一章★1
朝の日差しが眩しかった。
私は目を細め、眼下に広がる眺めに見入った。
水平線に青々と続く海。
今、昇ったばかりの太陽。
「ここは、どこっ!」
断崖絶壁の上。私は途方に暮れた。
気がついたらここにいたのだ。
記憶喪失ってわけではないと思う。
「なんで、太陽が昇るの。今は夕方のはず」
私は学校の帰り、友達と別れて家路についた。
商店街の裏路地を通った時、たまたま家々が連なる細い路地を見つけて、近道かもと思い通ってみた。路地は狭く、入り組んでいた。
やっと出た、と思った時、目の前には海を臨む崖が続き、後方を見やると今まで通ってきた路地や家並みはなく、うっそうとした森が広がっているばかりだった。
それから小一時間、近くをうろうろしていたが、自分が迷子になったということくらいしかわからなかった。
そしてもう一つ。
水平線に半分程隠れていた太陽が、また顔を出している、ということ以外は。
それからしばらく太陽を観察していたが、時間が経つにつれて太陽は確実に上昇していた。
「朝、なの?」
私は自分のほっぺたをつねってみた。
「痛い」
それでも夢かもしれないと思った。夢じゃないと困る。だって、帰り道がわからないから。
早く帰って、時代劇の再放送が見たい。あれをおばあちゃんと見るのが楽しみなのだ。
それに、ここに迷い込んでから、ずいぶん時間が経ってしまったように思う。早く帰らないと、夕飯に間に合わなくなってしまう!
......本当に朝でなければ、だが。
「うー」
この状況に唸りつつ、森の方を向いてみた。
遠くからキィキィという鳥らしきものの鳴き声がする。
木々が入り組む森は、さっき少しだけ足を踏み入れたものの、得体のしれない何かがいそうで、すぐに引き返したのだ。
「やっぱり、崖を下ろう」
意を決して、崖の淵まで歩む。
下を覗こうとした瞬間。足元の岩が崩れ、数十メートルはあろうかという崖下に落下していった。
間一髪。私はすんでのところで後ろに跳びすさって助かった。尻餅はついたが。
「びっくりした! つかまって降りれそうなところもなさそうだし、やっぱり森を行くしかないか......」
制服のスカートをはたきながら立ち上がる。
太陽はずいぶん高い位置にきていた。あと数時間もしないうちに真上まで昇りそうだ。
そうして私は森へと足を踏み入れた。
そのときはまだ、思ってもみなかった。
これが、長い旅の始まりになるなんて。
森は広かった。そして暑かった。もう一時間は歩いているのに、
どこにもたどりつけていない。
「暑い。冷たい麦茶飲みたい」
つぶやいてみても、どうすることもできない。
「こんなに、歩いたの久しぶりだ」
高校の新入生歓迎遠足以来だと思った。
普段は家と学校の往復だし、部活はバトミントン部だ。あ、でも部活のおかげで瞬発力とか体力はついたかもしれない。
休憩のために立ち止まり、額の汗を拭う。
ただ歩くだけならいいが道さえないので、自分で道を作りながら歩く。
その作業とこの蒸し暑さが、確実に私の体力を奪っていた。
時には草むらに、蛇の尻尾を見つけてどきりとしたこともあった。
やぶ蚊の群れに襲われそうになったこともあった。
けれど何とか無事に歩き続け、ここにたどりついた。
「道だ!」
それはよく見ないと気づかないほどの、道と呼ぶにはいささか細く、草が少し薙ぎ倒されただけの山道だったのだが、私には天の助けだと思えた。
「この道をたどって行けば、この森から出られる?」
道は左右に伸びていて、それぞれの道の先を目で追ってみると、左は今来た方向へ、右は歩いて向かっていた先の方へと続いているようだった。
「左は戻っちゃうもんな。よし、右に行こう」
道を作る作業が格段に楽になった私は、鼻歌を歌いながら歩を進めた。
崖の上に立っていた時は、世界中で自分一人しかいないような錯覚を覚えたが、こうやって、人の作った道があったことで、少なからず安心できた。
きっと、どこかの山にでも迷い込んだんだろう。おかしい点はいくつもあったが、そう自分を納得させ、意識的に楽しいことを考えようと努めた。
早く帰って、麦茶を飲むんだ。そして、帰りが遅くなったことを家族に謝って、どれだけ苦労したかみんなに話して......。
そんなことを考えながら歩いていたので、周囲の変化に気づくのが遅れた。
だんだん、前方が明るくなっていたのだ。
森の匂いが変わったことで、私もようやく気づいて、拓けてきた道を走り出す。
つきあたりの木々の下は、またも切り立った崖になっているようだ。
木の間から見下ろした先に、町があった。
けれど、私の知っている町とは何か違った。
何というか......映画のセットみたいな木造の小屋らしき建物が並んでいる。
私は違和感を覚えたが、テーマパークか何かだろうと思い、右手に続く小道をたどり、町へ降りることにした。
道はだんだん道らしくなり、下へ降りる石を組んで造られた階段を見つけた。
手すりも何もない階段に、ひやりとしたが、眺めが良く、遠くまで見渡せた。
「わあっ」
思わず言葉が、口をついて漏れた。
遠くの山々まで見渡せる、絶景だった。
地平線まで、森が続いている。実際歩くと、きつくて辛い森でも、こんな風に眺めると、なんと雄大で清々しいのだろう。
そんなことを思い、ふと我に返る。
まてまてまて。んん? 地平線まで、森が続いている? 変だ。
私の住んでる町内......いや、市内にも、こんなに大きな森ってあったっけ?
そうだ。第一、こんな危ない崖の階段に、手すりがないのはおかしい。
「むむむ」
冷や汗が出てきた。
これは......嫌な予感がする。
「そうだ!」
ひらめいた!
さっき見た下のテーマパークで、タクシーをひろえばいいんだ!
そしたら、お財布は痛いけど、家まで乗せてってくれるかもしれない。
善はいそげ。
私は階段をおそるおそる降り始めた。
やっと地上に降り立った時だった。
左の方からいきなり伸びてきた手が、私を阻んだ。
「通行料」
「ふわぁう!!」
とっさに心臓をバクバクさせながら変な声で叫んだ。いきなりのことで、頭の回転が追いつかず、すぐ近く、左の岩陰に立っていた少年を凝視した。
「通行料を出さないと、ここから先は通れないぜ」
ぼろのシーツをまとったような服装の男の子で、同い年くらいだと思った。