一章★2
「出すの? 出さないの?」
右手を突き出されて、私は困った。
通行料とはきっと、テーマパークへの入園料のことだろう。
しかし財布の中の残金は千五百円。
タクシーで帰れるかも怪しい金額だ。
「通行料を払わないと、今来た道を引き返すことになるぜ」
え、それは嫌だ。
本当にテーマパークのバイトの人か? と危ぶみながらも私は尋ねた。
「おいくらですか?」
「三百オル」
「三百……円?」
「三百オルだ」
オルというのが、いまいちよくわからなかったが、とりあえず三百円支払うことにした。
今まで手に持っていた鞄の中から、財布を取り出す。
「はい、三百円」
変な服装の少年(バイトのコスチュームだろうか?)に、百円玉硬貨を三枚手渡す。
「……」
少年はまじまじと手の中の百円玉を見つめている。
「何だ? これは。異国の金か?」
その言葉を聞いて、私はどきりとした。
わかった。
どっきりだ。
服装で気づくべきだった。明らかにヤラセではないか!
まったく。こんなところまで連れてきて、手が込んでいるにも程がある。
「はー」
と、息を吐いて、少年に向き直る。
「これって、どっきりですよね」
少年が硬貨から目線を上げ、こちらを向いた。
「んあ? そういえば、お前、変な服着てるもんな。異国から来たのか?」
少年は尚も演技を続けるらしい。
喉の渇きや、疲れや、緊張が解けた反動で泣けてきた。
「変な服着てるのは、そっちでしょ! もういいから、早く家に帰らせてよ!」
「はぁ?」
強く喚いた私に、眉を寄せながら、少し考えるそぶりを見せた後、少年の眼が細く光った。
わずかな殺気を感じて、私は押し黙った。ためらいつつも、口を開く。
「……どういう仕掛けか知らないけど、ご苦労様でした。家に帰して下さい」
「だめだ」
少年は冷たい眼で私を見下ろした。
「三百オル払えと言ったんだ。まだもらってない」
「オル? 何なのよ、それって」
「オルも知らない? やはり異国人だな、お前。ここいらの地域は、通貨はオルだ」
んんん?
「日本だよね? ここ」
「何言ってるんだ」
「そうだよね、船や飛行機乗らないで、歩いて外国に行けるわけないもんね」
「何、ふざけたこと言ってるんだ。……ところで、ニホンって何だ? お前の国の名か?」
まだ演技続けるんですか。
その自然な演技に、何か賞でも贈りたくなる。
「からかうのもいい加減にして。あなたも、日本語喋ってるじゃない!」
「ニホン語? なんだそれ。お前が喋ってるのは、ユグラ語だろ?」
「ユグラ……語?」
確かに私は日本語を喋っている。思考も日本語だ。
そういうどっきりの設定なのだろうか?
でたらめだ。だって、日本でないはずがないじゃないか。
騙されちゃだめだ。
家に帰るんだから! しっかりしなきゃ!
「家に帰るから、タクシー呼んでほしいんだけど?」
「タクシー? 馬車のことか?」
馬車……?
少年のきょとんと話すそぶりは、演技には思えなかった。
そういえば、さっき階段の上から見た景色も、日本ではなかなか見ることのできない自然が広がっていた。
まさか。日本じゃなかったら、一体どこ?
「白馬車は、ここいらは月に二度しか通らねえよ」
私の心境も知らず、少年は話を続ける。
「何だ? お前、馬車でここまで来たのか? 贅沢だな」
腕組みして見下ろす少年。私は首を振った。
「歩いて来たけど……。ここはどこなの?」
「はあ? 知らずに来たのかよ」
少年はさも呆れたと言わんばかりのリアクションで頭を掻いた。
「ルーガだよ。崖の町ルーガ」
「ルーガ? 日本じゃないの? どっきりの設定だよね?」
いよいよ、私は顔を青くした。
「ねえ、この国の名前は?」
「名前ぇ? そんなことまで教えねーといけねーのかよ。はぁ。この国の名前は」
私は息を飲み込んで少年を見つめた。
「ない!」
「ない? って名前なの?」
「違う! ないんだよ、今!」
少年は怒ったように腕を組んだままドサッと、後ろの岩に背中をあずけた。
「ここいらの地域をまとめてた国が滅んだんだよ。だからもう百年も、この国には名前がない。」
「何て名前だったの?」
「ユグラ。古の民のことを指す言葉さ」
「ユグラ……」
さっきもユグラ語って聞いたけど、そんな国、あったかなぁ?
まさか、日本じゃなくても最悪、ここは地球よね。だって太陽や、空気もあるし、人も一応いるし、海もあった。
「何ぶつぶつ言ってるんだ? それにしても、お前って世間知らずなんだな」
少年は、さもおかしそうに小さく笑った。そして、私のことを、上から下まで眺めまわして言った。
「本当に異国から来たみたいだな。おっもしれー!」
私は、好奇の視線に居心地が悪くてうつむいた。
でもそれどころじゃないほど、頭の中が困惑していた。
「お前、オレの子分になれよ!」
「はあ?」
少年の突然の提案に、私は思わず間の抜けた返事をした。
「異国人を子分にしていたら、兄貴びっくりするだろうな」
少年はどうやら、私が珍しいので、ほかの人にも見せて自慢しようと考えているらしい。
「とにかく、私もう行くから」
日本である可能性をどうしても捨てきれなかった私は、最初テーマパークか何かと思っていた場所まで行ってみようと思っていた。
「おい待てよ。危ないぞ」
私たちのいるところから、少年のいう町までは、百メートルくらいだった。
私は少年の制止も聞かず、走り出す。
草地を抜け、町まであと十メートルというところで、広い道に出た。ただの土剥き出しの道だったが、私は人の文明に触れた気がして嬉しくなった。
しかし、異変はその時おこった。
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
耳をすますと、かすかに何か聞こえてくる。
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
それはだんだん大きく、近づいて来て……。
「何やってるんだ! 逃げろ!」
少年の声にはっとなる。左手から、黒っぽい馬車が猛スピードで突進してくる。
私は突然の出来事に、動けない。
ぶつかる!
私は思いっきり目を閉じた。