万引き男と軟骨タイツ
夜。
コンビニから一人の若者が出てくる。懐にヘアワックス数点を忍ばせた万引き男である!
「ぐっへへっへ、楽勝だぜ!金を払うために財布を持ち歩くなんてマジでストゥーピッドだぜ」
薄笑いを浮かべながら人目のない裏路地を歩いていた万引き男。突如口内に異物感が!
「ううっ!?」反射的にその異物を呑み込んでしまった!
「い、いま俺は何を飲み込んだ・・・」
そのとき、裏路地の暗がりから現れたのは筋骨隆々の全身タイツマンであった。その胸元には大きく『カルシウム』と荒々しい字体で書かれている。
「教えてやろう」
タイツマンは唐突に、だが厳粛に語りだした。
「お前が飲み込んだものは軟骨である。私の超能力で軟骨は超自然的にお前の口内で現出したのだ。」
タイツマンが語る内容を万引き男は呑み込むことが出来ない。軟骨はすぐ呑み込んだのにもかかわらず。
「なぜ人が犯罪をするのか?それはイライラしているからだ。カルシウムにはイライラを抑える科学的効果がある。なので私はお前のような犯罪ゴミに直接カルシウムを摂取させるのだ。ハァッ!」
タイツマンの叫びとともに、万引き男の口内に再び軟骨が現出!
「ううっ」またも反射的に呑み込んでしまう。
「普通の骨では消化運動に支障を起こしそうな気がしたので軟骨だ。抗うことはできんぞ、ハァッ!」
「ううっ」三度呑み込む万引き男・・・舌と喉が思考を置き去りにし勝手に稼働する!
「商品を盗るな、カルシウムを摂れ」
タイツマンがゆっくりと近づいてくる。正義に燃える眼と発達した筋肉は、万引き男の内側に眠る原始的恐怖と塵屑程度の罪悪感を強制覚醒させ、気が付くと土下座という行動を選択させていた!
「サーセン、マジサーセンでした!俺いろいろと舐めてました!超反省してるッスから許してやってください!」
万引き男は涙を流し、心からの反省を表現する・・・だが彼の人生経験に由来する歪んだボキャブラリーが謝罪を妨害するのだ!
「ふざけてんのかコラ!ハァッ!」
「ううっ」
「ハァッ!」
「ううっ」
「ハァッ!ハァッ!ハァッ!」
「ううっううっううっ」
万引き男は先ほど自宅で食事を済ませたばかりであり、度重なる強制軟骨が胃袋に多大な負荷を与える!そのとき、万引き男の脳に小学生時代の記憶が流れ込む・・・名前は思い出せないが多分優しかった中年女性教師の声・・・道徳の授業!
『悪いことをしたときは、こういうのですよ・・・』
「ごめんなさい!」
万引き男の声が、夜の裏路地に響き渡った。心がこもり、尚且つちゃんとした謝罪の言葉。近づいていた足音が止み、自分から遠ざかっていくのを万引き男の耳はとらえていた。それでも彼は涙ながらの土下座を続けたのだった。もう二度と犯罪行為はしない、ヘアワックスも返しに行って謝ろう・・・そんなことを延々と心に刻みながら。
・・・いつまでたっただろう。長く続く無音に万引き男は土下座を解いて顔を上げる。目と鼻の先にタイツ男の満面の笑みがあった。
万引き男は心臓を内側から引き抜かれるような感覚とともに血の気が引いていった。
「お前は改心した。これからもカルシウムは欠かすな」
「ひぃっ」
万引き男の短い悲鳴とともに、タイツ男は霞のように消え失せた。無音だったはずの裏路地にはいつの間にか大通りからの喧騒が届いていた。慌ててあたりを見回すも周囲に人影はなく、万引き男は茫然とその場にへたり込んだ・・・。
筋骨隆々のタイツ男。それは万引き男の弱い心が生み出した幻影か、夢遊病の悪夢か、たまたま通りすがった変質者か、天罰の執行者か、妖怪の類いか。誰にもわからない。その一端に触れた万引き男ですらも。
人は弱い。万引き男のように、いとも簡単に道を踏み外してどこまでも堕ちていく可能性を持つ。私も、あなたもだ。
その時、今度は我々がタイツと筋肉を覗き込む。そして軟骨を呑み込むのだ。




