死の実感/最悪な状況
-死の実感-
私は死んだのだ。そう確信した、せざるをえなかった。
自分がいるこの場所は日常の場であるが、見える景色は凄惨なものだ。何気なく過ごしていた日々の舞台で、頭から血を流して死んでいる自分。
自分が死んでいるところを見せるだなんて、最期の後なのに残酷なものだなあ…。
ここは、私が高校入学を機に、一人暮らしのために借りた部屋だ。
乾いた空気を貫く光が窓から差し込み、澄んだ心地よさを部屋に注いでいる。あぁ、こんな日はカーペットに寝そべって穏やかな冬の陽気をうとうとと楽しむのが良い。
そんなことを何気なく考えながら、窓辺に吸い寄せられる。
昼を過ぎて傾いた日はきっと暖かい。渇望にも近いその光への欲求は、自然と手を伸ばさせた。
今にも指先からじんわりと自然を感じて…。
「あれ…。」
なにも感じなかった。それどころか、目の前で起きたことに、驚愕した。思わず涙が溢れてしまうほどに。
自分の手が日に差し込まれているのだ。肌に光が広がることなく、そのまま一直線に突き抜けている。
まるで窓ガラスを通るように…いや、ガラスは光で熱せられる。私の伸ばしたこの手は、一向に温かみを帯びない。
…こんな些細なことまで、死んだらなにも感じられないのか?
何億年も地球の生き物を育んできた太陽にさえも見限られたような、なんとも形容し難い悲しみと絶望感で嗚咽が漏れ出る。
どうして死んでしまったんだろうか…。
そうだ、私ななぜ…?
「事故だ。」
「え?」
突然の発言に少し体をびくつかせてしまう。言葉を発したのは、話しかけても答えてくれなかったあの人(?)物だ。
私は恐る恐る後ろを振り返り、改めてその男をまじまじと見つめてみる。
黒い髪に黒い服…。それでも何故だか真っ黒な印象を受けないのは白過ぎる肌のせいだろうか?
加えて高身長だが、すっぽりと体を覆う服は足先まで一直線に伸びており、体のラインどころか、脚がどこから生えているのかすらわからない。言うなればゾンビグラスのようなシルエット。
それこそ異質な輪郭を持つ外見だが、人間的な体躯をしていることはわかる。しかし、同じ人間とは思えない佇まい。
まさに全身から異彩を放っているが、それでも飛び抜けて目を引くのは、長い前髪からチラリと覗くその赤い瞳だ。
誘蛾灯のように目線を惹きつけるそれは、意識していないと直ぐに目を吸い寄せられてしまう。それでいて、その強烈な目力は、吸い寄せた目線を突き刺すように鋭角的だ。
「ええっと…事故って?」
奇異の目で見てしまっていただろうか。以降、中々二の句を続けない相手に、私は躊躇いながら声をかけた。
「貴方は首を吊って自殺をしようとしていた。だから、私も放っておこうとしていた。」
と、話を促した途端に淡々と話し始める男。
ていうか、「放っておこうとした」とはどういうことなのだろうか?
当人の意思を尊重した優しさ、とも言えるのかもしれない。けれども、それで見捨てられるというのもなんだか冷たい感じがする。
「だが、貴方は輪に首を通す前に、踏み台代わりにしたテーブルから足を滑らせた。」
促されて話始めた割には、相槌を打たずに冷ややかな目を向けるこちらの様子を一切気にしてないような、至って無機質な声。
それ故にその言葉は、不思議と脳に染み渡るのだ。
…………テーブルから足を滑らせたですって?
「そして、テーブルの縁に頭を強打した。」
「ちょっと待った!まさか、まさかとは思うけれど私の死因って…」
この清々しいほど簡潔な説明だと、まるで私は、「自殺を決意するほどの思いでテーブルに乗ったのに、最終的に鈍臭さで死んだ」みたいに聞こえるのだけど。いやまさか…。
そんな私を気遣うことなく、男はコクリと頷いて見せる。
「円形テーブルで死んだ。」
-最悪な状況-
死因を告げた途端、女は顔を覆った。
だが、先程とは違い、肩を震わせて嗚咽を漏らしているわけではない。「あ」の音を延々と叫んでいるのだ
まあ不可解な行動ではあるが、それなりに心理は読める。
きっとロープを無駄にしてしまったことを悔いている。
このロープの結び目。これは絞首刑によく使われる「ハングマンズノット」だ。少し雑さが目立つが、きっと曲がりなりにも懸命に結んだのだろう。
「死因が円形テーブルって最悪だぁぁぁ」
どうやら推測を間違えたらしい。
だが、確かに最悪な状況であることに違いはない。こうなってしまっては、全ての責任は自分にあると言えるだろう。
そう考えるや否や、僕は目の前の女に向かって頭を下げた。
「申し訳ない。私の判断は適正でなかった。」
そう一言一句を正しく発音すると、女は狼狽したような態度を見せた。
そして、顔を上げようとしない僕に対して、「きっと私の頭の打ちどころが悪くて…」「勢いよく滑っちゃったんだ、うん」などと、よくわからないことをブツブツと呟いている。
僕はゆっくりと顔を上げ、何故だか弱く笑いかけてくる女を見て、続けた。
「魂の狩り取りが不十分だったのか、貴方の魂が転生輪廻の軌道に乗り損ねてしまった。」
___数秒後、緊張した女の面持ちからは、「わからない。」という、疑問符だらけの言葉しか出なかった。