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最後の時まで地の底では天へと行く事ができると思ってくれた優しき呪術師殿に幸あれ(3)




 沈黙の後、向かいから大きな溜息が部屋に響いた。


「全く。とんでもない話をしてくれたもんだねぇ」


 聞いちまったあたしもあたしなんだけどね、とぼやく呪術師殿。

 だが、その表情には恐怖も不安も無く、ただ呆れている様子だけが見える。

 私の話を信じていないのではない。

 話を信じながらも、飲み込み受けとめたのだ。

 その胆力と覚悟には感嘆の一言だ。

 呪術師とは皆彼女のように強いものなのだろうか?

 呪術の才能を持つ者との違いはこの“強さ”なのだろうか。

 かの青年と呪術師殿は違う。

 だが、一体それは何が原因なのだろうか?

 私は自分の疑問のままに口を開いた。


「聞いても良いだろうか?」

「何をだい?」

「呪術師とは皆、貴殿のようなのだろうか?」

「あたしのような? ってのは?」

「どう言えばいいのだろうか? ……そうだな。私は【呪術】の才を持った若者を知っている。だが彼は呪術師ではなかった。ならなかったのかなれなかったのかを知る術はないが」


 狂気と正気の狭間にいたが故に苦しんでいた若者。

 生前、私は彼に憎しみや呆れよりも憐れみを感じていた。

 何とも不安定で、憐れな存在だと思っていたのだ。

 彼と目の前の呪術師殿は明らかに違う。

 【呪術】という才能を持っているという始まりは同じだったのだろうが、最終的には真逆の末路を辿ったと言っても良いだろう。

 一体その違いは何なのだろうか?

 目の前の呪術師殿の強さとあの若者の弱さを感じるたびに、そんな疑問が浮かんだ。

 私の曖昧な感覚から出て来た疑問に呪術師殿は面食らったようだったが、直ぐに答えてくれた。


「呪術師になるには【呪術の才】以外にも必須のスキルがあるのさね。けど、あんたが言いたいのはそういう事じゃないみたいだねぇ。そうさね。その若者とやらは貴族様なんだろう? だからじゃないかい? 大抵の貴族はあたしらのような【呪術】の才能を持つ者を疎むもんだからねぇ」


 あっさりとした物言いだが、そこに含まれた苦しみを感じ取るには充分だった。

 確かに、あの若者は自らの呪術の才を嫌っているようだった。

 それだけとは思えないが、確かにそれもあるのだろうと数度頷く。

 呪術師殿はそんな私を見て苦笑した。

 

「そういえばあんたも貴族だってのに、呪術師が疎ましくはなかったのかい?」

「疎む? そのようなこと考えたことも無かったな」


 あの愚か者は手駒と称した若者の呪術を活用していた。

 嘗ては生涯の友とすら言っていた者の扱いの惨さに狂気に囚われていた生前の私すら眉を顰め愚か者に対しての嫌悪を深めていたが。

 彼に関して言えば多彩な術の数々に僅かながら恐れは感じたが、それでも疎ましいとは思わなかった。

 自分に関係のないことだということもあったが、それ以上に才能を持ちながら、それを伸ばすことなく疎む気持ちが理解出来なかったのだ。

 

「どれだけ非道な才能を持っていたとしてもあの一族の者以上に悍ましいものは存在しない。むしろ多彩な術に感心すらしていたが」


 私は剣の才には恵まれたが魔法の才は無い。

 下級の魔法を使える程度だ。

 だからか、どんな才能だろうと伸ばせば良いだろうに、とは生前常々考えていた。

 はっきり言い切った私に呪術師殿は驚いた顔になる。

 そこまで驚くことを言った覚えはないのだが?


「あんた、変わっているって言われなかったかい?」

「そのようなこと言われたことはない」

「そうかい。けど、あんた貴族としては結構変わり者だったと思うよ。一般的な貴族はね【呪術】の才能を持つ者を疎み怖がるのさ。自分の地位を脅かすことも可能な力を持つ者をね。――呪術の才能が分かった子供の行く末は何だと思う?」


 口元は笑みをすいているが、目は真っすぐ私を見据えている。

 痛みと怒りが宿った眸に子供達の行く末の一端が垣間見えた気がした。


「そうさ。教会に預けられるのは良心的さね。場合によっては家に監禁。最悪は……そんな子供は“居なかったこと”になる」

「愚かだな。いや、自分の敵に敏感な貴族らしいと言うべきか」


 私は田舎貴族の末子であったために、見下されはしたが、そういった敵意を向けられたことはなかった。

 一族が処刑され、当主となった時も取るも足りないものとして捨て置かれていた。

 近衛隊の隊長になった時ぐらいだろうか?

 一時期周囲が煩かったのは。

 だから周囲に攻撃され、身の危険を感じたことはない。

 だが、貴族の中に身を置いていたのだ。

 政敵に対する陰湿な攻防のことは知っている。

 子供とは親の駒であるとみなす貴族が多いこともだ。


 だからこそ子を愛する陛下、そして忌々しいが子供を全うに愛する宰相を眩しいと思う反面人間らしいと思っていたのだからな。


 陛下の友として君臨する宰相に羨望を感じていた。

 だが、少なくともその点では認めていたのだ。

 子供が女狐であることをしるまでは。


 ソウダ、アノ女狐メ。

 アア、憎シミガアフレデル。

 陛下、殿下、ソノ女狐カラオハナレ下サイ。

 ソレハ決シテ善キモノデハゴザイマセン!

 

「落ち着きな!!」


 パチンと音がし、視界が鮮明になる。

 こう何度も起これば私でも気づく。

 また私は呑まれかけたのだ。

 

「また、か」

「そうさね。あんた。どうやら負の感情が溢れ出るのに切欠があるみたいだね?」

「そのようだ」

「成程。これは厄介だねぇ。あんたが上に昇るにはそれを解消することが必要かもしれない」

「……そうか」


 私は死後もあの女狐に振り回されるということか。

 あの女狐への憎しみを捨てることは難しい。

 逆恨みなのは重々承知だ。

 だが、私は殿下、ひいては陛下にあの女狐を近づけたくはなかった。

 

 ――あの女狐は陛下に不幸をもたらす可能性があるのだから。


 どう転ぶかは分からない。

 それでも、少しでも可能性があるのならば排除したかった。

 

 もはや、それは叶わぬ願いだが。


 私は呪術師殿に眼を向ける。

 彼女は私の話を聞いて信じてくれるだろうか?

 相手が貴族だとしても、私の祈りを聞き遂げてくれるだろうか?


 これまで以上に荒唐無稽な話を。


「貴殿はラーズシュタイン家の令嬢を知っているだろうか?」


 だが、今の私には彼女に話をし、祈りを託すことしか出来ないのだ。

 呪術師殿は貴族ではないのではないかと思う。

 だが、貴族の事情に精通している所を見ると貴族と関わりがあるのだろう。

 ならば、警告を彼女に残すことは出来るのはないだろうか?

 祈りを託すどころか話すこと自体私の自己満足だ。

 既に死した者の言葉など何の価値もない。

 だが、この地に私が残っている楔があるとすれば。

 

 誰も良いから、あの女のことを警戒して欲しかった。


 突然の話題に眉を顰めたが、私の「心残り」なのだと悟ったのだろう。

 言葉を遮ることは無かった。


「いや、今は知らずとも構わない。だがこれだけは忘れないで欲しい。――あの女狐は国にとって危険分子になり得るのだと」

「……まだ子供だと聞いているんだけどねぇ」

「ああ。それは知っていたか。そうだな。確かに外見は幼子だ。だが外見に惑わされてはいけないのだ。彼女は『巡り人』なのだから」

「めぐりびと?」

「『稀人』や『落ち人』と言われる存在は知っているだろうか?」

「確か異世界からやってきた存在だったっけねぇ。けれど、あれは御伽噺じゃなかったのかい?」


 『稀人』や『落ち人』とは異界からの来訪者の総称だ。

 こことは何もかもが違う世界からやってきた存在。

 大半の人間は御伽噺の存在だと思っているが違う。

 実際に『巡り人』は存在するのだ。


「御伽噺ではない。異世界からの来訪者は存在するのだ。……実際我が一族の先祖は『巡り人』だったのだからな」

「っ!?」


 我が一族、最大の秘事。

 異世界からの来訪者、そして『異界の知識』を持つ人間。

 そういった『世界を巡ってやって来た人々』を先祖に持つこと。

 我が一族が生涯に渡り王家にすら隠し通した秘密だった。


「遥か昔、当主一族は一人の稀人を保護した。その後の経緯を詳しく知る術はないが、稀人は我が一族に入り、私にもその血が流れていることだけは分かっている」

「当時の王家に隠したってことかい?」

「ああ。理由は分からないが、他の史料を探した所、当時の王家はあまりよくは書かれていなかったことを考えれば分かる気もするが。絆されたか、利用価値があると考えたのか。どちらにしろ稀人を取り込んだことは一族の中でも秘事とされた」


 考えれば考える程笑えてくるものだ。

 遥か昔、既に我が一族は王家への忠誠を失い背いていたのだから。

 結局、その末裔である私も陛下の命に背き放逐され、我が一族は滅んだ。

 不忠義者の一族は滅びるべくして滅びたというわけだ。


「これは代々続く書物に記されていたものであり、手記だった。嘘を書き連ねる必要もないことから事実だろう。私が当主になった時に焼き捨てたので現在は既に残っていないがな」

「それで? どうして令嬢様が巡り人だと分かったんだい?」

「一つ訂正しておくが、正確に言えばあの小娘は事実ラーズシュタイン家の実子だ。ただ『異界の記憶』を持っている点で『巡り人』と分類されるが」

「それこそ、どうして分かったんだい? それが分かる程の関わりがあったとでも?」


 流石に訝し気な彼女に私も苦笑する。

 巡り人の存在を肯定しただけで凄いことなのだ。

 だからこそ、ようやく出て来た否定的な感情に少しばかり安心してしまった。

 目の前の呪術師殿がようやく人なのだと思えたのだ。

 我ながらおかしなことだとは思ってはいるが。


「いや。だが、宮廷の噂に貴族だからこそ集められた情報。その上で本人と会えば理解することは容易かった」


 勘などという曖昧な理由もある。

 先祖に巡り人が居るからだろうか?

 私はあの女狐に初めて対面した時感じたのだ。――『同じ』なのだと。

 どうやらあの女狐は全く気づかなかったようだが。


「外見に不相応な言動は分かりやすいからな。他にも色々理由はあるが、それが一番だな」

「ふーん。……うん。取り敢えず令嬢様が特殊なのは分かったよ。けど不穏分子とは聊か大袈裟じゃないかい?」

「過剰な警戒なのかもしれない、とは私も思っている」

「おや? 随分簡単に認めるもんだね? あんたが憎しみを募らせて、この地にいる理由だってのに」


 意外そうな呪術師殿に私はもう一度苦笑した。

 分かってはいるのだ。

 自分の中にものが逆恨みや八つ当たりに近い感情であることは。

 現にあの小娘は殿下を良き方向へ導いた。

 あの憎き王妃に隙を与えたのも小娘だ。

 王家に良き影響しか与えていない存在を過剰に警戒することはない。

 ああ、私とてそんなこと分かってはいるのだ。

 だが『巡り人』は良き風も運ぶが悪き風も呼び込む存在であるという事実がどこまでも私を縛る。

 実例があることもそれを後押しするのだ。

 そう、稀人により一度、我が一族が道を踏み外しそうになったような実例が。


「稀人の知識は画期的なものばかりであったらしい。最初は良かった。領地が富み領民は笑顔が増えた、と記してある。だが、稀人の知識は先を行きすぎていたのだ。まるで未来を見て来たかのような知識に不相応な夢を見る者が現れるのも仕方のないことなのだろうな」


 画期的で先進的である知識を使い周囲への影響力を高める。

 どうやら最初はそんな願望からだったらしい。

 だが成功してしまえば歯止めがきかなくなる。

 欲望とは際限なく溢れ出るものなのだから。

 止めることの出来ない欲望は遂に稀人のある政体を聞いた時に振り切れてしまった。


「稀人の世界は民衆が採決により頂点を決める『ミンシュシュギ』という政治形態を取っているらしい。当時王家に不満のあった者達にとっては耳障りの良い悪魔の囁きだったろうな。多くの人間がこの考えに飛びついたらしい」


 王を頂きにおき貴族という階級が当たり前の私にとってその考えは良いのか悪いのか分からない。

 だが、王家を倒し、民衆に政治を任せるなど狂気だと手記を読んだ時背筋が凍った。

 手記の主も私と同じ考えだったのだろう。

 恐怖にか文字が歪んでいた。


「それを知った当時の当主は愚かな考えを持つ者を排除し、全ての責任を自分達が背負い当主の座を退くことで問題を王家に知られることなく収めた。運が良かったのだろうな。王家に知られる前に問題が発覚したのだから」


 稀人に悪意は無かったと書かれていた。

 ただ故郷の話を聞いてくれるのが嬉しかったのだと。

 何と無防備なことだろうと思った。

 未知の知識はそれだけで武器となる。

 知識を持つ者がそれでは利用され使い潰されるだけだ。

 決して実現しない夢を見させたことを無邪気と言っていいのか?

 私には稀人にも非があるとしか思えなかった。

 無知故に反乱の一歩手前まで行ったのだから余計にそう思った。


「手記の主は最後まで稀人を庇い、運命を共にした。確かに稀人は善人だったのだろう。だが、だからと言ってなにもかも許されるわけではない。手記には最後に稀人に関してこう記してあった――「稀人は無邪気に無防備な者。善き風も悪き風も呼び込むことが出来る者也。愛しき子孫達よ、稀人を警戒しろ。決して見逃すな。稀人の全てが、彼女ように善良とは限らないのだから」と」


 それは後世の私達に向けた警告文だった。

 手記、そして実際に対峙した私には手記の主の気持ちが良く分かった。

 あれらはこの世界にとって『異端』なのだ。

 

「あの小娘は今の所良き風を呼び込んでいる。それは事実であり、今後も悪き風は呼びこまないかもしれない。だが、危険分子である事実は変えられないのだ」


 もしも、あの小娘が悪しき風を吹かせた時、子供を、それも自らの子を全うに愛する宰相が始末することが出来るだろうか?

 ――出来るはずがない。

 愚かだが、それだけ愛情深いのだと言う羨望もある。

 陛下とて変わる切欠を齎してくれた小娘に感謝の念を抱いたのだろう。

 殿下など小娘を既に友として……それ以上にすら思っているかもしれない。

 知った時には遅いと分かっていた。

 今、引き剥がしても傷は浅くはない。

 だが致命的ではないと思っていたのだ。

 だからこそ今すぐに引き剥がさないといけないと思っていた。

 それが『知った者』の役目だと信じて疑わなかった。――私はそれ以外の事実には全て目を瞑ったのだ。

 

「私には小娘が陛下を傷つける女狐にしか思えなかった。何時その無邪気さで悪しき風を呼び込むのか分からない危険な存在だと、それ以外には見えなかったのだ」


 私があの小娘を女狐と呼ぶのは「殿下を誑かす女」と言う意味合いよりも「無邪気に周囲を翻弄する危険分子」と意味合いが強かった。

 後者の理由など言っても理解は求められないがために前者の理由で罵倒していたが。

 周囲からすれば幼子におかしな罵倒をする狂人に見えていただろう。

 私がどう思われようとも良かった。

 ただあの女狐が陛下を傷つける前に、これ以上陛下の傷が深くなる前に排除したかった。

 ――私自身が狂気に呑まれ、目的が女狐を排除することに重きを置くようになるまでは。

 

「だから私はあの小娘を排除したいと。「稀人を排除しろ」と考えながら死したのだ」


 私をこの地に縫い留めているとすれば女狐を排除することができなかったことへの不甲斐なさと部下、特にアズィンケインに対しての悔恨だろう。

 後は、きっと何故宰相の子として産まれ、陛下に近づいたのだという怒り。

 理不尽だと分かっていても嘆かずにはいられなかった。

 何故、あの愚かな程愛情深い男の子供として産まれたのだと。

 怒り、憎しみは未だに私の自我を奪おうと蠢いている。

 だが、言語化したことにより、収まる所に収めることができたのか先程までのように主導権を奪われるまではいかなかった。

 これが他者に話すということなのか、と思った。

 他者に話をしただけでここまで心持ちが変化するとは。


 考えてみれば、私は誰かに相談などしたことがない。勿論一騎士であった時代は教育係や上官に様々な相談をした。友人もいなかったわけではない。だが誰にも話せぬ秘密を抱え、先祖の手記の内容を知り、私は何時しか誰にも話せぬことばかりになってしまった。もしかしたら、それが負担となり、更に私の視野は狭まっていったのかもしれない。


 感情が言語化され未知のものではなくなり、収まる所に収まった。

 だからか今の私は驚く程負の感情を制御することができる。

 死後まで学ぶことがあるとは驚きだ。――生前出来なかったと言う憂いに見ない振りをした。

 最後まで話しを聞いた呪術師殿は困った顔をしていた。


「あんたが上に昇るにはかの令嬢をどうにかしないといけないってことかい? そりゃ難しいこと言い出すもんだ」

「いや。むしろ今あの小娘が排除されては困る。今のアズィンケインの主だからな」

「ん? あんた部下を子供のように可愛がっていたって言ってなかったかい? なのに憎い娘の所にいるのにいいのかい?」

「稀人を排除しろと思っていた私が言うのも何だが、アズィンケインを小娘に託したのも私だからな」

「意味が分からないねぇ」


 本当に分からないと言った顔をしている呪術師殿に私はすまないと思いながらも笑ってしまう。

 私自身矛盾しているのは分かっている。

 だが、アズィンケインを託せる相手はあの小娘以外にはいなかったのだ。

 あの時、私の意図を悟り、狂気の中の正気に気づいた小娘以外には。


「理由は私も分からないが、最後に対峙した時、狂気の中にあった真実に気づいたのがあの小娘だけだったのだ。アズィンケインの性格を考えても、境遇を考えてもあの小娘以外に託せる相手はいなかった。それだけだ」

「憎いだけじゃなく認めてもいるってことかい? そりゃ尚更どうしたもんだか」

「問題は無い」


 負の感情から完全に主導権を奪ったからか。

 今の私は上に昇る方法が分かる。

 手を見てみると透け机が見えていた。

 そんな私を見て呪術師殿は驚き、苦笑した。


「あんた。……全く勝手なもんだね。好きなことを話しておさらばかい?」

「私を退治しなくてすんでよかったではないか?」

「くくっ。確かにそうさね。あんた程の力量の亡霊が魔物化したら相当厄介だからねぇ」


 呆れたように笑う呪術師殿に私も微笑んだ。

 生前に彼女と出逢っていたら?

 ……いや、生前では契約により話すことは出来なかった。

 やはり今こうして出逢ったからこそ私は彼女こうして向き合っているのだろう。

 僅かに浮かんだ後悔を振り払う。


「呪術師殿」

「なんだい?」

「貴殿は貴族に関わりがあるのだろうか?」

「そうさねぇ。あると言えばあるさね」

「そうか。ならば、あの娘と関わる時は気を付けろ。善きも悪きも変わる切欠を呼び込むのが稀人という存在なのだから」


 呪術師殿が変わることは無いだろう。

 これほどまでに自分を確立しているのだから。

 陛下を頼むなんて烏滸がましいことは言えない。

 アズィンケインは小娘に託してしまった。

 今更陛下と殿下から引きはがすことなど何人にも出来ないだろう。

 だからこれは私の勝手な願いだ。

 無邪気な稀人が悪き風を呼ばないように。

 もしも呼んでしまった場合、直ぐに気づいて欲しい。……少しでも被害が広まらないために。

 

 私の言葉に呪術師殿は少し困ったようだったが、その笑みは直ぐに苦笑になった。


「そうさね。味方にも敵にもならない、見極めることの出来る立ち位置になると誓う……で構わないかい?」

「ああ。それで十分だ」


 きっと呪術師殿は小娘と会うことのできる立ち位置にいる。

 もしかしたら既に会っているかもしれない。

 その上でこんな願いを託すのは酷かもしれない。

 だが、そんな私の身勝手を全て承知の上で自分に出来る最大限の言葉で誓ってくれた。

 

 ああ。それだけで十分だ。これで私も上に昇れる。


 体が空気中に溶け込んでいくのが分かった。

 私は立ち上がると手を差し出す。


「呪術師殿。貴殿に私は救われた」

「別に大したことはしてないさね。亡霊の騎士殿」


 あれだけの話を聞いたのに私を騎士と呼んでくれるのか。

 握られた手から熱が感じられないことだけが少しだけ悔しかった。


「優しく強い呪術師殿。貴殿の今後に幸あれ――――ありがとう」


 温かい気持ちに包まれながらも意識が解けていく。


「安らかに眠りな――忠誠心高き亡霊の騎士殿」


 呪術師殿の優しい言葉を最期に私の意識は白き闇へと消えていった。






 空気の中に溶けるように消えていった亡霊の騎士がいた席を呪術師の女はどこか呆れた様子で見ていた。


「全く。言いたいことを言いたいだけ言って昇っちまうなんて。どこまでも身勝手で……それでいて不思議な男だったねぇ」


 女が亡霊を見掛けたのは墓地だった。

 最初はおかしいとは思わなかった。

 死した人間は最初自分が死んだことに気づいていない例があるのだ。

 亡霊もその類だとしか思わなかった。

 このまま昇るか誰かの守護をする霊になるか。

 どちらにしろ放っておいても問題はないと女は判断した。

 それが間違いであり声をかけることになったのは亡霊が突然悪霊になりそうだったからだ。

 呪術師は【呪】を視る眼を持つことが必須となるのだが、魔眼は霊体も視える。

 故に悪霊化しそうな霊体に対して上へ昇るように説得する。

 又は強制的に排除する。

 それが呪術師の職務の一つであった。

 女が亡霊に声をかけるのはそういった経緯である。


「とんでもないことばかり残していったねぇ」


 王家ととある一族の密約。

 『巡り人』と言われる稀人達の話。

 

 どちらも女にとっては初耳であり、誰にも話してはいけない秘密の話でもあった。


「まぁそんなもの今更さね」


 呪術師である女の元には後ろ暗い話など数多転がり込んでくるのだ。

 彼女が学園に勤め貴族子女達と関われば余計にそういった情報は集まって来た。

 そのどれもが外に漏らすことは決して出来ない密事である。


「それにしても……変わった男」


 貴族らしく傲慢な考えが見えたかと思えば大抵の貴族のように呪術師を嫌悪しなかった。

 国の騎士としては不適格もしれないが、陛下というただ一人のための騎士としてどこまで清廉だった。

 あの令嬢を何処までも嫌悪しながらも自分の大切な“子”を託す程には認めていた。

 矛盾だらけの男だった。


「似てる、なんて言ったら双方嫌な顔しそうだけどねぇ」


 女は令嬢と少しだけだが話をしたことがある。

 むしろ女は令嬢に好感を持っていたぐらいだ。

 だが、女は亡霊の騎士にも悪意は持たなかった。

 多分両者は敵対したのだろう。

 どういった経緯かは分からない。

 だが、きっとお互いに良い感情など抱かなかっただろう。

 女にとっては両者ともに矛盾を内包した魅力的な存在だが、それを他に知る者はいない。

 

「稀人の特質性、なのかねぇ」


 興味深い話だと女は思った。

 学園に居る以上女も研究者の端くれだ。

 好奇心は人以上だ。

 女は口元を吊り上げて立ち上がった。


「さぁて。騎士殿と約束したし、あたしは中立でいようかね」


 騎士を知らなければ女は令嬢に肩入れしただろう。

 だが、好奇心を刺激された女は傍観することを選んだ。

 風を呼び込み騒動の中心となるであろう令嬢を観察するために。

 場合によっては手助けし場合によっては排除できる立場にその身を置くことを決めた。


「まぁ何だかあの亡霊騎士殿は地上に戻ってきそうな気がするけどねぇ」


 一度上に昇った霊体が地上の人間を守護するために戻って来た例は存在する。

 女は何となく騎士も同じ道を辿るのではないかと思ったのだ。


「それこそ先は神のみぞ知る、さね」


 女――ヴィアリッツ――は不敵な笑みを浮かべたまま部屋を出ていった。

 後には呑まれることなくコップが二つ残っている。

 コップから滴る水滴がピチャンと音を立てたが、そのまま無人の部屋の中に解けて消えていく。

 後には無音の空間が残っているだけだった。




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