問題は残れど事態は収束……かな?(4)
真っ暗な空間に居たせいか、薄暗いはずの部屋の灯りでも目が痛く、目を細めてしまう。
ガラスが壊れるかのように消えていった空間から抜け出し、踏み出した一歩は何故か後ろから誰かに抱きしめられてからぶってしまった。
驚いて後ろを見るとお兄様の金髪だけが見える。
肩に感じる温かい水の感触にお兄様が一目憚らず泣いている事に気づき、気まずく口を噤む。
あの時、あれが最善だと思っていた。
……違う、今でも最善だと思っている。
けれど、私にとって最善の行為はお兄様が貴族である事を放棄してしまう程の衝撃を与えてしまった。
その事が嬉しく感じてしまう所、私も大概だ。
足をつき、お兄様の腕を緩めると振り返り、今度は私からお兄様に抱き着く。
その時、見えたお兄様の表情に嬉しさとは別に罪悪感も感じてしまう。
お兄様は年々貴族らしくなっている。
感情をそのままに表に出す事も無くなり、少なくとも屋敷以外で此処まで感情を露わにしている姿を見た事は無い。
けれど、お兄様だって『わたし』にしてみればまだまだ子供の歳なのだ。
お兄様自身が努力し、貴族らしさを身に着けていっているだけで。
それを一時的にとはいえ忘れる程――放り出してしまう程――の事をしてしまった事に悔いる気持ちは消せない。
「……お兄様、申し訳ありません」
「お前は本当に簡単にはまもらせてくれないよね」
顔を上げたお兄様はもう泣いてはいなかった。
目元が赤い事だけが泣いていた証だった。
「助けてくれてありがとう。けれど、どうか僕にもお前をまもらせてくれ。僕の可愛いお姫様」
困ったように笑うお兄様に私は「約束はできませんけれど、善処致しますわ」と返す。
約束は出来ない。
同じ状況なら、やっぱり私は同じ事をするだろうから。
お兄様には出来るだけ嘘はつきたくない。
精一杯の誠意でもって言った私の言葉にお兄様は苦笑なさって額をコツンと叩かれた。
「お前をまもるためにはもっと努力しないとだめってことだね。頑張るしかないか」
「ワタクシとてお兄様を護るための努力は欠かす事は出来ませんわ。そうでしょう? ワタクシの大切なお兄様」
お兄様と微笑み合っていると何処からか咳払いが聞こえて来た。
「どーでもいいけどよー。オマエ等、恋人同士みてーに見えるぞ?」
クロイツに突っ込まれて、この場には他に沢山の人が居る事をようやく思い出す。
慌てて辺りを見回すと苦笑する殿下達に視線を彷徨わせている騎士達。
そして多分後ろには未だに元凶がいるはずだ。
ああ。他人を侮っちゃいけないと思い直したばっかりなのに。けど、お兄様を後回しには出来ない。
幾ら今回の元凶でありサイコだとしても、優先度がお兄様より高くなる事はない。
……こういう所が私が貴族になり切れない理由なんだろうけど。
取り敢えず色々棚に上げておかしな事を言ったクロイツの額を弾く。
「クロイツ。お兄様はお兄様です。ワタクシの最愛の家族ですわ」
「へーへー。通常どーりな訳だ。……ってことで、だいじょーぶみたいだぞ?」
クロイツに言われてルビーン達が近づいてきたり、殿下達も部屋の中に入って来た。
「そう言えば、インテッセレーノ様は大丈夫ですか? 苦しそうでしたけれど」
「え?! え、はい。大丈夫です! 魔力をもっていかれただけですので」
声をかけられると思わなかったのか、インテッセレーノさんが直立たちの上何時もの口調が吹っ飛んでしまった。
あ、いえ。
そこまで構えなくても良いのですけれど。
え? もしかして、私って人の事を一切気づかえない人間だと思われてます?
一応、自分や懐に入っている人間に危害を加えない人ならそれなりに対応してると思うんですけれど。
問い詰めて、突き詰めたい気分なんだけど、それどころじゃないか。
何とも言えない気分になりながらも話を進める。
「魔力を? つまり、部屋に施されていた魔法陣は魔力を吸収し発動するモノだったという事なのでしょうか?」
「多分そういった類のものだと思います。と言いましても、僕達は魔法陣が発動しキースダーリエ様が黒い空間に閉じ込められた事しかわかりませんでしたが」
「中の声などは聞こえませんでしたの?」
「はい。黒い物体に触れましたが、不愉快な音が頭に響き、長時間触れることも出来ず、剣で切りかかってもものともしませんでした。……発動者は拘束しましたが、彼は解除できないなどと宣いまして。そろそろ穏やかではないお話合いをしなければいけないかと思い始めていた所ですね」
笑顔で言う事なのかな、ノギアギーツさん?
やっぱりこの人、腹に一物あるタイプだよねぇ。
どうやら研究者気質のようだし今後はもっと警戒しなければ。
私が『前世の知識』があるとばれたら色々大変な事になりそうだし。
そういう意味では中の声が聞こえなかったのは助かった。
それだけは良かった。
「触れた時に聞こえたのは、意味のない音でしたの?」
「はい。ただ不愉快と感じるだけでしたね」
「そうですか。……ワタクシはその音が“声”として聞こえていましたわ」
「……内容をお聞きしても?」
何処か躊躇した様子のノギアギーツさんに苦笑して頷く。
「自らの身に起こった悲劇を嘆いている声、と言えば伝わります?」
「何となく、ですが」
「真っ暗で平衡感覚すら失いそうな場所で声が聞こえてきましたの。自分を踏み台に幸せになった幼馴染を前に嘆く女性の声。事故で片腕を失い怒り悲しむ男性の声。周囲に無視されて途方に暮れる青年の声。皆、自らに降りかかった悲劇を嘆いていましたわ。それが記憶と共に声として襲ってきましたの」
苦笑して話すと手に温もりを感じた。
横を見るとお兄様が心配そうな顔で私を見ていた。
私はお兄様に大丈夫だと微笑みを返す。
「大丈夫ですわ、お兄様。あの空間の意図は分かりません。ですけれど、きっとあの負の感情を浄化、又は排除しないと抜け出す事は出来ない空間だったのだと思いますわ」
「つまり、キースダーリエ様はその声を浄化なさった、と?」
何方かと言えば【浄化】は光属性の魔法に属する。
闇属性の魔法にも存在しているが、きっと【呪術】によって構成されたアレ等を【浄化】するには相当の力量が居ると思う。
それにしても最初に【浄化】を上げる所、彼も気質は善人なのかもしれない。
悲劇を嘆く声だと言ったせいもあるかもしれないけど。
けれど、【浄化】は今の私では少しばかり難しかったかもしれない。
そう、【浄化】するならば、だけど。
「いえ? ワタクシは強引に排除しただけですわ。そもそも、もしもワタクシが声の数々に一欠けらでも同情していたら、今こうして此処にはいなかったと思いますの」
同情したならば力業は使えない。
ならば【浄化】するしかない。
あの真っ暗な気が狂いそうな空間で。
私の力量では浄化する前に気が狂っていたはず。その前に魔法が暴走するか、魔法を乱発した結果、空間が壊れた可能性もあるけれど。あまり建設的な案とは言えないよねぇ。その方法じゃ空間が壊れるよりも先に力尽きた可能性もあっただろうし。さて、その場合どっちが先だった事やら。
何方にしろ、今こうして冷静に話す事は出来なかったはずだ。
五体満足で精神的にも冷静に会話出来る余力がある……それこそが私が浄化ではなく排除した証だ。
驚いている皆に私は苦笑し、口を開く。
「確かに、声の数々は悲劇を嘆いていましたわ。けれど、真の目的は違いました。――あの声達は「贄」を欲していましたの」
「贄?」
「ええ。自分の犯した咎を押し付けるための「贄」を」
幼馴染の家に火をつけた女性。
自分を思ってくれ助言してくれた友人を寝たきりになるまで殴り続けた男性。
心配し見守ってくれていた自身の家族や全く関係のない人々まで巻き込み邪法を行った青年。
皆、自業自得としか言えない最期を遂げたというのに、自身を悲劇の主人公だと思い現状を理不尽だと思っていた声の数々。
あの声達は他人に自分のカルマを押し付けて天へと昇ろうと生贄を探していたのだ。
「同情していれば、全てをワタクシに押し付けて昇華されていった事でしょう」
どんな人間だろうと、そこまでした存在に同情出来ないだろう。
それでも同情出来るのも、そうなっても無事でいられるのは聖女や英雄と呼ばれた特殊な存在だけだ。
「そもそも、ワタクシが赤の他人に同情などするはずもないのですけれど。きっとワタクシではなくとも同情出来ない方々だったと思いますわ」
「うん。僕もそんな相手には同情しないね」
殿下達も頷いているし、テルミーミアスさん達も苦笑している。
……少数派の最初から最期まで悲劇だった存在の事は言わないでおこう。
少数に同情したからと言って、その存在だけを避けて排除する事は出来ないのだから。
「ですから、排除させて頂きました。今頃、ご自身の業と共に嘆いているのでは?」
私はそう後ろに居る存在に声を投げかけた。
「貴方の御希望通りにならなくてごめんあそばせ?」
振り向くと唖然としたサイコ青年がいた。
拘束され、怪我も止血されている。
口を塞がれていないのは尋問していたからだろう。
私はあえてニッコリと青年に微笑みかける。
「ワタクシは慈悲を振りまくような事は致しませんわ。使徒様のように慈悲深き存在にはなれませんの。分かって頂けました?」
これで逆上するなら良し。
拘束されているのだから今度こそ何も起こらないだろう。
いっその事暴れて罪を増やせば良いとすら思ってしまう。
自分の罪を自覚させる事は諦めた。
もう執着されなければ良い。
いっそ憎悪の存在となれれば楽なのだけれど。
いや、憎悪の存在も面倒だし辞めて欲しいけどさ。それ以上に執着されてると死んだ後も付き纏われそうだし。根性で幽霊になって現れそうだから勘弁して欲しい。
悪意ならば分かるし屋敷の結界が弾いてくれる、と思う。
けど好意……好意? ならば通り抜けてしまうかもしれない。
それだけはやめて欲しかった。
だからこそ敢えて煽ってみたのだけれど……。
あれ? もしかして逆効果だった?
唖然としていた青年は何故か再び頬を赤らめ、目が潤み始めたのだ。
明らかな恍惚の表情に腰が引ける。
ここは激昂する場面なのですが?
「冷静な判断力。容赦の無い断罪。全てを実行するだけの実力。ああ! 貴女様に使徒などという低い地位は相応しくないのですね!」
突然叫びだした青年に全員がドン引きした顔をしている。
勿論私もドン引きです。
いや、私言いましたよね?
元々赤の他人に簡単に同情する性格じゃない、と。
もしかして、都合の良い所しか聞こえてません?
有り得そうで嫌なのですが。
「ようやく私も貴女様の真意に気づくことが出来ました! 愚鈍な僕-シモベ-に憐れみを! そして今度こそ共に高みへと!!」
どう考えても貴方は私の真意に気づいてませんよね?
そして高みって、それ死んでませんかね?
「神の階位へと昇るための供に私をお選びください!」
「「神?!」」
まさかのスケールアップ!?
此処まで来ると、この世界のあらゆる存在の常識を逸しているような気がするのですが。
もしかしてこの人、無意識状態の転生者ですか?
あ、いや、今の無しで。
この青年の同類は心底ゴメンです。
私は自分が青ざめたのを自覚しつつザフィーアに目配せした。
意志は通じてくれたらしくザフィーアは気配を消すと青年の後ろに立った。
サイコは未だに持論を展開している。
彼の中で“私”が一体どんな存在になっているのか、絶対に知りたくないと思った。
トン、という音と共に手刀が青年の首にきまる。
ちょっと勢いが良すぎる気がするが、無事に意識だけ刈り取れたみたいなので良しとしておきます。……気持ちも分かるし。
「申し訳御座いません。これ以上は精神が汚染されそうなので強制的に意識を失って頂きました」
「いや、ご苦労。あれはたしかに聞いていてはいけない類の話だからね。尋問の際は気を付けるように言っておこうと思う」
勝手をした事を謝罪したが、殿下にお墨付きを頂いた。
確かに、聞いていると洗脳されそうですよね。
出だしでドン引きするか、聞いてしまうかが境目になりそうな気がする。
出だしで使徒だの神だの言えばこの世界の人間ならばドン引きするから問題ないとは思うけど。
「色々問題はありますが、首謀者は確保しました。教団に居る騎士達と連携と取り、関係者の確保。被害者の保護を」
「「「御意」」」
殿下の指示でテルミーミアスさん達が動き出す。
引きずられていくサイコを見送ると私は盛大にため息をつき、部屋を出た。
言ってはいけないかもしれないが、あの部屋に何時までもいるのは苦痛なのだ。
被害者の子供達に回復魔法を使うべきなのかもしれない。
けれど、精神的な疲労もさることながら、先程の空間で魔力を思ったよりも消費したらしい。
今、魔法をかけて回ると倒れそうだ。
私の回復魔法程度じゃ気休めにもならない……って言い訳しても良いんだけどね。実際問題、それも理由としては間違ってない訳だし。
大部分が私の身内ではない赤の他人だから、という所が私らしいと言うか、人でなし要素と言うか。
あの空間の中での事が脳裏に蘇る。
大半はどうしようもない輩ばっかりだった。
けど、本当に悲劇の最期を遂げた声も存在していたのだ。
そんな声の最期の声が脳内に蘇る。
あの声達は皆一様に【ありがとう】と言って消えていった。
私は天へと昇る手伝いをしたわけじゃない。
むしろ地の底へと叩き落としたと言って良い。
そんな私に罵倒ではなく謝意を残し消えていった声。
罵倒してくれと思った。
私は私の身を最優先としあの行動が最善と判断したのだ。
今でもその事が間違っているとは思っていない。
思っていないけれど、思う所がないわけではない。
だからお礼を言われても理不尽に思ってしまうのだ。
――全員がどうしようもない屑ばかりだったらよかったのに、と。
あまり良い思考とは言えない。
けれど振り払うにはあまりにも私の中に根付いてしまっていた。
「(自分で思っているよりも疲れているのかもしれない)――はぁ」
「大丈夫かい、キースダーリエ嬢?」
「っ。……大丈夫ですわ、ヴァイディーウス様」
溜息を聞かれたらしい。
ヴァイディーウス様が心配そうに私を見ていた。
違う。
ヴァイディーウス様だけではない。
ロアベーツィア様やお兄様、それにあのルビーンですら、私を心配そうに見ている。
変な話だけど、それだけで何となくだが、心が少しだけ軽くなった気がした。
「負担をかけてすまない」
「い、いえ! むしろワタクシの問題に殿下達を巻き込んでしまい申し訳御座いません」
ヴァイディーウス様に頭を撫ぜられ、しかも謝罪され、声が少し裏返ってしまう。
「いや、今回の件は国が解決すべき問題だからね。キースダーリエ嬢は巻き込まれた被害者だよ。それなのに解決に尽力してくれてありがとう」
「助けに来るのがおくれてすまない。無事でよかった」
とても柔らかいヴァイディーウス様とロアベーツィア様の笑みに私も笑みを返す事が出来た。
少なくとも殿下達はそう思って下さるのだ。
それで十分だと思った。
きっと、この件を取り上げる貴族は居るだろう。
宰相であるお父様を攻撃するために。
私の規格外の言動が原因の一つであるのは事実なのだから。
お父様に対して申し訳ない気持ちはあれど、有象無象の言葉など気にはしない。
けれど、殿下達に対して私は既に友好的な感情を抱いてしまっている。
友人、とすら思っている。
だから、そんな方々にこうして温かい言葉を頂き、それだけで心のつっかえが少しだけ和らぐのだ。
単純と我ながら思うけど、これが私なのだと開き直ってしまおう。
「有難う御座います。ヴァイディーウス様、ロアベーツィア様」
こうして自分の心と向き合い、その事に気づけただけで王都に来た甲斐がある、と思った。




