ばかで可愛い最愛の妹(4)
父上に自分の気持ちを全て告げ、ダーリエとの関係を改善させたいと頼んだボクへの返答は「もう少し待て」だった。
ボクの事を父上は決して突き放しはしなかった。
何処まで知っていたか分からない、ただ母上よりもボクの心情を悟っていたとは思うけど。
ボクが其処まで思い悩んだ元凶ともいえる人達に対する対処を考えている時の父上は正直、怖かった。
けどそれはボクが父上に愛されているという証拠でもあるはずだ。
……言葉でも愛していると言われたのでそれを疑う余地はないのだけれど、物騒だと思わなくもない。
ダーリエがボクの事で悩んでいるのは本人からの言葉で知っている……立ち聞きだと知られて父上に其処は窘められたけど。
一方通行だとも愛すると覚悟したダーリエに報いたいと思うボクにとってダーリエとの早く関係を改善したい。
と、そのような事を父上に言ったら、何故かダーリエからアクションがあるまで待てと言われた。
あそこまでの覚悟をさせてしまったのはボクの不明なのだから、ボクからアクションを行うのが良いと思うのだが、父上は別の所まで見えているらしい。
不思議に思い問いかけるボクに父上は「まだ大事なピースが揃っていないからだよ」と言った。
どうやらボクは未だ、何かを見落としているらしい。
それを見つけなければ自分からアクションを起こしても完全なる改善は出来ないと言う事、らしい。
「アール。お前は、その輪郭を掴みかけているよ。だからダーリエが何かをしてくるまでにそれを見つけなさい。……今までと言動は変えない事。わかったね?」
父上はボクに答えをくれはしない。
けれどボクが答えを導きだせるだけのヒントはくれる。
今回で言えば、ボクは無意識に必要な何かに手をかけていると言う事と今まで通り……つまりダーリエを遠目に見ている行為を変えてはいけないと言う事だ。
つまりダーリエを注意深く観察し、自分の記憶と心を整理して残りのピースを探し出せ、と父上は言っているのだ。
今回は父上の言葉に逆らう必要はない。
逆らわねばならない程理不尽な事を言われた訳でもないし、父上の言葉にしたがった方が良いと勘が言っている。
ただ逃避の要素がないか? と言われると少し後ろめたいけど。
ダーリエを遠目に観察し、あの娘がこっちを見た時は視線を逸らしたり、背を向けたり。
この作業は結構骨が折れた。
色々切羽詰まっていた時のボクならばダーリエの心情まで気を回す余裕が無かったから気づかなかったけど、ダーリエの寂しそうな悲しそうな視線はかなり痛い。
駆け寄って「ボクも愛しているよ!」と叫びたい衝動にかられつつ父上の言葉を守りダーリエを観察する日々。
これはこれで父上なりの罰か? とそんな事まで考えてしまったボクは悪くないはずだ。
けれど、こうしてダーリエを観察していく中である事が分かっていった。
ダーリエは変わった……あの時から。
攻撃を受けてついて長い眠りから覚めた、あの時からダーリエは「大人」になった。
今までだって貴族の娘として年よりも聡い娘ではあったが、子供らしい無邪気さも持ち合わせていた。
ボクも人の事は言えないけど、悪戯もしたし、その事で使用人や母上に叱られた事もある。
人を傷つける事は絶対にしなかったけど、貴族の人間としては自由を貰っていた気がする。
だから半成人とも言える【属性検査】の時までダーリエは無邪気で、そして周囲の言葉に傷つく幼さを持ち合わせていた。
ボクは自分の中にある感情から周囲の言葉を完全には無視できなかった。
けれどダーリエは人を疑うよりも信じたい、と言われた言葉を吟味して、ただの悪意だと分かり傷つく。
ボクはそんなダーリエが見たくはないから遠ざけて守っていた。
結果としてボクが取り込まれていれば意味が無いのだけれど。
長の眠りから覚めたダーリエはそんな無邪気が無くなった気がするのだ。
……違うな。
今でもダーリエは無邪気な一面を覗かせている。
ただ、自分の周囲を見て、状況を把握したり、悪意ある言葉を逸らす事を自然にやっているんだ。
思考が急速に成長したような、自分の言動が何を引き起こすかを見極める事を覚えたと言えば良いのか。
何方にしろ無邪気に悪戯をしていたダーリエではない、と思う。
あんな事があったのだから多少変わるのは仕方無い。
実際使用人の人達はあの痛ましい事件によって変わったのだと思っている。
けれど家族として、ダーリエを近くで見て来たボク等なら気づく……あれはそんなレベルのモノじゃない、と。
今まで気づかなかったのはボク自身に余裕が無かったがためだから、情けない限りだけど、少しばかり冷静になってみてみればすぐに気づく事が出来た。
今のダーリエは「前」のダーリエとは違う。
――そういえば、あの癖も無くなったな。
ダーリエは時々中空の『何か』と会話をするような仕草があった。
変わった癖だったけど、心を許した人間の前でしかしないし、対人関係に関しては、むしろ助かっていたから何も言わなかったけど。
その癖がダーリエから消えた。
まるでもういいのだと言わんばかりに……ダーリエの中に溶け込んだように?
馬鹿だなぁと思いつつ、そうすればしっくり来るのにな、とも思ってしまう。
『何か』はダーリエの無邪気で幼いが故に欠けていた部分を補っていたような気がしていたから。
今のダーリエはそんな『何か』で補った姿と思えば矛盾もないのに、と。
馬鹿らしい与太話だというのは分かっているけどね。
不思議と危機感も忌避感も無かった。
今のダーリエは「前」のダーリエと違う事は分かった。
けど「今」のダーリエが「前」と別人になったのか? と考えれば「違う」と結論が出た。
幾ら中身が大人びたとしても。
幾ら賢く合理的になったとしても。
ダーリエが可愛い妹である真実は揺るがない、とボクは思ったのだ。
冷静に考えれば、ダーリエの心中を聞いた時、ボクは「今のダーリエ」を良く知る人間を求めた。
多分、あの時には違和感を感じて輪郭を掴んでいたんだろう。
ただ自分に余裕が無いがために違和感を深く考えなかっただけで……むしろ此処を掘り下げると自分の切羽詰まっていた状況が明るみになるだけで落ち込むだけかもしれない。
と、同時に今のダーリエの言葉を聞いてボクは一歩前進しようと思ったのだという事だった。
深く考える必要は無い。
ボクはダーリエが可愛くて愛おしいのだ。
「今」と「前」を分ける必要すらないって事だった。
この結論が先に出てしまっているから忌避感も危機感も無かったんだろうね、きっと。
……父上もダーリエの事は気づいているはずだ。
じゃなければボクに「待つ事」を指示するはずがない。
しかも観察する事を付け足した上で、だ。
どういった理由で父上がダーリエの「真実」を知ったかは分からないけど、ダーリエから聞いたとは思えない。
勝手に心を読む【スキル】も父上は保持していないはずだ。
だから数多ある情報を選別して真実に辿り着いたって事なんだろうけど。
父上を乗り越えるための高き壁を目の当たりにした気分だ。
母上といい父上といい、妹といい、ボクの家族は一筋縄じゃいかない人達ばかりだ。
ボクも一員だと誇れば良いのか嘆けばよいのか……家族を愛しているのだから誇るべきかな?
どんなに話をこねくり回しても、結局はボクはダーリエが大好きで、それは「昔」と「今」なんて区分も意味が無くて、キースダーリエという可愛い妹をありのまま受け入れる、だけなんだ。
燻る感情に名前を付ける事で昇華する方法を模索する事が出来るようになった。
家族という掛け替えのない存在をボクは心底嫌いになれるわけがない、と改めて理解した。
急に大人びた、それでもお転婆で変わり者の妹をボクはありのまま受け入れていた、と気づいた。
色々な過程を経て悩んでボクは欠片を集めた。
その欠片出来た「絵」はボクにとっては大事で綺麗な出来だった。
ボクだけが見れる、ボクだけの心の絵画。
それをボクは忘れない。
此処に至るまでの葛藤も自己嫌悪も……悲しみや怒りすらボクにとって無駄なモノでは無かったのだから。
もし……もしこれを忘れてしまえばボクは今度こそ取り返しのつかない事をしてしまうだろう。
……これはボクにとって成果であり戒めだ。
こうやって受け入れる事が出来たボクは驚く程スンナリと妹の全てを受け入れる事が出来た。
妹の考えを聞く最中、時折胸が痛む事はあった。
ダーリエにかけた負担の事でもあったし、その時感じたボク自身の苦しみの記憶が蘇った事でもある。
けれど、受け入れる事が出来た。
ボクは遠回りだとしても時間が必要だったのだとダーリエの話を全て聞いて思った。
ボクは真摯に、そして出来るだけ自分の心境に相応しい言葉でダーリエにボクの気持ちを告げる。
形の無いモノを言葉にしているから難しい事だったけれど、出来るだけ沿うように告げる事が出来たと思いたい。
多分一番伝えたい事は伝える事が出来た――ボクはどんなダーリエだろうと愛おしいのだと。
ボクに気づかれているとは思ってもいなかったのかボクを見上げる表情には怯えが感じられたけど、その表情は悪戯がバレてボクに叱られる事を怖がっている無邪気なダーリエと全く同じで……これで別人だと判断する方が難しいと思うな、と少しだけ思った。
「お兄様、大好きです!」
涙に濡れ、それでも親愛の光に輝くダーリエの眸は夜に佇む星映る湖面のようで美しかった。
「ボクも大好きだよ、ダーリエ」
ようやく言葉にする事が出来たね、大好きで大切な可愛い妹-キースダーリエ-
その後ダーリエが「今」のダーリエになった経緯を聞いたんだけど、まさかボクが考えていた絵空事が答えに近かったとは。
自分でも有り得ないと思っていたのに。
ダーリエに言わせると『真実は時に物語より奇なり』って事らしい。
成程なぁと思ったね。
全てを話してくれたダーリエは「……信じて下さいますか?」なんて聞いてきた。
大丈夫だと分かっていても恐怖は消えない。
そんな事は当たり前だし、ならダーリエの不安が消えるまで何度でも伝えるだけだ。
「信じるよ。お前は可愛いボクの妹だよ」ってね。
夕食の時間までボクはダーリエと他愛のない話に興じた。
今までの時間を埋めるような優しい時間を過ごす事が出来たと思う。
それにしても『前世』を思い出したと言う形だからか、ダーリエと根本的な所は何も変わりがないように感じた。
育ちによって性格は変わるだろうから『ダーリエの前世』はボクの知るダーリエとは違うのだろうけど、根底は変わらない。
話しているとそれがよくわかった。
……父上は本当にどうして分かったのだろうか?
夕食の時間父上と母上に和解した事を指摘され驚いているダーリエとは違い、ボクは全てお見通しなんじゃないかと思う父上達に溜息をつくしかなかった。
本当に越えるべき壁が高いなぁと思う。
だからと言って超えないなんて選択肢はないのだけれどね。
何時か超えてやるという気持ちと両親が偉大である事への喜びと様々な感情を抱きつつ、ボクは苦笑して泣きそうなダーリエを慰めるのだった。
可愛くて愛おしいボクの妹。
そんな妹の道が別たれる事がなくて本当に良かった。
その晩ボクは少しだけ不思議な夢を見た。
ボクよりも少し成長したボク自身と対峙する不思議な夢。
その夢の中で大人のボクは羨望の儚い笑みを浮かべてこう言った……「お前は間違えるなよ」と。
朝目覚めた時、他にも言っていた色々な事は覚えていなかったけど、その言葉だけは忘れられなかった。
そして「ボク」が浮かべていた羨望と渇望の笑みも。
……あれが別たれた未来のボクだったのだと知るのは、大分後、ダーリエとある女性を中心に『運命』が動き出した時だった。
それを今のボクが知る術は無かったのだけれどね。