表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

怒り


 ルルの鼻が捉えた獣臭の発生源は、彼らの右に広がる背の高い藪だった。

 何も見えない、だが、確実にやつがいる。


 ルルが皆に警告を発する前に藪が激しく揺れ動き、間髪入れずに巨体が飛び出してきた。


 ルルにとってはつい先日相対したばかりの銀熊だったが、その体躯は明らかに前回のものを凌ぐものだった。


 目算およそ四メル半ばの巨体は、その分だけ歩幅も大きく瞬く間に距離を詰めてくる。

 ルルの右斜め前を歩いていたリリとフィンはまだ気づいていない。


「グゥルオォォオオオ!」


 突然の咆哮に身を竦ませ、右を見やったリリとフィンはこの段階でようやく銀熊の存在を知覚した。


 二人ははすぐ右から聞こえた轟音と、迫る威容に明らかに怯えていた。

 本能的な恐怖心が揺さぶられ、身体の硬直がとけない二人。

 

 銀熊の巨体に、二人が轢き潰される様を幻視したルルであったが、そうはならなかった。

 怒りに目を血走らせた銀熊は、すぐ近くの二人にはまるで反応を示さず、ルルに向かって矢のように駆けてきたのだ。


 突進の速度と自重を乗せた前腕が、猛烈な勢いで振り抜かれた。

 数日前までのルルならば、グラトニアスがいたとしても対処しきれずまともに受けていたであろう凄まじい一撃だったが、村人達のしごきを乗り越えたルルは凌いでみせた。

 獣臭を嗅ぎ取った段階でルルはすでに鉄片を右手に握りしめていたので、銀熊の爪が接するよりも前に〈鉄の頑丈さ〉を〈付与〉することができていたのだ。


 しかし――


「があっ!!」


 右腕に衝撃を感じたと同時、眼前の光景がぐるぐると周った。

 

 泉へ投げ出されたルルは、そのまま高い水飛沫をあげて水面に激突した。

 

「おにーちゃんっ!?」


 突然の事態に取り乱し絶叫するリリ。

 しかし喚く小物には目もくれず、銀熊は多少の水深などものともせずにルルに向かって走り出した。

 なにをおいてもルルを仕留めたいようだった。


 リリよりも先に我に返ったフィンはそれを阻止すべく動いた。

 ルルは人体の形を留めたまま宙を舞っていたので、〈付与〉は十全に施されていたのだろうと彼は判断したのだ。

 実際、生身の人間が先ほどの銀熊の一撃をまともに受けていたならば、胴体が爆散していたであろうから、その推測は正しかったと言える。

 

 ならばここでルルに追い討ちを掛けさせるわけにはいかなかった。

 そしてフィンには、それを実行できる『力』もあるのだ。


 銀熊が泉に向かって一歩踏み出すと同時、その先の大地が盛り上がり、銀熊の顎をかちあげた。

 銀熊の顎をしたたかに打ったのは、厚さ約二十セントメル、横一メル縦二メルほどの土の壁だった。


 フィンの『特異能』は『砦壁』という、土のあるところならどこからでも任意の規格の土壁を創造するというものだ。

 土壁とはいえ土を押し固めて形成されたその強度は高い。

 むしろ元が土ゆえにある程度の柔らかさを兼ね備えるぶん、石壁よりも壊れにくかった。


 単純ではあるがそれゆえに汎用性は高く、頭脳労働を好むフィンにとってその汎用性の高さは取れる手段の多さに変わり、実に良く適してた。

 使いようによっては攻撃にも防御にも、移動にも拘束にも転用できる、そんな力だった。


 その汎用性を活かし、フィンは銀熊の四方に壁を作って動きを封じようとした。


 死んではいないと頭では分かっているが、ルルの安否が気掛かりだったうえに未だ動揺から復帰しないリリのことも心配だった故に、時間を欲したのだ。


 突如自らを囲むように迫り上がった土壁に、怒りに燃える銀熊はなんら動揺を示さない。

 それどころか邪魔だと言わんばかりに破壊し始めた。

 頑丈なはずの土壁が次々破壊されていくのを見たフィンは顔を青くし、リリへ向かって叫んだ。


「リリ! はやくルルの所へ!!」


 それを聞いたリリはほぼ同時、返事をすることすら惜しいという風にルルの元へ駆けていった。

 ちらりと右に視線を向けると、ふらふらと立ち上がろうとしているルルの姿が見えたが、今の自分のすべきことはルルの身を案じることではないと気を切り替え、フィンは銀熊に向き直った。


 もはや土壁は殆どが崩されていた。

 しかし今、ルルの元へ走り出すことは許可できない。


 フィンは再度、力の限り土壁を生成した。

 鬱陶しい土の壁を作り出すものがフィンだと気付いたのか、銀熊は顔に浮かべた怒りの形相はそのままに、フィンへと身体を向けた。


「……っ! これが銀熊かぁ……たしかにとんでもないや」


 銀熊の鬼気迫る気迫に圧倒されるフィン。


「……でも、時間を稼ぐくらいならわけないんだよ」


 自分でも噴飯ものの勇ましい台詞を吐いてフィンは自らを奮い立たせた。

 実際に、こちらから攻撃を加える必要がないのならば回避に専念することが出来るため、銀熊の攻撃を躱すことはさして難しいことではないという予想もあっての台詞ではあったが。


 この怪物に対する決定打を持たないフィンは、ルル達の体勢が早く整いますようにと祈りながら、その時を稼ぐべく銀熊との戦闘を開始した。



♢♢♢



 銀熊に打ち上げられ、泉へと落ちたルルは激痛と混乱に苛まれていた。

 揺れる視界で銀熊の爪を受けた右腕を見てみると、二の腕のあたりが大きく抉られ、血が流れていた。


『……〈付与〉はカンゼンにホドコされていたハズだ……チッ』


 ルルにはグラトニアスの言うことが理解できなかった。

 前回戦った銀熊の攻撃は、〈鉄の頑丈さ〉を〈付与〉したルルに対してなんの傷も負わせられなかったからだ。

 同じ銀熊で、一体なにが違ったというのか。


『……あのデカさ、ありゃあオスだろうな。 んでもってマっサキにクソガキをネラったトコロをミると……ツガイか』


「そう、か……」


 ルルが仕留めた銀熊を凌ぐ巨躯の銀熊。

 順当に考えればその差は性別によるものであるというのは簡単に予想がつく。

 森の深部に縄張りを持つ銀熊が、浅部へ出張ることはまずないということを合わせて考えると、二頭が(つがい)だったのだということも半ば確信をもって導きだせた。


 ならば近くのリリやフィンに目もくれず、一目散にルルに襲い掛かったことにも納得がいった。


「この鎧か……」


『だろうな』

  

 もともと身体能力に恵まれる雄だったうえに、自分の伴侶が鎧に加工され、それを着た人間が目の前にいたのだ。

 その怒りがもたらす力は絶大だろう。

 鉄と化したルルの肉を抉ったことにも納得がいった。


 痛みを堪え、揺れる頭を押さえ付け、なんとか立ち上がろうと四苦八苦するルル。

 ルルが着水したところはまだ浅く、溺れる心配はなかったがいつまでも倒れているわけにもいかないのだ。

 

 怒る銀熊の鉄を抉るような攻撃に曝されれば、リリやフィンなどは掠っただけでも致命に至るであろうことは想像に難くない。


 もがくルルに影が差した。

 自分の影にさらに重なった影を見て、何事かと顔をあげたルルの目に飛び込んで来たのは、目を真っ赤にして泣きじゃくるリリの姿だった。


「おにーちゃんっ! 血が!」


 そういってリリは立とうとするルルを押し戻し、座らせようとした。

 

「リ、リリ……?」

 

 自らの側にリリがいるということは、つまり今現在、フィンはたった一人で銀熊に立ち向かっているということに他ならない。

 フィンならば銀熊が相手だとしても暫くの時間は稼ぐことが出来るだろうが、それにも限界がある。

 一つの判断のしくじりが死につながるような状況で、いつまでもフィンを一人、危機に晒しておくわけにはいかなかった。


「おにーちゃんっ、動いちゃだめだよ! 頭を打ってるんでしょうっ」


 確かにあまりの衝撃に頭はふらついてはいたが、〈付与〉を済ませておいたうえに直撃ではなかったので、それは大したことではなかった。


「リリ、オレはいいから、はやくフィンのところに……」

 

 そう言われてリリもやっと今の状況を把握したようだった。

 

「で、でも、おにーちゃん……」

 

 しかしやはりリリは兄が心配なようだった。

 銀熊の注意がルル達に向かぬよう、そして自分の身体に一撃たりとも掠らせぬように戦うフィンと腕から血を流し這いつくばるルルならば、後者に注意が向くのも仕方のないことかもしれない。


『ハヤくあっちにイってやれおジョーちゃん。 オマエのアニキはシにゃしねぇが、このままじゃあのボウズはどうなるかワカんねぇぞ』


「すぐに行くから、フィンを助けてやってくれ……無茶はしないで」


 大好きな兄と、その左腕に宿る兄の恩人に説得されようやくリリは頷いた。

 幼いながらも狩人としての経歴はルルよりも長いために、一度冷静になると現状の把握はできるのだ。

 今どちらに危機が迫っているかも理解できた。


「……わかった。 じゃあ、行くね! おにーちゃんはゆっくりしてていいよっ」


 そういってぎこちなく笑ったリリは、荒れる戦場へと向かっていった。

 文字通り、飛ぶような速さで。



♢♢♢



 両の掌から風を噴き出し、引き絞られた矢のような速さで銀熊に突撃したリリは、先ほどまでの動揺した思考を切り替え、戦士としての顔付きになっていた。

 

 兄が傷付けられた際の動揺を怒りに変え、突撃の勢いはそのままに渾身の回し蹴りを銀熊の頭に叩きこむ。

 リリからすれば、まさしく小山のような巨躯をもった銀熊であったが、器用にも風の塊と共に撃ち出されたリリの蹴撃には堪えられず、身体を大きく仰け反らせた。


 ようやく参戦した最大戦力たるリリに、これまでにない極限状況で戦っていたフィンは見た目にもわかるほどに安堵の様子をみせた。


「ふぅ、助かったよリリ。 そろそろ崩れてたかも知れなかった」


「ごめんねフィンちゃん、慌てちゃってた」


 見た目にはすっかり動揺を押し殺し、いつもの元気一杯なものとは違う、凛々しい口調で話すリリにフィンは頼もしさを覚えた。

 五つ下の女の子に対するそういった気持ちは情けないものなのかもしれないが、こと戦闘に関しては大人の戦士をも凌ぐことのある少女であるから、当然と言える。


 よろめいた銀熊をさらに土壁で追い打ち、周囲何重にも土壁を創造したフィンは、銀熊との戦闘を危なげなくこなしながらも、ずっと気きりだったたことをリリにたずねた。


「ルルの様子はどうだった?」


「右腕から血はでてたし、ふらついてたけど……すぐにいくからって。 大丈夫だからって」


 集中を切らさず銀熊がいる土壁の内側を睨みながら答えるリリ。

 なんだかんだと言い聞かせても滲み出す不安に、リリの眉間が歪んだ。


 そんなリリを励ますように、フィンはつとめて明るい声をだした。


「そっか、無事ならよかった。 ……おっと、もう持たないかな」


 フィン達の眼前では土埃が間断なく舞っている。

 銀熊が、行動を抑制する無数の土壁をがむしゃらに叩き壊しているのだろう。


「さてと……じゃあ僕が銀熊の気を引くから、あとは頼むね」


「うんっ、まかせて」


 二人でとれる戦略など限られる。

 特に出来ることが全く違うリリとフィンならば、とれる戦法など数える程でもない。

 攻撃はリリが、お膳立てをフィンが、だ。


「ルルが来る前に終わらせちゃおう」


「そうだね。 おにーちゃん、頭をおさえてたから心配だよ」


 そう言って二人は、早くも土壁の包囲を抜け出した銀熊を同時に見やった。

 銀熊のつり上がった眼は、己を蹴り飛ばした小さな不届き者を睨みつけていた。


「いかせないよ!」


 今にも突進しそうな気勢を上げていた銀熊の出鼻を挫くよう

、その眼前にフィンは土壁を形成した。

 丁度銀熊とリリを隔てる位置だ。


 その厄介さ、忌々しさを思い出したのか、銀熊はフィンの狙い通り標的を変え、土壁が隔てていないフィンの方へと突貫した。


 すぐさま先ほど生成した土壁を、リリの邪魔にならないよう土に戻し、今度は自らの足元に土壁を作り出した。


 その押し上げる勢いを活かし、体重の軽いフィンは大きく前へと飛び上がった。

 同時に、作り出したばかりの土壁には彼我の間合いを見誤らされた銀熊が肩のあたりまで突き刺さり、更に同時、フィンは土壁を土へと戻した。


 大量の土は、土壁であった頃と違い銀熊の身体を転がり落ちず、上へと積もる。

 その積もった土の量は、土壁に激突したことで突進の勢いを止められた銀熊の身体の自由を数瞬奪うには充分だった。


 宙をくるくると舞ったフィンが銀熊の後方に着地――流石に無様な着地だったが――をしたのと入れ変わるようにリリが動いた。


 あらゆる生物の急所である頭部に射線を通すように、大股の二歩で位置を調整する。

 積もる土を弾き飛ばそうともがく銀熊が、吹き荒び始めた風に気が付いて発生源たるリリを睨んだがもう遅い。


 前に突き出されたリリの右腕は風を纏い、それが掌で渦を巻いてびゅうびゅうと音を掻き鳴らす。

 この風の嘶きは、今まで何度も森の獣達相手に繰り返し使ってきたリリの得意技、『風の刃』の前兆だ。

 

 しくじりはない。

 外しようもない。

 風の音が一瞬の間止んだ後、きぃんっと風を斬る音を響かせて不可視の、されど確かな殺気を持った『風の刃』が放たれた。


 それは確かに、今まで森の獣達をなまず切りにしてきた風の業だった。


 

 この技を前にして立っていられる者がいるなど、リリは考えたこともなかった。






ご意見ご感想、批評等おきがるに

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ