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長い夜(4)




 狙うは男の足元。

 私は駆け出した勢いを殺さず、男の後ろに駆けつけると一瞬の間もおかずに男に足を払う。


「短絡的に程がある!」


 私の存在に一切気づいていなかった男が足払いに対処できるはずもなく、男はあっさりと後ろに倒れて尻もちをついた。

 私は男が勢いで手に持っていた鈍色……ナイフも吹っ飛ぶのを目視すると男に巻き込まれないように身を引いた。

 誰もが参謀っぽい男が持ち、吹っ飛んだナイフに目がいっている間に私はアーリュルリス様の腕を引くと強引に抱きかかえて後ろに飛び下がる。

 皇族に対するには少々強引だが緊急事態だと思い我慢してもらおう。


「【我が魔力よ 変異し身を護る壁とならん事を! 我は願うは風の腕! 全てを護る壁となりて害意あるモノを防げ! ――Wind・Schild-ヴィント・シルト-!】」 


 あえて精霊に希うのではなく、魔法で障壁を張り巡らす。

 元騎士の男レベルには紙みたいなモノだろうが、他の人間ならばこれで私達には手出しできないだろう。

 此処までやってようやく私は周囲を気にする余裕が生まれた。

 急に動かした体は空気を欲していて、息が中々整わない。

 色々度外視で動いたのだから余計だ。

 それでも無理に呼吸を落ち着かせると、周囲に視線を走らせる。

 元騎士の男は相変わらず、私に対しては何の感情も見えないが、アーリュルリス様の無事には多少安心にも似た感情を感じる事が出来た。

 どうも彼の主は相当アーリュルリス様にご執心らしい。

 その事は元騎士が未だ尻もちをついている男に対して向けている視線の種類でも判別する事が出来た。


「(一瞬だけど……殺意だった気がする)」


 元騎士の眸には、さっき主に対しての物言いの時よりは薄いが、確かに殺気のようなモノが宿っていた気がしたのだ。


「(これで元騎士の男の主は今だに幽閉中の皇女サマであり、此処にいるのは何か思惑があったからだと分かった訳だけど)」


 そうなるとあまり良い理由で此処にいるとは思えない。

 これ以上の面倒事は勘弁してほしいのですが。

 事態がややこしくなる可能性の芽に私は盛大にため息をつく。


「キースダーリエ様?」

「ああ、アーリュルリス様。ご無事ですか?」

「私は大丈夫ですが。キースダーリエ様こそあのような扱いを」

「大丈夫ですよ。……少々強引な方法でお連れした事をお詫び申し上げます」


 視線は男達から逸らさず頭を下げると「とんでもありません! 助けて頂いた方にそのような恥知らずな事は言いません」と慌てられた。

 考えてみれば尤もなんだけど……うん、確かにココで「もう少しましな助け方が無かったの!?」とか言われれば、次は見捨てるわな。

 どうやら御宜しくない方向に思考が言ってしまっていたらしい。

 此れもある意味毒されているというのだろうか?


「(と、云うよりも『日本』での貴族のイメージの問題かも?)」


 そうじゃない貴族も王族、皇族も見ているはずなのに、こういう時、咄嗟にでちゃうもんだなぁ。

 これも反省ポイントかね?


「(まぁ、そこら辺は無事に此処を切り抜ける事が出来ればの話なんだけどさ)」

 

 私は意識を切り替え周囲をうかがうと、何やら先程までの様子が変わっていて密かに眉を顰める。

 あれだけ煩く何かを喚いていた男達がナイフを凝視して固まっているのだ。

 場は静かになったが、完全なる無音が逆に気持ち悪い。

 序でに言うとナイフの持ち主であった参謀っぽい男は尻もちをついたまま動いていないし当然、此方も無言だ。

 こちら側からだとどんな表情かすら分からない。

 

「わ……」

「(ん?)」


 ようやく沈黙を破ったのは多分私に蹴りを入れようとした男だったと思う。

 暗いから多分だけど。

 さて、何を言うのかと構えていると男はとんでもない事を言いだし、私の思考は一時的に停止してしまうぐらい驚く事になる。


「私は聞いていない! 殿下を殺そうとするなど、そのような恐ろしい企みには一切関係がないからな! 此度の事は其処の男が全て一人で行った事。私は脅され手を貸したにすぎん! これ以上は付き合ってられん! これで失礼させてもらう!」

「(はぃ?)」


 突然の離反宣言と共犯関係否定と被害者ぶった言葉には驚きを通り越して呆れてしまう。

 しかも周囲の男達もそれに同意して口々に「騙された」やら「関係無い」など喚きだしたのだ。

 挙句の果てに推定私を蹴ろうとした男が部屋を出たのに続き、男達は次々に部屋から逃げ出していく。


「(え? 何事? 今まで此処にいたのは人質の集団だったんです? ――うん。自分でも何を言っているのか分からなくなってきた)」


 残された形になってしまった私とアーリュルリス様は勿論の事、この部屋に今いるのは元騎士の男と参謀っぽい男――しかも見捨てられたという肩書付――の四人だけだった。

 あまりの掌返しと身勝手さに怒りよりも呆れの方が先だっても仕方ないと思う。

 

「<あれで帝国の貴族だって言うのは……帝国にとっちゃ恥になんじゃね?>」

「<……ノーコメントで>」


 深く同意したいけど、一応。

 何と言うか色々警戒していたのが馬鹿らしくなる出来事である。


「(と、一番警戒しなきゃならない奴がいるんだった)」


 一番危険な男が残っているのだ。

 多分、この男はアーリュルリス様には傷一つ負わせないだろうけど、私と参謀っぽい男は何の感慨も無く切り捨てるだろう。

 

「(一番命の危険があるのは多分私じゃなくてこの男だろうけど)」


 この参謀っぽい男、何やら元騎士の不興を買っているようだし。

 心情的には「どうとでもして下さい」と言いたいけど、一応今回の作戦の全容を知ってそうな人間ではあるんだよねぇ。

 やっぱり話が出来る程度には生きてないとダメだよね?

 男は見限られたという事実に追いついてないのかなおも無言だ。

 私達からは後ろ姿しか見えないので、どんな表情をしているかさえ分からない。

 

「(えーと。脱出……出来るのかなぁ?)」


 一番警戒しないといけない人間がこの場に残っている上に今は部屋を出て外を目指すと逃げ出した男達と遭遇する可能性があるし。

 最悪人質にされかねないかな?


「(あれ? もしかして此処にいて助けを待つ方が良かったり?)」


 と、なると一番の危険人物と一緒なわけだけど。

 精神的な苦痛を考えなければ、それでもいいかもしれない。

 

「(んー。どうしよう?)」


 流石にこの展開は想定外すぎる。

 次の一手をどうしようかと考えていると何処からか低い笑い声が部屋に響き渡った。

 と、言うか声は男性だしあの元騎士が声を上げて笑う理由なんて無いわけで。

 しかもこの部屋に残っている人間を考えれば、笑い声をあげているのは、まぁ一人しかいない。

 其方に目を向けると案の定、見捨てられた参謀っぽい男が天を仰ぎ何とも空虚な笑い声をあげていた。


「(考えてみれば、あの男はアーリュルリス様にナイフを向ける事を厭わない……元騎士とは別の意味で危ない奴だった)」


 結界を打ち破る程の力があるとは思えないけど、それも分からない。

 私はアーリュルリス様を後ろに庇い直すと男の背を見据える。

 何処までも空虚な笑い声は男の心を表しているのだろうか?

 だとすれば見限られた事がそんなに衝撃だったのだろうか?


「(そこまで信頼関係があるようには見えなかったけどなぁ?)」


 傍から見て分からない絆でもあったのかね?

 事情が分からず、次の手を考えあぐねていた私を他所に男は暫く笑い声をあげていたが、それが止まると盛大なため息をついた。


「確かに信頼関係なんて欠片も抱いていなかったが、まさか此処までの醜態を晒すなんて……あれで次期当主の座を狙っているというのだから。愚かにも程がありますよね」


 男は振り向くと、空虚でありながら、何かを渇望する、とても危い眸で私達に向けて来た。


「そもそも今回の計画が無事に成功すると本気で思っていた時点で無能としか言いようがないわけですが」


 まるで自分は違うと言わんばかりの言いざまに眉を顰める。


「今更無関係を装ったとしても、彼女に擦り寄っていた事実は変わらない。その上、このような杜撰な計画が上層部にバレていないはずがない。一重にこの子達が此処にいるのは、護衛をなぎ倒す程の力を持つ人間がいたに過ぎない。……彼の解放すらあの男達の手柄ではない事を考えれば、その無能さが分かるというものだが」


 何か盛大にネタバレをされているのですが、一体何が目的なんですかね?

 暗い眸で、それでも口元は歪んではいても笑みを梳いている。

 明らかにおかしいと言える男にアーリュルリス様が私を掴む手が震えているのが分かる。

 流石に此処までおかしい人間とはあった事が無いらしい。

 

「(いや、それが普通か)」


 またかぁと考えてしまう私の方が実は例外なんだよね。

 全く以て自慢にはならないけど、狂人には幾人かお目にかかっている。

 そういう意味では、目の前の男は割とスタンダードな狂人タイプではないかと? なんて事まで考えてしまう。


「(あの最悪の騎士の方が変わり種だよねぇ。二度と会いたくないけど)」


 さてはて、この男は何が原因で狂い、こんな凶行に及んだのだろうか?

 気持ちよく話しているならそのまま話をさせた方が良いだろう。

 この手のタイプは止めたりとか変に刺激すると本当に何をしでかすか分からないし。


「知っていましたか? あの男達は【塔】にいる彼女の元へ一度たりとも足を運んでいないのですよ?」


 問いかけの形だが、男は特にこっちの応えを欲しているわけではないようだった。


「彼女が皇帝位など一切望んでいない事も知らず、自分達の事を道化者としてしか数えられていない事も知らない。ある意味で幸福な事ですが、同時に何処までも愚かなのですよ。だからこそ、こんな杜撰な計画を本気で実行し成功すると信じ込んでいたようですが」


 喉で嗤う男。

 自分は違うと主張したいのか、逃げ出した男達を心からこき下したいのか、男の口は止まらない。


「彼女にとっての忠臣は二人だけ。それ以外は執着なさっているアーリュルリス殿下のみ。……いえ、過去には居たようですが、既に亡くなっているようですし殿下だけで良いでしょう。そう、彼等や殿下だけが彼女の心にいる。他は兄弟姉妹すら有象無象でしかない。――嘗ての婚約者候補の私など覚えてすらいない事でしょう」


 あらまぁ、この男、随分若いと思ったけど、幽閉中の皇女サマの婚約者候補だったようです。

 そういえば、説得っぽい中に「支える」とかなんとか言っていたっけ。

 あれは王配って意味だったのかな?


「(ん? って事は家格的には下手すれば同格か? けど次期当主ではないと思うけど。……そうなるとほぼ同格って事になるか)」


 おおっと。

 ここに来て、家格的に少しばかり微妙な人物登場かな?

 とは言え、他国の賓客扱いは変わらないから、辛うじて私の方が上かな?

 まぁ最悪私の事をもみ消したとしてもアーリュルリス様を拉致した事は言い逃れが出来ないし、いいけど。


「そう。彼女はあれだけの才覚を持ちながら皇帝位など一切興味がない。その気になれば女帝として最上位に立てる資格を持っているにも関わらず、それをあっさり捨ててしまった。どれだけの人間がその才覚でもって帝国を統べて欲しいと願っていたのか。それを知りながらも、なんの未練もなく彼女は打ち捨てた」


 途端トーンが下がった気がした。

 声に恨みのような何かが宿っている。

 今まで一切気にせず聞き流していた元騎士も男の様子を具に観察し始めた。

 あまりよくない展開に私は内心舌打ちするしかない。


「挙句の果てにあんな道化達が近づくのを許し、国の事など考えず暗躍している」


 御高説を述べている所悪いけど、私にはこの男の真意がいまいちつかめない。

 この男はそこまで分かっていながら、今こうしてアーリュルリス様を拉致するなんて行動に出ている。

 明らかに辻褄が合わない行動のような気がするのだけれど、一体この男は何をしたいのだろうか?


「その才覚にどれほどの人間が焦がれた事か。それだけの才覚があれば帝国を発展させる事が出来る。……帝国を唯一の大国にする事すら可能だったかもしれないというのに」


 真意は兎も角としても男の言葉には呆れるしかない。

 結局、この男も帝国第一主義であり、王国を見下している事だけは事実なのだろう。

 だからこそ「私」を巻き込み、あまつさえ床に放り出すなんて暴挙に出れたのだろうが。


「<なー。そろそろ飽きてきたんだが>」

「<あーはいはい。気持ちは分かるけど、もう少し待ってよ。ってか此処まで来たら助けを待つ方が確実だしね>」


 一番危険な男と一番危い男が残っちゃってる以上、無理に脱出すると何をしでかすか分からない。

 後、単純にこの男を元騎士が何かしらの理由で殺してしまうと、全容解明に時間がかかりそうだし。

 こんな事をしでかした相手をきっちり裁いてもらわないと割にあわない。

 せめて見せしめ程度には役に立ってほしいもんだ。……ん? いや、見せしめって言っても帝国の話だから私には関係ないっけ、そういえば。

 一瞬だが、酷く「私」らしい思考が過ったが、直ぐに男の言葉にかき消されてしまった。


「その彼女も何を考えているのか、今回のようなミスをしでかした訳ですがね。……これで彼女に擦り寄っていた無能な者達は一掃される事でしょう。そして忠臣は最期の時まで彼女に付き従う。これで帝国の膿を出しきる事が出来るとは思いませんか?」


 その時、初めて男は私……いや、アーリュルリス様を見た。

 どうやらこれが男の真意、らしい。


「(帝国の膿をだす、ねぇ)」


 つまりこの男は自身を犠牲にしてでも救国の徒となったと言いたいのだろう。

 

「(ふざけないで欲しいんだけど)」


 そのためなら王国の賓客である「私」を巻き込んでも良いと?

 そのためなら自国の皇族に対してナイフを振りかぶっても良いと?

 そのためなら自国の人間を傷つけても「必要な犠牲」だとでも?


 あ あ 、 な ん て 愚 か な 男 な の だ ろ う か 。


 私の中に怒りが渦巻く。

 こんな男の茶番に私達は巻き込まれたのか。

 何が救国の徒だ。

 何が無能な者達を一掃だ。

 

「これで帝国は更に発展する事が出来る。……たとえ私の命が失われたとしても」

「そろそろご自分に酔うのはおよしになっては如何?」


 思ったよりも冷たい声が出てしまった。

 そんな私に後ろから息を呑む音が聞こえる。

 どうやらアーリュルリス様を怖がらせてしまったようだが、もう私は自身を止める気がない。

 少しばかりすまないとは思うけど、このまま続けさせてもらおう。

 ……再び、一瞬だけ「らしくない」という自分の声が聞こえた気がしたけど、怒りを前に霧散してしまった。


「貴方に英雄願望がおありなのはよく分かりましたわ。更に言えば帝国を愛していると思い込むのもお上手なようですわね? ですが、いい加減此方は飽きてしまいましたわ。茶番はいつの間にか始まっていたようですが、引き際を間違えてしまえば、どんな上等の劇も駄作になってしまいますわよ?」

「貴様一体何を?」

「あらあら。貴様などと言われる筋合いは御座いませんわねぇ。それにワタクシ間違った事は言っておりませんし」

「私の何をとって英雄願望など……いや、それよりも、何をもって私が帝国を愛していると“思い込んでいる”などと。その言葉のどこが間違ってないとほざくのか?」

「気づておりませんの? 貴方が真に帝国の事を考えているならば、このような事など決してなさらないというのに。気づいていない事こそ愛国者とは言えない証だとおもいますけれど?」


 男の顔が歪む。

 小娘の言葉と一蹴したいだろう。

 だが、先程私にしてやられたせいか、一考してしまったのだろう。

 だが自分の考えが間違っているとも思えず……思いたくなく? あのような表情になっているのだろう。

 そんな男を私は鼻で笑う。


「帝国を唯一の大国とする。ええ。ええ。大望を抱く事は否定なさいませんよ? 叶うかどうかは時勢によると思いますけれどね? ですが、そのためにワタクシを誘拐しアーリュルリス様に対して武器を向けた事は大失点では? まぁ今すぐ王国を降す方策でもおありになるなら問題はないでしょうけれどね?」

「……結局、小娘は小娘か。貴女は少々自分を過大評価し過ぎでは?」

「あらあら。ワタクシは自身が取り換えのきく小娘であると自覚しておりますわ。ですが、今ワタクシが“賓客”として帝国に来ているという事は事実で御座いましょう? ワタクシはワタクシ自身に付随する価値を過小評価する気もございませんの」


 そして今まで散々、帝国は「私」に貸しがあるのだ。

 既に国家間の問題になっているから「私自身」への貸しとなると少し意味合いが違うが、それでも帝国に来てから起きている一連の事件に関して、私は全面的に「被害者」であるのもまた事実なのだ。


「先程までいらっしゃった方々が無能かどうかなんて私には計り知れませんので、その事について貴方のおっしゃる事は否定致しませんわ。そして皇女サマに関してもワタクシはお逢いした事が御座いませんので、どんな方かは言及いたしません。それこそ王国の人間であるワタクシなどがする事はございませんものね?」


 個人的には皇帝には向いていないとは思うけど、此処で自論を展開する必要もない。


「ですからワタクシが貴方を真の愛国者などではないと考えたのは、アーリュルリス様に対しての態度……そして何より、帝国を愛していると言っておきながらも自国の人間を平気で傷つけている、貴方自身の言動を見ての判断ですわ」

「私が何時自国の人間を傷つけたと? それに私はアーリュルリス殿下に対して最大限の敬意を払っていましたが?」


 「勿論武器を向けたとしても本気ではありませんでしたしね」などと嘯く男。

 この男は物事に絶対など無い事を知らないのだろうか?

 何より皇族に「武器を向けること自体が問題」だと本気で気づいていないのだろうか?


「(それなら自分が無能と称していた男達と然程変わらないと思うけど)」


 ああ、自分の命が此処で失われる事は覚悟の上だから問題ないのか。

 ……それを他国の人間に見られていることがまず問題だというのに。


「つまり貴方にとって護衛の方々は自国の民ではないのですね。今頃生きているかも分からないと言うのに」

「それは……彼には命は助かる様に命じていますから」

「戯言を。彼は皇女サマの忠臣なので御座いましょう? その彼が貴方如きの命を忠実に聞くとでも?」


 私の言葉に男ははっとしたのか慌てて元騎士の方に振り向く。

 元騎士は笑っている。……私を突き落とした時と全く同じ顔で。


「その程度も忘れていましたのね。大した愛国者ですこと」


 男を煽っていく一方、私は自分が此処まで怒っている理由がイマイチつかめていなかった。

 正直、男に対して瞬間的には怒りを抱いた。

 けど、考えてみれば、此処までする程の怒りではないのだ。

 だと言うのに、私は一体どうして此処まで男を煽り、怒らせているのだろうか?

 帝国に来てからの一連の出来事によって怒りが再熱している?

 それも何か違う気がする。


「(さっきから何かが引っかかるような?)」


 それでも始めてしまった事は仕方ない。

 私は更に男を煽り立てる。


「そもそも貴方の作戦も護衛の方が生きている事が前提でございましょう? それとも助けがこなければ貴方様が名乗りでて下さるのかしら? 「私が誘拐の犯人だ」と? なんて愚かな幕引きなんでしょうねぇ? それでは貴方の計画も台無しなのでは?」

「………………うるさい」


 男の小さな声が聞こえる。

 が、あえて無視する。


「折角救国の徒となり、陰ながら帝国を支えたという名誉と自己満足を満たそうと思っていらしたのに、残念でしたわね」

「…………うるさい」

「まぁこのような方法しか取れず、王国を見下していた時点で最初から破綻していた作戦だったと思いますけれど」

「……うるさい」

「自国の皇族を敬わず、英雄になり損ねた貴方はこれからどうなるのでしょうね? 歴史書には載るかもしれませんけれど……愚か者の一人として、ですけれど」

「うるさい!!」


 恫喝と共に憎悪に近い眸が私を差す。

 そんな姿に私はようやく男の仮面が剥がれたと思った。


「うるさい小娘だ! 関係のない事をベラベラと! 王国の人間が帝国の事に口出しする事など許されない! 貴様、何様のつもりだ!!」


 男の心からの怒りの咆哮が部屋に響き渡る。

 後ろでアーリュルリス様が震えたのが分かった。

 流石に元騎士の男も驚いたのか少々目を見開いていた気がした。

 だが、そんな帝国の人間を他所に私は男の言葉に何故か「一理ある」と思ってしまった。


「(確かに。私って王国の人間よね? 帝国は気質的に合わないとすら思ってた訳だし。ならどうして私はあの男の言葉にどうして此処まで怒っていたのかしら?)」


 先程、過った疑問が再び込み上げて今度は霧散する事なく残る。

 確かに瞬間的に怒りが湧いたのは事実だ。

 蔑ろにもされたし、幾ら破綻者である私でも目の前の男の一人よがりな英雄願望には怒りもわく。

 でも、だからと言って、此処まで突っ込んで叩きのめす必要もないのだ。

 

「(だって私は王国の人間なのだから)」


 帝国が傾かないなら内部で何が起こっていようと関係無い。

 首を突っ込む気も無い。

 私があくまで被害者として様々な事を許す形になったのは一連の事件が国家間の問題に発展したからだ。

 個人的に憂う事があったわけじゃない。

 そんな私が護衛の命を心配するのもおかしいと言えばおかしい。


 私はそこまで考えて小首を傾げた。


 帝国に来てから――より正確に言えば帝国までの道中も含めて――色々な事に巻き込まれて怒りも沸いたし、疲れも感じていた。

 それは事実だ。

 それに私だって無為に命が奪われる事を許しているわけではない。

 護衛の人達が助かっていれば良いなぁとも思う。

 けれど、別に男の愛国心が本物だろうと偽物だろうとどうでも良い事だ。

 よくよく考えてみれば煽る必要もあったのだろうか?

 怒りを瞬間的に感じたとは言え、男の仮面を引きはがし断罪するような事をして何になると云うのか。

 今の私がしなければいけないのは私とアーリュルリス様が無事、出来れば無傷でここを脱出事だ。

 男の愛国心なんて本気でどうでも良いし、男の計画に対しても迷惑としか思わない……はずなのだ、本来は。

 冷静になって考えると、目の前の男に対して思うの事も人を巻き込むな程度だ。

 あ、いや、アーリュルリス様一人だと脱出は難しいだろうから、一緒に巻き込まれて良かったのかな?

 いやいや、元騎士はアーリュルリス様は守るだろう。

 結果としてさっきまで男達の命がこの場で終わろうとも。

 つまり私は巻き込まれ損という事だ。

 やっぱり私が男に対して思うのは人を巻き込んで何をやっているんだ、程度だ。

 じゃあ私は一体どうして此処まで怒っているのだろうか? ……まるで慈悲溢れる寒気のするような人格者のような思考になっているのだろうか?


「(うわぁ、自分が気持ち悪い)」


 人格者など自分とは正反対の人間と言い切れる私がここまで怒る理由など無い。

 怒るにしても他に理由があるはずだ。

 だと言うのに、どうしてこんな品行方正でお手本のようなお利口な思考になっているのだろうか?

 一体何時からこんなうすら寒い思考にシフトしていたのだろうか?


 帝国に来るまでの事と帝国滞在中の事をざっと思い返すと「(あー成程)」と思わなくもない。


「(あー。そっか。最近国単位で物事を考えているし、そういう方向にもっていかないといけない事が多かったから、思考もそっちに流れているのか)」


 随分お利口で気味の悪い思考になっていたもんだ。

 私は思わず溜息をついた。


「何だ。いきなり黙り込んで。今更自分の愚かさに気づいたのか?」


 男が私をせせら笑うが、もう怒りは感じない。

 まぁそうだ。

 この手の男なんて本来なら私の怒りを一瞬引き出すのが精一杯だ。

 目の仇にする程の存在ではない。

 こんな小物に怒るだけ無駄だし、面倒くさいとしか思えない。


「どうやら帝国に来てから、色々な出来事が起こりすぎて疲れていたようですわ」

「は?」

「そうでしたわね。たとえ貴方が英雄願望の持ち主でも独りよがりの喜劇者でも、自己犠牲に酔う愚か者でもワタクシには一切関係ない話でしたわね」

「貴様! まだほざくか!」

「ですからワタクシには関係無いと言ったではありませんか。ワタクシの言葉など戯言と聞き流せばよいモノを。それともワタクシの言葉に思う所でもおありなんですの?」


 私の返しに言葉に詰まった男に私は冷めた眼差しを向ける事しかしない。

 煽る必要性すらも今は感じない。


「けどワタクシも帝国のため、ひいては王国のために怒りを感じるなんてお利口な人間では無かったのですけれど。お恥ずかしい事に少々流されていたようですわ」


 考えてみれば帝国への道中から波乱続きだったわけだし。

 次々に問題がやってくれば私も疲れても仕方ないのではないだろうか。

 そもそも私達は遊学を名目に休暇に来たはずなのだ。

 ただ今の所ほぼ気の休まる時がないだけで。


「<そう。怒るならば、休暇をダメにされている事に怒るべきよね>」

「<おー。ようやっとオマエらしくなったんじゃね?>」

「<あ、クロイツもそう思う?>」

「<ま、今更だが。ただオレもそうだったからな。オマエの言葉で我に返ったけど、何でオレ等、こんなにうすら寒い思考になってたんだ? いや、オレも大分流されたって事か>」

「<これも一種の悲劇のヒロインやらヒーロー思考かな?>」

「<うげぇ、やめてくれ>」


 本気で嫌がっている気配に私も内心同意した。

 特に誘拐されてからの思考は気持ち悪いの一言に尽きる。

 私は私らしく何処までも傲慢に私自身を貫けばよいのだ。

 今更何を繕うというのか。

 今この場で猫を被る必要があるというのだろうか?

 私は私に問いかけるが、答えは「否」

 猫を被ってまで自身を偽る必要性がこの場においてはないと「私」は判断する。

 

「ワタクシ、怒ってはおりますのよ?」

「小娘が小賢しい口を聞いていたようですがね?」

「ええ。ワタクシも別に帝国の問題に首を突っ込む気は更々ありませんの。貴方程度の策で帝国が傾く事も御座いませんし、巻き込まれた事は別としても、思想や思考なんて好きになさって? と言っても良かったのに。いやですわ。どこぞの英雄願望が移ったのかしら」


 クスクスと笑うと男は何故か絶句して私に有り得ないモノのような眼を向けていた。

 

「ワタクシが怒っているのは、今回で言えば私をついでに誘拐しパーティーをぶち壊した事」


 「折角綺麗な庭を見せて頂き良い気分でしたのに」と付け加える。

 唖然としている男は「そんな事で?」と言った気がした。

 だが、私が怒る理由としてはそれで充分だと思う。


「何よりもワタクシが怒っているのは……遊学に来ているのに、一切それらしい事が出来ていない現状にですわ」


 「これに関しては色々な要因が絡んでいるので、特に誰に罪があるとは言いませんけれど」と一応付け加えておく。

 流石に此処で皇族の問題を蒸し返す気はない。

 アーリュルリス様は少しばかり気にしてしまったようだけど、仕方ない。

 悪いけど、今は無視させてもらう。

 つまり私が言いたいのはこれだ。


「帝国の問題は帝国の人間だけで解決して下さいませ! ワタクシにしてみれば貴方が自己犠牲に酔おうが、その結果命を落とそうが一切どうでも良い事なのですから。大体、女性に才覚で負けた上に相手にされなかった逆恨みを晴らすためにやっている事を、綺麗に化粧しているだけなのでございましょう? 御託を並べても、本音が透けて見えて見苦しいだけですわよ? そんな小者に庭の鑑賞を邪魔されたなんて、ふざけないで欲しいとしか思えませんわ」

「っ! ……なんて、傲慢な。それでも王国貴族か!」

「あら? 傲慢で結構ですわ。確かに貴族とは言葉の裏を探り、真意を笑顔で隠す生き物で御座いますし? そういう意味では貴方の方が貴族らしいのかもしれませんわね。ですけれどね……――」


 確かに必要ならば私も笑顔でニッコリ笑って後ろ手にナイフを持つぐらいの事はしよう。

 けれど、今この場でそれが必要なのかと問われれば、私は胸を張って「否」と答える。

 今の私は「私自身」を貫ける事が許されている。

 だって私が私を貫いても家族の誰にも迷惑にならないのだから!


「――……ワタクシ自身がワタクシを貫き、結果として「傲慢」と称されるのならば、ワタクシにとってはその言葉は誉め言葉ですわ! 「自分」を見失ってどうして幸せになれましょう! ワタクシはワタクシ自身が幸せになる事を諦める気など一切ないのですから!」


 高らかに宣言する私に男が唖然としているのが分かった。

 貴族としての繕いなど一切ない、しかも男がやろうとしていた自己犠牲的な英雄願望とは真逆の事を宣言したのだ。

 本来ならばここは帝国だし猫を被っていているからここまでは言わない方が良いのかもしれない。

 けど、どうせこの先会う可能性があるのはアーリュルリス様だけだ。

 そのアーリュルリス様だって殆ど関わり合いになる事は無い。

 つまり私がどれだけ人でなしだろうと欠けていようと、傲慢だろうと、それを幾ら晒そうとも問題は一切無い。

 一切の躊躇なく、そして一切の卑屈無く宣言した私は堂々と立ち、男を見据える。

 私は言った事を一切恥じないし、撤回する気も無い。

 そんな気持ちのまま私は笑い男を見据える。

 しばしの沈黙の後、それを壊したのは何故か元騎士の男の拍手だった。


「お見事です。まさか此処までの御方とは思いませんでした。どうやら相当仮面をかぶり演じていたようですね」

「褒めるようで貶しているようにしか聞こえませんわね。遊学として他国に来たのですもの、国の顔として必要とあれば演技もしましょう。そのためならば幾らでも仮面も被りましょう。……ですが、大分その仮面も貴方方のせいで相当剥がれていましたけれどね?」

「そうでしょうか? 少なくとも今の貴女様は先程までとは別人のように私には見えますが?」

「そういう貴方は全く変わらないですわね。少しは仮面を外してはいかが? 主以外の言う事など聞くとは到底思いませんけれどね?」

「よく分かっていらっしゃる」


 元騎士は会話の最中ずっと変わらない笑顔だった。

 それこそこの「笑顔」こそが元騎士の仮面なのだろう。

 人の好い仮面をかぶっていようと内面は狂犬。

 今だってその笑顔のまま私を一太刀の元に切り伏せる事が可能なのだろう。

 彼の地雷を踏まない限り問題ないはずだが、長々と話をしたい相手ではない。

 何故か今は彼の方が私に興味津々で話しかけてくるわけだが。


「本当に貴女様が帝国にお生まれにならず良かったと思います」

「……貴方も同じ事を言うのね」

「おや? カトルツィヘルにお逢いになった事が?」

「(私は誰とは言わなかったのだけれど……今更かしら?)――……一度だけありますわね。その時同じように帝国に産まれなかった事を喜ばれましたわ」

「アイツがそのように言った気持ちは分かりますね。貴女様が帝国貴族としてお生まれになった場合、最高の理解者となり得るか、最低の敵となるかのどちらかですし。貴女様の性格からすると最悪の敵になる可能性の方が高そうですからねぇ」

「ワタクシが帝国に産まれた場合、越えられない家格の差という大きな壁があるのですれど」

「そんなもの、敵対しているならば簡単に超えてしまうでしょう?」

「随分な過大評価ですわね」


 少なくとも家に迷惑が掛かるし、私から仕掛ける事など無い。

 けど、そうね。

 もし帝国に産まれて、帝国での家族が懐に入っていて、そんな家族を害されそうになったとしたら?


「相手が皇族だろうと、ワタクシは絶対に戦う道を選んだでしょうね」


 私の断定に元騎士の男は笑みを深めた。

 思考を読まれたようであまり気分は良くないが、事実だ。


「貴女様は我が主の唯一の敵となるかもしれなかった御方。これは今更ながら敬意を表さなければいけないかもしれませんね」


 元騎士はそういうと突然その場に跪いた。

 突然の行動に誰もが驚く中、深々と頭を下げる元騎士。


「今までのご無礼をお許し下さい。私の無知故の暴挙であるため、我が主には一切関係のない事に御座います。咎は私一人にあります故」


 まさか元騎士が此処まで言うと思わず固まってしまう。

 何と言うか、許すとか許さないとか、もはや私一人の裁量じゃどうしようも無いんだけどね。

 元騎士も分かっているのか特に私の許しを得る前に立ち上がった。


「とは言え、今更ですが。私の行き先などもはや決まっている事ですし」


 あっさりと死を受け入れている様子に、本当に彼は主に殉じるのだという事が伝わってくる。

 再び捕まったとしても抵抗する気もなさそうだ。

 きっと此処まで来たら私が何を口だししようと彼の主の悲願は達成されるのだろう。

 だからこそ元騎士はあっさりと自分の気分一つで謝る事が出来た。

 多少の敬意を示され認められたのも事実だが、自分の言動が主の悲願には一切関与しないからこそのさっきの謝罪なのだろう。

 とは言え、この男に此処までされたのはある意味で凄い事なのかもしれないけど。

 

「(敵として認められても嬉しくないのですが)」


 人の事は言えないが、彼も随分自分勝手な人間だ。

 いや、手綱を握る人間が傍にいない狂犬などこんなモノか。

 短いやり取りを交わしただけだけど、何だかどっと疲れれがきて私は溜息を隠せない。

 だからと言い訳する訳では無いが、私はこの時すっかり忘れていたのだ。

 この場にはもう一人いた事に。


「何故だ」

「あら?」


 そういえばいましたね、もう一人。

 もはや私を得体のしれないモノとして判断して口をだしてこないと思っていたのですが……ごめんなさい、忘れていただけです。

 すっかり忘れていた男は先程までとは違い、今度は私を睨んでいた。

 おまけ程度にはしか思っていなかった、格下の小娘を今は対等の相手として扱っているのだ。

 素早すぎる、しかも欠片も相手にしてなかったはずの状態での変化に私も首を傾げざるを得ない。

 先程までのやり取りの時だって私を見下す事をやめなかったというのに、一体どういう心境の変化だろうか?


「なぜだ」

「一体何を言いたいのかしら?」


 何故だ、を繰り返す男に私は顔を顰める。

 眸に宿る狂気的な感情は強くなっていると言うのに、その源流が何処か分からないのだ。

 不気味に思うのも仕方ない事だろう。

 もう一度「何故」だけを投げかけてきたら、以降は無視しようと思ったが、偶然か男の言葉に続きがついていた。


「なぜ、貴族らしくない傲慢な小娘が認められる」

「……“敵”として認められて嬉しいと思いまして?」


 色々足りないが、多分先程の元騎士の会話の事を言っているのだろう。

 だが、心の底から心外である。

 代われるものなら代わってほしいぐらいですが?

 だが私の心の内などどうでも良い男にとってはそんな私の言葉すら傲慢と受け取ったらしい。

 目に宿る憎悪が強くなる。


「何故! 何故! 貴様等に才覚があるんだ! 何故! 国の事など一切考えない貴様等にその才がある! 私がどれだけ欲しようとも得られなかった才能を。それを不自由なくふるう事の出来る環境にありながら、何故! どうしてお前のような小賢しいだけの小娘が彼女の眼に止まる! 忠臣に認められる! 何故!」


 もはや自分でも何を羨んでいるのか分からないのかもしれない。

 男の言葉は支離滅裂とまではいかないが一貫性が無い気持ちの羅列だった。


「ワタクシは皇女サマの目に止まっていないのですけれどねぇ」

「私が報告する機会がありましたらもれなく興味を引いたでしょうが……地の底までお預けですね」


 元騎士の言葉に彼もまた皇女サマに殉じる気である事が伺える。

 つくづく、忠臣というよりも、まるで獣人のような男の事だと思う。

 この男ならば死出の旅路にも喜びついていく事だろう。……たとえ、其処が『地獄』だろうとも。


「どうやらワタクシは今世、貴方が主と顔を合わせる機会が無い事を喜ぶべきですわね」


 私の言葉に元騎士が答える前に男が再び声を上げた。


「どうして貴様が彼女の眼に止まる事が出来る! 私は一目で彼女の才覚に気づいた。彼女を支える事が出来る立場に居られる事に歓喜したというのに! 彼女は私に一瞥もくれる事は無かった! それでも彼女が女帝となり、それを支える事が出来れば良いと思っていたのに! 彼女はあっさりとその権利を放棄した! ……貴様もだ!」


 再び男の視線が私に向けられる。


「自分を貫くだと? 貴族の娘にそれが出来るとでも!? それが難しい事を知りながらも貫く気か? 狂っているとしか思えない! しかも傲慢と言われようとも気にしないだと?! そのような事有り得ない! どうしてそんな小娘が彼女に認められる!? どうして神は彼女のような気狂いに才覚をお与えになった! 小娘のようなものに強さをお与えになった! 小娘に愛し子たる資格などないというのに!」


 無才な自分を蔑み、才覚ある者を羨み、才覚ある者は国に奉仕すべきと決めつけ、その道から外れると糾弾する。

 挙句の果てには神へと怨嗟の声を上げる。

 その姿こそ「気狂い」に相応しいだろうに。

 怨嗟に塗れている男に私は冷めた感情しか感じない。

 幾ら妬まれようが、罵倒されようが私の心には一切届かない。

 傲慢で結構。

 私は懐に入っている人間さえ幸福ならば、他には何を要らない欠けた人間だ。

 だからこそ彼等に災難が降りかからない所ならば自分を偽る必要もない。

 今、自身を貫いて何が悪い。

 自分を幸せに出来るのは自分だけなのだから。

 自ら幸せを放棄するような生き方をするつもりは毛頭無い。

 それを選ぶのは私の大切な人達の幸福と私自身が並び立たない時だけだ。

 私の思考や思想が貴族として間違っていようが私は私を変えられない。……変える気も無い。

 それが「私」なのだから、と今の「私」はそれを良しとし、そして貫く事で降りかかる不利益を受けとめる覚悟もしている。


「貴方の基準から外れるからと言って否定される謂れは御座いませんが、そうですわね。……貴方は“足りなかった”。それだけの話ですわ」


 私と男の違いなど些細と言えば些細な事。

 ただ男には様々なモノが「足りなかった」から選ばれなかった。


 貴方には基準から外れるだけの覚悟が足りなかった。

 貴方には狂気を抱く人間と並べるだけの狂気が足りなかった。

 貴方にはまるきり違う価値観を受け入れる度量が足りなかった。


 言ってしまえば彼は貴族として「普通」なのだろう。

 それだけの話だったのだ。

 私の言葉に男は呆然とした様子で私を見ていた。


「たりない? いったい、わたしになにがたりないと?」

「さぁ? ワタクシには答える義理はありませんわ」


 言っても分からないだろう。

 多分皇女サマはその内に狂気を抱える、欠けた人間なのだろう。

 そんな人間と向き合い、共に居るだけの「何か」が男には欠けていた。

 そんな事口で説明して納得できるとは到底思えない。


「(結局、惚れた女に見向きもされず、それを逆恨みした挙句、大義名分をでっちあげて、盛大に暴走しただけって所か。それに巻き込まれるなんて……うん、私は本気で怒っていいと思う)」


 自爆したいなら勝手にすれば良い。

 私を巻き込まないで欲しかった。


 この時私は既に男に対して興味を失っていた。

 だから気づかなかった。

 男の疑問に答えなかった時、男の目が今まで一番妖しく煌いた事に。

 更に迂闊だったのは気づいたのは私に守られていたアーリュルリス様だけだった事に。


 だからこそ私が気づいたのは男が私の結界に対して魔道具を投げつけた時という遅すぎる時だったのだ。


 突然の爆音と共に結界が消えたのが感覚で分かった。

 慌てて元騎士を見るが、彼も驚いているのが見えただけだった。


「(つまり、結界を壊したのは男の方!?)」


 そう結論付けた時、男は既に近くまで駆けつけていた。

 しかもどこで拾ったのかナイフを持っている。

 

 詠唱じゃ間に合わない!


 一瞬で考えていた策を捨てる。

 相手は武術に長けてい様には見えなくとも成人男性である事には違い無い。

 此処でカタナを出すのも愚策。

 なら、次は……私は胸元のペンダント強く握りしめる。 


 これなら、まだ間に合う!


 私が最終手段に近い手を講じようとした時、突然体が後ろに傾く。

 それが、男の変容に気づいていたアーリュルリス様に庇われる形で立ち位置が入れ替わったのだと理解したのは、私の視界を一瞬だがアーリュルリス様で一杯になったからだった。

 視界一杯がアーリュルリス様で埋まり、私は思考が停止し、それが隙となってしまった。

 思考の停止により隙だらけとなっていた私は覆いかぶさったアーリュルリス様越しに男が振り下ろすナイフが月明りを弾いて鈍く輝いていると、酷く場違いな事を考えていた。

 振り下ろされるナイフがやけにゆっくりだと、何故かそんな風に感じた。



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