後編 夜と月の底にて
ノルマはあと謎の美少女を惚れさせるだけだ!
頑張れ主人公!死ぬならその後だ主人公!
チーレム勇者の座はすぐそこだ!(ゲス顔)
「ちょ、レイ!!?どうしたの――――!?」
スピカの叫ぶ声が耳元から鼓膜を叩いているはずなのに、海の中からその外側の声を聞いているように遠く響く。
夜の底が瞳を合わせたその一瞬で、――――――深海の果てに。あるいは打ち捨てられた墓所のそれの如く、触れるべきでない光差さぬ暗闇に――――――いつの間にか置き変わったようだった。ひどく寒い夜の空気が俺の体にまとわりつく。まるで無数の亡者の招く手のように。
頭が割れるように痛い。背筋に氷の塊を……こめかみに溶岩を……それぞれ沸々と泡を立て、ドロドロとゆっくり時間をかけて流れる液体を流し込まれたように、息もできないほど、狂おしいほどに神経という神経を苦痛が苛む。
胃を直接絞り上げられ、頭蓋骨ごと脳髄を掻き回されるような吐き気に今すぐ身を捩りたいのだが、っ出来ない!体が産毛の一筋でさえ言うことを聞いてくれない。万一それが叶ったとしても、痙攣する肺が満足に外気を取り込むことすら許さず、その場にのたうち回るに違いない。
しかしそれでも俺と少女の交わった視線以外の感覚が、どこか遠い。
―――――――――――――俺は、今生きているのだろうか――――――?
既に、この世のものではなくなってしまったんじゃないのか――――――。
この瞬間に己の体が骸と化して腐り落ちていると言われても、今の俺はそれを疑わない。
金と紫の衝撃が俺の持ち得る生命の限りを埋め尽くし、蹂躙され陵辱され嬲られる感覚が永遠に続く。
――――――そう思った瞬間。
少女の唇が、楽しげに動く。
無垢な子供の表情で、何か言葉を紡いでいる。
―――――――アア――――ナルホド。
――――――――――――――アナタガ、ソウナノデスネ――――――?
赤い三日月の形に、美しい唇が弧を描いた。
ひどく無邪気に、少女の姿をした芸術のように笑いを浮かべてみせる。
――――――――――マタ、アイマショウ――――?
“御機嫌良う”
――――――最後に唇がそう動いて、少女の足元に昏い色の魔法陣が浮かび上がった。
ゆっくりと魔法陣が夜空に向けて浮かび上がると、それと共に少女の姿が夜と同じ色の霧になったように掻き消えてゆく。
見た目通りの子供のような笑みの残滓を残して、少女の姿が消え去った。
アーカムに溜まる夜の全てが自分を締め上げていたような、恐ろしい重圧が消え、糸の切れた操り人形の如くに俺はその場にへたり込む。それから数拍置いてようやく全身を流れる冷や汗の感覚が戻ってきた。それでも夜の森の冷たい空気と、自分の中に溜まったヘドロのように重く不快な空気を入れ替えなければ、まともに思考を紡ぐこともできない。
脳裏に様々な感情と像が忙しない花火のように浮かんでは弾け、奔っては消える。
ようやく結ばれた論理の線は、それであの少女が何者か真実に到れるとはとても思えないような、取るに足らぬ、現実的で小さな窓の口だった。
(なんだあいつは―――――――転移魔術――――だと――――?っ……!個人が……?詠唱もなしで…………っ!?)
下らない。
あの少女の本当の異様さは、そんな誰もが目を見張るようなところではない。
そう自分では理解していても考えてしまう。考えずには居られない。
――――――――有り得ない。世界の此方と彼方を結ぶということは、それほど容易いことではない。砂漠に落とした石ころを手探りで探すのと同じようなものだ。相応の時間と人手を用意すればそれも叶うだろうが、個人が空間転移を扱うなど夢物語に過ぎない。
(殲滅級術師――――?量子級熟達者?いやそれでも遠い……)
―――――――化物だ――――。
様々な達人の形容詞を浮かべても、結局そうとしか俺には、あの少女を形容できなかった。
「レイ、レイ!?大丈夫?!気分悪いの?!きゅ、救急車!!」
「…………落ち着けスピカ。零、ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐け。どうした。何があった」
座り込む俺の顔を覗きこむようにレティが膝まづいた。落ち着いた静かな声が染み入るように、俺の混乱を治療する。
「…………レ、ティ……レティ。あんたは俺達以外の何かの気配を感じなかったか……?」
言われたとおり荒い呼吸をできるだけ抑えながら、声を絞り出す。真剣な顔で真っ直ぐ俺の瞳を見据え、何も言わず待つレティの姿を頼りに、ようやく言葉を吐き出す事ができた。まったく情けないことに、体からすっかり力が抜けてしまっている。
熟達した気功使いは己の内の霊気を練るのと同時に、自然の霊力と己の気を交換することで周囲の気配を常に知覚しているそうだ。小周天や大周天と呼ばれる技術である。だから後ろから急に殴られても目があるように対応するのをスネークルージュの結界でも見た。
もしあんな異常な気配の少女が近づいてきたなら、彼女の気がつかないはずがない。
「いや、私が感じた周囲の気配は私とお前たちだけだ。今もそうだし、この5分は少なくともずっとそうだ。誰ともすれ違っちゃいないし、私の気で探れる範囲は誰も歩いていなかった。帰るにも入るにも半端な時間だからな、別に訝しむような話じゃない」
それでも俺は、この答えにやっぱりか、と思った。
逆にあいつの禍々しい気配を感じて、平気でいられるはずがないからだ。
「そう、か…………。それならいい」
「いいじゃないよレイ!そんな顔色していいわけないでしょ!?一体どうしたのよ!!」
「心配すんなスピカ。ちょっとびっくりしただけだから……」
まだ少し体の力が戻ってないが、スピカが泣きそうな顔をしているので立ち上がる。しかしやはりちょっとばかりふらついてしまう。受け止めて支えになってくれたのは師匠様だ。
「サンキュー……、レティ。なんか今日はレティに担がれてばっかだな」
「お前…………何に行き遭った。一体何を見た……?」
顔は普段と変わらない少しむっとしたような表情だが、少し怒っているような声だった。
「…………わからない。間違いなくあんまり頻繁には出くわしたくないようなもんだったけど、見た目は可愛い女の子だったよ。まったく魔眼ってのは便利なんだか不便なんだか……」
「女……?」
「女っていうよりは子供って感じだったけど、な。でも中身は完全に別モンだありゃ。相当ヤバイ、レティのパンツ盗んだときよりヤバいかも」
「お前がそう言うならよっぽどだな」
ジョークなのだが師匠は少しむすっとした顔をした。面白くなかったのか幽霊だか何だかと比べられたのが嫌だったのかどっちなんだろう。
「冗談だよレティ。もちろんレティの方が怖い」
「やっぱりねー。レイがレティより怖がるものなんてジンかハジメぐらいだよねー。いや最近はジンより上かも」
「捨てていかれてぇのかテメーらは」
呆れたようなぶっきらぼうな突っ込みが逆に笑えた。
「ま、冗談抜きでもう大丈夫だよ師匠。一人で立てるし歩ける。いやーでもやっぱレティから離れたくないかなもーぅ、すりすり~」
「さっさと歩けクソガキ」
容赦なく引っペがされた。しどい。
まぁ拳が飛んでこないだけ病人扱いされているんだろう。
「……お前のその有様は確かにただ事じゃねぇな。この迷宮も随分きな臭くなってるもんだ。ミスカトニックが秘密裏に何かやってるなら、いずれ私達にも上から何かのお達しがくるかもな……」
歩き始めたレティが何気なく言った言葉が、俺にはこの上なく不穏に聞こえた。
あれに遭遇してもし戦闘にでもなれば、いくらレティでも……とどうしても考えてしまう。
「…………レティ、お願いだからしばらくエリュシオンの深部には近づくな。何があっても遠ざけてくれ。あんたの腕を信用していないわけじゃない。ただ、それでも―――――――」
暗闇に歩き出す背中に向けて何か引き止める言葉を探すが、結局俺には陳腐な表現しか浮かばなかった。
「――――――あれは、人間にどうこうできる相手じゃない」
「……ふん。一ついい事を教えてやるぜクソガキ」
少しだけ振り向いた師の横顔は、薄く獰猛に笑っていた。
「大人ってのはな、勝てねえとわかってる奴とは戦わないような奴のことを言ったりはしない。勝てるわけがないと思う相手とは何があっても戦えねえって奴には、名乗れないもんなんだ。確かに冒険者はいつでも死の匂いに対して敏感であるべきだ、勝てない相手を避けようとするのは勿論ありだ。が、恐れるあまりに戦えないほどビビったら、それは唯の心の負けだ。死にたくなけりゃどんな時でも闘志だけは燃やし続けろ。逃げ道は前にあることもある。びびった奴はそいつから惨めに死ぬ。それだけだ」
「レティ……」
「一応今日は寮まで送って行ってやる。……こういうのもてめえには案外いい薬かもな。冒険者ってのはそういう気持ちと戦わずにはなれねぇよ。ちっとはよく味わえ」
少し満足げに微笑んだレティは、もうこちらを振り返らなかった。
俺は返す言葉が見つからず、ただその後ろについて行く。俺の進みたい道とは、レティの言う通りそういうものなのだろうか。これほど恐ろしいものなのだろうか。
夜空を見上げると、白い月がこちらを静かに見下ろしていた――――。
週別ユニークが更新されてて満足。
もう思い残すことねぇなしっs……疾走しますハイ。
これからもどうぞよろしくお願いします。