夜と月と奇妙な邂逅 前編
みんな大好き、謎の美少女だよ!!
食堂を出た俺達は、特に言葉を交わすこともなく腹が膨れた幸福な気怠さと共に夜の街を歩いていた。
二十分程も歩けばアーカムと迷宮を結ぶ転移魔法陣まで辿り着くだろう。
それまでに辿る涼やかな夜道の風が、丁度肌に心地よい。
迷宮街にはアーカムの街の不夜城のような灯りはない。静かで、虫の声がよく響く。空を見上げると宝石箱を引っ繰り返したような満天の星空が見えた。今の時刻はどうやら十時を少し回ったところらしい。
森の静けさは日本の田舎とも少し違うのだが、やはりよく似てはいると思う。
正直アーカムの便利さを捨てる事など有り得ないと思うけれど。それでもたまに味わうなら魅力的な夜の散歩道に違いない。蚊が鬱陶しいのもご愛嬌だろう。森林のそばなのだからこればかりはどうしようもない。
この感覚全てが、世界樹の作り出した魔法の一部というのだから、驚かされるというよりはもう、上げるべき言葉も見つからない。人智を超えた自然の力というものは地球にしろ異世界にしろ、いつもあまりに壮大だ。
世界樹も勿論そうだが、世界樹迷宮というものも、非常に不可思議な存在なのだった。
俺たちが今歩いている世界樹迷宮とは一体何なのか?
それは、世界樹という魔法の中核を為す魔法石ジオ・クリスタルが自らを守るために物質世界と精神世界の狭間に生み出す結界だ。一つの世界と言ってもいい。
人間の根源が魂であるように世界樹にも魔法としての核が存在する。それこそが世界樹の吸収した膨大な霊力の結晶、“煌霊結晶”と呼ばれるものだ。
力の有る世界樹のクリスタルは、自分の周りに異世界を作り上げる。むしろその異世界も含めて人間が世界樹と呼ぶ一つの魔法だと言えるだろう。
この異世界やジオ・クリスタルには通常、物質世界の存在は干渉できない。それらは大樹の姿で物質化した世界樹の外殻とは別の位相に存在するため、巨大な世界樹の麓に立とうと世界樹の作り出した世界やクリスタルの存在を感じることは出来ないのだ。
が、しかし。戦略級の巨大な魔術を組むことによって、物質世界と世界樹の生み出した世界を繋げる事で互いを行き来する事が可能になる。この世界樹の生み出した世界こそ、人間が世界樹迷宮と呼ぶ場所だ。
現在地球には異世界から太平洋に移植された界王樹以外にも、幾つかの大都市の近隣に界王樹よりは小規模な世界樹が植えられている。いずれも界王樹から株分けされたものだ。それぞれに独自のクリスタルと世界樹世界を持っている。
ジオクリスタルは世界樹迷宮を一つの生態系として管理しており、吸収した霊力からその持ち主だった生物を再現しようとする。故に世界樹世界は自然も魔獣も独自に存在しており、人間にとっての一種の採取地や、生態系をシミュレートする実験場として利用されているのだ。これは世界樹迷宮の生態系には希少な魔獣さえ再現されているということもあるが、この世界樹の再現する魔獣は自然発生する魔獣よりも比較的穏やかで共生的である、という不思議な傾向のおかげもある。
都市と世界樹迷宮に関わる例えを挙げれば、ミスカトニックはアーカムの世界樹エリュシオンの作る世界樹迷宮ロスト・エリュシオンを研究の観察地や実験場、及び生徒の訓練場として利用しているというわけだ。現在アーカムからロスト・エリュシオンに繋がる入口は、ミスカトニックと冒険者協会アーカム支部に専用の転移魔法陣が二つずつ存在しており、それぞれ繋がる場所が違う。
ミスカトニックは訓練用と研究用に一つずつ、協会は冒険者用と観光者用に一つずつだ。入口を制限しているのは魔獣の個体数などを管理しやすくするためと、危険区域への一般人の立ち入りを制限するため。あとはまぁミスカトニックにとっては当然研究の漏洩を防ぐためで、入口を制限するだけでなく重要な区域にはアーカムが誇る高位魔導師達による厳重な結界魔法がかけられており、対応するライセンス及びそれぞれの機関の許可が無ければ侵入できない。
ジオ・クリスタルの存在する迷宮中心部などは制限の最たるもので、クリスタルを守る守護獣によって元々近づくものには非常に危険である上に、クリスタルへの不用意な干渉を防ぐため、都市長の許可が降りない限りは非常に強固な結界が行く手を阻む。
世界樹迷宮とは都市にとってもそれほど重要なダンジョンなのである。
「おいクソガキ、―――――――おい、レイ!耳が聞こえねえのかてめえは!!」
「あいたっ!?」
後ろからゲンコツを入れられた。
「な、なんだよレティいきなり~……!?」
「ぜんっ…………ぜん!!いきなりじゃねえんだよ馬鹿たれ。さっきから何度呼んだと思ってんだ?」
頭をさすりながら振り向くと仏頂面のレティが居た。レティの場合この表情が周囲には最も安全な表情かもしれないが。笑顔は逆に危険信号。
「十三回や」
「そのムカつく糸目は誰のモノマネのつもりだアホ妖精。……数えてるぐらいならむしろお前が早いとこそいつをしばけよ」
レティにジト目で睨まれたスピカが俺を盾にして隠れる。お前、そんな結果が見えてるほこたて試して楽しいか?と突っ込みたかったが時間の無駄なのでやめた。
「んでレティ?一体何の話があったんだ?」
「ご用事なぁにじゃねぇだろうすらハゲ。どこまで呑気だお前らは?転移魔法陣はもうすぐそこだ、忘れ物なんかねぇだろうな」
「あったとしても今から取りに返るわけないって」
思ったより平和な話の内容に気が抜けた。一応後ろのスピカにも聞いてみる。
「お前は?」
「ピーチナッツミルク食べ忘れた」
「今度にしろ」
「…………無いならいい。さっさと帰るぞ」
いつも通りの締まりのない会話に、レティも気が抜けたようだった。
案外保護者として気を張ってくれてるのかもしれないな。と考えが至ると少し頬が緩む。
「何ニヤついてんだお前」
「レティが心配してくれて嬉しいんだよ」
「はっ、おべんちゃら使ったって明日からの地獄のメニューは変えねえからそのつもりでな」
眉間に皺を寄せてそう言い捨てたレティは振り返ってまた暗闇を歩き出す。
失態とその罰則を思い出させられてがっくりしつつ俺も後ろに続いた。
(本気で明日は寮でゲームでもしていよう……!!………………ん?)
魔法陣の方向から人が歩いてくるのが目に入って、ついじっと目を止めてしまう。
(珍しいな、こんな時間からソロで探索すんのか?それとも街で仲間と合流すんのかな…………ってぇええええぃ!!?なんぢゃぁぁあのカッコわぁああ!?)
他人より早く輪郭を確認できる俺は、自分の精度だけは抜群の瞳をそれでも疑った。
向こうから歩いてくる人影の正体は一人の少女だった。レティを師匠に持つ俺が言うのもどうかと思うけれど、やはりどうしてもダンジョンという場所に、少女の姿はひどく似合わないものだ。それだけでも相当目立つが、問題はその服装だった。
レース付きの紺色の傘を持つ手にはシルクの手袋。猫耳フードのファー付きポンチョに下はフリル付きの黒いドレス。嫌でも目を引く銀の美しい長髪は軽く波打っており、肌は病的なほど白い。アキバの街かどこぞのお屋敷から抜け出してきたような、その手のマニアには涎が出るような、高級感あふれるお嬢様スタイルの完璧な美少女だった。月の光がこれ以上無いほどよく似合う。
(おいスピカあれ見ろよ!あんなお嬢様が一体ダンジョンに何の用だろうな!?)
堪らずにチラリと横目で振り向くと、竜妖精は怪訝そうな顔を浮かべている。
(……ええ……?そんな人どこに居るの~……??じぇんじぇん見えないんデスけど)
(はぁ!?お前あれが目に入らないって目よりも頭がおかしいんじゃねぇか……ってそうか、お前の夜目じゃ無理か)
竜妖精の感覚器官は通常の人間よりはかなり優れているはずだが、霊視よりはさすがに落ちるだろう。
(……でもスピカが見えないような距離か?)
不審に思いつつも夜だから仕方がないか、と自分を納得させつつ、もう一度その見るだけで一日幸せに過ごせそうな姿を確認しようと振り向いた。
その瞬間―――――――
「…………ッッ!!!!!!???」
―――――――――――――――――――――目が合った。
金と紫のオッドアイ。アメジストと黄金を溶かして彫刻にはめ込んだような、その鮮やかに過ぎる瞳と。
白い肌と印象の強い瞳の描くコントラストの美しさは、貴賎を問わず見る者の時間を忘却の彼方に連れゆくだろう。彼女の姿はあまりに愛らしく、いつまでも眺めていたいと思うことはまったく自然の欲求であるように思われる。
だが、俺がその瞬間抱いたのはそれとは全く正反対の戦慄だった。
怖気、吐き気、言い知れぬ不安に身を捩り、一刻も早く彼女から目を離したいと望むのだが、どうしても体が動かない。
もしそのおぞましい感覚を言葉にするなら、結局はただ一言で済む。
『――――――――――――心臓が――――止まりそうだっ…………!!』
ラノベ書きたい奴は一度はこういう中二回を書いてみたいはず(希望)