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猫の夢

作者: たっくん


 にゃあ。

 わたしの目の前にいる一匹の猫。黒塗りで、だから黒猫と呼ばれている。白猫と呼ばれる謂れはないけど、そう呼ばれてはいけない禁止はない。

 その猫がいま、わたしの前でもっともらしい猫の素振りで鳴いてみせたのだった。

「にゃあ」と彼女の(その猫は何故だか雌だと思った)真似をしてみると、猫はこちらをみあげ小首を傾げてみせた。

 ついで手を伸ばすも、優雅な身体の返しによってわたしの指先は虚空を掻く。嫌われているのだろうか。もしそうなら、ちょっとだけ悲しい。

「そんなことはないさ」

 どこからか女性の声がした。瞬時に周囲をざっと見渡すも、そこにはなんの影もない。人影も、物影も、ありとあらゆる影の類いが、この空間では消失していた。みあげると空にはやけに巨大な太陽が顔を向けている。おかしなことだった。

 顔をおろして猫に目をやると、「そんなとこはないさ」と繰り返し声がした。そしてその声と同じに、猫の口元が確かに動いたような気がした。

 みつめあっている。私と猫の一対の視線が、なにかもっともらしい合図を取るように、ただじっと、その目の先の黒いたゆたいをみつめている。それから十秒ほどの時が経った。我慢しきれずにわたしは口を開く。

「もしかして君が喋ったの?」

「その通りだよ」と猫は言って、それからわざとらしく「にゃあ」と鳴いてみせた。

 なるほど、と呟いてわたしは再度辺りをみわたす。

 ここは公園であった。すぐ近くでは二つのブランコが吊るされ、少し錆びれた滑り台が地面に冷たい視線を落とし、そしてわたしたちは仕方なしに設置されたような砂場に腰をおろしている。そしてそこにあるなにもかもが、あらゆる影を放棄している。公園を囲むようにある木々も、そこらに転がる石ころも、そしてわたしとこの猫も、地面に影を投射させない。

「つまりここは夢のなかだってことか」とわたしは云ってみる。

 妥当な考えだろう。影がないということは、猫がひとの言葉を話すということは、つまりそういうことなのだろう。そう思ってしまうとなんとも味気ない。なんの驚きもない。わたしはただ目の前の事象や猫を、まったくの無関心な視線で眺めることも、そうであるならできる。

「つまりここは、わたしのみている夢のなかだってことか」

 再度確認するように、わざとらしくそう呟く。また確かめるように猫の顔を覗き込むと、けれどそいつは、違うよとひとこと言葉を吐いた。

「それは違う。だって、それじゃあ辻褄があわない。それではこの世界は破綻してしまう。だからこう考えるんだ。ここはあんたのみている世界だし、そして同じく、私のみている世界でもあるんだって」

 世界、とわたしは呟いて、それからひとつ咳をした。

「猫はひとと同じ夢をみるのか?……うん。けれどいまこうしてあんたが目の前にいるのはそういうことなのかもねえ。けれどそれってなにか困ることでもある?」

「あるさ」とやはりわたしの意に反して猫は云う。

「だってここはあんたと私のつくったひとつの世界だ。世界をつくったということは、私たちは神様なんだ。どちらが本当の神様かって話をしているわけじゃあない。大切なのは、その責任をどう取るのかって——」

「ちょっと待って」

 猫の話が終わる前にわたしはそれを制止させる。なにかがおかしい。なにか大切なものが、わたしの喉元に確かな違和感を持って引っかかっている。

 数秒ほど思考して、判った。わたしは身体を屈めてなるべく猫の視線にあわせ、まるで学校の先生のようにそいつをみた。

「だって、そんなのおかしいよ。ここはわたしたちのみた夢のなかで、こんなところ壊してしまえば、わたしたちは現実の世界で目を覚ますはずじゃない? 責任なんて放棄してしまっても構わないし、そもそも夢の世界にそんなものが入り込む余地はないとわたしは思うのだけど」

「けれどそういうわけにはいかないんだ」と云って、猫は公園の入り口付近へと歩み始める。

 仕方なくついてゆくと、猫は入り口のぎりぎりのところで歩みを止め、背中を向けたままに、云う。

「ここを出ると大きな小学校がある。そこを通り過ぎると小さな川が右側を流れ、そしてそれからずっと進んでゆくと隣町に出る。そこにはまた大きな小学校があって、川が右側を流れていて、隣町がある。それってなんだか楽しいね」

 自嘲気味に猫は笑ってみせて、それから踵を返し反対の方向へ歩み出す。

「ねえ。わたしはなにもそんなことを云っているんじゃないの。わたしはただ夢から覚めるのを待てばいいんじゃないかって、そう云っているのだけど」

「それなら簡単さ」と云って、またもや猫は止まる。

 みると、そこにはやけに大きな井戸がある。覗き込んでみると、なかは真っ当な暗闇によって底を確かめることは叶わない。試しに小石を投げ込んでみたが、いくら待っても着地の音はしなかった。三分ほど待ったあと、なにかを待っていたかのように猫のほうが口を開いた。

「この井戸に落ちれば、すべては終わる。この世界は壊れて、また新しい世界が生成される」

「なら早くここに入りましょう」

 わたしはいよいよこの長く終わりのみえない夢の世界に嫌気がさし、身を乗り出し井戸に片足を差し込んだ。

「そんなことに意味はないけど、私はあんたを止めたりはしない」

「なにを云ってるの、あなたも一緒に来るのよ」

 そう云ってわたしは猫を無理やりに抱えて、有無を云わさず井戸のなかへと飛び込んだ。

 落下をしているという感覚はなかった。井戸のなかはひたすらに冷たく、なにもかもの音が消えいってしまうような感覚に襲われた。

 しばらく落下していた気がする。どれほどの時が経ったのかは判らないが、ある時点で猫が口を開いた。

「夢をみているのなら現実があるというのは間違いさ。それは夢の反対側にあるのではなく、むしろ同じ位置に、交わるように存在するんだ。いや、交わってしまったというのが本当のところなんだろうな。私は酷く長い時間のなかでその答えに辿り着いた。酷く、長い、時間のなかで、ね。まあ、あんたも考えてもみるといい。次あんたが目を覚ましたとき、そのときには、きっといまよりも世界をより良く理解できているだろうからさ」

 そうして猫は口を閉ざし、わたしはそれに対してなにか言葉を掛けようとした。けれどわたしがそうする前に、わたしたちの身体は大きな光に飲み込まれてしまう。

 鋭い眠気が全身を駆け抜ける。頭のなかの芯の部分がぼやけ、なにもかもがみえなくなる。

 そしてわたしは眠りに落ちた。



 目が覚めた。

 私の目の前にはひとつの大きな生物が横たわっていて、私は小さな首を必死にあげてその顔を確かめようとする。

 どうにかその全体を捉えると、その顔には見覚えがあった。そこにいるのはひとつの人間で、なにも巨人というわけではない。変わったのは私のほうで、小さくなったのは私のほうなのだろう。そして変わったのは同じくこいつのほうで、大きくなったのもまたこいつのほうなのだろう。

 いま、私はすべてを理解した。

 だから先ずは、すべてをはじめる合図のように、もっともらしい猫の素振りで鳴いてみることにしよう。

 未だ私に気づかずぼうっと前だけをみつめる彼女をみやりながら、私は小さく息を吸い込んだ。

 にゃあ。



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