番外編9a.アルストロメリアは騎士になりたい(前編)
ゲ●インな冒険初心者メリアさん登場の巻。
◇その1.女騎士(志願)アルストロメリアの第一歩、そして挫折(早ッ!)
サイデル大陸の“北の玄関口”と称される港湾都市セロムトープ。
同大陸の北の雄である大国ギリアークの王都も兼ねるこの街は、北部でも有数の商業都市であり、サイデル大陸全土──のみならず、非公式ながら隣のクラムナード大陸との船のやりとりも年間数隻はあるほど“人”と“物”の流れのさかんな場所だ。
その港町の外洋向け大型船用桟橋の前に、ひとりの少女が腰に手を当てて立っていた。
身長は160台後半と、この国の女性の平均と比較するとやや長身だが、顔だち自体はまだ幼さが残っている。おそらくは15、6歳といったところか。
長く伸ばした紫色の髪をポニーテイルの髪型にまとめ、この大陸では珍しい白磁のような肌と綺麗な琥珀色の瞳を持ち、顔だちも整ったなかなかの美少女だ。
少々意匠は古いがしっかりした造りの鋼板鎧を上半身にまとい、腰に長剣を下げ、そしてそれらの重さに振り回されている様子も見えないところから、それなりに力はあるようだ。
「──あれが私の乗る船か」
長く伸びた桟橋の先に係留されている大型船を見つめながら少女が感慨深げにつぶやく。
地球で言うと15世紀に発達したカラック船に近い、船幅の広いずんぐりした形状の帆船だが、全長は60メートル強とかなり大きい。構成材質も、木材を基本にしつつ、随所を鉄で補強したうえ、帆と帆柱には亜竜素材が、舵とそこに連動する機構には魔法で強化された合金が一部使用されているなど、サイデル大陸を取り巻く荒海を乗り越えるための工夫が施されている。
──もっとも、船にはてんで素人の少女にはそんなことはわからず、せいぜい「随分大きな船だな」と感心する程度であったが。
「あれに乗ればクラムナード大陸に着く。いよいよ我がローズ家を再興するための私の冒険の旅が始まるのだな」
芝居っ気たっぷりにそんな説明台詞を口にする少女だったが……。
「おい、嬢ちゃん、そんなトコに突っ立ってると邪魔だ邪魔だ!」
大きな木箱を肩に担ぎ、頭にバンダナをかぶった隻眼髭面の筋肉という、どこからどう見ても荒くれ水夫(もしくは海賊一味)にしか見えない中年男性に一喝されると、様子が一変する。
「あ……す、すみませんすみません、すぐにどきます」
ペコペコと頭を下げながら謝罪の言葉を口にするその様子は、先ほどまでの凛々しい女騎士風のたたずまいとは大違いだ──というか、たぶんコッチの方が地なのだろう。
「あ、あの~、あの船の乗組員の方ですか?」
桟橋へと歩み去る水夫(?)におそるおそる声をかける少女。
「ん? まぁ、そうだが……」
「えっと、あたし、船主さんにお願いして、この船に乗せていただく約束になっているんですけど……」
紹介状らしき代物を水夫(?)に見せる。
「ふむ、客か。まぁ、いいだろう。まだ出港までは多少間があるが、どうせなら、今、ワシと一緒に乗っちまうほうが面倒がないぞ。どうする?」
ゴツい見かけのわりには案外親切なようだ。
「あ、乗ります乗ります」
少女は足元に置いた大きめの背嚢を持ち上げ、肩にかける。
その大きさと手にしたときの揺れ方からしてかなりの重さがあるようだが、その荷重を受けてもさほど辛そうに見えないあたり、年齢に似合わずなかなか身体は鍛えられているのだろう。
(どこぞのお貴族様の道楽冒険者ごっこかと思ったが……少なくとも“本気”でやる気はあるようだな)
瞬時にそう判断した水夫(?)は、少女と並んで桟橋を歩きつつ、さりげなく話題をふって彼女の情報を聞き出す。
その結果わかったことは……
・少女がこの国から見て西方に“かつてあった王国”の元貴族の家柄の娘であること
・幼少時に国が滅んだ際、彼女の家は国外に落ち延び、今は辺境の村でひっそり暮らしていること
・その家を再興するために、グラジオン大陸で一流冒険者になろうとしていること
──以上の3点だった。
「(おいおい、いくら世間知らずって言っても警戒心零過ぎだろ)──それで、その格好からして、嬢ちゃんは女騎士あたりを目指すつもりか?」
「はい……じゃなくて、うむ。我がローズ家は、その初代に勇者をいただく血筋。あた…私も、その故事に倣うつもりなのだ」
どうにも口調が安定しないのは、少女が「自分の考える“こうきなおんなきしさま”」を演じているからなのだろう。
「──まぁ、夢を見るのは自己責任だから他人のワシがとやかく言う筋合いはないが……とりあえず、船に乗ったらそのクソ重たそうな鎧は脱いだほうがいいぞ」
「む? いや、しかし、コレは私の騎士としての……」
「万が一船から落っこちた時、ロクに泳ぐこともできずに沈んでもいいなら無理にとは言わんが」
「脱ぎます。今すぐ、はい」
あっさり鎧の留め金に手をかけた少女を水夫(?)は慌てて止める。
「こらこら、あとにしろ、あとに。アンスリウム船主オーナーからの伝言で頼まれとるから、お前さんには個室を割り当ててやる──と言っても、別のご婦人との相部屋になるのは、飛び込みの依頼だから勘弁してくれ」
「あ……すみません、ご迷惑おかけします」
“演技”している時を除けば、どうやらこの娘は案外素直で腰の低い性格らしい。
(ひとりでは無理だろうが、信頼できる仲間に恵まれれば、冒険者としてもそれなりの域に達せるかもしれんな)
自身も若い頃は冒険者として活動していた時期のある彼はそう考えたが、ちょうど船に乗るための渡し板のところまで来ていたので、口にしたのは別の言葉だった。
「では、ここから乗船してもらう──ようこそ、我が「海神の波濤」号へ。船長として歓迎するよ、騎士志願の嬢ちゃん」
「あっ、はい……って、せんちょお? え、嘘ぉ!?」
頷きかけた次の瞬間、少女は大きく目をみはって、水夫──いや、「海神の波濤」号の船長と名乗った男性と船の間を視線で行き来させている。
船長の方は、少女がプチパニックになっている様子を、「してやったり」と言った顔つきでニヤニヤしながら眺めていた。
「船長! お戻りでしたか……って、そちらのお嬢さんは?」
騒ぎを聞きつけたのか、船の甲板から20代後半くらいの男性が姿を見せる。
「おぅ、ダグダ。お客さんだ。オーナーからの肝煎りだから、その辺りは多少考慮してやってくれ」
「はぁ、それは構いませんが……今回2等船室の空きはなかったのでは?」
「ミセス・ファーブルに相部屋にしてもらおう。話はワシがつけるから、お前はこの嬢ちゃんを、とりあえず休憩室に案内しといてくれ」
「了解!」
幅50センチ、長さ3メートル足らずの渡り板を、大きな木箱を担いだまま、ひょいひょいと危なげなく渡り、船内へと消えて行く船長。
残された少女の方も渡り板に足をかけたものの、意外にたわみ揺れるその不安定さに、思わず足がすくんで立ち止まってしまう。
「あ~、申し訳ありません、お嬢さん。この船の規則で、その板を自力で渡れない方は乗船をお断りしてるんで、そこはどうにか頑張ってくださいとしか……」
船の側で待っている、船長から案内役を引き継いだ青年は苦笑気味にそう告げる。
「だ、大丈夫です……これから壮大なる冒険の旅に出ようというあた…私が、この程度の障害に怖気づいてなぞいられないのだから」
つまり、そう自分に言い聞かせないと挑戦できない程度には、恐怖を感じているらしい。どうやら先ほど船長に「鎧を着たまま海に落ちたら溺れる」と言われたことが効いてるのかもしれない。
そんな少女の虚勢を微笑まし気な笑顔で青年が見守る中、ザックを肩ではなく背中に改めて背負い、足元の革長靴ブーツの紐をしっかり締め直した少女は、緊張した面持ちで一歩一歩渡り板に歩みを進めていく。
──ギィ……ギィイ……
途中何度か板が軋む音にビクッと肩を震わせたものの、そこで立ち止まることもなく、都合7歩ほどで無事船の甲板へとたどりついたのだった。
「ふぅ~」
小さな溜息をついて肩の力を抜いた少女は、青年の生暖かい視線に気付いた瞬間、シャキンッ!と姿勢を正す。
「コホンッ……ふっ、私にかかればこの程度の障害などあってなきが如きものだな」
ドヤ顔で言い放つ少女に対し、「いや、それ、障害って言うか、俺ら乗組員にはただの通路なんですけど」とツッコミたいのを懸命にこらえた青年は、唇の端がピクピク引きつるのをこらえつつ、少女の案内を始めた。
「基本的にこの船は貨物船ですが、クラムナードに行く船は貴重ですから、人の運搬も引き受けてます。とは言え、乗客用の船室はやはり少なく、3等船室──とは名ばかりの10数人まとめて押し込めるための空部屋と、二段ベッドが4つ並べられた二等船室、それとオーナーとその知り合いのみが利用できる個室の一等船室がそれぞれひとつずつあるだけです」
お嬢さんは、オーナーの紹介状があったから、船長も一等船室を使ってもらうことにしたんでしょう、と青年は告げる。
「その、“お嬢さん”と言う呼び方は止めてもらえないだろうか。名乗るのが遅れたが、私の名はアルストロメリアと言う」
「おっと、失礼しました。俺は、この船の航海士を務めるダグダと言います──あ、ここです」
互いに自己紹介したところで、当面の目標地点である“休憩室”に着いたようだ。
4メートル四方ほどの広さのその部屋は無人で、長椅子ベンチに毛が生えた程度の質素なソファが2脚と、やや大きめのテーブルひとつ、それに椅子代わりの木の樽が数個置かれていた。
「今は出港前なので皆出払っていますが、航海中に暇ができた乗組員は、ここで暇つぶしにカードやボードゲームの類いをやってるんですよ。時にはお客さんが混じることもありますね」
「へぇ~」
そんなことを話していたところに、おりよく船長がやって来た。
「おぅ、ミセス・ファーブルの許可がもらえたぜ。嬢ちゃんは、コッチ来てくんな」
髭面の船長に連れられて、こんどは甲板上に設置された小屋のような建造物へと向かう。どうやらここが一等船室らしい。
──コン、コン!
「ミセス・ファーブル、先ほどお話しした相部屋になってもらうお嬢さんを連れて来たぜ」
「あらそうなの。じゃあ入ってもらって」
部屋の中には、僅かに蒼みがかったプラチナブロンドの髪を腰まで伸ばし、スカート丈の長い赤いワンピースを着た女性が、穏やかな微笑を浮かべて立っている。
一等船室の先客であるミセス・ファーブル──アトラ・ナイキ・ファーブルは、ヒューマンであるアルストロメリアからすると、15歳の彼女よりもさらに幼い12、3歳の少女のようにも見えた。
しかし、丸くて大きな耳朶、そして身長に比して随分と大きい靴を履いていることに気付けば答えは簡単だ。
「もしかして……グラスフェロー、ですか」
「正解ね。まぁ、わたしは母方の祖母がヒューマンで、そちらの血が出たせいか、同族の女性と比べると随分大女なのだけれど」
グラスフェローは、このアールハインでヒューマン、エルフ、ドワーフに続く第四の種族だ。
成人時の平均身長はドワーフよりもさらに小さい120センチ前後で、丸っこ顔な輪郭とクリクリした大きな目、落ち着きのない性格などもあって、知識のない者ならヒューマンの子供と勘違いすることもあるが、耳と足を見れば見分けるのは比較的たやすい。
目の前の女性はアルストロメリア自身の身長から逆算すると140センチに届くかどうかというラインだから、確かにグラスフェローとしては規格外に長身と言ってもよいだろう。
ちなみに、アールハインで“人間”と言えば、通常、前述の4種族にトロールを加えた5種族を指す。この5種族間では(受胎率はやや低いものの)ふつうに子供が生まれるため、大きく人間という範疇にまとめられているのだ。
なお、混血とは言ったが実際には、地球の空想物語などで出てくる“ハーフエルフ”のようなモノは“原則的に”存在せず、父か母、どちらかと同じ種族になる(数少ない例外は外来人関連だ)。
とは言え、もう片方の親の形質がまったく遺伝しないわけでもなく、たとえば外見はまるっきりヒューマンでも、片親がエルフの場合、普通のヒューマンより魔力が高くやや長寿な傾向があるし、片親がトロールならかなり長身になることが予想される。
アトラもヒューマンの祖母の形質を隔世遺伝で受け継いだのかもしれない。
「そうそう、ミセス・ファーブルは、こう見えて5人の子供を持つ母親で20レベルの軽戦士、かつクラムナードでも有名な商会を経営する遣手女性キャリアウーマンだから、礼儀はわきまえといたほうがいいぞ」
船長に耳打ちされて、ギクーン!と身体を強張らせるアルストロメリア。
「! いいい、言われるまでもない。騎士は御婦人には礼儀を尽くすものだからな」
──最初にドモっていなければ、その台詞にもそれなりの説得力はあっただろう。
「あらあら、そんなにシャチホコばらなくても良いのよ? さすがに身内でも部下でもないお嬢さんを“教育”するほど、お節介ではないつもりだから」
アトラはニコニコと穏やかな笑みを浮かべているが、そこに逆に底知れない“凄み”を感じ、アルストロメリアは外見こそがんばって平静を保っていたものの、脳内では「キャインキャイ~ン」と尻尾を丸めた負け犬状態だったりする。
ともあれ、そんなこんなで騎士志願の少女は、大商会の主である女性と相部屋になったわけだが、本人が言う通りアトラはアルストロメリアを不必要に威圧するようなこともなく、むしろ暇を見ては人生の先達として彼女のためになるような話を色々してくれた。
アルストロメリアとしても、母親以外で年上の女性とこんな身近に暮らしたことはなかったため、半月あまりの航海が半ばを過ぎる頃には「ミセス・ファーブル」から「アトラおばさま」へと呼び方を変え、それなりに親しみをもって接するようになっていた。
実際、若い頃は行商人としてグラジオンとクラムナード、2つの大陸を股にかけて巡り、今の地位を築いてなお、必要とあらば危険なサイデル大陸にまで単身自ら足を運ぶほどの女傑の語る話には、実家の僅かな蔵書や辺境の農村の井戸端話では入手できない貴重な情報と教訓が含まれており、アルストロメリアは深く感じ入っていたのである。
また、やや夢見がちでカッコつけな傾向はあるものの、本質的には素直で聡明なアルストロメリアのことをアトラも気に入り、少女にとっては幸運なことに、クラムナードからグラジオンへ渡る際の船便の紹介をしてくれることになった。
* * *
「それでは、おばさま、大変お世話になりました。船長さんも色々ありがとうございます」
クラムナード大陸での降船時には、乗船時のイタい言動はどこへやら、ふたりに至極礼儀正しく真っ当な挨拶をして、アルストロメリアはそのままアトラに紹介されたグラジオン大陸行きの船(タイミングよく1時間後に出航予定なのだ)へと乗り込んでいく。
──そして1ヵ月後。
「ここがグラジオン……「冒険者天国」にして「夢見る者たちの終点」……」
アルストロメリアの乗った船は、予定より2日遅れでグラジオン大陸東南部の港のひとつ、アヴィターバに到着していた。
2日遅れとは言っても、この時代の長期航路でその程度は十分誤差の範囲だ。今回の航海でも、一度ちょっとした嵐に巻き込まれて航路から逸れたものの、船に大きな損傷もなく、2日のロスで無事到着したのだから問題はないと言ってよい。
よい、はずなのだが……船から降りた騎士志願の少女アルストロメリアの顔色は冴えない。セロムトープで意気揚々と「海神の波濤」号を眺めて気焔を吐いていた時と同一人物とは思えないほど意気消沈している。
いや、雰囲気だけではなく、実際に痩せてやつれてもいるようだ。
「ぅぅ……もぅダメ」
渡し板から桟橋に降り立った直後、2、3歩フラフラと足を進めたものの、ガクリと膝をついて崩れ落ち、かろうじて地面に両手を突いた姿勢で何かに耐えるような表情をしている。
「ん? おい、アンタ、どうした? 大丈夫か!?」
たまたま用があって桟橋に来ていた人の良さそうな青年が、彼女の様子に気付き、しゃがみこんで声をかけたところで……。
「おぇええええええ~~」
「うわっ、ちょ、せめて吐くなら水ん中に向かってやれよ!」
“リバース”するところを真正面から目撃してしまう。
──こうして、アルストロメリア・ノヴァ・ローズの“冒険者として華麗に活躍して名を上げてローズ家を見事再興♪”計画は、どうやら第一目的の地・グラジオンに着いて早々に、暗礁に乗り上げた(と言うか木っ端微塵に砕け散った)ようであった。
◇その2.女騎士(見習)アルストロメリアの挑戦からの後悔
思い出の中のお父様は、黒光りする全身鎧を着て大きな鹿毛の馬にまたがり、同様の武装をまとった騎士たちの先頭に立って威風堂々と王都を行進していました。
お母様の話では、お父様はお仕事がお忙しいらしく、屋敷に戻って来られる時間はいつも遅くて、あたしはたまお休みの時くらいしか顔を合わせることがなかったけれど……。
それでも、立派な貴族で武名高き“黒騎士”、そして口数少なくも優しい父親であるお父様をあたしは、とても大好きだし尊敬していたのです。
でも……。
* * *
「それで、ちょっとは落ち着いたかな?」
“あの”後、やつれてフラフラの状態で【乙女の尊厳崩壊】にまで及んだ少女をそのまま見過ごすことのできなかった青年は、彼女の口元を手拭で簡単に拭いてから、肩を貸すような形で馴染みの店(というか泊まっている宿屋の一階の食堂)まで連れて来ていた。
時刻は朝の10時過ぎ。ちょうど朝食と昼食の合間で、それほど混雑していなかったのも幸いして、ぐったりしていた少女──アルストロメリアも幾許かは落ち着いた様子だ。
「──う、うむ、ご助力、感謝する」
かろうじて女騎士っぽい口調をする余裕くらいは取り戻しているのだから。
「パッと見た感じ、ヒドい船酔いだったみたいだけど、薬とかは飲まなかったのか?」
「その……さっきの船の前に乗っていた船では船酔いしなかったので……」
「なるほど。用意していなかった、と」
青年に言い当てられて、バツの悪そうに目を伏せるアルストロメリア。
迂闊と言えば迂闊だが、運が悪かったともいえる。
彼女が最初に乗った「海神の波濤」号は、この世界でも屈指の大きさを誇るうえ、船体構造的にも揺れが少なく、さらにいくつかの魔法技術で安定性を増す処置が為されていたのだ。
加えて、同室の旅慣れた大人の女性アトラがさりげなく気を使ってくれていたので、身体的精神的コンディションが良好だったことも、船酔いにならなかった要因のひとつだろう。
しかし、クラムナード~グラジオン間で乗った船は、そこまで大きなものではなく、ちょっと波が荒れただけでも大いに揺れた(と言うか、この世界の常識からすればそれが当たり前だ)。さらに、途中で嵐に遭遇したことがトドメとなって、船旅の後半、アルストロメリアは狭い船室のベッドでほとんどグロッキー状態でうなっていたのだ。
で、ようやく揺れない陸に着いたところで緊張の糸が切れ、先ほどの醜態に及んでしまった──ということらしい。
「オレも2度ほど海の船旅を経験して、あの揺れっぷりには閉口させられたから、わからんでもないがなぁ」
生来のお人好しさに加えて、その同情心があったからこそ、青年も彼女を放っておけなかったのだろう。
「あんな状況の私を介抱していただき、誠に助かった。礼を言う」
「あ~、いや、そりゃ、初見とは言え年下の女の子を、あのまま見捨てたら流石に寝覚めが悪いしな」
苦笑する青年。
「じゃあ、体調が戻ったなら、オレは行くぜ。そうそう、宿を探しているなら、ここの二階も手ごろな値段でそれなりに綺麗だから、一泊してみるのも悪くないと思うぞ」
テーブルに律儀に自分の飲んだ蒲公英珈琲の分の銅貨を数枚置き、青年は立ち去ろうとする。
「あ……あのっ!」
少し前の彼女なら、「そうか。世話になった。縁があったらまた会おう!」などと、いかにも“冒険物語の女騎士”が言いそうな小洒落た言い回しの挨拶を垂れ流して青年を見送ったかもしれない。
しかし、その時、「海神の波濤」号でアトラから聞いた「一期一会」や「幸運の女神には前髪しかない」という言葉(実は外来人由来の警句らしい)が、ふと頭を頭をよぎり、無意識のうちにアルストロメリアは椅子から立ち上がり、青年を呼び止めていた。
「ん? 何か用かな?」
振り向いた青年に呼びかけようとして、まだ互いの名前すら知らないことに気付く。
「あたしはアルストロメリアと言います。お兄さんのお名前は?」
「ああ、こりゃ失礼。オレはシンタロウ。仲間内からはシンって呼ばれているCランクの冒険者だ」
──予想はしていたが、どうやら相手は彼女が必要とする情報を持った人材だったらしい。
「もう少しだけお時間をいただけますか? お昼ご飯をおごらせていただきますので、この大陸での“冒険者”について話を聞かせてもらいたいのですが」
* * *
さて、この世界において大陸を問わず、“自称”ではなく正式な冒険者になること、それ自体は決して難しくはない。
何処かの冒険者ギルド(クラムナードは冒険者組合)の本部ないし支部で登録すれば、誰でもその日からEランク冒険者として認められるのだ。登録の段階でハネられるのは、国から指名手配されている重犯罪者か、自分ひとりでロクに歩けないような老人、あるいは(ヒューマン基準で)12歳以下の子供くらいだろう。
もっとも、グラジオン大陸では国どころかそれなりの大きさの町であれば大概ひとつは冒険者ギルドの支部があるのに対し、サイデル大陸の場合、小国なら下手すると王都にしかギルドがないという事例も結構あるので、その意味では(ギルドのある町まで来るという点で)多少は難易度に差があるかもしれない。
ともあれ、とりあえず冒険者ギルドまで来れば、99%の人間が“冒険者”として登録はできる──そう、登録“だけ”は。
冒険者になることと、冒険者として生計を立てることは、またの別問題だ。実際の話、“冒険者天国”と謳われるグラジオンですら、Eランクの冒険者がそれだけで暮らしていくのは、かなり厳しい。よほど運か財力に恵まれていない限り、Dランクに昇格するまでは、たいてい他にも臨時職をして食いつなぐケースが圧倒的に多い。
そもそも冒険者にランク制が敷かれている理由のひとつは、ランク=依頼達成実績≒信用度となるからであり、高ランクの冒険者であればあるほど社会的信用度も高くなるのだが、同時にそれは請けられる仕事の階梯も決めることになる。
冒険者ギルドで公示される仕事にはすべて“推奨ランク”というものが提示されており、その上下1ランクまでの冒険者しか請けられない。たとえば推奨Bの仕事はA~Cランクまでが範囲となる。例外的にSランクの仕事はA~SSSまでの4つのランクで請けられるが──まぁ、SSやSSSランクの冒険者なぞ大陸ごとに両手の指で数えられるほどなので、この辺は深く考える必要はない。
また、依頼者側で「この仕事はBランク以上の冒険者に」などと指定している場合などはそちらが優先され、Cランク以下の冒険者は手が出せないのが原則だ。
なお、複数の人間が徒党を組んでいる際の推奨ランクの目安は、全員の平均……ではなく、“パーティメンバーの過半数がランク条件を満たしていること”となる。先ほどの例であれば、推奨Bランクの仕事に対して、A、B、C、Dランクの冒険者で構成されたパーティなら請けることができるが、AがひとりにDが5人というパーティでは「残念ながら今回はご縁がなかったということで」と申し渡されてしまう。
そういう事情もあって、できるだけランクが近い者同士でパーティを組むのが好ましいとされているのだ。
無論、ギルドを通さない依頼というのも無いわけではないが、その場合、仮に成功してもギルドのランク査定の材料にはならない。また、後ろ暗いことのある依頼ばかり引き受けている場合は、ギルドの方から警告を受けることも多々ある。
「なんと! それでは、Eになりたての私がいきなりAランクの仕事を成功して、華麗なデビューをキメるというようなコトは……」
シンの説明にアルストロメリアが落胆の声を漏らす。
「当然できない。と言うか、そもそもAランクの仕事って、わかりやすく例を挙げると“飛竜の巣から卵を盗ってくる”とか“王級に統率された豚鬼の軍団から村を守る”とか、そういうレベルの難事だぞ? 駆け出しが出しゃばっても瞬殺されるのがオチだ。Cランクとしてはそれなりに経験積んでるウチのパーティでも、正直遠慮したいし」
呆れたような言葉を漏らすシンに、アルストロメリアはいぶかしげな視線を向ける。
「? ワイバーンはともかく、オークなぞ、私でも撫で斬りにできると思うのだが……」
「実際、故郷でも2、3度斬った経験がある」と少女は胸を張る。
「あ~、実戦経験済みというのは心強いが、たぶんそれって単独で人里に迷い込んで来た、はぐれオークだろ? その格好や身ごなしからして、たぶん正規の剣術をそれなりに研鑽積んできたんだろうとは思うが、対集団戦、それも乱戦って言うのは、また勝手が違うからな。ましてや、優秀な指揮官が率いる集団は、危険度が2、3段跳ね上がるし」
そう語るシンの目の真剣さが、少女に「何を弱腰な」と一笑に付すことを許さなかった。
何の実績もない彼女と異なり、目の前の青年はEからD、DからCへと2ランク昇格した冒険者なのだ。当然、その過程では幾多の戦闘と経験を経てきたのだろうから。
「──“此方”の物語おとぎばなしなどでは、我らと並んで“弱いやられ役”の代表とみなされる豚鬼共でござるが、直接何度か対峙した身からすれば、なかなか侮れる相手ではござらんよ」
唐突に背後から聞こえてきた声にビクンと肩を震わせて、アルストロメリアが振り返ると、そこには黒装束に身を包んだ人物がいつの間にか立っていた。
身長は120センチほどと小柄だが、頭巾と覆面で隠された頭部で唯一露出している目元から覗く眼光は鋭く、また錆びた声色からしてもこの人物が年端もいかない子供などではないだろうことは想像がつく。
(もしかして、アトラおばさまと同じグラスフェローなのかしら?)
「お、クサキリマルか。ディンゴの調子はどうだった? お見舞い、行ってきたんだろ」
どうやらシンの知り合いらしい。
「うむ、経過は順調とのこと。神官殿は3日もすればいつも通りに動けるとおっしゃられてござった」
と、そこで黒装束の人物は、アルストロメリアの方に向き直り、軽く頭を下げた。
「拙者はクサキリマルと申す者。そこなシンタロウ殿と徒党を組む冒険者でござる。先ほどは、お二方のお話につい余計な横槍を入れてしまい、誠に申し訳ない」
「え、あ、いえ、全然気にしてませんから」
こんな風に予想外な相手と会話すると、すぐ“女騎士”調ではなく素の言葉遣いが出てしまうあたり、アルストロメリアの演技はまだまだのようだ。
「シンタロウ殿、こちらの方は……」
「えーっと、“ちょっとしたハプニング”で知り合った冒険者志願のアルストロメリアさん。冒険者になるための予備知識が欲しいらしくて、簡単に説明してるところだ」
「アルストロメリアと言います。どうぞよろしく」
アルストロメリアは、手を差し出して握手を求める。
少し戸惑いつつクサキリマルも黒い手甲で覆われた手を出し、彼女の手を握る。
「──他の大陸には“しぇいくはんず”なる挨拶があると聞いたことはあり申したが、実際にする人を見たのは初めてでござるな」
「俺もだ。クラムナードからの船に乗って来たみたいだけど、アルストロメリアさんはそちらの出身かな?」
「いえ、クラムナードのさらに南にあるサイデル大陸から参りました……というか、こちらでは握手するって習慣ないんですか!?」
ちょっとしたカルチャーショックを受けるサイデル少女A。
「ああ、此方じゃあ、日本……もといアキツやシン、フダラクの流儀の“お辞儀”するのが一般的だな。大陸西部の方には、握手する習慣もあったらしいけど、そちらでも今ではかなり古めかしい儀礼とされているはずだ」
ちなみに、“お辞儀”がこれ程広まった主な原因は(日本から来た)外来人達にあることは言うまでもない。
「まぁ、その辺りのコトはさておくとして──アルストロメリアさんは、わざわざオレに“冒険者”について聞くということは、あまり正確な知識がない、と判断してもよいのかな?」
「それは──ええ、その通りです」
反射的に否定しかけたものの、確かに“冒険者の活躍する物語”ならそれなりに知っているつもりだが、現実の冒険者がどういうもので、どのような日々を暮らしているかについては、アルストロメリアはほとんど何も知らない。「ダンジョンに潜ったり、モンスターや指名手配犯を退治したりして、お金と名声を稼いでいるんだろうな」という漠然としたイメージがあるだけだ。
「うん。だったら、オレとしてはいっそ冒険者ギルドの訓練所でやってる“初心者向け講義”を受けることをオススメするぞ。1日コースと1週間促成コースと1ヵ月みっちりコースの3つあるけど、どれも無料だし」
「その3つは、どう違うんですか?」
「1日コースは、明日の宿代も心許ないような切迫した人向けの、本当に必要最低限の冒険者としての知識を叩きこまれるだけの講義だ。それでもちゃんと受けておけば、少なくとも“冒険者としてやっちゃいけないこと”と“冒険者としてステップアップする方法の基礎”くらいは身に着く。
1週間コースは、それプラス“駆け出し冒険者が覚えておいて損のない知識”を色々教えてもらえる。あと、近場の森での野営実習と、教官を相手にした1対1、多対多の模擬戦を何度かやってくれるな。俺も登録したての頃受けたし」
シンの言葉をクサキリマルが補足する。
「1ヵ月コースは、それに加えて基本的な武器の扱い方を一からみっちり教えてくれるはずでござる。まったくの素人でも、コースを終えるころにはそれなりに戦えるようになるという話でござるな。その意味では、アルストロメリア殿には不要やもしれませぬが」
どうやらクサキリマルも、彼女が剣士としての基礎はすでに修めていることがわかっているらしい。
「この宿は一泊3シルバだけど、七泊分先払いにするなら20シルバでちょっとお得だ。所持金に多少なりとも余裕があるなら、ここにでも泊まって、1週間コースを受けるのが賢明だと思うぞ」
そんなシンのススメもあって、アルストロメリアはくだんの“初心者向け講義1週間コース”を受講することに決めるのだった。
* * *
それから4日後。
港町アヴィターバの南西地区にある冒険者ギルド(町の規模に比してやや大きめだった)裏庭の訓練所に、初心者向け講義(1週間コース)の座学を3日間キチンと受けた冒険者志望の若者たち十人ほどが集められていた。
今日から戦闘や野外活動の基礎に関して実技指導を受ける──はずなのだが。
「ワシがこの初心者講習の実技を担当する元Bランク冒険者のヘルマンだ!
いいか、貴様ら! 訓練中は話しかけられたとき以外は口を開くな!
口でクソたれる前と後に“サー”を付けろ!
わかったか、ヒヨッコども!!」
剃り上げた禿頭に生傷だらけの凶相の筋肉漢という、山賊の頭か地下組織の現場幹部じみた見かけの壮年の男が、どこぞの鬼軍曹のようなスパルタなセリフを吐いて、鍛錬用の刃引きの剣を片手に居並ぶ冒険者志願者たちの前を威圧しながら歩く。
「「「「「サー、イエッサー!」」」」」
(あわわわわわ……お父様に本気で怒られた時の数倍コワいーー!)
努めて無表情を保ち、同期の仲間たちと素直に返事を唱和しつつ、心の中でヘタレた泣き言を漏らすアルストロメリア。
「まずは訓練場グランド30周! 最初は駆け足から始めて徐々にペース上げていくから、死ぬ気でついてこい!」
そして、当然のようにそこから始まるのは“地獄の特訓”であった!
──一応、鬼軍曹ヘルマンの名誉のために言っておくと、何も彼は訓練生たちを好きでいじめたり、不合理な根性論でしごいているわけではない。
ただ、親が道場主や軍人などでもない限り、体力の限界まで絞りとるような運動を経験したことのある町の人間は、そう多くはない。
そこで、一度、自分の肉体的限界を知るとともに、ちょっとやそっとの苦境で簡単に折れないよう“疲労”と“苦痛”に対する耐性をつけさせるため、体力の最後のひと滴まで絞り取るべく、ランニング、小休止を兼ねた柔軟、素振り、簡単な組手の4つを1セットにした訓練を続けさせているのだ。
とは言え、そういった理屈をヘルマンが口に出して説明するはずもなく。
また田舎育ちではあるが、元貴族な大規模農園主のお嬢様でもあり、剣の稽古以外にはあまり肉体労働らしいことをして来なかったアルストロメリアも、体力事情は周囲と大差なかったため……。
「う、うぷっ、ぉあぁ……(こ、これのどこが“初心者向け”なんですか、シンタロウさぁん!!)」
ハードな(ハード過ぎる)運動のあと、再び【乙女の尊厳が検閲削除】な醜態をさらすハメになるのだった。
◇その3.女騎士(自称)アルストロメリアの困惑および覚悟
──彼女が“初心者向け講習”を受け始めて7日目の午後。
「本日をもって貴様らはクソ虫を卒業する!
本日から貴様らは“冒険者”である!!」
口の悪い(というレベルではない)ギルドの教官の最後の訓示を、表情は神妙に、けれど内心では滝のような涙を流しつつ、聞いているアルストロメリアの姿があった。
(辛かった……この一週間、ホント、ツラかった……)
座学中心だった最初の3日間はまだいいとして(それでも基礎教養のない者にとっては、かなりスパルタだったようだが)、4・5日目は訓練所での特訓、6日目は町近くの森での狩猟採集実習、そして最終日の今日は、12人の受講者を2班に分けての6vs6の模擬戦──と、非常に濃密なスケジュールが組まれていたのだ。
その模擬戦にしても、まずは訓練所での魔法や武技抜きでの集団手合わせに始まり、次はそれらも“有り”でのガチ戦、さらに最後は森の中で互いの位置を見つけるところから始める実戦感覚のバトルと、バラエティに富んでいる。
一応、武器は練習用のもので、防具のない者には相応の鎧と兜を貸与してもらえるし、万が一のための回復魔法の使い手も教官の横に待機してはいたものの、色々な意味で心身を酷使する訓練だったと言えるだろう。
無論、その分、いろいろと得られるものも大きかったのも確かだが……。
なお、訓練所を卒業した冒険者には、ギルド謹製の「冒険者証(通称:ギルドカード)」と呼ばれる4×5センチくらいの黒いカード状の魔道具が渡される。これは、登録者本人が手にした時のみ、表面にその人の名前とレベル、冒険者ランクが文字になって浮かび上がるという代物で、冒険者ギルド成立から現在に至るまで、完全な偽造を行うことは不可能とされている(どうやら外来人であったギルド創設者の固有権能が関係しているらしい)。
普通は冒険者登録時に銅貨5枚を登録料として取られるのだが、訓練所からのちょっとした餞別といったところだろうか。
ギルドカードは冒険者の身分証明書であり、またいざという時の個人認識票でもある。何しろこのカード、べらぼうに丈夫で、ドラゴンのブレスで持ち主が黒焦げになった時でも、残った灰の中から見つかり、ギルドの読み取り機にかけることでその登録者の情報がわかるくらいなのだ。
* * *
「──と言うワケで、なんとか訓練所は卒業できました」
泊まっている宿屋「灰色イルカ亭」に戻って来た際、1階の食堂に仕事帰りらしきシンとクサキリマルの姿を見かけたアルストロメリアは、ふたりに声をかけて経過報告をしていた。
同じ宿に泊まっているため、これまでの一週間も何度か食堂や宿の廊下で顔を合わせて、軽く挨拶などはしていたのだが、キチンと話すのは初日以来だった。
「そうか、おめでとう。まぁ、アルストロメリアさんは剣士としての基礎はできてたみたいだから、途中で投げ出さないだろうとは思ってたけど、無事最後まで終えられてよかったな──冒険者としてはこれからが“始まり”なんだけど」
「うむ、まずは重畳。されど、アルストロメリア殿、今の貴殿はようやく冒険者としての第一歩を踏み出す“準備”ができた状態。ゆめゆめ気は抜かれぬよう」
ふたりとも彼女の無事(ああいう実戦形式なので、負傷する者もそれなりにいるらしい)を喜んでくれたものの、最後に釘を刺すことは忘れないあたり、親切と見るかシビアと見るか微妙なところだろう。
「ありがとうございます。それで、その……あつかましいお願いだということは重々承知しているのですが……」
一瞬口ごもったものの、勇気を奮い起こして続きを口にするアルストロメリア。
「お願いです! あたしを、おふたりの徒党パーティに加えてください」
深々と頭を下げるその様子は、つい数日前まで“お辞儀”という習慣を知らなかったとは思えぬほどサマになっている。それだけ真剣ということなのかもしれない。
「うーん……訓練所の同期生と組もうって話は出なかったのか?」
いくら講習を受けたからといって、駆け出しのうちから単独で行動していては、すぐに死ぬか再起不能な重傷を負うか、あるいは犯罪組織の餌食になるのがオチだ。
それを回避するためにも、ギルドの方では、とりあえずDランクに上がるまで暫定的に初心者向け講習で一緒になったメンバーで徒党を組むことを、それとなく推奨している。最終日のグループ分けなども、その辺りのパーティバランスが考慮されているのだ。
「それが、あたし以外の同期生たちは訓練所に来る前にすでに徒党を組んでたみたいでして」
内訳は4+4+3。通常、冒険者のパーティは4~6人を一隊として活動することが多いので、3つのグループのいずれかに合流することは十分可能なはずだが……。
「4人組のひとつは、全員あたしと同年代の男の子たちで、しかもあまり品がよろしくない印象を受けましたので、女ひとりで合流するのはちょっと……」
いかに前衛職とは言え1対4では多勢に無勢で“不幸な事故”が起きたら目も当てられない。
「もうひとつの4人組の方は、男女ふたりずつで全員同郷の幼馴染みグループだそうで、人格的には信頼できそうだったのですが、ひとりだけ余所者だと疎外感を感じるでしょうし」
付け加えるなら、二組の友達以上恋人未満なグループの中に混じるというのもかなりハードルが高い話だ。
「3人の方は……どうも男性ひとりを巡って女性ふたりが取り合いをしている様子でした」
そんなプチ修羅場まがいなトリオに「パーティ組みませんか?」と言い出せるほど、アルストロメリアは心臓が強くなかった。
「そ、そうか。それはまた運が悪かったな……」
シンも、さすがにコレは徒党が組めなくても仕方ないと納得する。
「で、だ。前にも言ったと思うけど、オレたちはCランク、それもそろそろBへの昇格が視野に入ってきている段階だ。駆け出しのEには結構ハードだぞ?」
「しかも、これからは“訓練”ではない故、命の危険も相応にあるのでござる」
否定的な返事を聞いて、「やはりダメか」とアルストロメリアは肩を落とす。
しかし、ふたりの言葉には続きがあった。
「──とは言え、ちょうど今、徒党のメイン盾が病み上がりだし、財布係も里帰りしてるところで、オレたちふたりだけでは難度の高い依頼は請けるつもりはない。アルストロメリアさんが冒険者生活に慣れるまでの短期の仮徒党という形なら、しばらく協力してもいいぜ」
「左様。袖すり合うも他生の縁。ここに至るまでの過程で我々も良き先輩方の手を借りたことは一度ならずある故、後輩の成長に手を貸すこともやぶさかではござらん」
「! ほ、ホントですか!?」
思わず立ち上がって小さく叫ぶアルストロメリア。
そんな彼女を小さく手で制しつつ、シンが幾分、声音を落とす。
「ああ、嘘じゃない。ただし、仮徒党を組むにあたって、あらかじめ言っておかないといけないコトがある。オレたちふたりは、ある意味“厄ネタ”持ちでもあるんだ」
シンはテーブル席から立ち上がり、少し離れたカウンターの中でジョッキにエールを注いでいる店主に向かって声をかけた。
「マスター、奥の個室、1時間ほど借りるられるかな?」
「──あいよ。今の時間なら個室代は2時間1シルバだ。1時間内に切り上げるなら、あとでここに来た時、飲み物を出すぜ」
シンが銀貨をカウンターに置くと、店主は前掛エプロンのポケットから取り出した鍵を放って寄越した。
「助かる。アルストロメリアさん、奥でオレたちの事情は話すから、そのうえで本当にパーティを組みたいか、決めてくれ」
* * *
宿屋や食堂によっては、宿泊用ではなく会議や打ち合わせのために、ある程度防音性のある部屋を時間割で貸すところもある。この「灰色イルカ亭」にも、ひとつそういう部屋が用意されていた。
3人でその部屋に入ったのち、シンは先ほど店主から預かった鍵でドアに施錠したうえで、その鍵をアルストロメリアに預ける。
「とは言え、ここまで厳重に警戒するほどの話でもないんだけどな」
シンは肩をすくめる。
丸テーブルのあちらとこちらに分かれて座り、腰を落ち着けたところで、黒装束の小男が口を開いた。
「まずは拙者から話すほうがよいでござろう。アルストロメリア殿、驚かれるのは無理ないでござるが、できれば恐れず厭わず受け入れていただけると有り難い」
そう念を押してから、クサキリマルは目元以外の顔を覆い隠した頭巾ターバンと覆面マスクをシュルリと取り去る。
初めてクサキリマルの素顔を目にしたアルストロメリアは、事前に警告されていたにも関わらず、思わず椅子から腰を浮かし、無意識に少し後ずさってしまう。
僅かに緑がかった白茶けた肌、額の小さな角、ギョロリと大きな目、上方向に尖り禿げ上がった頭頂部……など、その風貌は、自然とあるモノの存在を想起させたからだ。
「え……ウソ、もしかして、ゴブリン!?」
そう、シンの相方である古風な言葉遣いの冒険者クサキリマルは、“小鬼族”と呼ばれる魔族だった。
「まぁ、そういう反応になるでござろうなぁ」
「落ち着け、アルストロメリアさん。他の大陸では違うらしいが、現在のグラジオンにおいて、少なくとも“三族同盟”に加入している国では、魔族はとりたてて敵視される存在じゃない」
「あ……」
そう言えば、初心者講習の座学でもそういう話を聞いたような記憶が──と、思い出す。
このグラジオン大陸が他の大陸ともっとも異なるのは、この“三族同盟”によって、他の大陸では敵対している魔族と人族が共存している点だろう。
無論、この状態に至るまでは、色々と複雑な事情と、数多の関係者による長年の尽力があったし、現実にそれを為しえたのも、ひとえに肥沃で広い土地を持つこの大陸なればこそ、という事情もある。
なお、“魔族を受け入れる”などと言うと神殿関係が真っ先に反対しそうなイメージがあるが、実際には逆で、この大陸の守り神ともいえる女神グラジオラを筆頭に、天空神ユークレウスや月陰神ヴェスパリアなども積極的に“三族同盟”に賛意を示した。
のみならず、各地の大神官クラスに神託を下したり、配下の天使の一部を神族として受肉させて派遣したりして、混乱を収拾させるよう努めている。
ちなみに“三族”とは人族、魔族、神族を指す。近年は、ここに亜人と呼ばれる種族も含めた“四族同盟”へと改訂するべきではないかとの意見も出ていたりするのだが、その辺りは余談だ。
「とは言っても、あくまで法に触れるような行為を侵していない魔族に限り、でござるが。それに、敵視しないということと差別がないということはまた別問題でござるからなぁ」
クサキリマルは苦笑する。
「──ごめんなさい」
たった今、その“差別的な目”を向けた張本人である少女が謝罪する。
「なんの、素直にそう言っていただけるだけでも、アルストロメリア殿は随分と思考が柔軟な部類でござるよ」
人間の伝承などでよく語られる“邪悪で狡猾な小鬼”とは信じられぬほど柔和な視線を、クサキリマルはアルストロメリアに向ける。
「拙者は幼い頃、人族の冒険者に危ないところを救われて、それで自分も冒険者になろうと思い立ったのでござる。加えて、拙者のような魔族であっても冒険者として立派に活躍すれば、少しでもそういった偏見をなくせるのではないか、と思うのでござるよ」
恩人である3人のひとりと同じ、忍者としての適性があったことも、偶然ではござろうが修練の励みになり申した──と付け加える。
「それなのにすまないな。顔を隠すような真似をさせて」
「いやいや。Cランクでは未だ有象無象のひとりに過ぎぬ身。今の段階で拙者が魔族と知られれば無用な厄介事が舞い込むやもしれませぬ。一流のとば口とも言えるBランクにまで到達してから素性を明かす方が、諸々考えあわせれば賢明なのは確かでござるからな」
シンとクサキリマルの会話を聞いて耳が痛いアルストロメリア。
「ま、そういうワケだ。どうしてもこいつが魔族であることが気になるというなら、仮徒党を組むという話はナシにしてくれ」
シンにそう言われて、アルストロメリアは慌てて首を横に振った。
「い、いえ。そんなことはありません。ゴブリン全体がどうかはまだわかりませんけど、少なくもクサキリマルさんは信頼できると思います」
「ふむ……第一関門は突破、と。それじゃあ、第二関門であるオレの事情を話そうか」
シンの言葉に少女は居住まいを正す。
「オレの場合は、ある意味、クサキリマルよりはバレにくく、同時にある意味こいつ以上に厄介だ。
アルストロメリアさん、オレはね、外来人なんだよ」
「外来人」。その言葉の意味が一瞬理解できず……しかし、次の瞬間、子供の頃に聞いたお伽噺が脳裏に浮かび上がり、アルストロメリアは息を飲む。
「えっ……それって、アールハインとは別の世界から来た人って意味ですよね?」
異世界チキュウからの来訪者にして、神の祝福を受けし者「外来人」。
神から与えられた「固有権能」と呼ばれるさまざまな異能を持ち、規格外の力をふるう超人であり、この世界の既成概念を塗り替える改革者。
外来人と聞いて思い浮かぶのは、そんな浮世離れしたイメージだった。
「まぁ、歴史に名を残すような偉人・変人が何人もいるのは事実だけど、そこまで凄くない人もけっこういるらしいぜ。オレのギフトも、ある意味、地味と言えば地味だし」
とは言え、使い方次第では相当なインチキも不可能ではないから、あまり多くの人には知られたくないんだ──とシンは補足する。
「大雑把に言うと戦闘系というよりは知識系の異能だな。だからこそ、有力者や悪人に捕まってそれを利用されるような状況は避けたい」
それは確かにアルストロメリアにとっても納得がいく考え方だった。
「自重はしているけど、それでもまったく使ってないわけじゃないし、そうなるとどこかに情報が漏れても不思議じゃない。だから、そういう意味ではクサキリマルの素性より、ある意味厄介なのも確かだろうな」
「どうする?」とシンが目で問うてきたが、アルストロメリアの答えは決まっていた。
「その……具体的な異能の内容がわからないので、シンタロウさんがどれだけ大きな危険を背負っておられるのかは理解できませんが、少なくともあたし──私からお二方の秘密を他者に漏らすことはしないと、家伝のこの剣に誓いましょう!」
最後は例によって騎士厨っぽい物言いだが、己の出自に誇りを持っているアルストロメリアだけに、その約束が真剣なものではあることは確かだろう。
「うん、ありがとう。それじゃあ──これから、しばらくの間、パーティメンバーとしてよろしくな」
「よろしくお願いするでござる」
僅かに緊張していたふたりの表情が緩んだことを見てとったアルストロメリアは、自らも心の中で安堵の溜息をもらす。
「(ふぅ~、よかったぁ……)こちらこそよろしくお願いします! あ、それと、今後あたしのことはメリアと呼んでもらってでいいですよ」
個室内に和やかな空気が広がる。
こうして、南の大陸から来た騎士志願の少女は、冒険者としての第一歩を踏み出すことになるのだった。
「──そして、新たに仲間に加わったメリアに朗報。すでにひとつお仕事を受けてるので、明日の朝4時、宿の玄関前に集合するように」
シンの言葉にメリアは背筋を伸ばす。
「! 早速依頼ですね。わかりました、寝坊しないよう気をつけます!!」
──と、初仕事に意気込む騎士志願の少女だったが……翌日、町から歩いて2時間ほどの“仕事場”に連れて行かれて戸惑うことになる。
「えーと、シンさん、山中で私たちは何をすればよいのでしょう? 何かモンスターを狩るのですか?」
「ん? 言ってなかったっけ。タケノコ堀り」
「……えっ?」
「タケノコ。もしかして知らないか? おもにアキツ料理やフダラク料理で使われる食材なんだけど」
「シャキシャキした食感がクセになるのでござるな」
和気あいあいと会話しながら、腰をかがめて地面を観察し、目当ての採集物タケノコを探す仲間ふたりを、少女はぼんやりと眺めている。
「「灰色イルカ亭」でもタケノコを使った新メニューに挑戦したいから、ちょいと多めに集めてくれって頼まれたんだよ。ああ、無論ギルドに話は通してあるから、キチンと実績として登録されるし、安心していいぜ」
おそらくは善意で言ったのであろうシンの台詞に、逆に打ちのめされるメリア。
(タケノコ堀り……記念すべきあたしの冒険者としての初仕事がタケノコ堀り……)
「こ、こんなの、あたしの思っていた冒険者の仕事ぢゃなーーーい!」