段々と全身を飲みこんでいく。
「鬼! 悪魔! 人でなし! 人に嫌がる事をしちゃ駄目って習わなかったのか!?」
「私は鬼でも悪魔でもない。人でなしではあるがな。貴様はせいぜい愛されて幸せな一生を送ってみるがいい。生まれた時からろくに人の愛に触れた事が無い貴様も、体験すれば多少はマシになるかもしれん」
「クソォ! クソォ! 僕は祝福に徹底抗戦するぞ! 見ていろ! 必ず生まれ変わってもその世界で戦……」
半泣きになりながら喚くアレックスは、言い終わる前に完全に光の粒子に呑みこまれた。
転生の処置が無事終わったのだ。
傍聴席の天使や悪魔、その他もろもろの異形達はザフキエルの判決に心底安堵した。
これで当面、あの問題児を人間界に押し付ける事が出来る。
「とはいえ、奴は数十年後に帰ってくるが、さて、この判決が吉と出るか凶と出るか……」
もぬけの殻になったアレックスの席を見て、ザフキエルは小声でそう呟いた。これはいわば応急処置のようなものだ。あの男が新たな人生を歩み、何か変化してくれればいいのだが。
◆ ◆ ◆
「うっぎゃあああああ! うっぎゃああああああ!」
「旦那様! お生まれになりました! とても元気な玉のような女の子です!」
「ついに生まれたか! 女の子か! よく生まれてきてくれたな! クレージュもお前も、本当によく頑張ったな!」
陽光の差し込む部屋の中、実に爽やかで陽気のいい春の日に、カッターランド家の長女は生まれた。多忙極まりない騎士団長という立場だったが、まるで彼の休みに合わせたかのように生まれてきてくれた。
「父さん! その子が僕の妹なんだね?」
「ああ、お前とは十歳も違うからな。兄としてお前もしっかりこの子を守ってやってくれ」
「うん! 僕、強くなってこの子を守るよ!」
カッターランド家長男、ウィルバートが強く返事すると、ヴォルフは息子の頭をくしゃっと撫でた。その様子を、ベッドに横になったまま、微笑しながら妻のクレージュが眺めている。
「しかしすごい泣きっぷりだな……ウィルはここまで大泣きはしなかったが」
「手間のかかる子の方が可愛いって言うじゃない。よしよし」
生まれたばかりだというのに、ヴォルフの腕から抜けださんばかりに赤ん坊は暴れ出した。あやうく落としそうになったので、慌ててクレージュに引き渡す。
さすがに暴れ疲れたのか、赤ん坊は母親の腕に抱かれて眠ってしまった。とにかく、元気な女の子で本当によかった。
こうしてアレックスは、リモニウムとして悔し涙と共にカッターランド家に再び舞い戻ったのだった。