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遭遇

 ご意見、ご感想、批評等お待ちしてます。ほんと。

 グラトニアスに言われるがまま振り返ったルルが見たものは、二本の太く短い脚で直立し、いびつに顔を歪めて鋭い牙を剥き出しにした巨大な影だった。


「は、はは……銀熊……」


 その影の名は銀熊シルヴァジアという。

 ダナ村の東に広がる森の奥地に生息している巨大な熊だ。

 鉈のような爪とともに繰り出される豪腕の一撃は木々を容易く粉砕し、短くも逞しい四足は障害物に富んだ森の中を難なくと駆け、あらゆる獲物を逃さない。

 豊かな毛、ぶ厚い皮膚、大量の脂肪、更にその下にある頑健な筋肉がもたらす強靭な肉体もあいまって、動物に分類される種でありながら下級の魔獣すら道を譲るほどの脅威である。

 森の中では目立つ銀に煌めく体毛は、森の食物連鎖の頂点に立つという証左に他ならない。


 見上げなければ全貌を目に収めることが出来ないほどに近付かれた今、逃げに回るのは悪手だった。

 ルルが銀熊に背を向けた瞬間、真っ二つに引き裂かれるだろう。


(ど、どうすれば……戦う!? む、無理だ! オレには銀熊を相手取る準備もなけりゃ、その力も――!)


 あまりの事態にルルの心が折れかけたとき、グラトニアスの力強い声が響いた。


『オイオイ! カタまってんじゃねえよヤドヌシサマよぉ! ニげたホウがイいんじゃねぇか?』


 どこかこの状況を楽しんでいるかのような調子で異形の左腕が嗤った。


「逃げられないよ……アイツの間合いに入っちまってるだろコレ」


 一歩、また一歩と少しずつ近付く銀熊からひとときも目を逸らさずにルルは答えた。


『ほぉ、んじゃあどうすんだ? アキラめんのか?』


 そこでルルははたと思いついた。今の自分には、有効かどうかはわからないが、もう一つとれる方法があるじゃないか、と。


「グラトニアス、どうにかならないか?」


 都合が良すぎる程に自らの危機を見越したかのような場面で現れた、己の左腕に賭けるのだ。

 そしてそれは、とりあえずは正しい選択だったらしい。


『ハッ! なるにキまってんだろうが! そのためにオレサマはこんなトコロにいるんだからよ。 んじゃあまず――』


「うおおおっ!?」


 グラトニアスが話し終えないうちに、銀熊がルルを押し潰さんと飛び掛ってきた。

 銀熊から目を離さず、その一挙手一投足に目を向けていたおかげで、横に転がって偶然にも先手をかわすことができたルルは、すぐさま体勢を立て直して銀熊の後方へと走り出した。

 グラトニアスが何か喚いている声が聞こえるが、今のルルに構っている暇はなかった。

 全力で疾走しているにも関わらず、ルルの後ろで起こる地響きはどんどんと距離を詰めてくる。

 ルルは力の限りを振り絞って脚を動かすが、二者の間には如何ともしがたい身体能力の差が存在していた。

 とうとう真後ろから聞こえた唸り声に、ルルが絶望しかけたその時。


 グラトニアスが叫んだ。


『ボサッとすんじゃねぇ! テメーのナイフをオレにクわせろ!』


 ルルの頭はその指示に混乱した。

 すぐ後ろに迫る死の恐怖。

 グラトニアスの言うことに従えばこの窮地から逃れられるかも知れないという淡い期待に、意味のわからないことをのたまうグラトニアスへの苛立ち。

 そういった感情に思考が食い荒らされ、何も考えられなくなったのだ。

 

 だが停止する頭とは裏腹にルルの身体は行動に移った。

 生存本能に突き動かされたルルの肉体はグラトニアスの指示通りに動き、右腰に差していたナイフを抜き取って、ぽっかりと空いたグラトニアスの口腔内へと放り込んだ。


 その数瞬後、ルルの身体はがきんという鉄の塊を叩いたかのような音とともに宙を舞った。



♢♢♢



(!? い、痛くない!)


 銀熊の一撃は確かにルルの右脇腹へと叩き込まれたが、それは僅かな痛痒もルルに与えてはいなかった。

 空中へ打ち上げられ、地面に激突したが、ルルは衝撃を感じるばかりだった。

 わけのわからない現象に、先ほどまでの混乱も忘れて呆然としていたルルに、グラトニアスの叱咤が飛んだ。


「な、なんだよ今の……」


 我に返ったルルに更にグラトニアスが言葉をかける。


『キけクソガキ! オマエは〈鉄〉だ!』


「はぁ!? どういう――」


『どういうことだなんてトンマなシツモンしてくれんなよ! オマエのカラダはテツだ! あんなデカブツのツメなんざオマエにキズすらツけられやしねぇ! ヘンジは!』


「お、おう!」


 ルルを見、自らの前脚を見て戸惑っているかのような様子を見せる銀熊を尻目にルルとグラトニアスは会話を続ける。


『もはやアイツはデクのボウみてーなもんだ! だからビビるこたぁねぇ。 さっさとシトめちまえ!』


「仕留めろったって、オレにはもう武器が!」


『あるだろうが! サイキョウのツルギが! てめーのヒダリウデによぉ!』


 ルルははっと気が付いてグラトニアスを凝視した。

 気が動転してしまい、まったく気がついていなかったが、先ほどグラトニアスは、確かにその鋭利で頑丈な牙により、ルルが投げ入れたナイフを噛み砕いていた。

 安物とはいえ鉄製の、頑丈さだけが取り柄のナイフをいとも簡単に咀嚼できるような力を持つグラトニアスならば――


(銀熊の硬い肉だって食い千切られるかもしれない……!)


 であれば、まさしく最強の剣だ。


 ぐおんと吠えた銀熊に、ルルは逸らしてしまっていた視線を慌てて戻した。


 侮られたと感じたのか銀熊は更に顔を歪め、次こそは逃さぬとばかりにのしりのしりと地面を踏み固めるようにして間合いを詰める。

 目の前の怪物から放たれる威圧感に、無意識のうちにルルの足が後ろに下がった。


『ビビんなっつってんだろーが! このヘタレ! こんなデクにイマのオマエがヤられるワケがねえんだよ!』


「その、身体が鉄だってのがよくわかんないんだけど……」


 とはいうものの、ルルには他に道は残されてはいなかった。


 不退転の気合を込めて目の前の銀熊を睨み付ける。

 だが銀熊は歴戦の猛獣だ。

 固めたはずのルルの戦意が銀熊の迸る闘争心にあっさりと塗り変えられそうになった。


 気持ちを切り替える。

 再度組み上げた戦意が砕け散らないように、ルルは母の真似をして右手をきつく握り込んだ。

 そして左手の五指が変化して形成されたグラトニアスの大牙をめいっぱいに開き、左腕を引き絞って構える。

 ルルの決意を見て取ったのか、銀熊の身体がわずかに下がった。


 未だかつて経験したことのない極限の状況が、ルルの集中力を研ぎ澄ます。

 ルルと銀熊、互いの視線が交差したその刹那、銀熊の足元の地面が爆散し、その巨体が飛び出した。


 銀熊の動きはルルの瞳に写ってはいない。

 しかし練りに練られた集中力がルルに思考の猶予を与え、頭をめまぐるしく回転させた。


――銀熊は確実にオレの喉を噛み千切りにかかる。


 ルルは、その予想が外れる気はしなかった。



♢♢♢



 銀熊は森の王者と言われている。それは何故か?


 敵対するものを一撃のもとに殴り殺すその腕力故に――違う。

 腕力のみで切り抜けられる状況などたかが知れている。


 では獣の鋭い牙をも弾く、その鎧のような肉体故に――違う。

 どれだけ頑強であろうとも、生物である以上傷は負うし、それが悪化すれば肉体の強度など関係ない。


 ならば木々の根や大地の起伏に捕らわれずに駆けることができるその脚力故に――違う。

 走る速さ、機敏さは確かに生存競争において重要な要素であるが、王者と称されるには不十分だ。


 銀熊を森の王者たらしめるもの。

 それは、その発達した頭脳だ。

 銀熊の知能は特に戦闘に特化されていて、戦うたびにその経験を蓄積し、学ぶことを可能とする。

 そして学んだものを実践し、応用し、昇華する。

 それを繰り返すことで銀熊は最適な一撃を最適な手段で最適な場面に繰り出すことが可能になる。

 故に、銀熊は森の食物連鎖の頂点に君臨することができるのだ。


 銀熊は頭が良い。

 失敗から学ぶこともできる。

 だからこそ、このときのルルには銀熊の次なる一手を読むことができた。



♢♢♢



 銀熊はまず出会い頭、ルルに向かって飛び掛かり、上から押し潰そうと画策したが避けられてしまった。

 次に前脚による強烈な攻撃をお見舞いしたが、それもあっけなく防がれた。

 ならば次に銀熊がとるであろう行動は、自ずと絞られてくる。


 すなわち、『避けられぬように最短距離を最速で詰め、防がれぬように自身が誇る最大威力の一撃を相手の急所に叩き込む』である。

 

 当然のことながら、これは賭けだ。

 なんの根拠もないただの予想だ。

 だが、恐怖を乗り越えむしろそれを糧とし、いつにも増して高速で回転したルルの頭が弾き出した予想は現実のものとなった。


 銀熊の狙いはルルの首。

 手段は顎撃。

 森に生きる猛獣達の頭蓋骨すらやすやすと噛み砕くその威力はまさに必殺。


 その必殺を、一瞬妨げられればそれで良かった。

 それに、銀熊の動きを捉えられるかは関係ない。


 がきんと硬質な音が鳴り響いた。

 銀熊が渾身の力を込めて、首の高さに差し出されたルルの右肘に噛み付いたのだ。


 その瞬間。

 銀熊が己の牙でもって頭部を固定することとなったその刹那。


 ルルの左腕が、銀熊の頭部に向けて突き出された。


 最強の剣による一撃は、あらゆるものに平等に死をもたらす。

 それは森の王も例外ではなかった。








 

 生命の灯火が消えゆくさなか、銀熊は未だかつて経験したことのない感情の渦中にいた。

 王として、そして絶対なる捕食者として森に君臨し続けた銀熊が初めて感じる被食の恐怖は尋常なものではない。

 しかし意外なことに、銀熊の魂は一片たりとも恐怖になど侵されてはいなかった。

 それどころかむしろ安らかな、まさしく天にも昇るような暖かさの中にいた。

 



 異形の左腕が、どこか朗らかに笑った。

 まるで死にゆく銀熊の送り出すような、迎え入れるような、そんな声色だった。


 




 

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