問題は残れど事態は収束……かな?(3)
妬み・嫉み・憤怒・悲嘆
ありとあらゆる「負の感情」の声が頭に木霊している。
生きているモノとは切っても切れない感情の数々とはいえ、黙って聞いているだけで心が病みそうだ。
「【闇の聖獣】の代わりの【使徒】に負の感情をぶつける、ねぇ」
私は今真っ暗な空間の中に居る。
黒い霞の塊に呑まれたと思ったら、上下左右も分からない真っ暗な空間に居たのだから、急展開も過ぎるよね。
「お気楽にして居られる訳でもない、んだよねぇ。このまま此処にいると私の気が狂うだろうから」
方向感覚も意味を無くす暗闇と無音の空間において人はあまりにも無力だ。
居ればいる程、精神を病んでいき、最期には狂い死にしてしまうだろう。
「あー違う違う。無音ではない、か」
そう、無音ではない。
ただ聞こえてくるのは負の感情に彩られた声なだけで。
「余計、気が狂いそうだけど」
正常な状態の今の私にとってははっきり言って耳障りで仕方無い不愉快な音の集団だ。
「けどまぁ、これではっきりした事もあるけどねぇ」
あの青年の中で【闇】はイコールで負の感情なのだと、これではっきりした。
根本の考え自体が私と相容れないという事も。
闇とは決して負の感情の吹き溜まりではない。
人は闇の中で心を休める。
生きとし生けるモノ達が眠る時に必要なのは光り輝く青空ではなく、暖かな夜空なのだから。
闇とは決して邪悪な存在ではない。
人々の心の安らぎを護る存在なのだ。
「ただ、これが人々の持つ【闇】というモノへの認識だとしたら【闇の聖獣様】は何時もこんな感情に晒されているのかな?」
一部の人々とは言え【闇】に対する嫌悪感などを考えれば無い話ではないと思ってしまう所が悲しい所である。
後、だとしたら闇の聖獣という存在は純粋に凄いと思うし、人に愛想をつかしたくもなるよなぁと思う。
この空間のように心を抉り、最後には殺してしまうような闇ばかりに晒されていれば、幾ら聖獣様とて厳しいだろう。
んん? 聖獣とは狂う事ができるのかな? 水の聖獣様は人と友になり、心を持っていたように思うけど。それとも狂うように創られてはいないのかな?
いや、別に聖獣様がこういった負の感情を吸収、昇華しているとは限らないけど。
「あのサイコの勝手な思い込みの可能性が高いもんねぇ……はて?」
どうして私は自然と「【闇の聖獣様】が人の負の感情を請け負い昇華している」と考えたのだろうか?
そんな事聞いた事もないと言うのに。
「うーん」
何の疑いも無く、そう思ってしまった自分の思考には疑問が尽きない。
尽きないのだが、熟考するにはあまりにも外野が煩すぎる。
これでは思いついても直ぐに霧散してしまう。
「取りあえず、この疑問は後で考えるとして……さて、どうしようかな?」
まさか、部屋中央の魔法陣がフェイクだなんて思わなかった……なんて言い訳なんだよねぇ。
「後、あのサイコが魔法にも長けていたっていうのも誤算……うーん」
認めたくはないんだけど、私って人を侮る悪癖があったんだなぁ。
それか考えが足りないか。
どっちにしろ熟慮しようねぇ、って話になるよね?
「集中すると周囲が見えなくなるのは自覚あったけど、それにプラスこれかぁ。しかも早急にどうにかしないといけない類のだし」
周囲を一切合切無視するのも中々だけど、他人を侮ったり、考えが足りないのは人としてどうよ? だし。
今までの事を思い返して私は深々と溜息をつく。
認めたくないんだけど、過去が物語ってるんだよねぇ。
「人でなしである自覚はあるけど、これはちょっとねぇ」
人でなしと罵られても何とも思わないけど、考え無しと言われると傷つく。
……いや、赤の他人に言われるならどんな言葉だろうと傷つかないけど。
「はぁ」
過去を思い返して反省したい気分だけど、正直煩すぎて、それも出来ない。
と、言うかそれどころじゃない。
一人反省会も後にして、まずはする事をしないと。
「えぇと。この黒い空間は多分負の感情で構成されてる、と見ていいかな?」
ひっきりなしに声が聞こえてくるわけだし、そんな認識でよさそうだ。
何処かに飛ばされたというよりも空間を作ってそこに閉じ込められたと考えていいのかな?
「うーん。魔法でも使ってみるかな?」
水の魔法辺りでいいかな?
手に魔力を込めて詠唱する。
「【Wasser-ヴァッサァ-!】」
水の矢が黒い空間に吸い込まれて……何かにぶつかり霧散した。
同時に声が大きくなった。
痛い・苦しい・酷い・悲しい・助けて
まるで空間に意志があるような反応だが、生きモノの中にいるとは考えたくないので却下。
相変わらず他の声も聞こえるから多分大丈夫だろう。
「何処かにぶつかったって事は亜空間に放り込まれたって事はないみたいだね」
……この世界に亜空間が存在するかは別の話か。
いやいや、影の中とか別空間っぽいけど。
あ、そもそも私自身亜空間について詳しい説明出来ないや。
「うん。影の中みたいな別の空間ではないって事で納得しよう」
此処が別の場所に飛ばされた訳じゃなく、区切られた空間に閉じ込められたと仮定して。
じゃあ、あのサイコは一体何のために私を此処に閉じ込めたか? って話になるよねぇ。
「しかもあらゆる負の感情と一緒に、とか。嫌がらせ?」
あんな風に恍惚の表情をしていた割に怒っていたとか?
だとしたら相当役者だけど。
「あの狂気は演じるのは無理だと思うんだけどなぁ」
さっきからクロイツに【念話】を飛ばしているけど、繋がらないし。
基本的に使い魔契約しているクロイツは影があれば私の所に来る事が出来る。
お兄様が近くにいれば確実に、だ。
ただ、かなり疲れるから早々にやらないだろうけど。
今は緊急事態だし、来れるならば既に来てるはず。
けど、影も形もない。
更に【念話】も繋がらない。
うーん。
やっぱり遮断された空間に閉じ込められていると考えていいかな。
「あー。目的が分からない。何? この声を浄化しろとでも?」
あり得ないと思いつつ、そんな事を言った途端、空間が揺らぎ、声にも変化が現れた。
好き勝手喚いていた声が揃って救いを求めて来たのだ。
「げっ。……つまりサイコ流の“使徒への道~スパルタ編~”だったって事?」
答えるかのように多分黒いであろう霞が現れ襲ってきた。
「正解しても嬉しくないですね!」
軽口を叩きつつ、防御壁を張ったが、通過されてしまう。
「うそ!?」
次の手を考える前に霞は私に覆いかぶさる。
ドウシテワタシジャナイノ?
オレノウデガ!?
ボクガナニヲシタノ?
霞と共に“声”と“記憶”が次々と流れ込んでくる。
幸せそうな周囲と自分を比べて惨めな気持ちになっている女性。
事故で腕を失い怒り嘆く男性。
理由も分からず無視され、疑問と悲しみで一杯の青年。
どの記憶も悲劇であり、声は負の感情に満たされている。
そして、どの声も最後に誰かに……私に「タスケテ」と叫ぶのだ。
感情を伴う記憶の奔流に頭痛がする。
どの記憶も悲劇的であり、助けを求める手を思わずとってしまいそうな程悲痛な叫びだと思う。
けど……――
「――……私はアナタ達に同情なんてしない」
私の言葉に“声達”は一瞬動きを止めたが、今度は先程よりも強い感情で私を責め立てた。
人でなしと叫ぶ声の数々に私は笑いが込み上げ来る。
“お前達”にだけは言われたくはない。
「確かに、アナタ達の身に起こった事は間違いなく悲劇なのでしょう。それは認めます。けれどね……」
私は顔を上げると無数の声の主たちを“睨みつける”。
「私はそれを安易に周囲に振りまき、同情を引き、越えてはいけない一線を簡単に越え、最後には自らの意志で堕ちていった自業自得の馬鹿共に同情するほどお人よしじゃないの」
悲劇の記憶には続きがあった。
周囲を妬み続けた女性は最後には幸せな家庭に火をつけた。
片腕を失った男性は酒に溺れ、暴力を振るい相手を再起不能にした。
無視された青年は邪法にのめり込み、遂には無関係な人まで邪法の贄へと捧げた。
そんな声の主達の最期はどいつもこいつも碌なもんじゃない。
悲劇のまま命潰えた声も存在していたが、そんなもの少数だ。
目の前に“居る”声の主は皆、自分の感じている苦しみを誰かに押し付けたくて「助け」を求めているのだ。
始まりはともかく、最期は自業自得だと言うのに!
そんなものに同情するなんて、それこそ物語の聖女様くらいだと考えはしなかったのだろうか?
それにお前達も言っていたじゃない――私を“人でなし”だと。
自他共に認める「人でなし」の私に一体何を求めているというのだろうか?
自分達の都合しか目に入っていない声の主たちを私は鼻で笑う。
「自分のカルマを人に押し付けて自分はのうのうと天への昇りたいって? それはちょっと虫が良すぎるんじゃないかな?」
目の前の霞達――【呪術】によって形を与えられた感情の塊たち。
私は目の前の霞達がお兄様を襲った【呪術】と同じモノなのだと、直感した。
【呪術】は諸刃の剣だ。魔法よりも危険性は高く、それ故に使える存在には強い理性が必要となる。
【呪術】の恐ろしさと【呪術師】の素晴らしさを改めて認識する事が出来た気がする。
「私はアナタ達には同情しない。幾らスタートが悲劇だったとしても、それを惨劇に変え、堕ちたのは自分自身なのだから」
私は流れ込んでくる感情と声を無理矢理追い出す。
お兄様から呪術を追い払った時も力業でどうにかなったのだから、今回も出来るはずだ。
だってこの呪術を掛けた術者は同じ人間なのだから。
そこで私は自身が“素”をさらけ出している事にようやく気付いた。
咳払いをすると“貴族”のキースダーリエを引っ張り出す。
お前等には“素の私”は勿体ない。
「更に言わせて頂ければワタクシ、自他共に認める“人でなし”なんですの。ですからアナタ達がワタクシにとって他人である以上、たとえどれだけ悲劇的な最期を迎えようとも欠片も同情の感情なんて沸きませんわ」
ニッコリ微笑み、けれど視線だけは相手を鋭く睨みつける。
「ですからワタクシがアナタ達に言いたい事はこれだけですわね――――さっさと失せなさい」
声の主達は震えているが往生際悪く、まだ生贄を求めている。
私は溜息をつくと、今度は笑みを消し声の主達をねめつけた。
「聞こえなかったのかしら? ――――【自分の咎と共に消え失せなさい!!】」
声に魔力を乗せ一喝。
これには霞達も耐えられなかったのだろう。
絶叫を上げて瓦解し、最後には消えていった。
同時に久々に脳内に機械音が鳴り響く。
「……ん?」
気になるけど、今は後回しだ。
霞達は消えた。
さぁ、後は此処を出るだけだ。
「と、策を考えるまでもありませんでしたわね」
あの霞達がこの空間を維持していたのだろう。
空間に罅が入り、灯りが差し込んできた。
「……出来れば、中の声が聞こえていなければよいのですけれど」
でないと、私の素を知っているお兄様や事情をしる殿下達はともかく、他の方には色々追及されそうだ。
特に口調とか。
案外、一人暗闇へ放り込まれて混乱していたらしい。
流石にそこまで繕っている余裕が無かった事に密かに嘆息する。
誰も聞いていませんように。
私は心の中でそう呟くと崩れていく黒い空間に対して一歩踏み出した。




