日常の場合 1
「…というわけで本日から君の監査役となった嶺岡だ」
メガネをかけ、黒スーツに身を包んだ彼は見るからに冷徹そうで、そして仕事ができる雰囲気を醸し出していた。
その彼を見て、一瞬で目を左斜下に向け舌打ちをした。
嶺岡は言葉を続ける。
「君は先日依頼もないのに死者の言葉を、その死者への思いが一番大きい人物に対して話をしてしまった。
その行為について、この世界では咎められているのを知っているよね?」
さも当然かのように、あざ笑いながら嶺岡は男を見る。
男は面倒くさそうに、手近にあったソファにどかっと座りながら、けだるそうに返答した。
「あー、はいはい知ってますよ。
俺らが行っているのは、あくまでもあの世にいけない程強い気持ちをこの世に遺してしまった人の魂を救う事であって、依頼なしにそんなことはしちゃいけない、だっけか?」
「君も掟を分かっているのなら、なぜあんな馬鹿げたことをしたのですか」
嶺岡はやれやれ、といった感じでため息をつき、男を見る。
男はソファに座ったまま、仰ぎ見たまま口を開く。
「だって、資格を得られた人間だけじゃないっすか。
遺された者と、逝ってしまった人とを繋げられるのは。
思いを伝えられるのは。
それを、依頼がないからってことで禁止するのは、俺にゃあわかりませんよ。
というかわかりたくないんすよね。
俺らがこういう力というか、資格を得たのって…」
そこまでいってから、男は顔を下に向けながら自分の手をじっと見つめていた。
嶺岡も、彼の気持ちが分からなくもないのだ。
といっても、男の気持ちを尊重してしまえば、自分達の手には負えないものが出てくる。
それが上層部の意見で、それに則って行動せざるを得ない。
その行動は云わば枷。
現世にいた頃、生きていた頃、行ってはいけないとされているのに、してしまった者への罪。
一生以上もの長い時を、死者の声が耳に入るようになりながらも平然としていなければならい罰。
自分を殺してしまった者への。
「あー、俺らみたいな奴らでも資格を得られないやつっているんでしょ?」
男は頭をポリポリと掻きながら、嶺岡を見る。
「一定数に限られていますからね。
自殺者数は年々増加傾向にあり、全員を救済してはこちらがまとめきれずに暴徒を産む恐れがある。
その為に死者の声が聞こえない人達は一定年数を牢獄で過ごしてから、自由の身となり、転生します」
男は小さく、一定年数、と言葉を零した。
寿命がない彼らにとって、一定年数とは考えるだけでも悍ましい程の年数。
「まぁ、大体牢獄に入ってしまった人たち――――人と呼んでいいのか分かりませんが――9割方途中で発狂してそのままって感じですよ」
嶺岡が敢えて言葉を濁したのは、理由がある。
自ら死ぬ事を選んだ人間に対して、永遠にも近い命を持ち、長い年数狭い牢獄にいれば誰だって狂ってしまう。
それもまた、自殺してしまった者への罰。
その罰も過酷であり、その後は誰も知る由もない。
「私もそこそこの地位にいますが、発狂した人たちがどうなったかは極秘事項だそうで」
「なんで?
嶺岡ですら権限ないの?」
「あなたという人は、早々に人の名前を呼び捨てにしますか…。
確かにこのあたりの統括部長、という地位に立たせてもらっていますが、それでも極秘ですね。
役員にでもならなければ分からないんじゃないでしょうか」
「統括部長といい、役員といい、生きていた頃の会社を思い出す仕組みだよな、本当にさ」
「そうしたほうが一応組織として成り立ちやすいという理由があるそうですよ。
それぐらい勉強したほうがいいんじゃないですか?」
ちょっと皮肉交じりに嶺岡は男に対して言葉をかけるが、残念ながら男に皮肉は通じなかった。
「だって俺勉強嫌いだしさ。
たまたま資格があったからこうして上からの命令で動いたりしているけれどよ。
どうしても遺されて困った人を道端で見かけると、この力を持っているのに何も出来ないのが悔しくてさ。
ついつい声かけちゃうわけよ」
「だから私のような立場が監査役として傍にいるよう、上層部から命令が下ったわけじゃないですか」
嶺岡は大きくため息をついた。
「私の立場上、こんな事に付き合っていられるほど暇じゃないんですよ。
というかなんですか、ここは」
「いいじゃねーか、俺の好きな空間なんだからよ」
今まで会話をしていたのは、あの世とこの世の狭間に作られた男の個室だった。
ドアから入ってまず最初に目に入るのは、とても高くて幅が広い窓。
そしてその窓を覆うかのようにして分厚いカーテンが引かれている。
カーテンが引かれているのには理由がある。
両側にある、床から天井までの高さがある、ほぼ部屋一面を覆い尽くすような数多の本を大事にしているからだ。
そして本を読む為に――寝るのも兼ねてはいるが――ソファがあるだけの、一見殺風景だがとても窮屈に感じられる部屋だった。
「どんな風にレイアウトしても構わないとはいいましたが、もう少し本の数を減らしたら如何ですか?」
「ダメだ。
どうも俺は本に執着心があるらしいんだ。
捨てられもしないから、増えるだけでさ」
そこまでいったところ、警報が鳴った。
「この警報は収集の合図ですね。
とりあえず第一会議室に行きましょう」
「へいへい」
男はけだるげに、嶺岡の後ろについていった。