零くんは中二病を発症中のようです 前編
鏡に自分自身、空瀬見 零の顔が写っている。
別に特別なものだとはとても思えない黒い瞳が、真っ直ぐに自分の分身を見つめていた。……いや、鏡に映った自分が見つめているのは、現実の俺の方だろうか。まぁどっちにしたってそいつが、何か特別な、凄い事ができる奴であるように見えないのは変わりないことだろう。
いたって凡庸な日本人らしい顔立ちには、何か気合やオーラみたいな、華やかだったり目を引くものなんてこれっぽちも感じられない。
自分で言うのも何なんだけれども、年相応の、どこにでもいそうで、終始へらへらしてる割に、言うことだけは一丁前に生意気そうな……そう。どこかでいつも言われてる通りのクソガキの顔だ。
他のところを取り出したって、まったく普通だ。
髪だって地毛の黒のままで、茶色に染めたりさえしていない地味なもの。俺は正直流行に疎いため連れて行かれた美容室の理髪師さんに任せており、ここにもあまり個性はないと思う。まぁ日本の高校よりは自由な感じだろうけど、自分の髪型を何て呼ぶのかさえもわからないのだ。長さも最近身の回りが慌ただしかったので少し伸びている程度で、ロンゲでもなければ坊主でもない。
身体だってそうだ。特にガタイがいいわけでも、身長が高いわけでも足が長いわけでもない。同級生に混じって見た目で目立つようなことはないだろう。古武術の道場主なんかをやってる爺さんが厳しい人だったせい、……というかまあ「おかげ」で部活をバリバリやってる奴と同じぐらいには体が出来てたり、腕が太かったりするぐらいの事を密かに自慢に思ってる程度だ。さすがにラグビー部なんかのガタイがいい奴と比べるとお粗末なもんだが。
無個性。それが俺が生きていく上で選んできた保身術だった。日本にいた頃の仲間内では馬鹿でお調子者という、グループにしかわからない程度の個性が俺の持つ属性の全てだった。
イカしたやつでもなけりゃ気持ちのいい奴でもない。特別な才能なんて運動でも勉強でも持ってない、その割に妙に勘が良かったり、運が良かったりする奴、同級生の評価もそんな人間だろう。もちろんそれは魔眼のおかげなんだが。
奇抜さとか傾くとか伊達男とかそういう言葉とはひたすら無縁なショボい高校生像だ。
面白くない、という奴の期待には答えてやれずにすまねぇな。と苦笑してしまうばかりである。
どうもそういうギラギラした活気とかそういうものが苦手で、近寄りがたい。喧騒を周りで聞き流しながら、平和に窓際で昼寝でもしているのが一番幸せだと思ってしまうのが俺の性格だ。そんな甘ったれたへなちょこな性格のくせに、魔窟行って怪我するのだけは平気なんだから、自分でもどうかと思う面倒なやつだろう。ある一人分のしかめっ面が真っ先に浮かぶ。……すぐに残虐超人みたいな笑いをされた。余程スパルタな訓練が待ち構えているようだ、どこぞの団長ばりに憂鬱である。
思い出したくないので考えないようにしていた事を思わぬ経路から連想ゲームしてしまい、疲労感と共にベッドに座り込む。帰り際の“アレ”のせいでなかなか寝付けなかったのだが、いまなら案外すんなり眠れるかもしれない。
大人しく布団の中に潜り込むが、それでもまだ少し目が冴えていた。
あれは一体なんだったのか、幽霊だと言われるならならまだいいぐらいだ。が、俺の予想ではもっともっと危険でえげつないものだ。あの禍々しい気配は、吐き気を催すような恐ろしい狂気の産物に間違いないと思う。
魔法は便利だ。地球の色々な世界の常識を作り替えた。けれどそれは表に出てこない暗がりの世界も同じなのだ。光が強くなれば影もまたより濃く浮き彫りになる。「魔法は夢を現実にするが、同時に狂気も現実にできる」ミスカトニックに入学した者、全員が賜る言葉の一つだ。
禁術、屍霊術、外道の法理、そう呼ばれるものがこの世界には確かにある。人間がけして触れるべきでないものが。死者を操り、禁忌を暴き、生者を冒涜する本当の魔の術。魔術師の端くれとしてミスカトニックに学ぶものは、必ずその魔法の闇とも向き合わなければならない。
理解している。だがそれでも思う。どうしてあんな恐ろしいものと関わらなければならないのだろう、と。
俺が魔眼の能力持ちというのは両親と祖父と妹、家族ぐらいしか知らなかった。それも全部見せたことがあるわけじゃない。精々小さな子供の頃に見えないものと会話してるのを見られたことがあるぐらいだ。多分軽い霊視が出来る程度にしか思ってなかったはずである。
それが、たった一回のまぐれみたいな暴走で、周囲が丸ごとがらりと変わってしまうんだから驚きというよりは、それはもう笑っちまうような変化だった。
夏でも黒いコートと帽子の、顔さえ包帯で隠した男が家に迎えに来た時のことは今でも覚えている。縦にも横にも分厚い大男で、流暢な日本語を扱う男だったが、帽子と包帯の間から覗く鮮やかなブロンドの髪だけは彼が日本人ではないと教えていた。
『銀鍵機関』――――――。
日本ではそう呼ばれている魔術師達の財団の使者だと名乗った男は、日本政府の人間だという中年のオッサンと共に訪ねてきて、ミスカトニックで専門の教育を受けろと言ってきた。費用は全て国と財団が持つ、これは日本という国家からの依頼であり、地球に限らない世界にとっての依頼も同じであるだと。
話が大きすぎて誰もが困惑した。高校生にも満たない一人の子供の為に大袈裟すぎると全員笑った。
だが、どうしてもと言って譲らなかった。『最終定理』にはそれだけの価値があるのだと。実際、特殊な魔術を扱う素養が有る子供は、幼少から特別な研究教育機関で専門の教育を受け、将来は異世界との共同研究などに携わると、テレビ番組で聞いたこともあった。
だが、話に聞くのと実際にそれを受け入れるのは違う。向上心なんて言葉とは程遠い俺は当然嫌がったし、家族だってさすがに難色を示した。だが、男はそれさえも見透かすように言ってきた。「最終定理の素質を持ちながらこのまま通常の生活を続けていれば、将来絶対に禍根を残す。やがて強すぎる力を制御できなくなり、周囲と己に災厄をもたらす」と。
吐き気のする思いだった。比喩ではなく、実際に、青褪めた。…………男が言うまさにその通りだったからだ。
俺はその頃すでに、魔眼が自分の意思と関わらないところで発動する体験を何度か味わい、そういう時はいつも笑い飛ばしていたが、後になってからいつも恐怖を感じていた。“このまま使い続けて大丈夫なのか”と。
俺は自分の能力が本当は何なのかも全く知らず、この能力の行き着く先も知らない。いつか取り返しのつかない事をしてしまうような気がしていた。
だから男の話は、本当は渡りに船だったのだ。この力が何なのか、どうやって使いこなすのかを教えるというのならば、俺はそれを知っておくべきに違いないと本能ではわかっていた。
しかし、喉から出かかった承諾の言葉を、どうしても舌に乗せられなかった。
――――怖かった。家族と離れるのも、今までの学校の友達と離れるのも、生まれ育った街から急に離れるのも、今まで通りじゃ居られないと思わせる全てが。……俺の運命の全てを変えてしまうような気がした。
出来るのならばあのまま、平凡で見知った場所で過ごしていたかった。
何故俺にそんなものがあるのだろう。今でも思う、俺の眼は本当に最終定理の力なんて持っているのだろうか?と。一部の大人が騒いでいるだけで、俺は最終定理とは何なのか、どれほどの力を持っているのか、それさえも知らないのだ。
それで知らない人間から凄いものだと言われても、何かの間違いじゃないのか、と思わない人間が居るだろうか?
突然自分の力に自信を持ち、社会の為に自分の力を使おうと思うだろうか?
人はいつだって誰かに救われたから誰かを助けようと思えるのではないのか。アンパンマンを見て正義に目覚めたから、それを貫き通せる人間なんて居るだろうか?
人は誰だって叶うなら平凡で平穏に時を過ごしたいと望むのではないのか、俺がそう思うのは間違いなのか?
けれど――――、でも。
自分の将来に不安を抱きながら、誰かから与えられる平穏だけを望むのは、間違っていないと言えるのだろうか。――――――いや、別に間違っていたっていいさ、知ったことじゃない。俺は俺の為に生きている。
誰かの為に生きてるわけじゃない。俺は俺のやりたいことをやる。
でも、でもだ。もしも自分の為に近くに居る誰かを不幸にした時、俺はそれを耐えられるんだろうか――――?それが自分の為だと、あくまで強がりを言えるのか?その覚悟があるのか?
――――――――まただ。
またあの惨めな夢の自分と今の自分が重なって見える。
あいつは自分の進んでいる道をどう思っていたんだろう。自分のことだったはずなのに、それさえも分からない。俺はああなりたくない。でもあいつはどうしてああなった?あいつはどうすれば良かった?俺はどうすればいい?
これってそんなに悩まないといけないことなのか?
どうして俺がこんなに悩まないといけない?
普通でいい。俺はそう思っているし、あいつはそう思っていなかったのか?
じゃあどうしてそれが叶わない?
……叶わない、のか?
今の俺って普通なのか?出て行く俺は普通じゃないのか?
ここは居心地がいい。けどこのままここに居ればそれが続くのか?
普通の奴が普通の所にずっといれば、ずっと普通でいられるのか?
勇気を出して前に出たやつが、前だと思ってた場所が普通なんだと思ったら、前に出なかった奴はもう後ろに置いてかれてるんだぜ?
自分の位置なんて、気にして意味あるか?後ろにいるのを気付いてないだけなんじゃないか?
じゃあ前に出ようか悩んで意味なんてあるか?だってこのまま居たら結局ずっと不安なんだぜ?
前に出れる内は出続ける方が結局、楽なんじゃないか?
本当は――――答えなんてずっと目の前にぶら下がってるんじゃ、ないのか?
けどさ、俺は、意気地なしなんだ――――。
心のパイプ椅子で僕(自分)と握手!!
なんだろこのあとがき……