異世界と魔法と地球
時は20世紀中期。
この地球に住む全ての人間を揺るがす大事件が起きた。
……いや、きっと公表されたのがその時期だったというだけ。
本当はもっと前から水面下で、ずっと“それ”は起こっていたのだろう。
“異世界”からの接触――――。
フィクションが現実になる日の到来だ。
それが地上波放送のテレビニュースで流れた瞬間はきっと――――
大人なら誰しもエイプリルフールのような気分を味わった一日だったに違いない。
街をスカシた顔で歩く紳士淑女の誰も彼もが、天地を揺るがすそのニュースを悪いジョークに思って、普段なら嫌がるような自信のない曖昧な笑いを浮かべたのだ。だってある意味でそれは、明日隕石で地球が滅びます。とか言われるよりも現実味の薄い話だったろうから。
俺達はその瞬間を知らない世代だが、馬鹿げたその一日の事を、爺さんはその爺さんからよく聞いていたそうだ。
渡航してきたばかりの白黒テレビに映る、転移魔法陣の向こうの異世界『フォーチュン』。
そこから渡来した、物静かな大使。
その魔術師が見せた―――
まるでディズニーの映画の演出のような美しい奇跡。
夜空に浮かぶ光の渦と、世界樹の輝き。
そして夜の街を舞う精霊たちの笑声。
その日こそが、大人を縛る常識の転落。非常識の興隆。
―――――魔法と錬金術の時代の幕開けだった。
魔導時代の到来から約120年。
世界は色々変わったし、人の常識も色々変わったけど、魔法が無かった世界と変わらないものもあるのかもしれない。
少なくとも、俺が夢で見た魔法のない世界と変わらないものもあった。
この世界にもコンビニはあるし、ビニール傘もアイスクリームもある。コーヒーは苦いしカロリーの低い食べ物はあまり美味くない。
ん?お前が夢で見た世界と比べてもしょうがないだろうって……?
まあ、そりゃそうなんだけどさ。
異世界が実際に傍らにある地球の住人としては、夢で見る世界といえどもあまり空想だと笑えないところがあるわけよ。
夢の世界だって実際に存在するかもしれないと、俺達は結構真面目に思ってる。それぐらい空想は現実になった。空想のような現実が、空想であることを自ら否定した。
これを自分で言うのは自意識過剰みたいで嫌だけれど、最終定理の素質を持ってるらしい俺が見た夢というのは、実はただの夢ではないのかもしれないそうなのだ。
魔眼持ちには知られざる平行世界というものを垣間見た先人も居る。
だからもしかすると俺もそういうのを夢で見ているのかもしれない。それぐらい生々しい夢だった。
――――――とにかく。
夢で見た魔法の無い地球の姿と、今俺が知る世界は一緒のようでもあり、けどやっぱり結構違うところもある。
太平洋のど真ん中の海底には、異世界から移植された地球最大の馬鹿でかい世界樹である『界王樹』の根がでーん、と自慢げに埋まっている。
さらには空に向かう巨大なその姿を、観光客は飛空艇に乗って見ることもできる。夜の海にマナの力でぼんやりと輝く界王樹の姿は、それだけで幻想的な美しさがあるそうだ。
化学製品の中には錬金術で作られた金属や薬品が当然のように使われているし、先進国は魔法金属を異世界に向けて輸出だってしている。
もちろん異世界から地球に何かが輸入されるのも、“その日”から途絶えたことはない。
世界で有数の都会に行けば街を普通にエルフやドワーフの特徴的なシルエットが歩いている。
地球人だって異世界に観光にも仕事にも出かけていく。
ロンドンの霧の街の風景に歓声をあげる魔族もいれば、アキバでコスプレ撮影会に参加する獣人もいるし、異世界の吸血鬼の城を撮影した写真集も飛ぶように売れている。
そして、いまなお新規に発見される異世界は増え続けている。
異世界の仲間と共に、まだ開拓されていない世界へ富と浪漫を求めて冒険に出る人間だっている。
世界樹の作る魔素が世界を満たした影響で、才能の目覚めた人間は地球の上でも普通に魔法を使うし、森には魔獣が出没するようになった。森に澱んだ魔力がダンジョンを形作ることもある。俺みたいな異能力持ちも生まれるようになった。
それでもやっぱり地球同士で戦争している国は存在するし、小競り合いもある。
宇宙開発は相変わらず月のあたりでまごまごしていて、地球から火星に移住する準備も大分先の話だろう。
…………飢えて死ぬ子供も毎日いるし、自殺する大人も年中いる。
魔法は世界に色々な変化をもたらしたけれど、万能じゃない。
結局は異世界が地球の科学の代わりに作り上げた創意工夫でしかない。
異世界から魔法がもたらされたのと反対に、地球の魔法として科学技術も色々な世界に出て行った。
錬金術というのは魔法と科学の融合だ。
物理法則を変える魔法の力を、物理法則を基にした科学で効率化する。それが現代錬金術の概念だ。もちろん異世界には地球の物理法則が通用しない世界もあるけれど、地球の上では世界樹がいろいろ作り変えたって、相変わらず大抵は通用する。
魔法を使えばリンゴを浮かせることができても、使わなければやっぱり、木から外れたリンゴは地面に向かって落ちる。
それが今の世界の常識だ。
空想が現実になろうと、現実が空想になろうと、一世紀ちょっとじゃ全ては変えられないのが人間という生き物の在り方なのだろう。
世界は未だ恒久の平和なんて夢のまた夢。山のようなゴーレムは作れてもドラえもんはまだまだ作れそうにない。
そんな世界の高校生の悩みなんて、魔法があろうが無かろうが大して変わらないってものじゃないだろうか。