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幼馴染み



 息を切らせながら村へ辿り着いたルルを迎えたのは、村の入口に集まった人々の歓声。

 次いでルルの母、エウリスの鉄拳だった。


「ばかー! もうっ、何やってたの!」


 へとへとになりながら銀熊の死体を下ろしたルルの頬を殴り飛ばしたエウリスの、母子で良く似た、大きくつり上がった瞳は怒りと心配に染まっていた。


 戦う力のないはずのルルが銀熊を倒し、更にはその巨体を運んでいたことにも、ルルの左手が明らかな異形に変化していることにも、そして殴った際の手応えが鉄を叩いたかのようなものだったことにも頓着せず、ルルを心の底から心配する様子は彼女のルルに対する愛情の深さを伺わせた。


 そんなエウリスを見て戦いの余韻も何もかも吹っ飛んだルルは、母の愛に胸がいっぱいになると同時に周囲がすでに暗くなっていることに気が付き、申し訳なく思った。


「あ……その、ごめん」


「一体何をやってたの! あんまり奥には行かないようにって、あんまり遅くならないようにって言っておいたでしょう!」


「……うん」


 ルルよりも頭一つ分小さい身体を目一杯に怒らせて詰め寄るエウリス。

 帯で総髪気味に上げられた赤い前髪が、まるでエウリスの怒りを体現した炎のようだ。


 そう言われて初めて自分が森の奥地へ足を踏み入れていたことに気がついたルルは同時、なぜそんな愚行を犯したのか思いあたり、バツが悪くなって顔を俯かせた。

 『一人だけ力を持たない自分は家族に疎ましく思われているかもしれない』と考えていたなどと言ってしまえば、たとえ冗談だと言っても母の愛の鉄拳に撃ち抜かれることだろう。

 それはルルにも分かっていた。

 そもそも昼頃の気分の落ち込みは、発作のようなものに過ぎない。


「まぁまぁ母さん、その辺りで良いじゃないか。 ルルも反省しているし、何より……」


 穏やかな声でエウリスを諌めたのはルルの父、キアヌだ。

 二メルに届くかという程の長身に、それに見合った筋肉を纏った垂れ目の優男だ。

 キアヌはエウリスとは対照的に目尻を下げてにこにこと笑い、ルルの傍らに倒れ伏す銀熊を見やった。


「ルルが力に目覚めて、そして一人で銀熊を仕留めてみせたんだ。 お小言は後にして、今は僕達の息子の成長を祝おう」


 そう言われてやっとエウリスは銀熊の死体に気が付いたようだった。

 きゃっと少女のような可愛らしい悲鳴をあげてルルを見つめた。


「これ……ルルがやったの?」


「うん、そうだよ」


 震える声で尋ねる母に、ルルは少し誇らしげに胸を逸らして頷いた。

 しかしそのルルの返事に異を唱えたものがいた。

 グラトニアスだ。


『おいおい! テメーはがたがたフルえてただけだろーが!』


 突如響いたガラの悪い声に、エウリスを始めとする周囲の人々は目を見張った。

 今のは何だと少し騒然とする村人達に、ルルは照れたように頬を掻きながら左腕を持ち上げた。


「今のはこいつ……グラトニアスって言うんだ。 グラトニアスが助けてくれたんだよ」


『おう、グラトニアスだ。 ヨロシクさん』


 異形の左腕を見た村人達は皆、大地が震えんばかりの歓声をあげた。


 彼らは知っていたのだ。

 村でただ一人、『特異能』をもって生まれなかったルルの悲しみや苦しみを。


 そんなルルにも、ついに『特異能』が発言した。

 ルルの苦悩をまるで自分のことかのように感じていた心優しい村人達が喜ばないはずはなかった。


 ここで、「適齢期が過ぎてるのに」などと言うものはいなかった。

 ルルと同じく、皆おおらかなのだ。



「おにーちゃーーーん!!」


 そんな村人達のざわめきを、黄色い声が切り裂いた。

 声がした方向を向いたルルの胸に、小さな人影が間髪入れず飛び込んで来た。


 ルルの胸に顔を擦り付け、わちゃわちゃと叫んでいるのはルルの妹であるリリだった。

 歳の頃は十に満たない程で、父親譲りの垂れ目が可愛らしい女の子だ。

 赤茶けた長髪を下の方で二つに括っていて、それがリリの忙しなさを物語るようにゆらゆらと揺れていた。


「おにーちゃん心配したんだから……ってあれ?! かたっ! おにーちゃん硬っ!」


 リリの興味が容易く別のところへと移ったのをみて、ルルは彼女が心配していたということを疑わしく思った。

 無論、リリという少女のことをよく知っているがゆえの冗談のようなものだが。


「くすぐったいよリリ」


「ほえー……なにこれ不思議! おにーちゃんの身体なのに、おにーちゃんの身体じゃないみたい」


 むずがるように身体を動かしたルルに構うことなく、リリはルルの身体を触り続ける。


「そういえば、ほっぺたの手応えが変だったわ」


 そこにエウリスが加わり、更に、


「うわっ! ほんとだ硬っ」


 妻と娘の様子を見たキアヌも、ルルの身体をぺたぺたと触った。


 それに続いて好奇心旺盛な村人達が次々にルルに触れた。

 結局ルルが開放され、それがグラトニアスの力のおかげだと説明するまでに数十分の時間を要したのであった。



♢♢♢



 ダナ村は今までにないほどの大騒ぎだった。

 村の中央に起こした大きな炎を囲み、皆が思い思いに騒いでいる。

 長年の心のつかえがとれた村人達の気分は天にも登るほどに上々だ。



 ルルはグラトニアスを村人達へ紹介し終え、村のはずれへと来ていた。


 グラトニアスと話した村人達の反応は良いものだった。

 ルルの危機を救ったグラトニアスを厭う者などいるはずもなく、更にルルはグラトニアスの偉そうな言葉遣いは軋轢を生むのではないかと多少危惧していたが、それすらも村人達には好意的に受け入れられたようだった。

 大人ぶって背伸びをしている悪ガキのようなものと認識されたらしい。


 それ自体は僥倖だったが、その後の質問攻めに疲れ果てたルルは、こうして宴会の場から逃げてきたのだった。


 ちなみにグラトニアスも喋りっぱなしは堪えたらしく、『ツカれた』と言い残し、消えてしまった。

 今のルルの左腕には、甲に十字、そして掌に獣の口を模した刺青のようなものが残っている。

 掌の刺青が蠢いて言うことには、これはグラトニアスの『休眠形態』らしい。

 この形態をとると、〈付与〉の効果が失われてしまうとのことだったが、この時のグラトニアスは、既にナイフを消化しきっていたので特に関係はなかった。


『アタマイテぇからヒっコむぜ。 ヨウがあればヨべ』


「頭とかあるんだお前」


 そう言ったきり黙ってしまったグラトニアスには、ルルも突っ込まざるを得なかった。




 そうして一人になり、夜空を呆と見上げていたルルに一人の少年が近付いてきた。


 目の上半分を覆い隠し、肩に届くほどの長さの焦茶色の髪の毛を外に跳ねさせた少年だ。

 背はそれほど高くなく、身体の薄さもあいまって一見すると少女のようにも見えた。

 知的な雰囲気を醸し出す眼鏡をかけたこの少年の名は、フィンという。

 ルルの幼馴染みの一人だ。


「おー」


 投げやりな挨拶をしたルルの隣に座ったフィンは、口元に笑みをたたえつつも呆れた様子で声をかけた。


「ずいぶんな大冒険をしてきたみたいだね? ルル」


「おう、楽しかったぞ」


 皮肉めいたことを言うフィンに冗談で返すルル。

 もともと小言を言うつもりはなかったのか、フィンはルルの軽口に特に反応は示さず話を変えた。


「どうだった? 銀熊と戦った感想は。 詳しく教えてほしいな」


 今度はルルが呆れたように溜め息をついた。

 この友人は知的好奇心が旺盛なのだ。

 様々な図鑑や本を読み込み、その知識は大人顔負けなほどである。

 未知を渇望するフィンは、図鑑などでは得られない生きた感想を得るため、ルルに話しかけてきたのだった。


 自分の心配などよりも好奇心の充足を優先する友人に呆れた様子を見せるルルではあったが、実際はそんな友人を好ましく思っている。

 フィン程ではないがそこそこ本を読むこともあるルルにも、知識を習得する事の楽しさは理解できるからだ。


 ルルは思い付く限りの話をした。

 銀熊の速さ、怖さ、力強さ。

 少し大げさに話し過ぎたからか、想像力逞しいフィンは少し顔を固めたが、やはり好奇心が勝るようだった。


 そうして話し終えてしばらくすると、フィンは満足したのか話を切り上げた。


「ふふ、参考になったよ。 やっぱり本で見るだけじゃあ駄目だね。 僕もいつか生きた銀熊を見てみたいなぁ」


「やめとけよ……ほんと怖かったから」


 眉を顰めてルルが言った。

 この友人には、好奇心に任せて本当に銀熊を探しに行きそうな雰囲気がある。


「ふふ、だよね。 言ってみただけさ。 ……さて、次は銀熊の肉を食べて見ないと」


 そう言って立ち上がったフィンに、ルルはほんの少し、心の片隅に引っかかっていた疑問を聞いてみることにした。


「なぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 小首を傾げてフィンが続きを促す。


「『特異能』ってさ、五歳くらいまでにしか発現しないんだよな?」


「あぁ、それね」


 ルルとしては本題の前に一呼吸おいたつもりだったが、聡い少年はその言葉でルルの疑問に合点がいったようだった。

 フィンは大きく頷いた。


「『特異能』っていうのはね、確かに能力自体は五歳くらいまでに……なんていうかな、身につく?んだけど、その後すぐに発現するかってなると、そうじゃないんだよね」


「どういうことだ?」


 今までの自分の中の常識を覆すようなフィンの言葉に、ルルは目を白黒させた。


「例えばルルのお父さんの『特異能』、もしあの『特異能』を、産まれた時から声が出せない人が持っていたら、どうなると思う?」


 ルルの父、キアヌが持つ『特異能』は、『宣誓』と呼ばれている。

 その力はキアヌ自身が『確信』した物事を、現実に引き起こすというものだ。


 ただし、それは実際にキアヌが実行できるものに限られる。

 例えば、いくら『自分は火を吹ける』と確信しても、それはキアヌの身体構造の限界を越えているので引き起こすことはできないし、『相手を斬った』と確信したところでそれは意味をなさない。

 しかし、『自分は力が強い』というような確信ならば、引き起こすことができるのだ。

 そのときのキアヌは常人では構えることすらできないであろうグレートソードを、まるでショートソードかのように振り回す。


 つまるところキアヌの持つ『宣誓』とは、一種の『自己暗示による身体的制限の撤廃』ようなものと言える。


「んー……たしか確信を確実に得るために声が必要なんだから、使えないよな? 声が出せないと」


「完全に使えないかというとそうではないだろうけど、概ねそうだね。 だからその人は『特異能』を持ちつつも、それを使う機会がないから自分ではそれに気付けないんだよ。 だから普通の人間として一生を過ごすんだ」


「へぇ……そんなことがあるのか」


「知らないよ? あくまでたとえ話だからね。 そもそも本人ですら『特異能』を持ってるって気付いてないのに、他人が「あの人は『特異能』を持っているのに自分では気付いていないだけなんだ!」なんてわかるわけないよ」


「……なるほど」


「つまり僕が言いたいのは、『特異能』を持っていることと、それを使えるか、発現するかどうかは別のことだっていうこと。 ルルは今まで『特異能』自体は持っていたけど、それが発現する状況に無かっただけなんじゃないかな。 もし、もっと小さいころに銀熊に襲われていたら、もっと早くにグラトニアスが発現していたかもしれないね」


 フィンの話を理解したルルは、無意識のうちに安堵の溜め息をついて微笑んだ。


「なるほどな……。 つまり、いまさら能力が発言したことに関してはあんまり気にしなくていいってことだよな?」


 そんなルルを見て、フィンもまた笑顔を浮かべた。


「うん、それでいいと思うよ」


「そっか、ならいいや。 ありがとな!」


「ルルもたまには娯楽本とか、図鑑以外の本を読みなよ。 あまり気分の良いものじゃあないけど、『特異能』のことを研究した論文とかだってちゃんとあるんだよ?」


「そうだったのか……」


「あ、それと」


 今度こそ銀熊の肉を食べに行こうとしたフィンは、思い出したように振り返り、にやりと笑ってこう言った。


「アナがすごい怒ってたよ。 全然帰ってこないルルを心配して、アナってば森に突撃しそうになってたからね」


「げっ!」


 もう一人の幼馴染みの少女が怒っていると聞いて顔を顰めたルルを見て、満足したフィンは今度こそ村の中央に戻っていった。


(……それにしても、明らかにグラトニアスはルルと別の、自立した意思を持ってる。 こんなことって……。 ううん、そういうこともあるのかな)


 霧中を彷徨っているかのような、微かな不安を胸に抱きながら。



♢♢♢



 フィンが去り際に言い残した言葉に、ルルは少し憂鬱な気分になっていた。

 怒られるとわかっていて喜ぶ人間など稀であろうから、仕方のないことだ。


 そうしてしばらくの時が過ぎると、フィンが去っていった方向から足音が近付いてきた。


 ルルに近寄ってきたのは、彼やフィンと同年代に見える少女だった。

 先ほどフィンが口にした、アナという名の、彼らの幼馴染みだ。


 彼女をルル達と同年代だと判断できるのは肌の質や雰囲気が似通っているからだ。

 容姿のみで判断した場合は、ルルやフィンとは姉弟ほどに歳が離れているように見えるくらい肉体的に成熟した少女だった。


 背はフィンよりも高く、ルルと同程度。

 紺色の真っ直ぐな髪の毛を肩甲骨のあたりまで伸ばし、長めの前髪を右へ流してまとめている。

 首には黒地に金糸で刺繍を施したチョーカーを巻いており、その大人しさと優美さを併せ持ったような模様は、少女によく似合っていた。


 そして、少女らしからぬ妖艶な雰囲気を纏った垂れ目には、暗い微笑みをたたえていた。

 それが醸し出す闇の気配を肯定するかのように、ルルの背中がびくりと震えた。


「お、おー」


「…………」

 

 ルルは少しびくつきながらも先手をとって挨拶を試みるが、返ってきたのはそっけない沈黙だった。

 

「……」


「…………」


 沈黙が続く。

 その間にアナはルルの真正面に腰を落とした。


「………………」


「……」


 さらに沈黙が続く。

 そのまま何時間も経過したかのような錯覚にルルが陥りはじめたとき、少女が口を開いた。


「……ルルってほんとばか」


 無言の気まずさに打ちひしがれていたルルは、これ幸いと話に乗る。


「ば、ばかっていうなよ。いいじゃないかこうして無事だったんだし」


「結果としてはね。 でもやっぱりばかよ。 なんで戦う力もないのに森の奥になんて行っちゃうのよ」


 アナは考え無しの幼馴染みにじいっと視線を向けながら淡々と責めた。


「それは……」


「まぁなんとなく想像はつくけどね。 どうせ下らないこと考えてふらふらしてたんでしょう」


「げっ」


 できることなら誰にも知られたくなかった自分の心の内を見抜かれ、ルルは眉をしかめた。


「なんて顔してるのよ。 わかるに決まってるでしょう? 生まれてからの付き合いなんだから。 フィンだって多分わかってるわよ」


「ぐぬぬ……」


 ルルは穴があったら入りたくなった。


「そういうところも含めてばかなの」


「言葉もないです……」


 淡々と、幼子に言い聞かせるような調子でルルの行動を咎める少女に、ルルは言い訳をし辛かった。

 自分がひどく小さなものに思えてくるのだ。


「運良くグラトニアスが現れてくれたから良かったけど、そうじゃなかったら、ルルは今頃銀熊の晩ご飯になっちゃってたのよ? わかってる?」


「はい……」


「はぁ……やっぱりルルには私かフィンが付いてないとだめね。 すぐに周りが見えなくなっちゃうんだから」


 同い年の癖に年上ぶるアナに反発心が首をもたげるが、ここで余計なことを言うと、いっそう自分が子供に思えるのでルルはただただアナの話を聞いていた。


「……まぁでも、おめでとう。 力がないの、気にしてたものね」


 するとアナは、そんなルルの不満を見て取ったのか、早々に文句を打ち切り、真逆の方向に話をかえた。

 フィンから「アナが怒っている」 と聞いていたルルは、肩透かしを食らった気分だった。

(ちなみに後で聞いてみたところ、「エウリスおばさんがルルを殴ったのを見て発散されちゃった」とのことだった)


 予期せぬ場面でアナに祝福されたルルは脱力し、礼をいった。

 

「うん、ありがとう」


「今度から森に入るときはきちんと声かけなさいよ。 ふふ、ルルちゃん」


「どれだけ子供扱いすんだよ!?」


 祝福はすれども、ルルの軽挙を許したわけでも、ルルの自律を信じているわけでもないらしかった。





♢♢♢





 馬鹿騒ぎに疲れた村人達が寝静まり、村に静寂が訪れたあと、刺青となったグラトニアスがぽつりと呟いた。

 それは当然のことながら誰の耳にも届かず、闇へ溶けていった。


『 ……ノーテンキだねぇどいつもこいつも。 ツゴウのイいだけのキセキなんざ、そうそうあるもんじゃねぇぜ』





ご意見ご感想、批評等おまちしております。


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