私は最高の喜びを胸に抱き地の底で二人と共に微笑む【アーレアリザ=カイーザ=アレサンクドリート】
帝国の第一皇女視点です
豪華でありながらも個性を感じさせず無個性で無機質な部屋。
入口や窓には鉄格子が嵌められているため多少景観が崩れてしまっているが、それでもなお貴人を幽閉するに相応しい華美さを保っている。
皇族が逃れる事の出来ない罪を犯した際に生涯を過ごす場所……又は栄誉ある死を賜るまで過ごす【塔】と言う名の監獄。
此処が私にとっての終焉の場所となる。
私はアレサンクドリート帝国の皇族として生を受けた。
女性にも継承権は認められるとは言え、健康な男子が居れば其方が優先されるために、私の継承権は其処まで高くは無い。
母が側妃である事も私の継承権が高くはない理由の一つだろう。
私をお産みになり儚くなった母の容姿を私は受け継いでいるらしい。
絵姿でしか見た事の無い女性を母と言われても私にはどうでも良い事だったのだけれど。
私は皇族と生まれたために何一つ困る事無く、しかしとて特に語る事も無い程、無味乾燥な幼少期を過ごしていた。
皇族としての義務としての勉学も強いられたが、特にそれに対して苦痛に思う事は無かったように思う。
周囲は私を神童と讃えながらも、時に私が女性に産まれた事を嘆き、時に身分の低い母を持つ私を蔑んだ。
けれど、そのどれもが私にとっては「どうでも良い事だった」
神童と讃えられようとも嬉しいと思わず、女性に産まれた事を嘆かれても共感する事も無く、亡き母と共に私を蔑む声に怒りを感じる事さえなかったのだ。
私は心に虚を抱えていた。
自身の心が空虚である事も早い時期に自覚していた。
切磋琢磨し、皇帝とその右腕となり帝国を発展させると意気込む兄上達を羨ましいと思う事も無く。
愛が欲しいと嘆く姉上を見ても、同情の心が沸く事も無く。
他の側妃が弟を産み、私の継承権が下がる事すら私の心が動く事が無かった。
私は自分が他者とは違うという事に早くから気づいていたから、それを周囲に悟らせるような事はしなかった。
だからずっと私は周囲にとって“神童と讃えられるが女性があるがために皇位に付けぬ悲劇の皇女”だった。
勝手に盛り上がり、勝手に嘆き、勝手に蔑む輩に対して、私はずっと関心を抱く事すらなかったのだ。
そんな私が自分の空虚を埋めるものが何かを知る切欠になったのは些細な出来事だった。
私付きではないが、女官が何か失敗をし、それを上官が叱責している場面に偶然出くわした時だった。
その時、私は生まれて初めて衝撃と快楽が心に生まれたのだ。
叱責を受けている女官に浮かぶ、これから受けるであろう罰に対する恐怖。
私はそんな女官の顔に堪らない悦を感じた。
当時は私とてまだ子供だったが故に、その正体が分からず、ただ“嬉しい”という感情だと思っていた。
そうだとしても自身の浮かんだ感情が常識ではない事は理解していた。
その後、目の前で起こった事を事務的に処理した後、私は一人部屋に戻り、自分が初めて感じたものの正体と向き合った。
けれど、どう考えても私はあの女官の“絶望”に喜びを感じたのだという結論にしか至る事は出来なかった。
今まで私が学んだ常識は、その歓喜を否定した。
けれど、初めての喜びを私の本能は否定する事を拒否した。
私は空虚では無かった。
ただ、人とは違う事に喜びを感じるのだと、そう理解したのだ。
歓喜に心が震え、笑みが自然に浮かぶ。
多分、私はこの時初めて心の底から微笑みを浮かべたのだと思う。
それ以降、私の言動が表面上変化する事は無かった。
私のこの嗜好が異常なのは子供であっても理解していた。
人という生き物は異常なものを嫌う。
だから私は自身が異常である事を隠した。
それでも一度覚えた悦が欲しいと私の心が欲する事を止める術を私は持ち合わせていなかった。
あのような場面に偶然出くわす事なんて殆ど無い。
態々探し、その場に行くような奇行を取れば、私が異常である事など直ぐに気づかれてしまう。
ならばどうすれば良いのか?
普通ならば諦めるのかもしれない。
だが私はあの絶望を自分の手で生み出す事を思いついたのだ。
もはや自らが普通ではない事など自覚している。
ならば、子供らしく喜びを欲してもいいだろうと思ったのだ。――たとえ、それが他者を貶める事だとしても。
兄上達が最初の獲物となった事に他意など無い。
しいて言えば思いついた時、偶々兄上達が仲良く将来を語らっていたから。
そして皇族として近づく事が容易いから。
確か、そんな理由だった気がする。
兄上達にした事は対した事ではない。
無邪気を装い、お互いに対して少々不和の芽を植え込んだだけだ。
後はそれぞれ派閥で過激な思想の人間と偶然会う機会を作った事ぐらいだろうか。
当時、子供であった私が出来る事などその程度だった。
それでも兄上達はあっという間にお互いに疑心を抱き、溝が生まれた。
あれ程笑いあっていたというのにあっさりお互いを疑う姿は面白さよりも呆れの気持ちが浮かんだものだ。
一番目と二番目の兄上達が仲違いし、それぞれの派閥を作り出し、遂には派閥の人間がやってはいけない領域まで手を出した。
結果として兄上達は死罪は免れたが、それぞれ帝国領直轄地にて封じられる事となった。
事実上、継承権の破棄である。
あまりにあっさりと事が進み過ぎて呆れたが、それよりも私には最後の仕上げが残っていた。
そのためだけに此処まで待っていたのだから、手抜かりなど有り得ない。
私は最後の仕上げのために兄上達が帝都を立つ前夜にそれぞれの部屋に赴いた。
そして私は最初の細やかな疑惑の芽を植え付けたのがわざとである事を告げたのである。
あの時の兄上達の表情は今でも忘れない。
最初は信じていなかった兄上達が、段々理解し、そして絶望と共に私に対する恐怖で一杯になっていく過程はこれほどなく私を満たしてくれた。
最後の「化け物」という罵りの言葉は私にとっては誉め言葉でしか無かった。
あの後、兄上達は心が完全に折れたまま帝都を去っていった。
――最後まで私に対する恐怖を湛えたまま。
姉上に対してした事は更に些細な事だった。
姉上は何故か両親に愛されていないと思い込み、そして愛される事を望んでいた。
両親は姉上を普通に愛していたというのに、一体何処でそう感じたのか。
私にも未だ姉上の愛されたい願望の切欠も愛されていないと思い込んだ理由も分からない。
分からずとも良かったから調べる事もしなかったとも言えるが。
最初の頃は傍付きの侍女などに添い寝などを頼めば良いのだと囁いた。
幼い頃はそれで満足していた姉上が満足できなくなる頃、愛されたいという気持ちを「人肌恋しい」と意識のすり替えをした。
閨教育が始まってしまえば、姉上が人肌恋しさに異性を求めるようなるのに然程時間はかからなかった。
最初は口の堅い側仕えに対して。
けれど、本当に姉上が欲しい愛情は違うもの。
一時の快楽と注がれた偽りの愛情に満足してもすぐに心は乾き飢える。
いえ、偽りとは言え一時の愛情を知ってしまえば、飢餓感は倍増していたはずだ。
だからか姉上の箍はあっさりと外れた。
誰彼構わず、それこそ男も女も構わず誘い、一夜の愛を乞う姉上。
もはや兄弟の誰も近づかなくなり、皇帝夫妻も距離を置いたのを悟った私は姉上に近づき最初の頃の様に囁いた。
「姉上が本当に欲しかったのは家族の愛情だったんですよ」と。
その後浮かべた姉上の絶望もまた忘れずにいる。
本当に欲しいものが永遠に手に入らない事を悟り、泣きじゃくり、それでも、もはや一夜の愛を乞う事を辞める事の出来ない自分の浅はかさに狂うように哭く姉上。
その姿は絶望はとても美しく官能的だった。
絶望に沈む姉上は自分を歓喜の表情で見る私に気づき、全て仕組まれていた事にも気づいたらしい。
兄上と違い説明が要らなかったのは年齢の差か才覚の差か。
何方にしろ私の本性に気づいた姉上は私に恐怖し、そして「人でなし」と罵った。
「化け物」である私に「人でなし」という肩書が増えた瞬間だった。
姉上はその内病死と国民に公表され表舞台から消える事になるだろう。
その行く先がどうなるかは分からないし、知りたいとも思わないが。
この頃ぐらいからだろうか?
私が皇位を狙っているという噂が流れ始めたのは。
今まで私は切欠を生み出す事ぐらいしかしていなかったが、それでも私が切欠である事と気づく貴族が出て来たのだろう。
その時初めて私は自分のしている事はある側面から見ると、そうともとれる行為だという事に気づいた。
しかも母の家格が低い事で私を馬鹿にしていた人間に対して復讐しているという噂も流れていた。
其方は偶々兄上達や姉上を嵌める策略に手頃だと誘導していた貴族が、そういった人間達だったというだけで、特に意識をしていた訳では無かった。
それでも傍から見れば私は皇位を望み、母や私を馬鹿にした存在に復讐している人間という事になるらしい。
私に擦り寄ってくる人間が妙に増えた理由が分かり納得は出来ずとも理解する事は出来た。
特に私は皇位など欲しいと思った事は無い。
だけど、そろそろ自分で絶望を生み出すだけには飽きて来た感覚はあったのだ。
兄上達や姉上の絶望した姿には未だに思い出すたびに悦を感じる。
それでもあまりに計画通り進み過ぎている事に味気無さを感じていたのかもしれない。
そんな時だった。
私が再び衝撃を受ける事になるのは。
それはある貴族の家を訪問した時だった。
理由など覚えてはいない。
けれど、その時私は一人の幼子と出逢った。
その家の次男坊。
その子供は緑の眸を一杯に見開き私を恐れたのだ。
表面上は慈悲深い皇女として、裏では皇位を望み、母の復讐を行う狡猾な女として知られる私の内面をその緑の眸は一目で見抜いたのだ。
いくら家格の高い家とて子供に私の事を詳細に伝えていることなどありえない。
ならば、あの子供は初対面で私の内面を見抜き、恐れたという事だった。
その時、私にある欲求が芽生えた。
ああ、この緑の眸を絶望に染め上げたい、と。
結局、あの緑の眸の子供は逃してしまったが、代わりに私と同じくらい壊れた人間を見つける事が出来たから、あの家に訪問に行った事は僥倖だったのだろう。
そういえば、その頃だろうか?
あの獣人の血を引く人間を見つけたのは。
あのギラギラとした埋める事の出来ない飢餓感を抱えた平民。
平民でありながら一度で騎士の試験に受かる程の身体能力を持ちながら、そんなものどうでも良いと思っていた冷めた眸。
それが私を見た途端、飢餓感を隠さず、まるで挑むように、睨むように此方を見据えて来た。
それだけであの子も又私と同じく空虚を抱え、それを普通の方法では埋める事の出来ない人間だと悟るには充分だった。
カトルツィヘルとリュナーグ。
二人は私の心を虚を知り、私と同じく虚を心に持ち、それを普通の方法で埋める事の出来ない人間。
そして私を決して裏切る事無く、最期まで付き従う騎士達。
捨て駒となろうと、最期の時まで私を恨む事無く笑顔で逝ってしまう狂人達。
二人が私の両隣に立つようになり、私の行動範囲は更に広がる事になった。
自由に動く裏切らない手足を手に入れた私は皇位に付くのも悪くないと、最初の頃は思っていた。
最初は賢帝として君臨し、掌を返し絶望に叩き落とす。
それとも徐々に狂っていき最期には国民諸共滅びようか?
数多の絶望は私の最期を美しく彩ってくれるだろう。
それも悪くは無い、そう思っていた。
そのためには皇帝夫妻をどうにかする必要があったから困難な道である事は確かだったが。
皇帝夫妻は私が兄上達や姉上の事で暗躍している事に気づいていた。
理由こそ「皇位のため」と勘違いをしているようだったが、私が皇位に付く事で帝国が崩壊し国民が傷つく事を予測していた。
だからこそ皇帝夫妻は私にだけは皇位を譲る事は絶対にない。
私の直ぐ下の弟が直ぐに立太子の儀を行ったのもそのためだろう。
特にその事に対しては特に何も思わなかった。
下の弟は才覚こそ皇帝として相応しいだろうが、圧倒的に経験が足りていない。
皇帝夫妻はともかく、弟ならば、その地位を策略によって奪う事も可能だと判断した。
だから私は何もしなかった。
今はその判断こそが英断であったと思っている。
その御蔭であの子に出逢う事が出来たのだから。
妹が生まれた事は当然知っていた。
最初の頃は兄上達や姉上の仕上げがあったし興味も無かったから会わなかった。
そんな私があの子と出逢ったのは幾つだったか。
初対面はありふれたものだった。
中庭で遊んでいるあの子に声をかけた。
けれど、振り返ったあの子を見た時、私は今まで一番の衝撃と共に悟ったのだ。
この子こそ、私の終焉を彩る最も美しい宝石なのだと。
私の内面を見抜き、恐れ、だと言うのに姉妹の情を捨てきれず、私を切り捨てる事の出来ない甘さ。
この子の海のような眸が深淵に沈み、それでも私を切り捨てきる事の出来ない甘さを孕んだ絶望の眸。
それは何者にも勝る宝石であり、その眸を目に焼き付けて死する事が出来れば私は最期のその時まで望外の幸福に包まれて逝く事が出来るだろう、と。
そんな欲求が内側に溢れ出てくる。
理性を欲望が凌駕してしまう。
そんな頭よりも心が暴れだしそうな経験は私にとっても初めての経験だった。
あの時、私は何をあの子に言ったのだろうか?
それすら覚えていない程の衝撃と溢れ出てくる欲望を抑える事が出来たのは部屋で一人になった時だった気がする。
冷静な思考が戻ってくれば、どうしてあの時、そう思ったのかが分からない。
精霊に惑わされでもしたのだろうか?
ならばあの時の衝撃と欲求は幻だったのだろうか?
私は早急にそれを確認しなければいけないと感じた。
けれど、再び会えば同じようになってしまうかもしれない。
だから私はあの子を試す事にした。
あの子に軽い絶望を与えたのだ。
あの子にとって仲の良い子をあの子の目の前で事故に見せかけて殺す。
更にそれが事故ではない事をあの子にだけ囁いたのだ。
再びあったあの子に再び欲望が溢れたが、最初の頃程では無かった。
これならば理性を保ったままでいられるだろう。
だから私は歌うようにあの子に真実を告げる事が出来た。
あの子は真実を知り嘆いた。
あの海のような眸が絶望に変わる姿はとても美しかった。
同時に私はあの子の眸の孕んでいるものを目にして歓喜した。
絶望に沈む眸には、それでもなお家族の情を捨てきれない甘さを孕んでいたのだ。
絶望と切り捨てられない甘さを悔やむ心に揺れる眸は今まで見た中でも一等美しかった。
あの眸を見て歓喜するなという方が無理だった。
だって私の直感は外れてはいなかったのだから。
最初に出逢った時の衝撃も衝動も幻ではなく、偽りではなかったのだから。
私の唯一愛しい妹アーリュルリス。
あの子から与えられる終焉。
あの子に見届けられて終焉を迎える。
あれからそれこそが私の最大の望みとなり全てとなったのだった。