多分読み飛ばしてもいい話
世界樹とは、異世界において人間の存在する遥か以前から存在する“魔法そのもの”である。
その生態には未だ解明されていない事も数多い。
地球の人間が時間とは何なのか、どうやって生まれてくるのかを誰も説明出来ないように、異世界の魔法使いも世界樹がどのように、何のために生まれたのか、どのようにして魔力の源となる魔素を作り出しているのか、という問題を誰も答える事が出来ていないのだ。
かつて存在した人智を越えた世界に到達したと伝説される賢者達でさえも、自分達が使う魔法とは一体何なのかと推測することはできても、その推測が真実だということを完全に証明したものはいない。
「世界樹の謎を紐解くということは、魔法とは何なのかを紐解く事と同じだ」という言葉が、史上最もその謎に迫ったと言われる有名な大魔導師レッドアイと、その助手アッシュ・アヌビスの言として残っている。まあレッドアイは姿を消すまでの晩年に自分の研究をほぼ洗いざらい廃棄したそうなので、彼の研究内容どころかその言葉が本当かどうかも現代の人間に知る方法はほとんど無いのだが。
一応レッドアイの遺した実験場の名残は迷宮として各地に残っているそうだけれども、魔獣も罠も地上では考えられないほど危険すぎる上に、重転移装置や空間歪曲装置、異次元連結装置など起動させるのも安定させるのも怪しい、異常なレベルのオーバーテクノロジーが迷宮内部の移動手段として組み込まれているため、各世界のプロフェッショナルによる共同プロジェクトにも関わらずその探索は遅々として進んでいない。辺獄と俗に(主にびびった冒険者に)呼ばれる、異世界と直接連結しているとも言われるダンジョン達は現代におけるブラックボックスの一つだと言われている。
話が横道にそれたが、今回説明したいのは世界樹の話だ。
世界樹とは植物の生態に近い物質化した外殻を持ち、魂を吸収し変換して、魔法の源となる魔素を生み出す魔法そのものである。現代ではそう定義されている。
世界樹がマナを生み出すとは一体どういうことなのかという問いの答えは、現在の地球の状態を見れば一目瞭然。つまり、マナや魔法の概念が存在していない世界でも、世界樹を移植すれば魔法が使え、魔獣などが生まれるようになるということだ。
ということはつまり、世界樹とは人間が干渉して作り出すような魔法ではなく、太古の異世界に自然に発生した、世界を作り変える魔法なのではないかというのが、現在定説となっている世界樹の説明なのだ。
だとすると世界樹の影響力は魔法の中でも規格外だと言える。
非常に嫌な例えだが、世界中に放射能を撒き散らす核兵器がもし存在すれば、それが世界樹のイメージに多少は似ているのかもしれない。もたらす効果は全く違うが。要するに、設置すると問答無用で世界を作り変えるよくわからない何かを散布する存在、とも説明できてしまうということだ。
そう考えるとちょっと恐ろしくもあるが、昔の植物が二酸化炭素を作り替えて地球を酸素で満たしたようなもの、程度に考えると少し気が楽になる。
では世界樹がどうやって、何を糧として世界を満たすほど膨大な量のマナを作り出しているのかと言えば、生物の“魂”を取り込み、それを魔素として還元しているのだと言われている。
だが簡単に魂と言ってしまっても、それじゃあ魂とは何なのか、本当にそんなもの存在しているのか、ということも実はわかっていない。
ただ、人間のような高度な知的生命体がそばに存在している方が、より世界樹の活動が活発になっているとする研究が存在しているため、今はそういう仕組みの可能性が高いと言われているだけだ。しかし誕生から死滅と転生までの何万年周期で観測が必要と言われる世界樹の研究では、その研究成果の信憑性さえも実は怪しいとか言われちゃってたりする。
結局本当に人間や動物に魂なんてあるのかという疑問の果てには、誰もたどり着けていないわけだ。
大昔からずっと探し求められているのに、誰もそれを見つけられない。
地球も異世界も問わず、宇宙に果てがあるのか、宇宙は神様が作ったのか、と同じぐらい人類が追い求めているテーマだろうと思う。
けれど魔法とは何か、という事を語る上でも、現代の理論に魂の概念は欠かせないものだ。
現代において“魔法”とは、世界を支配する物理法則を、術者の望む形に作り変える技術のことだ。
だから科学は地球の魔法だと言われるわけだが、科学はあくまで物理法則を研究し、物理法則の枠の中で人間に都合のいいようにより効率化しているにすぎない。質量保存の法則は越えられない。無から有は生み出せない。異世界のもたらした魔法というのは、それを越える。地球の人間にとっての無から有を生み出す。何も無い宙空に炎を生み出し、手を伸ばないままリンゴを浮遊させる。
けれどだからといって何でもできるわけじゃない。死者を蘇らせることはできないし、好きな所に核爆発を起こしたりもできない。大半の人間はヤカンに入れた水を魔法で沸騰させることは出来ても、ヤカンごと蒸発させることはできない。
異世界の人間にとって魔法とは無から有を産む技術ではない。科学と同じで、作り出す為にはまず消費する、理論に則った限界のある技術、有を別の有に変える技術なのだ。
そこで魔法の力の源になるのが、“魂”というわけである。
「錬金術において人間は、魂、精神、肉体の三つの要素で構成されているとされる」という説明は漫画やアニメで見たことがある人も多いのではないだろうか?
現代魔法理論においてもそれは同じだ。
惑星の放つ引力のように、魂は存在しているだけでその周りに精神という力場を放つ、肉体とは魂と精神の引力に引き寄せられて形作る、魂を守る殻のようなものだと言われる。
魔法に関係するのは魂と精神だ。
人間の肉体が動いて形を変えれば必ず空気が揺れ動くように、精神が形を変えれば必ずそれに応じたエネルギーが動く。『魔法』とはその精神の動きを制御して決まった動きを作り、その動きの力をマナを通して俺たちが現実と呼ぶ物理の世界に引き出し、反映させる技術だというのが現在一般的に信じられ、教えられている魔法の原理なのだ。
人間が魔法を発生させ操る力を魔力と呼び、これには非常に大きな個人差がある。
魂が発生させる精神力の総量はもちろんだが、それをより効果的に操り、効率的に魔法を発動させる技術を鍛えることでも魔力は上がる。
魂が精神力を発生させることは証明できていなくとも、魔法を扱う人間はその難易度に応じて何らかの体の力を消耗しているのは体感できる。魔法を使うと疲労するのは誰しも感じる事だ。しかし同じ魔法を同じように使って凄く消耗する人もいれば、ピンピンしている人もいる。だが、凄く消耗する人に自分のやり易いように同じ魔法を使わせると今度は全然平気なこともある。この消耗する人のやり方でさっき平気だった人に魔法を使わせると、先程以上に楽に魔法を使わせることができるのだが、そのやり方に慣れていない平気な人は消耗する人ほどの伸びしろはない。消耗する人がさっきの三倍使えたのに、平気な人はさっきの二倍しか魔法を使えないというわけだ。これが人間に精神力といえる力が存在することと、そこに個体差があることの証明、及び、精神力を上手に扱う技術にも個人差があることの証明だ。
魔力の高い人、つまり魔法をより多く使える人の定義とは精神力の総量が多く、より効率的に魔法に変換できる人間ということになるわけだ。精神力の総量が多いはずなのに全然魔法として使えない人も居れば、精神力が少ないのに効率よく魔力に変換することで多くの魔法を使える人もいる。魔法の才能とは一般にそういうことなのだ。
……今回は世界樹と世界樹迷宮について説明したかったのに、話がまた大きく逸れてしまった。
人間にとっての世界樹の利点は、マナを生成すると同時に、人類に比較的安全で有益なダンジョンを作り出すことだ。それが世界樹迷宮と呼ばれる存在である。
俺たちがスネークルージュと戦闘したのも、迷宮街に戻ってきたのも、この世界樹迷宮の一つ『ロスト・エリュシオン』の中での話である。ということだけは説明しておこうと思う。
説明が長くなりすぎてマジでこれ以上聞いてもらえそうにないので、残りはまた追い追い話していくとしよう。零ちゃんの異世界講座(ほぼ教科書の朗読)今回はこれでおしまい。
こういう設定だけの説明回ってどうなんですかね?
退屈だって怒られそうな気もするんです……
是非感想とか一言コメ頂けるとウレシイナー|ω・`)チラッ
マッテルナー]ω-)ジー